第10話 異世界の『英雄』はもういない



 「何か、見覚えがあるな……ここ」



 唐突に目に飛び込んで来たのは、見慣れた森の景色……ではなく……どこかで見たような気がする、半壊した地下牢。

 来た事ある所か?いや……その前に。

 俺は何故、こんな所に居るんだ?

 疲れと痛みと安心がない交ぜになって、……それから……?

 あの後、どうなったんだ?



 「あのブタ蛙はニッグとエルが廃人にしていた。重軽傷の違いはあれど敵味方含めてみんな無事、お前が一番の重傷者。ちなみに此処は、お前と俺が初めて会った場所だな」

 「え……あれ?━━じいちゃん?」



 俺の隣にいつの間にか座っていたのは、死んだ筈の異世界から来た《英雄》【最強】五百神灰慈その人。

 でも……あれ?

 何でじいちゃんが俺の隣に?って事は俺は━━


 「━━死んだ?」

 「敵味方含めてみんな無事って言ったろうが。勿論お前も死んでねぇ。って言うかあの程度で死ぬ様な鍛え方なんざ俺もエルもしてねぇだろう」

 「じゃあ、何で」

 「言ったろ?戦いが終わった後に話してやるって」


 唇を吊り上げ、意地が悪そうに宣うじいちゃん。ここなら確かに落ち着いて話せそうだけど。

 俺からフッと視線を外し、壊れた地下牢から覗いていた空を見たじいちゃんが、静かに語る……。


 「ま、聞かれた所で答えられる事もないけどな。お前の力だとか、出生だとか、これからどうしたら良いとかよ。そんなの自分で調べて勝手に考えろ」


 っておいこらぁ!!

 あっけらかんと何言ってんだ!!

 俺が聞きたい事を片っ端から潰して、最後には自分で考えろと来たもんだ!?別にじいちゃんの言いなりになるつもりなんてないけど……もうちょっと、こう、道みたいなのを示してくれてもいいんじゃないだろうか……人として?!

 久々に感じたじいちゃんの理不尽さに強い憤りを覚えていると、楽しそうに…寂しそうに、続けた。


 「俺は……あっちの世界も、割と自由に過ごしてたんだ。いつも一人でやりたい事やって、気に食わなければ噛み付いて、勉強も仕事も人付き合いも、生きて行くのに必要な事は全部適当。誰かと生きたいとか、自分の子供を残したいとか……んな事、一度だって考えた事もない」


 訥々と、元居た世界の想いを語って聞かせてくれるのなんて、酒が入ってないなら、初めての事なんじゃないのか?

 思えば……素面で家族の話なんか出来るかと、決まって酒を飲んでたな。

 生きてる時は習うより慣れろ、むしろ盗めなんて言って来る人だったから、話すより拳を交わす事の方が多かった。酔ってない、自分の話をするじいちゃんは……なんだか新鮮な気が━━。


 「魔法は使えない、魔物はいない、目に見えない敵は五万といる!!勉強したってそれが生かされる機会は少なくて、仕事をしたってただ食う為だけにしてるもんだ!家族を作ったって目的が挿げ替わるだけで手段は変わらん!そんなの我慢出来るか?出来ないだろ!?」


 ……お、おう。新鮮な気がしてたんだけど……な。

 何かそうでもない気がする。

 この自分本位な考え方、それを人に押し付けるこの勢い。新鮮さはないが、懐かしい。

 瓜二つな奴ではこうはいかない……間違いなく、紛れもない、俺達のじいちゃんだ。


 「それが唐突にこっちの世界に呼ばれて、魔法があって、魔物が居て、更に《魔王》の脅威から救って欲しいなんて言われたら……そりゃ男として燃えるだろ!勉強すればそれだけ知識が増え、仕事をすれば誰かに感謝され、自分次第で強くなれるなんて理想的な世界だって思ったよ!」


  ……なんていい笑顔で言われたもんだから━━日記にそう書いてあったから知ってるよ……って言おうとした言葉を飲み込んだ。

 自分の書いた物を読まれるのってかなり恥ずかしいもんな。

 ……アレは今後も読み続けよう。


 「で……だ。まぁそうやって自分のやりたい事だけしてこれからも独りで生きようって思ってたんだけどな。━━お前に会っちまったんだよ、クロ」

 「へ?」

 「子供と接する。まして暮らすなんて考えもしてなかったからよ。どう育てりゃ良いか……始めは分からなかったんだ。自分の子供なんて興味もなかったし、出来るとも思ってなかった。けど、なんて言うか、俺が守らなきゃって気持ちになったんだよ」

 「……何で?」


 俺は━━じいちゃんに拾われた。

 正確には、救って貰ったって言った方が正しい。

 だがそれは……自分で育てるとは同意義にはならない筈。

 一人で生きる事が喜びであり、楽しみであり、誰かを救っても共に生きるなんて足枷、あんたは望んでいないんじゃなかったのか。


 「はは、何でだろうな。自分でも分からん。ただ、それまで俺しか居なかった俺の世界に、お前が唐突に入って来たんだ。これまでも仲間は居たし、守る人達は居たけど、自分から誰かを受け入れ、そいつの人生に関わりたいって思ったのは初めてだったよ」


 空を見上げていたじいちゃんが再び俺に視線を落とす。

 力強くて、怖くて、だけど優しい……いつものじいちゃんの目。


 「死ぬときにも言ったけどよ。俺はやりたい事はやった、生きたい様に生きた。だから、お前もお前のやりたい様に生きろ。外に出ても良いし、俺が作ったこの森で生きるのも自由だ。ただ……」


 そう言って、じいちゃんが、にっと笑い━━



 「頑張りすぎんなよ?」



 何だか、周りの景色が霞んで見える。



 「家族思いなのは良いが、今日みたいに1人で突っ走るなよ?周りをもっと頼れ。自分が傷付けばそれで良いなんて思うな。お前が傷付けばその分、周りも傷付く……精神的な意味でな。家族を守りたいなら自分の力を鍛えるだけじゃなくて心もしっかり鍛えとけ。誰かに頼るのも強さだ」



 言葉を聞けば聞くほど、周囲の景色も、じいちゃんの顔も、朧に霞んでいく。

 気が付いた時にはじいちゃんの隣に腰を下ろし、顔を足に埋めていた。

 子供じゃない……でも、顔が上げられない。

 備わる自尊心が何とか食い止めてはいるが、みっともない声が喉から漏れる。

 ……くそ……。

 じいちゃんが座っていた地面から腰を上げた気配を感じる。


 「早くこっちに来たって歓迎なんてしないからな?お前はお前の人生って奴をしっかり楽しめ。俺は新しい所でまた楽しむからよ」


 ポンと、俺の頭に手を置くじいちゃん。

 ……いや……。


 「お前と、クロと出会えて、最高に幸せだったぜ!」


 顔を上げ、仰ぎ見たその姿は、俺達と一緒に過ごしたじいちゃんではなく。

 憧れられ、語られ、謳われた━━この世界を救い、弱きを助け、強きを挫いた……《英雄》……異世界から来た【最強】五百神灰慈の若かりし頃の姿へと、変わっていた。

 多分……言葉を交わす最後の機会と本能が感じる。だが……上手く言葉が出て、来ない。



 「また……会えるのかな」

 「分からん」



 俺の質問に、苦笑交じりで答える五百神灰慈。

 そうだよな、死んだ後の事なんて誰にも分かる筈がないもんな。



 「だが……」



 彼の口から紡がれる言葉は……俺の希望。



 「クロのこれからの物語……楽しみに見てるからな」



 そう言った彼の笑顔。



 「じゃあな」

 「うん…………ありがとう、じいちゃん」



 手を上げ、俺の声に応え、外に去っていくその背中……。

 きっと【最強】五百神灰慈に助けられた人達は、この背中に憧れた……のかな。

 《英雄》と語られる彼は最後まで後ろを、俺を振り返らず、やがてその姿を消した。




 瞼を開けた俺の目には、見慣れない天井。そして━━


 「……おきた?」


 見慣れた……妹の顔。


 「俺は……?」

 「……ばくすい……あれから……みっか」


 ……みっか……?……三日、……三日!?


 「あれから!?っが!?ぐ……っつ、身体が……!?」


 勢いよく起きようと身体を起こ、せない!?むしろ身体が動かない!?身体中が痛すぎる!!

 指一本すら動かすのに激痛が走るとか……これがじいちゃんが言っていた代償ってやつか。


 「そりゃ『種』をバカスカ阿保みたいに食った副作用じゃ」


 俺の考えを見抜いた様な声が響く。

 シロと反対側から顔を出して来た幼女神霊ユグドラシル。

 ……え?いや待って……これが『種』の副作用!?こんなになるの?!


 「渡した分全部使い切りおって……お主はバカか?それとも身体を痛めつけて喜ぶ趣味でもあるのかの?」


 何か酷ぇ事言われてる!?


 「あ、あれ位しなきゃ皆守れなかった……んだよ!」


 声を出すだけでも痛いんだけど!?

 ……って、これが『種』を使い過ぎた痛みだって言うなら、じいちゃんが言ってた「反動」って何だったんだ?


 「取り敢えず大事ない様で安心したわい。……見た目以外はな」

 「は?」


 そう言って、笑いを堪える様に俺から目を逸らすユグさん……?見た目?

 傍らに居たシロが、サッと俺の前に何かを差し出す。鏡?俺の顔がどうした?……ん?…………は?…………え?!



 「な、なんじゃこりゃ!!!?……あが!?……え、なんで?!」



 で、デカい声出すと全身に響く!?い、いや痛がってる場合じゃない!?嘘、ホントに?

 お、俺の顔が……いや、俺の姿が…………幼くなってる!?なんで!?どうして!!


 「お主の身体にぷ……宿っていたハイジから聞いた所それくく……が力を使った代償らしいのあははははははは!!!」


 これが?!

 もっと痛いとか、辛いとかそんなのだと思ってたのに!?今子供(推定5歳児)になるのは何か恥ずかしいだけなんだけど!?何この精神的拷問?!……もしかして、ずっとこのまま……?


 「はー腹痛い。安心せい、あやつの話しでは数日間だけな筈との事じゃ」


 それでも数日はこの姿なのか!俺の身体に居たじいちゃんの言葉はきっと真実なんだろうけど、それでもコレは━━?

 ……何か、シロの視線が……熱いんだけど。


 「…………かわいい。……おせわは……しろに……まかせる」

 「ぶっ!?あははは?!そうじゃのう!弟の世話は姉の役目じゃからの!?」


 そう言って、そーっと俺の頭を優しく撫でるシロ。

 俺達のやり取りが可笑しかったのか、抑えた笑いを再燃焼させたユグさんが俺達の関係を反転させて言葉を連ねる。

 あーもう!自分より年下に見える兄がそんなに新鮮なのか!?って……そうだ!?


 「サヴラブはどうなった?リリーナは?」


 事態は収拾して、じいちゃんも全員無事と言ってくれたけど、俺はまだその結末を知らない。あの後……どうなったんだ?!


 「リリーナちゃんは無事よ~」


 俺が出した問いの答えを返してくれたのは、部屋に入って来たエルさんだ。その後ろにはティアとリリーナも━━


 「クロさん!?お身体は大丈夫ですか!?」

 「やっと目を覚ましたのね……にしても、その姿は締まらないわ」


 心配してくれるリリーナも。

 ニヤニヤしながら悪態吐いて来るティアも。

 揃って無事な様で良かった。


 「今、目が覚めたんだよ。で、あの後ってどうなったんですか?」

 「まぁそんなに大きな事は無かったわ~」


 ━━要約すると。

 サヴラブは半死半生。

 絶対に消えないトラウマをエルさんとニーズヘッグに植え付けられ、壊滅させられた自分の傭兵達と共に領地へと返されたらしい。

 【最恐】と【悪竜】……この二つの存在が施したトラウマが何なのか。……知りたくもない。

 此方に人的被害はなく、傷付いた森も既に修復が済み、原状復帰が終わってるとはユグさんが付け加えた言葉だ。


 「あれ?そういえばニーズヘッグは?」

 「あー……それな」


 おい。ユグさんの言い出し難そうな言葉。

 何か嫌な予感しかしないんだが……。


 「クロちゃんが寝てる間に~、ハイジが決めた事が二つあってね~?」

 「……二つ?」


 あの《英雄》は、俺の身体で一体何を決めたんだ。


 「先ずニーズヘッグじゃが。あやつもこの森に住む」

 「ニーズヘッグが……えっ?」


 何で?どこか一か所に縛られるのなんて嫌がりそうなものなんだけど、あの竜は。


 「一番デカいのは今回の様に、誰かの悪意に利用されるのを防ぐ為じゃな。《竜》に近付く奴もそうそう居らんが……まぁ用心の為じゃが、一番大きな理由はお主の為じゃな」

 「俺の為?それって一体どういう──」

 「ニーズヘッグにお主を鍛えて貰うとハイジは言っておったぞ」

 「……はっ?……俺が!?いやいや待っ……があ!?……普通に死ぬと思うけど!?」

 

 声出し、起き上がった身体が悲鳴を上げるがそんな場合じゃない!何で?!どうしてそうなった!?


 「何の因果か、《英雄》の周りは色々と問題が起き易い。しかも此処はその《英雄》が創り上げた土地と言える。……つまり、今回の様な事が二度とは起きぬと断言は出来ん。そんな時が来たら、お主は今回の様に……真っ先に矢面に立つじゃろう?」


 否、とは言い辛い。

 弱いつもりはない……が、周りに俺より強いと思われる人達が居るにも関わらず、俺だけが死にそうになってるこの状況が全てを物語っている。

 まぁ、今後も家族や森に危害が加えられる事を、黙って見てはいられないし。


 「そんな時の為に、ニーズヘッグから戦い方を学んで置くのも良かろうと言う話でまとまった。まぁ、加減はするじゃろうて……多分」


 物凄い自信が無さそうぅぅぅ!?

 しかし、ニーズヘッグが俺を……ね。

 昔じいちゃんと「契約」をしていたらしいし、戦いの最中で見た二人は随分と親しげだった。じいちゃんの周りは……皆面倒見が良いんだろうか?いや、俺が望んだ訳じゃないし、何なら死にそうなんだけどね……。


 「で、もう一つなんだけど~」


 その面倒見が良い人達の筆頭、エルさんが残りの一つを発表しようとする。


 「ちょっと、心の準備を━━」

 「リリーナちゃんは〜、クロちゃん達の家に住む事になったから~」

 「させてくれてもっ……え?」


 思わず文句を言いそうになった口が、塞がらない。


 「まぁ元々はハイジが助けた子だったみたいだし~?リリーナちゃんを一人で遠い所に置いて置くより〜、貴方達の近くに居た方が良いんじゃないか〜って言う話になってね~?」

 「あ、あの、勿論クロさんの意向を聞いてからとお返事させて頂きましたが」


 一歩前に出て、そう付け足すリリーナ。

 伺う様に上目遣いで俺を見る表情は……どこか不安気だ。


 「……し、シロさんは別に構わないと言ってくれたんですが」


 ……あぁ、安心した。

 だが、あの非常識魔法使いである五百神灰慈が言い出した事なら確認しておかなければいけない。


 「けどそれって、もしかしてじいちゃんが一方的に言ったんじゃ……リリーナのお母さんは?」

 「アリーシャからも~、宜しくだって~」

 「あれ、エルさんも知り合いなんですか?」

 「えぇ~!ハイジの知り合いは〜大体私も知ってるわ~」

 「お母さん、もの凄く驚いてました」


 リリーナが苦笑してる所を見ると、もう連絡は取れたようだ。


 「まぁ~、アリーシャも一人で僻地に居るのも何だから、近々ヘルバに来ないか誘ってみるつもり~」


 ちゃんとした報告と母親の説得の為に、俺が目を覚ましたら一度帰るとの事。

 知らない間に外堀は埋められていた。


 「だから……クロさんが良ければ……その」


 何だか顔が真っ赤だけど、大丈夫?


 「いいよ」

 「……えっ」

 「俺から特に反対もないし、家には部屋も余ってる。元々、俺もシロも境遇は似たものだし、リリーナ自身が良いのなら」

 「……でも」

 「何より家主のじいちゃんが良いって言ったなら良いだろ。な、シロ?」

 「いまは……くろが……やぬし」


 そんな話で良かったよ。

 もっと……こう、命の危険があるものだと思っていたから……心の底からホッとした。


 「てっきり……エルさんとニーズヘッグの二人掛かりで訓練させられるのかと思いましたよ」

 「あ、それは追々ね〜?」


 ……マジかよ!?

 大きな攻撃が来ると構え、それが肩透かしと油断した所を背後から致命的な一撃を喰らわされた。こう言うのを……油断大敵って言うんだっけか?!

 ……ともかく。


 「アリーシャさんがヘルバに来なくても、魔道具を置けばいつでも往き来は可能になるし」

 「そんな事が出来るんですか!?」

 「リリーナ達親子が好きだった《英雄》に、不可能なんてないさ」

 「……ありがとうございます」


 リリーナが感謝の言葉を呟いた後、深呼吸をして……俺の目を見て。



 「ふ……不束者ですが、宜しくお願いします!!」



 頭を下げ、しっかりとした挨拶をして来る。

 何だか、くすぐったくて、微笑ましい。


 「此方こそ」


 今でさえ不束な妹が居るんだ、何も問題はない。



 「が一人増えた。それだけで今までと変わらないんだから。リリーナも気楽にね」



 「…………え?」


 ……?頭を下げたリリーナが、その勢いを上回る速度で頭を上げ、俺を見て来た。え?


 「い、妹……ですか?」

 「?あぁ、家族って事だったんだけど、言い方が不味かった?」

 「いえ、あの……でも……その」


 年上扱い……姉さん?でも確か年下だったよな?そういう年頃って事か?

 そんな益体もない事を考えてると後ろに居たティアがリリーナの肩をポンと叩き……


 「無駄よ、無駄。アタシやシロが何年そいつと一緒に居ると思ってんの?」

 「このきもちは……なかなか……とどかない」

 「お2人は、ずっとこんな気持ちを抱いて来たんですね」


 理解は出来ないが、褒められてない事だけは分かるな!?リリーナまで!?

 まるでずっと一緒に過ごして来た姉妹よろしく……呟きあった少女達が笑顔を交わす。

 納得出来ないところは多々あるが……良いか。


 「何はともあれ……これから宜しく」

 「……はい!」


 気持ちの浮き沈みが激しいが、最後は満面の笑顔で、俺の手をしっかり握って来た。

 ……悶絶したのは言うまでもない。

 後から気が付いた事だが、俺の顔に『偽りの感情ペルソナ』は着いてはいなかった……が、それ以降、リリーナの前でも仮面を着ける事は無くなっている。

 共に死線を乗り越え、互いの境遇を理解した━━「家族」だってじいちゃんが教えてくれたから。




 それから……身体の回復には五日掛かった。

 今まで経験した中で、一番長かった五日だったな。

 最初の一日目は殆ど寝たきり、二日目でようやく動ける様になったものの痛みは取れず、三日目にしてやっと自分の家に帰って来る事が出来た。……いつも以上に時間は掛かったけど。動かなければ痛みが出ないと言っても、動くと痛みは出るから仕方ないか。四日目、五日目を経てようやく回復。

 今日……って言うか、さっきリリーナは元居た場所に向けて旅立った。

 向こうの家を整理し、母親にこれからの事を相談しに行ったのだ。

 倉庫に眠っていた『彼方の家路アウフヘーベン』の使い方も教えたし、行きに時間は掛かるが帰りは一瞬だろう。

 何故かシロも行きたがって結局着いて行ったけど、……大丈夫か?まぁ、エルさんにティアも同行してるから大丈夫だろう。

 エルさんは、経由する王都『セレジェイラ』でガドガさんと逢瀬を楽しみたいと言うのが主目的っぽいけど……護衛って意味ではこれ以上の戦力はない。

 問題は……明日からの俺な訳で。

 身体の回復はユグさんを通して伝えられ……明日、彼女ニーズヘッグの元まで行かなければならない。

 そう、……訓練が、始まる。

 俺の、平和な日常が……終わる。

 ホント、明日からが不安で仕方ないんだけど!?

 ゆっくり出来るのは今日までで、明日から拷問と言うべき訓練が始まるんだ。あぁ、明日なんて来なければ良いのに。

 最後の休日のお供は……勿論『五百神灰慈英雄譚』……じいちゃんの日記。

 そこに書かれている冒険の数々は俺の胸を高鳴らせ、またじいちゃん主観の書き方から、まるで俺がそこに居るかの様だった。

 俺にも……いつかこんな冒険をする日が来るんだろうか?

 今は想像出来ない。

 視界の端に映る机に置かれた『偽りの感情ペルソナ』。

 これを外して他人と話せる様になったら……俺も。



 ……いや、無理だな。



 話せる自分が想像すら出来ない。

 出来る様になったらその時に考えよう。

 それにこの森の事だって、きっとまだまだ知らない所、知らない事がありそうだし。

 これを知らずして外の世界には旅立てない。あの異世界の《英雄》の、全てが詰まったと言われる森を完全に攻略してやる。おぉ、そう考えたらやる気が出て━━っと?!

 そこまで考えた瞬間、開け放たれた窓から急に強い風が入って来た。

 今日はやけに吹くな?

 窓を閉め、日記の置かれた机に戻ると、ページが進まされた形跡が見られる。

 この日記、更新頻度が区々で……闘いと休息に明け暮れていたいた間にかなりの頁が追加された様だ。

 ……もしかして、これも魔道具……だったりして?

 何にしろ……本の先読みって嫌なんだよなぁ。良い時間だし、そろそろ━━



 『━━なんで……何で《魔王》がなんだよ!?』



 本を閉じようとしたところで、この一文が目につく。

 …………?

 どういう事?じいちゃんの知ってる奴が《魔王》だったって事?でも何でこんなに驚いてるのか意味が分からない。

 そもそも、前に読んだ所で《魔王》は倒されていた筈じゃなかったか?

 先読み、飛ばし読みは邪道と思うが……これはじいちゃんの日記だし、多少は飛ばしても良いんじゃ━━。

 ……いや、此処までの展開が分からなければ読んでも面白くないかも知れない。めくられたのはかなり後ろの方……よし、飯の時間を削ってでも此処まで読み進めて━━



 コンコン。



 ……? 家の扉が叩かれたのか?

 シロやリリーナ、ティアに師匠は王都に行ったばかりだし、第一ノックなんてしない。

 それはユグさんも同様。じゃあ……ニーズヘッグ!?明日行くって言ってたのに!?……待って、あのニーズヘッグがあんなに優しくノックなんてするのか?分からん。じゃあ、村の……誰か?

 でも、この家に訪れる村人は……いない。

 こ、この家には現在俺だけ……そうか……気のせいだな。そもそもこんな森の奥深くまで訪ねて来る人間なんて━━



 コンコンコン……ゴン!!!



 ……無言のプレッシャーが強い。

 俺の直感が告げている……この扉の向こうに居るのは……ヤバい奴だ。

 仮面を付け、玄関脇に置かれている『月詠』との距離を見る。

 俺が準備してる間に気配が立ち去るならそれで良し。だが危害を加える気ならば━━



 「この私を相手に居留守……か。良い度胸だな━━灰慈」



 感じていた敵意が、圧倒的な殺意に変化した!?

 じいちゃんの知り合い?しかも女の人の声?って言うか、やっぱり知らない人!?

 色んな疑問が頭を駆け巡り知らないフリを推奨するが……この殺意は拙過ぎる?!

 あぁ、クソっ!?

 背中に『月読』を背負い、『帯袋』を装着し……意を決して、扉のノブを捻り扉を開ける。


 「じいちゃんなら居ない━━」


 開け放った瞬間に殺されるなんて事は勘弁してもらいたい!?



 「━━ん?何だ、奴ではなかったか。これは失礼」



 俺に向けて優しく謝罪の言葉を掛け、そして漏れ出た殺気をしまう。

 ……これがもしじいちゃんだったら、この辺り一帯を巻き込む壮大な殺し合いになったんでは……?

 常識?が、ありそうな人で良かった。



 「ところで此処に、五百神灰慈と言う男が住んでるだろう?」



 殺気に気圧されて碌に姿を見なかったが、綺麗な女の人だ。

 歳の頃は二十代中盤か。

 蒼が混じった黒い髪を横で纏め、夜の星空の様な瞳は吸い込まれそうな魅力を醸し出す。

 身に着けている衣服や装飾品も、一目でその価値が分かる程希少な物ばかり。

 じいちゃんの知り合いなら……事実を話すべきか?

 いや、まだ誰かも分からないのに危険……だろうか?

 俺の選択した答えは、先送り。

 「さっき言い掛けましたが……、五百神灰慈は……居ません」


 正確には。もう居ない。


 「そうか……運の良い奴め。まぁ良い、改めるとしよう」

 「で、貴女は?」

 「ん?じいちゃんと言うからには奴とは少なからず縁があるんだろ?何も聞いてないのか?」

 「えぇ」

 「私の事を話してない……やはりあいつにはしっかり話をする必要があるな」


 そ、そんなに?

 いや、じいちゃんの事自体を知るのはいつも人伝や書物からなんですが……ちょっと落ち着いてくれません?また殺意が漏れ出してますけど!?


 「まぁ良い。私の名前はアスミィ=オルタンシア。灰慈を知っているなら……」


 そこで目の前の女性は一呼吸置き、



 「五百神亜澄アスミと言った方が分かりやすいか?」



 そう口端を優しく吊り上げ、自ら名乗っ……ちょっと待って!?


 「五百神?じゃあ……」

 「私は奴の姉だ」

 「へ?」


 はいぃぃぃぃぃぃぃぃ!?だって、どう見ても!?


 「姉って、じいちゃんより全然歳が──」

 「あぁ、こっちの姿は変装用だ。本当の姿は……」


 言うが早いか、淡い青色の光が女性の身体を覆い、その姿が……変わる。

 うん、大きくは変わってなかったんだ。ただ、決定的に変わった。

 頭部には二本の角、背には翼、腰の辺りから伸びる……尻尾。

 ……悪魔。いや、悪魔種(ディーマン)と呼ばれる種族。


 「待って下さい……じいちゃん━━五百神灰慈は只の人間だった筈ですが。それに……」

 「異世界から来た灰慈に血縁は居ない、か?確かにこっちの世界では血の繋がりはない。だが異世界で私は、確かにアイツの姉だったよ」

 「!?じゃあ貴女も?」

 「そう、異世界から呼ばれた口だな」


 そんな事があるのか?けど俺はじいちゃんの事を知らない。

 だったら言うべきか?じいちゃんが既に……。姉と言うなら知る権利はある。……が……。

 この人の言う事が真実でも、それを確かめる術はもうない……ん?


 「……はぁ。もう来たのか」


 何だ!?森に……デカい気配が多数現れた!?


 「ほう、察知したか。だが安心しろ、此奴らは私を探しに来ただけだ」

 「此奴ら……探しに?」

 「今日は大人しく帰るが、灰慈に伝えておいてくれ」


 背中の翼を広げ、ふわりと宙に浮かぶ、じいちゃんの……姉。


 「私は諦めた訳ではない。お前がどこに隠れていようが必ず見つけ出し、その命を長命種にさせると!」

 「待ってくれ!じいちゃんは──」


 真実を口にしかけた俺の耳に、衝撃的な単語が飛び込んで来た。



 「《魔王》様!」



 ……え。

 周囲に、いや空間に響く女の声。

 現れたのは、小柄な少女……だが、絶対に強いだろコイツ!?

 その後に続く部下らしき奴らの気配も……そうとうな強さ!?

 しかも……《魔王》?

 いったい……何がどうなってるんだ?!


 「漸く見つけましたよ!?こんなにホイホイ城を出ないでとあれ程!」

 「分かってるって……今日はもう帰る。伝言出来ただけで大きな進歩だ」



 だって、《魔王》はじいちゃんが倒したって、え?頭が着いて行かないんですが。



 「では……あー、灰慈の子供!確かに伝えろよ!」


 そう言い残し、五十嵐亜澄と名乗った女性は、多数の気配と共に……消えた。


 おい、じじい。

 鬼が現れ、人が来て、《竜》と闘い、今度は━━《魔王》?

 この森にいるだけなのに、どうして『冒険』がむこうからやってくるんだ?

 しかも、最後の《魔王》は明らかにあんたの関係者じゃねーか!!

 それを何で残して逝ったんだ!?

 嫌な予感しかしないんだけど!?

 俺にどうしろって言うんだよ?!

 何とか答えやがれ……



 五百神灰慈ぃぃぃぃぃぃぃ!!



 その答えをくれる人は居ない。

 異世界の英雄は、もう……いない。


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