【後日談ルナウト視点】必要なのは心の準備と綿密な作戦
ナノカの料理が食べたい。
女神の太陽が、そろそろ西に傾き始めた時刻。玄関扉の上には明かり取りの窓があり、紅葉を透かした朱色の光が射し込んでいた。
玄関一つとっても、さっさと決めた家にしては、なかなかいい物件だと思う。
そんな家で、俺、ルナウトは悩んでいた。
ナノカの料理が食べたい。
『七つの歌』亭に行きたい。
もちろん普通に、客として営業時間中に店に行けばいい。
だが正直、食べ物の匂いが一気に押し寄せてツラい。
ラボで食べ物の匂いにやられた時、ナノカに片づけさせてしまったのは、痛恨のミスだった。今思い出すと恥ずかしすぎて死ねる。もう二度と、あんなことはないようにしたい。
まだ客が少ない時間──昼営業、あるいは夜営業の開始直後ならどうだろう? 昼前とか、夕方(つまりそろそろ)とか。
いや、様々な料理ができあがったタイミングじゃないか。やっぱり匂いが。
もし匂いがたいしたことなかったとしても、温かい料理を食べつけていない俺は、極端な猫舌だ。冷めるまで待っている間に結局、次々と客がきてそっちの料理の匂いが……
『七つの歌』亭は狭いから、匂いがダイレクトにくるし避けようがない。まったく。
ナノカは早く、俺の家に住めばいい。調理器具製作もはかどるし。
店の仕事が終わったら、この家に帰ってきて。
冷めた残り物なんかを俺に与えてくれれば、喜んで食べ……
「こんにち、わあっ」
「うわ」
いきなり玄関の扉が開いたかと思うと。
そこに、目を丸くしたナノカが立っていた。
黒く艶やかな髪は、頭のてっぺんで丸くまとめられている。オダンゴという食べ物に似た髪型らしい。前髪は横に流し、金属でできた小さな花飾りで留めていた。
まるいおでこが可愛い。とても。
「びっくりしたー。ごめん、ノックはしたんだけど……ルナウトさん、出かけるところだった?」
「いや、別に。ここで考え事を」
「ここで? 考え事を、玄関で?」
「そう」
「そ、そうなんだ」
研究者って変わり者が多いとか? などと彼女はつぶやいている。
考え事というのは、まさに『七つの歌』亭に行こうかどうしようか逡巡していたことだとは、言わずにおいた。
とにかく、ナノカがこの家に来たのだ。
「ナノカ、入って」
「あ、ううん、これ渡しに来ただけだから。すぐ店に戻らないと。はい」
ひょい、とカゴを突き出された。反射的に受け取る。
「これは?」
「食事」
ナノカは目を細め、顔全体で笑う。
「いや、私も色々と考えたんだ。ルナウトさんに食べに来てほしいけど、なんか店に入りにくそうにしてたでしょ。まあ匂いがするもんね。時間帯を選んでも難しいし、うち狭いからテラス席みたいなものもないし」
ついさっきまで俺が考えていたことを、ナノカも同じように考えてくれていた。
それだけで、胸が熱くなる。ついでに顔も。
「でね、昼営業の残り物で『お弁当』を作ってみた」
「オベントウ」
「持ち運び用の食事ね。考えてみたら私、お弁当はよく作ってたから、冷めてもおいしいものを作るのは得意なんだわ。昼のメニューをそれ系にすれば、ルナウトさん用にとっておけると思って」
「俺用に」
「そう。配達ならする、って前に言ったし。今回はお試しってことでサービスです」
「いや、それは」
「食べるの、無理はしないようにね。じゃ」
「あ」
ひらっと手を振って、ナノカはパタンと玄関の扉を閉めた。
気配が遠ざかる。
俺はしばらく、そこに立っていた。
やがて回れ右をし、居間のテーブルにカゴを置くと、ため息をつく。
(あっという間だった……)
本当はもっと色々と話したかったが、心の準備ができていなかった。この口下手が恨めしい。
(ラトラルビーの出身ではないようだから、ウィンポルトに来るまでのことなど聞いてみたかった。自分のことならベラベラ話せるのに)
とにかく、カゴの中を見る。
蓋付きの素焼きの器が一つと、紙に包まれたものが入っていた。蓋をとってみると、優しい黄色の何かがふるふると揺れている。
包みの方を開いてみると、パンだ。魚を揚げたものとサラダが挟んであって、切り口から柔らかそうな白身と色鮮やかな細切り人参、葉野菜の緑が見えている。
気がつくと立ったまま、パンにかぶりついていた。
(美味しい)
淡泊な白身に、ころもとサラダドレッシングが合って、満足感がある。生の野菜は口になじみ、ほっとした。
ふるふるの方にはスプーンがついていて、慎重に一口、食べてみる。
卵、そして、あの金のスープみたいな味が、口の中に優しく広がった。蒸したことで柔らかく固まったものらしい。
(これ……好きだな)
食べ進めると、中に赤いエビと緑色の豆が入っていた。
ゆっくり噛みしめた。ふるふるの次に、弾力のある食感、ほくほくした食感が続く。
ナノカの『美味しい』は、『綺麗』も『楽しい』も連れてくる。
(はっ)
空になった器を見て、俺は気づいた。
「これ……返しに行ける。行こう。行かなければ」
いつだ、いつ行ったらいいんだ、とそわそわする。
夜営業の終わり頃がいい。客も少ないだろうし、新たな料理を作り始めてもいないはずだから、たぶん匂いも大丈夫だ。
(ただ返すだけで終わっていいのか? よくない。もし食べられそうなら、店で客としてナノカの料理を食べよう。満員だったら仕方ないから帰……いや、オベントウの礼くらいは。何がいい? ……そうだ)
職業病で、相手が身につけている金属のものは確認済だ。
夜に店に行った俺は、作戦を実行した。
洗った器を返し、食事をし、そして礼の品を渡す。
「わ、ヘアピンだ! 作ってくれたの、可愛い! ありがとう」
ナノカは大喜びで、前髪を留める花の横に、俺の作った葉も留めた。
完璧だと思ったのに、まだ数人いた客から、
「そういう時は、兄ちゃんがナノカの髪に留めてやるんだよぉ」
「詰めが甘いねぇ」
と言われてしまった。
そういうのはいいから! などと照れ笑いしているナノカが、俺の家に住んでくれるのは、まだまだ先になりそうだ。
冷血魔法使いが愛する彼女のごはん 遊森謡子 @yumori
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