第6話 お互い、美味しい誘惑には勝てません
人質は無事に、救出されたそうだ。
大きな仕事を終えたばかりのルナウトさんは、数日、お休みで。
その間、ほぼ私にべったりだった。
もちろん、一日中一緒ってわけじゃないし、夜は私も女性軍人の寮に帰る。でも、何かしら料理関係のことをしている時……食材を取りに行くときも、ラボに戻って調理するときも、ルナウトさんはずっと横にいた。もちろん、属性の関係で火には近づけないので、コンロからは離れているけれど。
(ま、これだけ見張っていれば、変なものが入ってないって安心できるんでしょ)
私は割り切って、彼が食べられそうな料理をあれこれ作った。
素材以外に使うのは、出汁と塩だけ。いきなり新しい味をいくつも、というのはたぶん受けつけないと思うし、だんだんでいい。
まずは、今まで生で食べていた野菜を、煮たり焼いたりしても食べられるようにしてあげたい。本当は自分で調理できれば、なおいいんだけど。
「お芋をふかしたよ、塩で食べてみて?」
「魚のスープ、トマトと合うよ。イノシン酸とグルタミン酸……まあ細かいことはいいか」
「こっちは、すりつぶしてポタージュにしたよ、胃に優しいから。ミキサーとかブレンダーみたいな道具があれば、もっと楽なんだけど。あ、こっちの話」
「タマネギがちょっと焦げてるのが気になる? 軽く焦がしても美味しいんだ」
作りながら解説する私の手元を、ルナウトさんはガン見している。そして、できあがったそばから用心深く味見をした。
ほとんどのものを、食べることができた。
彼に必要なのは、『安心』だけだったのだ。
でも、「美味しい?」と尋ねると、「たぶん……」だって。
(美味しいとか美味しくないとか以前の問題だもんね。思ったより食べられてる、それだけでよかったよ。卵もいけるかな?)
試しに、ゆで卵を作った。ルナウトさんの目の前で殻を剥き、半分こにして、まず私が食べてみせる。
『安心』を、あげたくて。
すると、ルナウトさんも恐る恐るかじり、そして飲み込んだ。
「よかった! 卵は栄養あるし消化もいいから、きっとどんどん元気になるよ!」
私が喜ぶと──
──ルナウトさんは初めて、はにかむような笑顔を見せた。
(あれ、いつも無表情だからわからなかったけど、本当はこんなに優しい顔なんだ)
ちょっとドキッとしたりして。
(私の二歳年下だっけ。笑うと年相応に見えるなー、可愛い)
ルナウトさんは食べる量が増え、夜もしっかり眠り、数日で目に見えて顔色が良くなっていった。
それと、コンロの火をつけたり消したりするだけなら、どうやら大丈夫そうだということもわかった。
ということは。
鍋やフライパンに食材や調味料を入れて蓋をし、火をつけたら離れて、しばらく放ったらかし……みたいなレシピなら、自分で作れるかもしれない。
休みの最後の日。
相変わらず、ルナウトさんに背後霊のように張りつかれながら、ラボで昼食を作る。
「ほら、こうやれば自分でできそうでしょ」
「…………まあ……」
何か言いたげだけど、元々口数の少ないルナウトさんである。
そこへ、入り口の扉が開く音がした。
ヒゲマッチョ班長、ガスマンさんだ。
「厨房にいたのか。ルナウト、人質救出作戦ではご苦労だったな」
入ってきた班長さんはルナウトさんをねぎらい、そして私に向き直ると、言った。
「ナノカ、お前の疑いが晴れた」
「えっ? でも」
私はまだ、ルナウトさんに『美味しい』と言わせていない。
すると、班長さんは続けた。
「トニオが捕まったんだ」
「トニオさんが!?」
「『七つの歌亭』に近い廃屋を連絡所にしていたことがわかって、そこから数々の証拠も出た。お前はもう店に帰っていい」
偉そうに言う班長さんを、私はジト目でにらむ。
「……ねえ。もしかしてそれ、とっくにわかってたんじゃ?」
班長さんはただ、黙って鼻で笑うだけだ。
(この策士め……! ルナウトさんの回復まで待ったな!?)
まあどちらにせよ、あの状態のルナウトさんを置いては帰れなかったからいいけど。
誰かを救えたことは、家族を助けることができない私にとっても、救いになったから。
さて! やっと店に帰れるー!
「町までは送らせるから、支度しろ」
班長はそう言って、立ち去った。
彼を見送り、私はニッコニコでルナウトさんに向き直る。
「ルナウトさん、それじゃあ私──」
「ねえ」
ルナウトさんが、小さな声で遮る。
「店って、どういうこと? 君、軍に就職した人じゃ、ないの?」
「あ、違うんだ。私はウィンポルトの下町で『七つの歌亭』っていう食堂をやってて。班長さんの『たっての頼み』で、ここに出張にきてただけ」
班長さんへのイヤミを含ませつつ答えたけれど、ルナウトさんの表情は強ばったままだ。
低い声が漏れる。
「町になんて帰さない」
「え」
さすがに驚いて、私は半笑いになる。
「ルナウトさん? あの」
「俺の身体は君の料理を求めてる。ずっとここで食事を作ってほしい」
「そういうわけにはいかないよ。私だって、働いて稼がないと」
「俺が雇う。班長よりいい条件で。このラボに住めばいい」
「ただの知り合いの男性と二人でなんて住めません」
「じゃあ婚約でも結婚でもすればいい」
(何言ってんだ、この人?)
さすがに少し呆れながら、答える。
「それはいずれ、互いに好きになった人とするよ」
ルナウトさんは、苦しげに顔を歪めた。金属の指を持つ手が、シャツの胸元を握りしめる。
「ダメだ。離れるなんて……許さない」
(『許さない』だぁ?)
さすがに少しカチンときて、腕組みをした。
「許すとか許さないとかって。あなた、私の何なのよ」
「…………」
ルナウトさんは、しょんぼりとうつむく。
(悪かったかな。でも何だか、危うい。出会って数日の私なんかに、依存? みたいな)
食欲、という人間の大切な欲求にまつわることだからこそ、安心できる相手を離したくない気持ちと強く結びついてしまったのかもしれない。
私は、口調を和らげた。
「ええと……私がきっかけで、生モノ以外も食べたいと思うようになってくれて、とても嬉しい。でも、ルナウトさんが求めているのは私じゃなくて、私の料理だと思うんだ。安心できる料理」
「…………」
「自分で作れれば、私がいなくても安心して食べられるでしょ? 教えたとおりにやってみて! あなたは器用だからできるはずだよ。ねっ」
励ますと、ルナウトさんはうつむいたまま、黙り込んだ。
それから、ぽつりと言う。
「………………わかった……」
「自炊に飽きたら、お店にも食べに来てね。ルナウトさんにしかできないお仕事、頑張って」
ルナウトさんの魔法は本当にすごいと思うので、最後にそう言った。
でも彼は、もう下を向いたまま、返事をしなかった。
そんな別れ方をしたので、さすがに気まずかったけれど。
私は、ようやく! 『七つの歌亭』に帰還することができた。
雇っている店員さんは、昼営業のみに絞って作れるものを作ってくれていて、一部の常連さんも店を支えてくれていた。本当にありがたい。
お詫びに、特別メニューを考案して安く提供することを決め、私が戻ったことと合わせてめちゃくちゃ宣伝した。
すぐに客足は戻って──いや、前より増えたかも?
ルナウトさんがどうしているか気になりつつも、私は忙しい毎日を過ごした。
二ヶ月ほどが経った、ある日。
秋も深まり、昼営業の前に店の前の落ち葉を掃除しようと、扉を開く。
すると、目の前に、背の高い人が立っていた。
軍服にケープを羽織った、ちょっと猫背の男性。
ルナウトさんだった。
「うわ!? ル、ルナウ」
声を上げかけた私を、綺麗な新緑色の瞳が見つめた。
「ナノカ」
籠もり気味の優しい声が耳に飛び込んで、名前を呼ばれたのは初めてだと気づく。
「ナノカ。俺、やっぱり無理だった」
挨拶もなしに、彼は続けた。
「はいっ? 無理? 何が?」
「君は、俺が求めているのは君じゃなくて君の料理だ、と言った。だから練習して、少しは自分で作れるようにしてみたけど、大丈夫にはならなかった」
彼の手が、おずおずと伸びる。
私の手を、握る。
細かった手首は、しっかりした男性らしいものになっていた。指は金属の部分があるのに、なぜか温かい。
「ずっと、ナノカを求めてる。何か食べるたびに、ナノカのことばかり頭に浮かぶ。ナノカの料理が欲しくなる。この気持ちには、どうしても逆らえない」
間近で見上げると。
クマもなく、頬が削げてもいない彼は、とても綺麗な顔をしていて。
頬は薄紅色に染まり、その熱が伝わって、金属の指も温かくなっているのだ。
(どこが『冷血』だって?)
まるで熱烈な愛の告白でも受けているようで、私も顔がカーッと熱くなる。
もう家族に作ってあげられない料理を、毎日、作っている。
望郷の思いを込めて。悲しみを、湯気に、香りに乗せて、昇華して。
そんな私が料理を求められて、断れるわけがない。
しかも私、六年前にルナウトさんを助けるはずが、そうできなかった可能性があるんだよねぇ……
もちろん本当のところはわからないけど、あの時にアルンセバールで出会えていたら、もっと早く食生活を改善できたんじゃないかという謎の罪悪感が……
(いやいや)
私はブンブンと、首を横に振った。
いくら私が料理することに救いを求めているからって、ルナウトさんを餌付けするような状況になるのは、絶対良くない。
「ルナウトさん、改めて言うけど、私にはお店がある。残念だけど、砦では働けない。そう、せめて町にあなたの家があったら、配達くらいはできるんだけどな」
「俺もそう思う」
「でしょっ? わかってくれた?」
ホッとしかけたところに、爆弾発言が落ちた。
「だから、この近くに家を買った」
「……は?」
それしか言えない私に、ルナウトさんはまるでそれが当然のように語る。
「町から砦に通う。二、三人は十分住める家を買ったから、ナノカも住める」
「何て?」
「ナノカの料理は、美味しい」
ついに彼は、私の料理を『美味しい』と言った。
『美味しい』と、感じられるようになったのだ。
喜ばしいことだけど、その感じ方はだいぶ、振り切っていた。
「君が好きだから、君の料理じゃないとダメ。君が俺に作るから『美味しい』と感じる。それ以外は美味しくない」
「待て待て待て待て」
ますますヤバいって!
「ルナウトさんにはこれから、私の料理以外にも、色々な『美味しい』に出会う機会が絶対あるから!」
「ナノカは誠実だからそう言うんだろうけど、俺は君の『美味しい』だけが欲しい」
こっちは必死なのに、びくともしないルナウトさん。
「それで、思いついたんだ。ナノカからばかり作ってもらうんじゃなくて、俺が君に協力すればいいって。そう……『ポタージュ』だっけ? 何とかいう道具があれば簡単に作れるのに、とか言ってた。道具って、金属?」
「あああああ」
ミキサーかブレンダー! ほしい!
手をぷるぷるさせていると──
──ルナウトさんは、天使だか悪魔だかわからない、誘惑の笑みを浮かべた。
「ナノカの望みなら、何でも聞く。君も俺を求めてくれれば、それで全部、解決だよね?」
あなたを求める理由が! 調理器具開発でも、いいんかーい!
まあ、その後、どうなったかって言うと。
家は本当に近所に買っていて、ルナウトさんには
「一緒に暮らすために必要なら、婚約とか結婚とかしよう」
と言われ続けている。
とか、ってなんだ。そもそも順番がおかしい。先に家を買うな。
とにかくルナウトさんは、新居から『七つの歌亭』に通うようになった。
お客さんなら、彼が食べられるものをお出ししないわけにはいかない。
刺身をのせた出汁茶漬けを作ってみたら、ルナウトさんはすっかり気に入った。すると、生の魚に興味を持つお客さんが出始め、たまに店でも出すようになった。
店のカウンターを挟み、今日も彼の誘惑は続く。
「ここの二階って、屋根裏部屋だよね。俺の家に用意してあるナノカの部屋の方が広い。厨房も広い。早く俺の家に住んだらいいのに」
「だからねルナウトさん、私は配達以外にあなたの家に行く理由がなくて」
「『ミキサー』の試作品ができたんだ。うちに試しに来て」
「ああああああ行きます」
口走ると、店にいたお客さんたちがドッと沸いて、勝ったとか負けたとか言っている。
人を! 賭けに使うなー!!
お芋の和風ポタージュがレギュラーメニューに加わったのは、それからほどなくしてのことだった。
【冷血魔法使いが愛した彼女のごはん 完】
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