第5話 お礼だったなんてわかりません、でした、が

 私は乗り物に強い。だからこそ、こっちに来たときにすぐ船員になる決意ができたわけで。

 馬も大丈夫かと思ったけど、小隊は山を降りずに尾根伝いに進んでいき、ただでさえ揺れるのにアップダウンもすごい。


 目的地に到着した時には、さすがにぐったりしていた。

「ゆ……揺れがひどい……どんだけ……」

「着いた」

 ぼそっとルナウトさんがいい、先に降りてから私を支えて降ろしてくれる。

「……ここは……」

 足が生まれたての子鹿のようにガクガクしていた私は、ルナウトさんの腕に捕まらせてもらいながら、辺りを見回した。


 夜空には星が瞬いていたけれど、うっすらと東の空が白み始める時刻。

 ぼんやりと見えるのは、切り立った崖だ。下を流れる川の、ゴウゴウという水音が反響している。もやに霞む向こう側も崖で、岩の間に道があるようだ。

 そして、こちらとあちらを結ぶ吊り橋がかかっていた、らしい。かつては。

 こちらにもあちらにも柱が残っているけれど、あちらの柱は傾いで今にも落ちそうだ。間をつないでいた金属製のワイヤーはちぎれ、木の板を絡ませながら崖にだらりと垂れ下がってしまっている。


「ええと……渡れないみたい、だけど」

 ルナウトさんを見上げると、彼は私の手首を掴んだ。

「俺にスープを飲ませた結果、どうなったかを教える」

「え」

 思わず、ビクッとする。

『無理やり食わせたざい』(なんだそれは)で崖から突き落とされるのか、なんて、一瞬思ってしまったのだ。

 けれど、彼が手首を掴んだのは、私の手をそっと外させるためで。

 くるりと私に背を向け、壊れた橋の方に進み出た。


 軍人のうち、クロスボウを持った二人がルナウトさんの両脇に立った。他の軍人たちは私の後ろの方で、騎乗したまま松明をかかげ、静かに見守っている。

 二台のクロスボウが、崖の向こう側に向けて構えられた。

 すると、ルナウトさんが両手を上げ、両側のクロスボウに手をかざした。ふわっ、とその手元が青く光り、小さな魔法陣のようなものが出現する。


「いいよ」

 ルナウトさんは、何とも締まらない合図を出した。


 キュンッ、という金属的な音を立て、魔法陣を貫く形で矢が放たれた。シュルシュルと音が続く。どうやら矢に、ワイヤーが繋がれているようだ。 

 掲げたままのルナウトさんの手元が、明るさを増す。すると、空を飛ぶ矢が、ワイヤーが、同じように光を増した。

 たちまち矢は分裂した。ワイヤーも分裂し、二本の矢は無数の青い糸になる。

 糸は踊るように軌跡を絡ませ、広がりながら、崖の向こうに飛んでいく。

(金属のワイヤーが、空中で編まれている……?)

 分裂した矢の先が、全て同時に向こう岸に到達した。まるで、鋭い爪の生えた獣の手が何本もがっしりと掴むように、崖に食い込む。

 いつの間にか、手前の崖にも同じようにワイヤーが食い込んでいて──


 ──目の前には、金属の網でできた橋がかかっていた。


(『金』属性の魔法使い……こんなことができるんだ)

 始めて見る魔法に呆然としていると、騎馬の先頭にいた一人が、サッと手を上げる。

「行くぞ!」

 おう、と皆が答え、小隊は二列になって橋を渡り始めた。ほんの少し軋むものの、しっかりした橋は、馬たちの体重もしっかりと支えている。

 私とルナウトさんが見守る前で、橋を渡りきった小隊は、山道を向こうへと消えていった。



 いつの間にか、ルナウトさんが私の近くまで戻ってきている。

「あの……すごい、ですね」

 語彙力を失っている私は、ただ、そう話しかけた。

「…………」

 返事はないけれど、気になることを聞く。

「軍人さんたち、ここ渡って、どこに行くの?」

「あちら岸に、隣国デイドの砦がある」

 ルナウトさんは淡々と答えた。

「ラトラルビーの要人が、砦に捕らえられている。デイドは取引に利用するつもりだ。ここの橋さえ直せれば、砦に奇襲をかけて人質を取り戻せるが、普通に直していたのでは時間がかかりすぎるし気づかれる」

「あ、だからルナウトさんが……!」

「騎馬小隊一つ送り込める金属製の橋を、短時間で作る魔法を、両国の話し合いが始まる前に構築しろと命じられた。そんな難題に取り組んでいたら、寝食がどうでもよくなって……」

「過労で倒れた、と」

「…………でも」

 何やらルナウトさんは、自分の鼻の頭に触りながら視線を逸らす。

「スープは、全部、飲んだから」

「え」

 マグカップに残っていた分のことだろうか。


(じゃあ、スープで何とか回復して、魔法が完成した……と思っていいのかな。うん。そういうことにしよう)

 勝手に納得し、そして思い当たる。

『俺にスープを飲ませた結果、どうなったか』を、ルナウトさんはわざわざ私を連れてきて、見せてくれたってこと!?

(ひょっとして、お礼だった……?)

 もしそうだとしても、とてもわかりにくいけれど。 

(しかし、なるほどねぇ。班長氏、重要な仕事をしてるルナウトさんの体調がヤバそうで、でも彼は食事をまともにしないから、ちょうどいいとばかりに私をあてがったわけか)

 うなずいていると、彼は顔を上げ、もう一度橋を眺めた。

「俺の仕事は終わった。明け方に奇襲をかけることができたし、彼らは人質を取り戻すだろう」

 少しずつ、空が明るくなっていく。

 疲れの見えるルナウトさんの目が、思いのほか優しい光を湛えて私を見た。

「砦に帰る」

「あ、うん」

 私はうなずき、ルナウトさんと再び、馬に跨がった。


 帰る道々、仕事を終えてホッとしたからか、ルナウトさんとの会話が多少スムーズになった。

 さりげなく、軍に来るまでのことなど、聞いてみる。

「俺は没落貴族の息子だ。魔法使いの素質があったから、親は俺に魔法で金を稼がせたかった」

 彼の説明は、ストレートだ。

「それで、七歳で魔法使いの師匠のところに放り込まれたけど、金属性一つしかないことがわかった。特殊すぎてろくな魔法を学べず、弟子の中で一番出来も悪く、親は俺に期待しなくなり連絡が途絶えた」

「……師匠についたってことは、師匠と他のお弟子さんたちと暮らしてた、ってこと? 食事はどうしていたの?」

「……師匠が……」


(なるほど。トラウマの元凶は師匠か)

 こめかみのあたりが、ピキッ、と音をたてる。

 想像ではあるけれど、『出来の悪い』弟子が逆らえないのをいいことに、師匠が虐待したのかも。

 ルナウトさんのせいでもないことでひどい目に遭わせるなんて、本当に腹が立つ。唐辛子を鼻に突っ込んでやりたい。

 生の野菜や果物、そして生魚は、師匠に与えられるものよりも安心できただろう。潮汁の味が大丈夫なのは、きっとそのためだ。


「何とか農具や馬具を作れるようになって、売れるようになったから、独立のために金を貯めた」

「港町にいたんだよね。いつまでそこに?」

「六年前。十四になった頃には上級魔法がまあまあ使えるようになってたから、軍なら武器や装備の保全とか、いくらでも仕事があるし研究費も出ると思って。船でウィンポルトに来て、国境警備軍の門を叩いた。元いたアルンセバールにも領境を守る部隊の砦はあったけど、環境を変えたくて」

(そりゃ、師匠のいる町なんて離れた方がいいよ。……ん?)

 私はハッとする。

(アルンセバール? 六年前?)


 私がこちらの世界に来たのが十六歳の時、つまり六年前。場所はアルンセバールという港町だった。すぐに船に乗って離れてしまったけれど。

 ウィンポルト商業組合長さんの言葉が、脳裏をよぎる。

『女神は、互いに助けを必要とする人同士を引き合わせ、救い合わせる力をお持ちだから』


(……まさかね……)



 私は徹夜に耐えきれず、馬上でウトウトしてしまったけれど、ルナウトさんは無事に砦に連れ帰ってくれて。

 到着した頃には、だいぶ陽が高くなっていた。

 ルナウトさんは馬を厩舎に進め、私たちは馬を下りる。班長さんへの報告は、伝令の軍人さんがやってくれるようだ。

(ルナウトさん、あれから何も食べてなさそうだけど)

 そう思って、聞いてみる。

「ルナウトさん、食事は──」

「食べる」

 驚くほどはっきりと、彼は言い切った。

「俺、まだ本調子じゃないから、スープの他にも作って」

「えっ? 他にも?」

「君が作るのを横で見る」

 がしっ、と手首を掴まれ、ルナウトさんはラボの方へと歩き出す。

「わ、待ってよ! 食堂で食材をもらってこないと」

「じゃあ俺も行く」

 彼は私の手を離さないまま、くるっ、と向きを変えた。

「そ、そーですか」

 どうした風の吹き回しか、と、私は驚いたけど。

 料理人さんは、食堂に来た私の背後にルナウトさんがぬっと立ってるのを見て、もっと驚いていた。

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