第4話 無理やり食わせちゃいけません

 私は、厨房に行った。調理台に寄りかかって考える。

「……イジメ?」


 たぶん、子どもの頃だろう。ルナウトさんは誰かに、めちゃくちゃ辛いものを無理矢理食べさせられたことがあるんだ。

 激辛は意外とシャレにならない。痛みと同じようなものだ。パニックを起こしたり眠れなくなったり、食道や胃を痛めて入院沙汰になることだってある。

(しかも一回とは限らないよね。もしかして、それで食べること自体がトラウマになった、とか?)

 胸がムカムカしてくる。

 食べ物によるイジメ、虐待を受けていたなら、食べること自体が嫌いになって当然だ。人から出された料理なんて、恐怖でしかないはず。生モノしか信用できないのもわかる。

(小学生の時、人間にいじめられた野良猫を保護したのを思い出すわ……あの子も警戒して、フードをなかなか食べなかったっけ)

 ルナウトさん、このままではどんどん弱ってしまう。

 何とかして食べさせないと。


 朦朧としているルナウトさんに、野菜とトリガラのスープを少しずつ飲ませた。

 一口、二口は飲み込んだけれど、その後は顔を歪めて変な咳をした。無意識に吐き出そうとしているのかもしれない。

(辛そう……何なら受け入れられるだろう)

 まだ熱があるので放っておけなくて、軍の寝袋を借り、ラボに泊まり込む。

 一晩、どうすればいいのか、考えた。

 生の魚を食べていたというルナウトさん。事務官氏の話では、彼の故郷は港町だとか。

(こっちでは体調が悪い時、トリのスープが定番だから作ったけど……ルナウトさん、もしかしたら魚の方が……?)



 翌朝、厨房に行った。

 いつも材料を分けてくれる料理長に尋ねてみる。

「生きのいいお魚って、手に入りますか?」

「ああ、ちょうどよかった。今日は魚のメニューにしようと思っていてね。今朝獲れた魚が港から運ばれてきて、下拵えを始めたところだ」

 砦も、たまに山の下にあるウィンポルト港から魚を仕入れることがある。一匹ずつ捌いている魚は、白身の、なかなかの高級魚だった。

「切り身にしてあげるよ、持って行くかい?」

 聞かれた私は、首を振る。

「身じゃなくて、アラをもらってもいいですか?」



 ラボに戻り、調理台の上で魚のアラを取り出す。


 この世界にやってきて少し落ち着いた頃、和食を作りたい、というか自分が食べたい、という気持ちがわき上がってどうしようもなくなった時のことを思い出した。

 そんな私が最初に着手したのは、好みの出汁を作れるようにすること。和食の基本だものね。

 実は、船で働いてお金を貯めながら、ずっと研究していたのだ。というのも、ラトラルビーの人たちが使わない魚介類のアラや、捨ててしまう雑魚・海草が結構あって、格安で手に入れることができると気づいたから。

 おかげで、色々な魚の出汁、甲殻類の出汁、海草の出汁、それにキノコ出汁や野菜出汁を組み合わせ、かなり和食らしいものを作れるようになった。

 幸いなことに、こちらの人の口には合ったみたい。珍しくて美味しいものが食べられる『七つの歌亭』は、町でも評判だ。

 人気メニューは、魚と貝の出汁を使った季節の鍋物、出汁で煮た塩肉ジャガ(ジャガとは言っているけどこっちの芋)、エビの出汁のスープ、イカのワタ煮だ。

 そして今日、ルナウトさんのために作るのは……


 魚のアラに塩をふってしばらく置き、水分と一緒に臭みを出す。

 湯通しし、中骨は断つように切り、血やウロコを綺麗に洗い落とす。

 ルナウトさんの体調を考えて、脂が出そうな内臓周りの部位は避けた。

 コトコト煮て、丁寧に灰汁あくを取る。迷ったけど、味つけは塩だけに。

 

 できあがったのは、澄んだ金色の潮汁うしおじる

 味見をすると、海の恵みがスーッと、身体に染み渡るような気がした。


 スプーンで、ルナウトさんの口に運ぶ。

 一瞬、眉根が寄った。でも、すぐに喉が動く。

(飲んだ……)

 もうひと匙。さらにもうひと匙。

 ルナウトさんの表情が、柔らかくなる。


 それから彼は、深く眠った。

 しばらくして首筋に触れてみると、熱は下がっていた。



 翌朝、寝室の扉をそっと開けて、覗く。

 すると、ルナウトさんがベッドの上に身体を起こしていた。

「あっ……目が覚めたんだ、よかった!」

 さすがにホッとして中に入ると、彼は私に視線を向けた。

 その手には、サイドテーブルに置いておいたマグカップが握られている。中には、冷ました潮汁。

「あ……それは、ええと」

 意識がない時に、私が作ったものを勝手に飲ませたこと、怒るかもしれない。

 何と言えばいいか迷っていると、彼はぼそっと質問する。 

「金色のスープ……君が作ったの?」

「そう。でも変なモノは入ってないよ、魚の骨からとった出汁と塩だけ。あなたが港町の出身だって聞いたから、大丈夫かもって……」

 安心してもらおうと思い急いで説明したけれど、無表情な彼から返ってきた言葉は、こうだ。

「逆らえなくて、飲んだ」

(そうだよね意識がない時だったもんね、やっぱり怒ってるー!)

 だからといって、どうすればよかったのかわからないまま、私は頭を下げた。

「無理矢理ごめんなさいっ。何とか体力を回復してほしくて」

「回復」

 ルナウトさんは、はっ、と息を呑んだ。もう一段階、意識がクリアになったかのように、瞳が明るさを増す。

「俺、どれくらい眠ってた?」

「えっと、丸二日くらい……」

「くっ」

 ごとっ、とカップを置き、彼は毛布をはねのけてベッドから降りた。一瞬よろける。

 ハッとして支えようとしたけれど、彼は自力で体勢を立て直した。そして、私を押し出しつつ自分も寝室から出る。

「帰って」

「え、でもまだ」

「もういい。帰れ。仕事の邪魔」

 淡々と言って私に背を向けると、ルナウトさんは机に向かった。すぐに本や書類を広げ、何か書きつけ始める。


 仕方なく、私は外に出た。

 ため息をつく。

(少し回復したっぽいのはよかったけど。無理矢理飲ませたんじゃ、美味しいことにはならない。班長氏には認めてもらえないよね。あーあ)

 とぼとぼと、自分の宿舎へと向かった。

(早く『七つの歌亭』に帰りたい……)



 その夜。

 女性軍人の寮でお風呂をもらった後、もう寝ようという時になって、ドンドンとノックの音がした。

「はい?」

 寮長さんか誰かだと思って、扉を開ける。

 宿舎の廊下に立っていたのは、どういうわけか、ルナウトさんだった。

 背が高い彼は、少し猫背だ。今日は長いローブではなく、短めのケープのようなものをまとっている。その下はどうやら軍服に軍靴ブーツらしい。

「え? ルナウ……ええ!? あの、ここ女性用の」

「来て」

 いつもの無表情で、彼は言う。

「へ? なんで?」

「ついてきて」

「説明なしか」

 何か食事関係のことかもしれない。

 仕方がないので、少し待ってもらって着替える。山の夜は寒いので、寮の人から借りている上着も着た。

 廊下で待っていた彼は、私が戸締まりを終えると、無言で歩き出す。

「どうかしたんですか? お腹が空いたとか? 作っていいなら何でも作るけど」

「…………」

「返事もなしか」

 ため息をつきつつ、後をついて歩き、宿舎を出る。


 すると、馬がいた。

 筋肉の盛り上がった身体に馬具をつけ、とても、迫力がある。


 一瞬ビビってしまい、質問できずにいる間に、ルナウトさんは私の背中を馬の方へ押しやった。「乗って」と促す。

「まっ、待って!? 私、馬なんて乗ったこと」

「そこに右足かけて。鞍に掴まって身体持ち上げて」

「だから何で!?」

「作戦に向かう」

「いや言葉が足りないんだが!?」

 さっさと私を押し上げ、後ろに跨がったルナウトさんが、馬の腹を蹴る。

 暗い中、結構なスピードで馬が走り出した。

(ゆ、ゆれ、る)

 建物の角を曲がると、明るくなった。砦の中庭だ。

(ひっ……?)

 いくつも焚かれた篝火に浮かび上がったのは、完全武装した、二十人とか三十人の一部隊だった。皆、馬に跨がり整然と並んでいる。

 ルナウトさんが先頭の人(小隊長?)の横で馬を止めると、その人が声をかけてきた。

「完成したそうだな、『冷血の魔法使い』。待ちわびたぞ」

「遅くなって済まない。行こう」 

 ルナウトさんは短く返し、再び馬を出発させた。

 軍人たちが次々と馬の腹を蹴り、私たちの後に続いて走り出す。そして、ドドッドドッと蹄の音も荒く、砦の門から外に出た。

(こんなの、いかにも『出撃』じゃないの!)

 緊張のあまり声も出ず、頭だけかろうじて振り向く。

 星空の下、山道を点々と松明の明かりが連なっているのが綺麗だったけど、現実とは思えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る