第4話 ミルクレープ

授業は退屈に進む。

授業とはどうしてこうも退屈なのだろう。教室を抑揚に乏しい初老教師の声と、シャーペンをノート上に走らせる音とが不協しながら響く。

面白い授業は年に何度か現れる。低確率のドロップ率だけを見るとソシャゲのSSRだが、別にそこまでありがたくはない。

考えてみたら、教師は毎日クラスが代わる代わるとはいえ同じ内容、似た内容を何度も繰り返す。

そして何年も繰り返す。

歴史の出来事も年表は変わらないし、本能寺の変は1582年、関ヶ原の合戦は1600年。

微分積分もやり方は変わらない。毎年、この学年の生徒は微分積分をこの教室で習い、数学教師は微分積分の解き方を三色のチョークを使って黒板に書き留めていく。

何年も生徒に楽しく、分かりやすく、熱意を持って教え続けるのは大変だよなぁ、と私は勝手に教師のモチベーションを斟酌する。

時折現れる面白い授業は、熱意のある生徒が場に居るときだ。出来れば何名か。

生徒から反応があると教師は俄然やる気を取り戻して鞭撻が活気づく。

そういう出来事が年に何度か。

そもそも勉強が退屈なわけではない。私にとっては、だけど。

新しい知識を得る、問題の解法を取得する、というのは新鮮で楽しい。

だからもう教科書から得られる知識は無いのだ。”だから”で繋げるにはチグハグか。

私はもう教科書を全部読んでしまっていて、あらかた頭に入ってしまっているのだ。

徳川家歴代将軍も頭に入っている。まぁこれはお母さんが読んでいた漫画の影響か。

微分積分もスラスラと解ける。解き方に引っかかることはなく、間違えるときはケアレスミスだけ。

英語も大丈夫。これはお父さんの友人で英会話教室の教員であるニュージーランド人(元ラグビー選手でフォワードをやっていた、巨漢)リッチーのおかげで英文でのやり取りや英会話を実践してきた。文法問題でわからないところは予習中に確認して、後日授業やリッチーに教えてもらう。

大体どの教科でも授業でつまづくことはない。

そういえばリッチーは人体の驚異を詰め込んだような人だ。ラグビーのプレイ中の度重なる親指の怪我で握力は人並みだけども、何力か分からない力、筋力をメインに度々発揮してくれていた。

ある日、リッチーが私と歩いてコンビニから歩いて帰っていたら突然車にクラクションを鳴らされたことがあった。リッチーは立派な体格と右腕の大部分をタトゥーで埋め尽くしていて、パッと見て怖く、ジッと見るとさらに怖い。

クラクションを鳴らしてきたのは、おそらく地元のヤンキーで、日本人女子中学生と巨漢外国人が歩いてるのを見て、何か面白くなかったのだろう。

ワーワー何か騒いで、「ガイジンがなんちゃら」とか喚いて聞き取りづらかったけどもリッチーを侮辱していることがわかった。

静かな顔でリッチーは聞き流そうとしていたが、プツンときたみたいで不良の車(確か軽四だった)のドアを開けて、もぎ取ってしまった。

不良はそのまま開放的になった車の中から覗くポカンとした表情が愉快だった。

他にもすき家のキング牛丼を3つ一気に食べたり、食パン2斤を食べたり、違法駐車の車をひっくり返したり、酔っ払った人を”高い高い”して吐かせたり、と豪快な人だった。

授業が退屈すぎて思い出に逃げ込んでしまった。

っと、リッチーのことはどうでもよくて、退屈な授業の時間の潰し方といえば、クラスメイトのユイナが印象的だ。

ユイナはアーティスティックな人間で、美大を目指して日々芸術を生み出していた。

その中の一つに、彼女の作品に教科書スイーツがある。

その名の通りか名前から想像できるか分からないが、教科書の小口(長辺の背表紙がつけられていない方)にさまざまなペン、色鉛筆を使ってお菓子の断面を描いていた。

最初はワンポイント程度の絵を描いていた遊びで、いつの間にか持てるテクニックとアイデアを注ぎ込んだ彼女の作品になり、その日持ってくる教科書ノートは作品集になっていた。

分厚い事典の小口に描かれたショートケーキの断面は弾けそうな乙女心を表現したようで、美しく、何よりも可愛かった。

そんなユイナの作品でお気に入りなのは(教科書に描いているのは遊びなのだけど、一冊だけだと変だから全教科書に描き込まずにいられなかったのは彼女のこだわりでとても好き)、化学の教科書に描かれたミルクレープだ。

私は一介の女子らしくクレープは好きだし、クレープが積み重ねられたミルクレープはもっと好き。

ユイナの手によって描かれたミルクレープはどのお店のミルクレープよりも魅力的だった。

淡く、クリームとクレープの境界線は曖昧で、断面からほんのわずかに覗くクレープの表面の焦げ、間に挟まれたフルーツ(いちごと黄桃が描かれていた)

絵画技法について詳しくないのでどのような画材で描かれたのか、私には知る由も無いが、その教科書を、ミルクレープを見たときに私は心を奪われた。

本物の芸術は見る人の心を奪うという。ユイナと私は当時隣の席で、席替えをした直後にミルクレープの教科書を見た私は呆然としながら、その教科書を手に取り、口へと運ぼうとしてしまった。

「ちょちょちょい!」と慌てて自分の教科書をひったくったユイナの顔は相当なものだった。

そりゃあそうだ。突然隣の席のクラスメイト、それもさして交流がなかった相手に教科書を食べられそうになったら誰だってビビる、私だってビビる。

すんでのところでミルクレープ(教科書)を取り上げられた私は正気に戻り、慌ててユイナに頭を下げた。

理由をユイナに説明すると「あーね、ウチの描いたやつが本物に見えて食べそうになったんね?ダメじゃん勝手に食べたら。ちゃんといただきますしないと」と笑って流してくれた。

そんなやべーやつ認定されるはずの実質初対面だったが、ユイナの実際やべー許容範囲によって見事私たちは友人になった。


友人になって数日後のある日、私は「なぜ教科書の小口にスイーツを描くの?」と率直に訊いてみた。

ユイナは丸い目をパチパチさせて自分が絵を描いた理由を急速に言語化し始めた。私と話すとき、よくこういう仕草をする。思いもよらなかった質問を投げかけられた時のユイナは思考を言語化してみようと処理を始める。

処理動作中というイメージがして可愛い。

「最初のキッカケは小学校の授業中の暇つぶしだったんよねー、その時は今ほどのテクニックなかったしフツーのワンポイントイラストって感じで、アニメのキャラとかデフォルメした何かを描いてたかな。で、本格的にっていうか絵にのめり込んでったらさ、色んなところに色んなもの描くようになってってさ、本の腹に描いたらおもしれんじゃね?って思ったんよ

「直接的なアイデアじゃないかもだけど、親戚の家でさ砂絵を見せてもらったんよね。色砂を紙とかの平面にくっつけるやつじゃなくて、透明な容器の底から色砂を敷き詰めていって色んな色を積層させて綺麗な断面を作るやつ。なんか、それがすっごい綺麗で惹かれてさ。自分の身の回りのもので再現とか応用できないかなって思ったんよね

「んで、本の断面を違う断面に置き換えて、って考えたらケーキの断面とか面白いんじゃね?って思いついたわけ」

ユイナはいくつか息をつきながらも、ほぼ休みなく自分の思いを言葉に紡いだ。

ユイナは自分の行動を、衝動や思いつきを言語化しておくタイプではない。

彼女に閃きには彼女なりの筋道があることがあって、小口に絵を描いたことには偶々彼女なりに言語化しやすかったみたいだ。

私のようなギャラリーの目を楽しませる効果のほかに、実用的な効果もあるようで

「うち整理整頓苦手でさー、教科書とかもその辺にボンボンって放り投げちゃって何が何の教科書かわかんなくなっちゃうわけ。で、教科書の見えるとこに絵描いてたら、この絵は何の教科書ってわかって便利なんよ」と言っていた。


ユイナは教科書の小口にいろいろなものを描いていた。

私が好きなのはミルクレープの絵だったが、現代国語の教科書に描かれた色とりどりのジェリービーンズは美味しそうだったし、地理の教科書に描かれた茶虎柄の猫の尻尾は可愛かった。


「小口絵とか、英語でFore-Egde Paintingっていって古くからある分野でね、今はもう専門的に描いてる人はほぼ居ないってくらいマイナーなジャンルなんだよね。私のは気まぐれで、遊びの絵だけど、増えたら楽しいよね。描くの大変だけど」

そう笑って話すユイナの顔とミルクレープが脳裏に浮かぶ。


今日はちょっと遠回りして、コーヒーショップのミルクレープを食べに行こう。

本格的なコーヒーとスイーツが楽しめるあのお店のミルクレープは美味しい。

クレープと生クリームだけのシンプルなミルクレープでお腹を満たそう。


美味しいものを食べることは、人生を満ち足りたものにすることなのだ。

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世界が終わる日に タツノツタ @dnbass55

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