【あとがき――という名の簡単な解説】
はじめましての方ははじめまして、そうではない方はいつもお世話になっております。
吹井賢です。
……という挨拶はお決まりのものですけど、依頼者さんははじめましてではないので、代わりに「いつもありがとうございます」という言葉を書いておきます。
ご依頼いただき、ありがとうございました。
改めまして、吹井賢です。
こちらの『見る目を持つこと』は、Skebの依頼を元に書かれた作品です。お題は「椥辻霖雨と姫子が何らかのコンテンツを一緒に楽しむ」でした。……微妙に「一緒に楽しむ」からズレてるじゃねーか! ごめんなさい!! ちなみに当初の予定では、霖雨は自分の考察を喋りまくり、最後に姫子が「長い」と切って捨てて終わる感じでした。あまりにも酷過ぎるので、「霖雨の解釈を聞いている内に、姫子は作品そのものに夢中になってしまう」というオチに変えた次第です。
アニメというのは、あるいは童話以上に、「子ども向け」な感がある媒体ですが、「子ども向け」であるが故にクリエイター側は真剣に作っている、と僕は信じていますし、スタジオ・ジブリ作品なんかはまさにそうでしょう。子どもを意識する故に、絶対的に、子ども騙しにはならないようにしている、という部分は、宮崎駿氏がそうですし、氏をライバル視する富野由悠季氏がそうです。だからこそ、正しく「子ども向け」である作品の根底には、そのクリエイターの「子どもに伝えたいこと」があり、その表裏として、そのクリエイターの思想が存在します。そして、それはもしかすると、幻想であるのかもしれません。ここでの“幻想”は、“理想”と同義なのですが。
「いつだったか『美しい自然に人の手を入れること=環境破壊として反対する意見』に対し、『美しい自然としてイメージされるものは人々が手間と時間を掛けた結果で、一切手を入れられない場所はむしろ荒々しい』というような反応を返されていたことが、霖雨の見解を読んで思い出されました」というご意見を頂きましたが、ここまでご理解されている方にアレコレ言うのは釈迦に説法ですね。多くの日本人は、原風景としての『自然』を心に持っていますが、その“自然”とは、田畑と隣接した“里山”なのです。原生林である“奥山”は、荒々しく、薄暗く、残酷で、壮絶です。故に、“奥山”――神域、人が足を踏み入れることのない、神の住まう地なのでしょう。その神域を美しく思える感性もまた、素晴らしいものだと思いますが。
椥辻霖雨は、そして姫子も、決して環境保護や自然崇拝に詳しいキャラクターではないのでこんな感じになりましたが、いつか、そういった分野に一家言あるキャラを出して、色々言わせたいな、と思っていたり、いなかったり……。
この作品が、皆様の一時の楽しみになれば、それが作者にとって最高の喜びです。
それでは、吹井賢でした。
見る目を持つこと 吹井賢(ふくいけん) @sohe-1010
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