第7話 鷺を烏


 時に、日本秘匿理局には夜直というものがある。勘弁して欲しい、梟でもあるまいに、夜は寝る時間だ。

 しかし、つつ闇の中でしか出現しない怪異も多く、暗がりにしか現れない其れ等の対処に追われるのも仕方がない、仕方がないったら仕方がない。


 星明かりしか無い中、恐ろしい物が出ると噂の廃墟に突撃する者の事を、昨今では凸実況者命知らずの馬鹿と呼ぶらしい。


「薄暗くなってきたし、水上、今日は帰らないか?」

「未島がまた明日もこんな僻地まで来たいってんなら良いぞ」

「嫌、だ、けども……」


 犬が吠えたてるお地蔵様の場所から少し離れた山奥、虫と木々と鳥の声が響く夜の底。補修の間に合わぬひび割れた道路の上を、二人分の長靴がガッポガッポと歩いていた。


「……俺は、創作物の中の人間で、特に愚かだと思うのは、明らかに視界も悪いし怪異が元気になるであろう夜に肝試し紛いの事をする人間だと思っている」

「あっそ、でも仕事なんだから仕方ないだろ、行くぞ」

「嫌だ」

「夜間で装備試したくないのか」

「昼間で十分試したし問題ない」

「そうか、先に行くぞ」


 この暗い中を一人で帰れって言うのか。口まで出かかったそれを飲み込み、目の前で振り子のように揺れるポニーテールを追う未島。

 手元のライトが出す細々とした光量で進む水上は、背後の男のことなど一切気にせず先を歩く。


 舗装された道から外れ、申し訳程度に固められた土と枕木で作られた細い道に入り、長靴が小枝や石を踏む。

 恐々進む男の袖を引く葉か枝か、未島のスマホが灯りを付けたが、一瞬で虫に集られ舌打ちしてすぐさま消した。


 寄ってきた大きめの虫を黒手袋の手が叩き落とし、近くの細枝に梔子色の布が括り付けられているのを確認する。

 反対の黒手袋に握られたライトが照らしたのは艶のある黒い布。揺れる端にばやりと浮かぶのは鳥居にかげ橘、理局のもんだ。


「おかしいだろ、どうして御天道様も寝ている頃に山奥の廃屋に行こうとするんだ、水上、まさか君が怪異に」

「なわけねェだろ、冗談でも言うな」

「憑───……早く帰りたい」

「努力はする、お前もしろ」


 細い道を危なげに進んだ先には、高いフェンスで囲われた古き良き木造建築、粗雑な看板がフェンスに針金で縫い付けられていた。


【この先、私有地につき立ち入り禁止。

DO NOT ENTER !! 禁止侵入!】


 白い看板に赤い文字、看板の上を虫が這い回り、フェンスの中に滑り込んでいく。看板の文字が適応されるのは人間のみ、当たり前だが、自然は文字や言葉では動いてくれない。


 絶対絶対ぜーったい入るんじゃ無いぞと示す看板を見て鼻を鳴らした未島は、隣で小手を揺らす水上へ、尖り声をぶつけ始める。


「ほら、こういうところは一応どこかしらの人の土地だったり持ち家だったりするじゃぁないか、不法侵入になるから今日は止めて許可を取って再度」

「日本秘匿理局員は怪異の調査や対処に限り、日本秘匿理局が日本政府から許可された場所には昼夜問わず立ち入り可能な権限を与える」

「何を許可してくれてるんだ日本政府、見損なったぞ」

「まァ持ち主の許可は勿論取ってるが、行くぞ腹括れ」

「いやだぁぁぁぁ…………………」


 看板下の南京錠。ポケットから出した鍵で難なく開けて見せた水上、震え声に無視で返して中へと先に入り、容赦無く種々くさぐさを踏みつけ折り進む。

 ひょっと隣に並んだ未島は、荒れ放題の敷地内を見渡し、片手に持った端末でぐるりとパノラマ撮影をした後、震える手で光る画面を触り始めた。


「そうだ水上、猥談をしよう」

「なにアホな事言い出してんだ」

「エロい話をすると実際幽霊が寄ってくる数が七割減になるんだよ性的な関係を持つ相手のどの部位を重要視する?俺は胸」

「とっとと必要事項入れてけエロ猿」


 砂に近い埃が積もる廃墟、湿気のお陰か舞う様な塵は少なく、所々に緑が蔓延っていた。

 水上はライトの先を捻り、光量を上げる。扉は幾つかあるがどこも壊れ中の様子を確認出来るらしい、一部屋ずつ覗くが、偶にボロけたパイプ椅子や風化した机があるだけで面白い物は無い。


「君も話してくれないと猥談にならないだろうが」

「そもそも寄ってくる霊の数が七割減ったって残りの三割が洒落に成らんのと本当に洒落に成らんのとエロ幽霊になるのはどうなんだよ」

「正直、幽霊に成った後でもエロを追い求められる人間となると、人間味が強過ぎて怖くない」

「あっそ、二階行くぞ」


 隣にぴったりとくっ付く未島をうざったそうに退け、先に矩折れ階段へと足を乗せる水上。追うように未島も足を乗せ


メギョァ


 後ろに跳ね飛んだ。


「っヅォァ!?」

「床板腐ってんな、二人同時に乗ると板割れそう」

「そ、そ、そうか、では」

「未島先上がる?後上がる?」

「探索を止めようか」

「下で待ってるか?」

「探索を、止めようか」

「そうは言っても、お前の目には今のところなんも見えてッッッ!!?」


 斜め下から掴まれ引かれた右手首に蹌踉よろける水上、あわや転倒といった寸前、気合いでその場に踏みとどまる。ひと呼吸、ふた呼吸。

 目を吊り上げ振り向いた、彼女を、真っ直ぐに睨む一対の瞳。埃に眼玉を擽られた訳でもあるまいに、揺れる水面を切り取ったように濡れている。


「………な、い、だろ?」

「そ、う、だけれども、車に戻りたいんだよ俺は、今すぐに」

「上行くぞ」

「君本当に超絶馬鹿アルティメットバカだな」

「誰が馬鹿だへっぴり腰、泣くほど嫌なら階下で待ってろ」

「泣いてない」

「どうだか」


 怒る気も失せたのか、スタスタと難なく階段を上がる水上、その二段後ろをえっちらおっちら登る未島。

 湿気り腐れた踏み板が人間の重さで軋み、幽暗の中で嫌々と鳴き喚く。


「ただの廃屋の調査、老朽化と不法侵入者が描いてった落書きの様子、確認するのはなんだから腹括れ」

「万が一、怪我をしたらどうするんだ」

「そんときは抱えてやんよ」

「水上がだよ、こんな足場の悪い所を人間一人抱えて移動するなんて俺は真っ平ごめんだからね」

「気をつけはする、お、生きてる人間の痕跡だ、写真撮っとけ」

「君なぁ……」


 割られたガラス戸の向こうに転がっているのは湿気てカビの生えた座布団が五つほどと、酒の缶が幾つか。

 粉々に成り床に散らばる皿の破片に、大凡荒れた部屋には似合わないだろう洒落たラベル次のワインボトルがあちこちに。


 さらに進み奥の部屋、ひと際広い板張りの一室は、他の部屋よりも淡い木の色、あおぐろい液体で描かれた魔法陣擬きが部屋に彩りを添えている。


「黒魔術紛いか?オリジナルにも程がある、バカスカ蝋燭立てときゃ良いってモンじゃねえだろうに」

「よく触ることができるねそんな気持ち悪いの」

「手袋越しだし、……んー、何したかったんだこれ…………」


 しゃがんだ水上がじっくりと観察するが、形態は滅茶苦茶、蝋燭の数も置く場所も規則性が見当たらず、辛うじて閉じている円の中に書かれた文字は何処の国の文字とも取れない。

 視線を床に落とし続ける未島の目には唯一、水上が手袋越しになぞった床の近くにインテロバングらしき記号が読めたが、勝手に己の脳味噌が似ているモノに当て嵌めているだけのような気もする。


 窓の片側につけられたままのレースカーテンが揺れ、冷えた風が二人の間をすり抜けた。


「……早く行こう、俺は戻りたい、家で布団に入って寝たい」

「あと少しだけ、未島は記録したら先かえ」

「戻ろう」


 肩を掴まれた水上は背後に引き倒される、勢いよく尻餅を付いたが、未島のあまりにも切羽詰まった声に当惑し、ただ後ろの男を見上げた。


「水上、一緒に車に"戻ろ"う」


 依然掴まれている右肩からは震えが伝わり、視線は揺れに揺れ、声には今にも肝を擦り潰し切りますがというギブアップ宣言が滲む。


「……仕方ねぇなァ」

「なにが仕方ないんだよ、早く出よう」

「大丈夫だって、まだ何も」

「建物から出よう、早く」


 腕どころか肩も腹も抱かれて掴まれて無理矢理立たされた水上は、右手を握られ引き摺られるようにして廃墟を後にした。

 フェンスが見えてくると未島が無遠慮に水上の上着のポケットに勝手に手を突っ込み鍵を出し、しっかり南京錠を閉め、ライトを黒手袋から取り上げまた手を繋いで元来た道を足早に進む。


 大人しく手を引かれるまま歩く水上は、未島の後頭部を見、しっかりと掴まれている自分の右手を見、舗装された道路に出たので振り解こうとしたがより強く握られ諦めた。


 車に戻りトランクを開け、羽箒でお互い適当に身体と足元を掃いた後、長靴から未島は革靴に、水上はパンプスに履き替える。

 口をつぐみ、助手席に座った水上。口を引き結び、運転席に座った未島。


 車は対向車のことを一切考えないハイビーム、煌々と走る先を照らし、しばらく走り森を抜け、人の手が入った田んぼが見える場所まで無事走り続け、しっかり管理された道路に出てもまだ走り続け、やっと遠方に人の営みの灯りがちらほら。


「…………何が見えてた?」

「全裸で自分の腹から出た腸を首にかけながら踊り狂う顔の皮の無い"人間"が、魔法陣の中に詰め込まれていた」

「うっわ」

「だろう?なのに水上、魔法陣の外の円消そうとしているし、"かえる"と口に出そうとすると、建物内のよく分からない者の目がこちらに向こうとするものだからだいぶ焦っ」

べたん


 二人の視線がルームミラーに向き、一瞬周りから意識が逸れた。後部座席のそのまた後ろ、リアウインドウにべったり付いた黝い手形。

 二人の視線がフロントガラスに戻る。真っ直ぐの道、真っ直ぐの、完璧に手入れをされた国道を走っていた筈なのに、どういうわけか廃墟近くのガタつく道路に逆戻りしていた。


「…………え?」

さっきの道だな」

「嫌だ嘘だ車走らせて何キロ進んだと思っているんオ゜ォア゛!!?」

べだべだべだべだっ


 後ろの窓を全て覆った手形。何故か全ての親指が同じ側にしか付いていない、一応撮っておくかと水上が未島のポケットからスッた端末のカメラを向ける。はいチーズ。

 赤い丸に斜め棒一本、同じ道路標識が繰り返し繰り返し道の端に立っている。等間隔で幾つも幾つも、余程車の駐車を禁止したいようだ。


「山道ループに決まってんだろ未島クン、お約束だ」

「今さっき公道出てただろうが!!!!!!」

「ウケる」

「ウケるんじゃない水上なんでそんな余裕そうな顔してるんだなんとかしろよ攻撃手段ゼロの美丈夫が頼み込んでいるんだぞ」

「いつ私に頼んだんだ、覚え無いなァ、うわ横揺れ怖、真っ直ぐ前見て車走らせとけ」

「どうする気」


バァン!!!!!!!!!!

 運転席側に一際強い振動。手形。


「うャーーーーーーーーッッ!!!?!?」

「揺らすなヘタクソ、アクセルもそれ以上踏むな」

「追いつかれるだろぉ!!?」

「道ごと捕まってる時点で追いつかれるもクソもねェだろうに、何怖がってんだ」

「だって追いつかれたら車に」

「乗らないし乗らせない、そもそもドアも開けらんないさァ」


 端末を弄る水上の片手義手が、ハンドルを握り震える未島の肩に乗せられた。揺れ、揺れ、フロントガラス以外の窓はとっくに手形で埋まり、ピラーに怪異の手が掛かる。


「どんだけボロかろうと理局が支給してる車の中に乗れる怪異なんてそうそう"居ない"んだよ、元が人間なら尚更な、それがお約束だ」


 軽く二度、未島の肩を叩いた手が離れ、水上のシートベルトが外れる音がした。同じ道同じ標識同じ木々、少しずつ車のスピードが落ちていく。


「減速して、路肩に止まれ、大丈夫だから」

「本当に信じて良いんだな!!?」

「ああ、アレは私でも倒せる、鈸徐組の方が適切な処置が出来るっぽいし面倒だから後始末は投げたいけどなァ」

「絶対バカみたいな海外風味創作黒魔術して狂って死んだ人間だぞ!!?!?」

「私は生きてる人間の方が怖いなァ」

「そういう事を言っているんじゃぁないッ!!」

「大丈夫だから止めろって、車の中には入って来れないし、危害も加えられ無いだろうから」

「本当だな!?嘘だったら末代まで祟ってやるからな!!?」

「好きにしろ」


 完全に車が止まり、サイドブレーキが引かれる。


 道の向こうから踊り歩んでくる人型。

 己の腹から、胸から、背中からまろびでる中身を身に纏い、足音無く、声も無く、ただただ黝い液の中を粛然と、幽寂と、ひたすら夢心地に舞う、人間。人間?


「ヒゅッ……!」

「目ぇ瞑ってて良いぞ未島」

「だ、でも」

「どんなのか見えてる方がキツイだろ、大丈夫だから、これでも被っとけ」


 水上の上着が投げられ、未島の頭に被る。少し男の身体の震えが治った、血色の悪い手が縋るように上着を掴んだのを確認した水上は、己には黒いもやとしか見えぬ怪異へと向き直る。


も私も、お前達が待ち望んでいるモノでは無い、見えはするし聞こえもするが、望んでいることはしてやれない」


 一点、黝い丸がフロントガラスの真ん中に落ちた。女の低い声以外、何も音は聞こえない。


「"孵りたい"なら大人しく籠ったらどうだ?孔雀の卵には成りたく無いだろ」


 空気が弛む。重苦しい黒が退き、僻地故の夜天光が道を照らす。

 怪異が去ったと判断した水上が未島から自分の上着を取り上げようと引っ張った。が、布地が引っ張った分ビシッと張り、離そうとしないので根負けし、上着の主の方が手を離した。


「未島、居なくなったぞ」

「………………う、そじゃ、ないだろうな」

「帰りになんか食べて帰ろーぜ、ああ、コンタクトの防御力は高かったみたいだなァ、今回は吐かずに終わった」

「……水上、運転変わってくれ」

「ヤぁだね、早くウォッシャー液出して綺麗にしろよ」

「綺麗に成るのかなこの汚れ」

「……洗車もしてから帰るか」


 上着の襟から顔の上半分を出した未島は、フロントガラスに落ちた一点の汚れと、己の真横の窓いっぱいにつけられた手形を見て鼻を啜った。

 その隙にパッと顔に掛かっていた上着が取られ、助手席の水上が手早く羽織る。秋口の夜は寒いのでね。


 のるり、車のホイールが回転し出す。駐車禁止の標識が後ろに流れ消え、度々車内を揺らしながら、生きている人が住む町へと二人を運ぶ汚れでベタベタの車。


「どうやって戻したんだ」

「なにを」

「さっきの怪異」

「適当言った」

「てき……?」

「さっき聞いた話でそれっぽいのに言及した、アレらはまだ成ってない、孵る《かえる》に反応したって事は何かに産まれ変わりたかったんだろう」

「…………そ」

「未島の証言通りなら、悪魔じゃなくてその辺の地縛霊か妖怪紛い呼び出して踊らされた元人間って感じ……どうした?」


 ウォッシャー液が噴出し、ワイパーが汚れを落とし切れず真横に伸ばした。二度、三度、往復するが汚れは落ちるどころか面積を広げた。粘度が高いらしい。


「そんな助かる確証も無い博打に、俺を巻き込んだと……!?」

「外れても最悪私がぶん殴って倒せたわ、これ鈸徐に投げるぞ、黒魔術擬きやってた集団自殺現場ァ?、呪ったのは人か世間か国かは分からんが、碌な集団じゃ無さそうだし」


 助手席の窓が開けられ、汚れを上半分に押し上げたが、にうっと伸びただけで視界は不明瞭なまま。

 早々に諦めた水上は端末を持ち直し、てぽ、てぽ、チンタラと他所の組に仕事を任せる為のメッセージを打ち込んでいく。


「おそらく、追ってきたのは殻を破る者か否かの見極め、鈸徐組のお清めパワーで隠り世に飛ばしてもらおーや」

「矢張り、君の事は好きになれない……」

「そうか、これからも仲良くやろうぜ相棒サマ」


 公道に出た。綺麗に舗装された道路と、等間隔の灯り。

 げんなりした顔でハンドルを握る未島と、やけに機嫌の良さそうな水上の、星影が見守るドライブはもう少し続く。

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if日本 怪異未満討伐組  (不定期更新) 渡 忠幻 @watari-tyugen

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