第6話 臭い物に蝿がたかる


 視線の先には年季の入った壁、簡素な両引き窓の枠に枯れた蔦の茎が張り付いている、可もなく不可もなくの日本秘匿理局が持つ独身寮だ。

 今、怪異未満討伐組の車が止まっているのはその寮の駐車場、なんらおかしい事はない。別に怪異も幽霊も、妖怪だっていやしない。


 助手席に鳩が豆鉄砲を食ったような顔で座っているのは水上、壁を見、窓を見、シートベルトを解かぬまま、ずるりと体勢を崩した。


「……車の鍵、対処先の公園で手洗い行ってる時に渡したけどよォ」

「よっと、下ろすのはコンタクトとネイルオイルの予備、と……」

「なんで局寮に来てんだよ」

「下着変えてくるんだよ」


 後部座席で運ぶ物の支度を整えている未島が返答する。彼のスーツ上のポケット内に車の鍵、エアコンは水上が待っている間点けさせないらしい。


「普段から着とけ」

「ダサいんだから着てなくても仕方無い、カラーが薄橙と薄紫と薄茶って時点でさぁ、デザインした奴のクビは今頃飛んでるだろうね」

「防護の為の肌着なんだし、洒落たモンにする必要性無いだろ」

「ある」

「意味わからん……」


 後部座席の扉が閉められ、車内に束の間の静寂が訪れる。空気は温く湿度は高い、汗をかく程では無いがやはり不快な温度であった。

 窓から徐々に染まり始めた街路樹を眺めた水上の目は、ペットボトルホルダーに投げ入れていた自分のスマホに向き、手を伸ばし気怠げに弄り始める。


 黒手袋を脱いだ指先で画面を幾度か突いていたが、飽きたのか用事が済んだのか、元の場所に戻し背凭れへ多めに体重をかけた。


 雲で日が翳れば寒く、太陽が出ると暑い。秋めいたとは言えず残暑とも取れぬどっちつかずな外気温。

 体勢を十回ほど右に左にごろりと変え、寝腐れ髪の先を弄る水上の目が据わって来た頃、やっと運転席の扉が開く。


「お待たせ」

「遅い」

「ネイルオイルに割と手間取ってね、次の場所は?」

「市街地にある地蔵、夜な夜な散歩してる犬が吠えるようになったんだとさ、犬種問わずな」

「ふーーーーーん」

「発進しろよ」

「マップを見ても場所がよくわからないからさぁ、それを飛ばして次のにしないかい」


 水上がダッシュボード上に投げていた端末を拾って画面を見せるが、行きたく無いのだろう、一向にハンドルを握る素振りを見せない。

 座席を後ろに下げ、長い脚をハンドルの下に収めた未島は腕を組み、ニコニコと口角をあげる。目は笑っていない。


 それはそうだ、誰だって仕事には行きたく無い、それも生命に指がかかる恐れもあるような仕事になんて尚更。


 ぱちりと一度だけ瞬きした水上は、大人しく端末を裏返し、一番上から二番めの方である怪異未満の詳細を読み始める。

 大人しく自分の言うことを聞いてくれた水上を見つめ、満足そうに肩を揺らした未島だったが───


「竹林の中に白くうねうねしたの何かが発生」

「お地蔵さんの方にしようそうしよう」


 ───次の行き先の方が碌でもなさそうだったので即掌を返した。

 そりゃなァ犬が吠えてる方がマシだろさとでも言いたげに鼻を鳴らした水上が、端末に画像を大きく出して未島の膝へと投げ渡す。


「危険かどうかだけ確認してくれ、写真はこれだけど、未島?」

「別型」

「対処出来そうなとこに投げて、狸?狐?妖怪??」

「別型」

「忠告も入れて投げといて」


 本当に洒落にならない怪異だったらしい。画面を見つめ硬直した後、膝の上から取り上げ端末の画面を忙しなく指で叩き始める未島。

 その指に誂えられた楕円の爪は、綺麗に手入れされ桜貝のよう。水上は黒手袋内の自分の指先を思い、外を見、またごろりと体勢を変えた。

 

 


 照り葉に成りかけた森が並ぶ山沿いの道、暫く車を飛ばし、木の実が実りつつある木々の隙間で怪異の対処をこなす二人。

 ある時は看板をへし折り、ある時は野生の猿の観察をし、またある時は枝に結え付けられた紫紺の紐を端末で写真に収めたり。


 助手席で端末を弄る水上は、運転席で項垂れる未島を気にかける事はせず、寧ろ落暉らっき前に終わらせたいので早く車を出せと急かす。


「お地蔵さんに着く前に二、三個潰せたのはラッキーだったな、不自然な位置の落石看板と三本腕の猿らしきモノは対処終わり、他は要観察か」

「だから山道は嫌なんだ……ッ!」

「タスク減ったから良いじゃねぇか、予定してたところは珍しく一般の方からの直接依頼らしい、駐車場借りられるぞ」

「綺麗な女性?」

「とびきりな、ミサホさんって名前」

「よし行こうか」

「ゲンキンなやっちゃなァ」


 悲痛な声色から一変、うきうきに小躍りでもしそうな声色に成る未島、サッとエンジンをかけて軽快に車を走らせた。


 ちょいと車を飛ばして着いたのは平均的な田舎の一軒家、堅樋たてどいに剥がしきれなかった蔓が絡み、お利口に揃えられた柊が植る小さな前庭。

 砂利と枕木を踏んで進んだ先に、小ぢんまりとした玄関扉。御機嫌な未島の指が躊躇いなくインターホンを押せば、特段変わりない音が家人を呼ぶ。


 ぱた、ぱたぱた、ぱたん。スリッパを履いた足音が近づき、洒落たドアノブを持つ玄関扉が開いた。

 中から現れたのは背丈の低い、しかし、腰は曲がっていない白髪はくはつのちんまりとした奥様。


「あらぁ、お若い方がいらしたのねえ」

「この度は、日本秘匿理局への貴重なご報告をありがとうございます、異変の調査に参りました水上と、こちらは未島と申します」

「遠いところまでよく来てくださいました、ご連絡させていただいたミサホと申します、どうぞ、どぅぞ中へお上がりください」

「これはご親切に……」

「あ!そうだわ今スリッパ持ってきますのでちょっとお待ちになって」

「……未島?」


 靴箱の上に置かれた六つ牙の象の上に座る菩薩様、その前で彼女が軽く振り向くと、なんともモニャッとした顔もちで閉口している未島が開いた扉の前で突っ立っていた。

 水上の視線を受け口元をもにゅもにゅと動かし、とてもとてもり切れないといった声色で呻く。


「……………美人だけども」

「だろ?」

「美人だけれども……!」


 黒手袋の指が、己の左手薬指を動かして男に見せた。違う、そこでは無い。

 己の肩を撫でる光彩陸離なドリームキャッチャーを振り払い、目尻をヒクつかせる未島。

 ひょんと噂のミサホさんが顔を出し、剣呑な雰囲気の無礼千万スーツ二名におずおずと近付いて話しかける。結婚指輪の嵌められた手には二組のスリッパ。


「どうなさいました?」

「いえなんでもありません、ミサホさんのお話を伺ってからお地蔵様のご様子をみようと話しておりました」

「こんな年寄りですからねぇ、ご依頼した時に全て話せればよかったんですけど」

「ミサホさんはこちらに、今はお一人で?」

「ええ、亡くなった旦那が日本秘匿理局に勤めておりまして、何か変な事があったら、絶対にここに電話をしろと耳にタコが出来るほど言われていましたの、スリッパどうぞ」

「ありがとうございます」


 靴を揃えスリッパに履き替えた二人。壁に飾られた降魔大師の護符やら、窓際に並べられた木彫りのお地蔵様と銅色のガネーシャ像の前を通り、和室へと通された。


 床板の上には何も生けられていない花瓶が置かれており、掛け軸の代わりに飾られているのはお孫さんが書いたのだろう、"明日の光"と書かれた習字。

 名前のところが黒く滲み潰れ、破れたのかセロハンテープで補修されている。


 ちゃぶ台を挟みミサホさんが座った側には仏壇。紫のスターチスが供えられ、線香をあげたばかりなのだろうか、煙が揺蕩たゆたう。

 飾られた写真の中で一際色鮮やかなもの、快活そうに笑う旦那さんらしき人の写真の横に、水上と未島にはよくよく見覚えのある徽章きしょうが添えられていた。


「どうしてこうなるまで忘れていたんでしょうねぇ、歳をとるのっていやだわぁ」

「……仏壇に置かれてる認識阻害バッジ《徽章》のせいか……」

「……この場合、元局員からの情報漏洩では?報告の必要は……」

「……解決すれば忘れるだろうからいい、記憶処置で脳に負担をかけさせたくない……」

「……分かった……」

「どうぞお座りになってくださいな、お茶も淹れましょうね」


 逆さ千切りにかげ橘、その紋が刻まれた徽章バッジは小声で話す二人の胸にも飾られている。

 湯呑みが置かれ、中の緑茶が揺れた。黒手袋が持ち上げ、節くれだった指は湯呑みの温度を確認して離れる。


「いただきます」

「ありがとうございます」

「どうぞどうぞ、お地蔵様なんですけど、そう、うちの敷地の外なんですよ、あの土地、私の家の物ではなくて、いつからあそこにいらっしゃるのかは分からないんですけどね」

「へぇ」

「そりゃあ大事に、大事にしてきましたとも、町内の皆さんで、帽子を被せたり、襟巻きを作ったり、お供えをしたり、今でも毎日手を合わせている方もいらっしゃって……こんな話を聞きたいんじゃないんですものね、ごめんなさいね」

「いえいえ、普段の扱われ方も大切な証言の一つですので、どうぞお続け下さい」


 水上の背後にある違い棚には飾り物の代わりに箱や雑誌が積まれており、所々から梵字の書かれた札のような物が顔を出す。


「そぅぉ?最近ねぇ、三軒隣のミカちゃんがね、チョコちゃんっていうわんちゃんの散歩をしてたら、ずっとお地蔵様に向かって吠えちゃうっていうんですよ、隣の町内の"おはぎ"ちゃんも、裏のレオンくんも、わんわんわんってずっと」

「この辺には犬を飼ってる方が多いんですね」

「普段から飼い犬の悪戯等の被害はありますか?」

「いいや全然!みんなね、私が撫でても、ごろんしてイイコに出来る子ばかりなんですよ、おとなしーく撫でさせてくれてねぇ、裏のレオンくんなんて滅多に吠えない子なのに、不思議でふしぎで……」

「はは、良い子達なんですねぇ」


 ミサホさんに相槌を入れた未島の視線が泳ぎ、壁に刺さった画鋲、そこに下げられた薬ポケットのついたカレンダーを見、その上の神棚へ向いた。

 作り物の榊が添えられ、神鏡しんきょうに曇りは無い。家内を見守ってくださるよう、きちんと護符が順に重ねられ置かれている。


「チョコちゃんはね、嬉しそぅにきゃんきゃんっ、て吠える子なんですよ、可愛くてねぇ、私の手からオヤツも食べてくれて……なのにどうしてか、最近はずぅっとお地蔵様の方ばかり見て吠えてるものだからね…………」

「最近ですか……」

「そうなの、昨日も綺麗にお掃除してみたり、ちょっと前に近くのお花屋さんが周りの土をふかふかにして、お花を植えてくださったし、あぁ先週古くなった屋根を町内のお金を使って治してみたりもしたんですけど、最近はみんなずっと吠えちゃうのよ」


 水上の左手がパンツスーツに包まれた脚に降り、座り直す振りをして畳の目を指先でなぞった。

 義手が少々軋む音を立てたが、それだけで、特に大きな動きをする事は無く机の上に戻り湯呑みを持ち上げる。唇をつけ中身を全て流し込み、ミサホさんを見つめ頷く。


「ちょっと前まではみんなで、ちゃぁんと飼い主の足元をぴったりくっついて歩いてるイイコだったのに、どうしてだろうなんでだろうって、どこのお家の人も不思議がっていてねえ」


 白髪、結婚指輪、服装、表情、仕草、視線の動き。二組の目玉が詮索するよう動き。一度だけお互いを瞥見べっけん。談合。解散。


「お地蔵様が動いたわけでも無いし、変な音とかも聞こえないし、怖いことが起こったってことはないのだけれど、でもどこのお家のわんちゃんもずーーっとお地蔵様に向かって吠えているものだから、どうにも不思議でねぇ」


 未島は視線を手元に向け、湯気の少なく成った萌葱色を流し込み、水上はミサホさんに顔を向け、ちょいと首を傾いで見せた。

 生きてきた時間が深く刻まれた手が合わさり、ぱちんと軽い音を立てる。依頼主であるミサホさんの顔には、不安も、怯えも何も無い。


「あっ、これは旦那の言ってたやつだっ!て思って、今回ご連絡させていただいたんです」

「そうですか……今までは普通に散歩をしていた犬達が、最近突然お地蔵様に向かって吠え始めたと……」

「実際に見てみない事にはどうとも……僕ら、今からお地蔵様を調べに行きますね」

「お気をつけて……うふふ、すぐそこなのにお気をつけてなんて、おかしいですね」

「お気遣いどうもありがとうございます」


 口に手を当て、ころころと微笑うミサホさん。入り口付近の飾り棚に置かれた小さなガラスの天使をおとさぬようそっと部屋から出た二人を見送る為に、ゆっくり後ろを着いていく。


「では僕達は外に出てきますので、ミサホさんはどうぞお家の中でお待ち下さい」

「はい、どうぞよろしくお願いします」


 玄関の扉が閉められ、やけに視覚的に情報が多めな置物の多い室内が二人の視界から消えた。

 そのまま二人、黙ったまま歩き、黙ったまま曲がり、黙ったままお地蔵様の前まで来て、黙ったまま取り敢えず顔を見合わせる。


 暫く二人して珍奇な物でも見たかのような顔をしていたが、先に口を開いたのは水上の方だった。


「……未島、なんか見えた?」

「ミサホさんの家で?、全く、瘴気すら無かったさ、物は多いがよく掃除された家だね」

「で、今お地蔵さんの前だけど、なんか見えてる?」

「全く見えない、異様なほど異常無しだよ」

「コンタクト効き過ぎたか?取って見てみろよ」

「入れるのは良いが取るのはどうも苦手でさ、片目だけでいいかな?」

「任せる」


 それきり会話を止め、ふいと顔を背け、さっさとお地蔵様の周りを観察し始める水上。

 その態度にまた面白く無さそうに口をひん曲げた三島だが、何を言うでもなく大人しく尻ポケットから出したウェットティッシュで手を拭き、己の目玉を守るコンタクトと格闘しだす。


「取れたかァ?」

「話しかけないでくれ」


 中々取れないようだ。


 今度は胸の内ポケットから出した二つ折り式の手鏡をその辺に置き、自分の顔を見ながら悪戦苦闘を続ける未島。

 そんな彼に一瞥もくれず、しげしげとお地蔵様を見つめる水上。柔和なお顔、揃えられた御手、赤いよだれかけは新しい物が奉納されたばかりなのかシミひとつ無い。


 祠の屋根は綺麗にペンキが塗られ自然についた傷がある程度、まだ萎れていない花が供えられ、祠の周りの土には白色の小花が沢山咲いている。どうやら人の手が入れられ花壇化しているようだ。


 不躾に祠の中に頭を突っ込む水上、お地蔵様の背後には何も無い、ただ少々の苔が仮住まいをさせて貰っているのを見て目を細める。


「別に……変に汚れてたり、奥に異物置かれてたりってわけでもなさそ……イテッ!?てぇ…………」

「取れた!さあ退いてくれ、君が居たら見えるものも見えないだろう」

「言い方ってもんがあるだろ、無駄に敵作るから気ィつけろ……」

「水上には言われたく無いな……」


 すぐさまバチが当たり、後頭部を祠の内部にぶつけた水上が頭を撫でながら退いた。怪訝そうな顔をしている未島の隣に並び、男の顔を見、祠をまた見る。


「どうだ?」

「…………何もない」

「コンタクト両目取れよ」

「取った、しかし何も無いんだ、変な目玉も指も顔も異形も黒いもやすら見えない」

「じゃぁ何が悪いってんだ……」

「知らないよ、植えられた花の種類が犬の嫌いな物だったのでは?」

「んなわけ……」


 程よく甘い香りを漂わせるスイートアリッサム、未島の言葉を受け、調べる為に屈み指先で優しく花に触れた水上の動きが止まる。

 お地蔵様にも花にも興味を持たぬ未島は、端末を出してスクロールを繰り返す、自分の出来ることは終わりだとばかりに、つまらなそうに言葉を続けた。


「未島」

「では科学の分野じゃぁないのかい、屋根に塗ったペンキが臭いとか、お供物に犬が嫌いな物が置かれて匂いがついたとか、俺達に出来ることは無さそうだ」

「未島、未島ってば」

「案外、誰かが死体でも埋めておいたのかもね、お地蔵様がどうにかしてくれていたから俺達には何も」

「おめでとう名探偵」

「は?」


 突然の賞賛に胡乱げに鳴いた未島だったが、自分の足元、祠の周りの花を手で退かした水上を見下ろして息を呑んだ。


「……人間では無いが、死体らしいなァ」


 土の間から石ではなく木の破片でもない、風化するには結構時間のかかる白いもの。

 カラカラと土の中に混ぜられている骨達の中に、割られるのを逃れたのか、それとも誰かを待つために自ら動いたのか。


 眼窩をキチンと二つ持った顎の無い小さな髑髏達しゃれこうべたちが、土に成りきれず、白い花の下からこちらを見つめていた。



 対処完了。少し花を退かせばわらわらと出てくる骨、骨、骨。

 砕かれてはいたが確実に人間のものではなく、動物の骨だと分かる状態の綺麗な髑髏が幾つも土の中に残されていた。

 他の骨は全て細かく砕かれているのに、何故頭の骨だけ砕かれていなかったのか。それとも、砕かれたのが別の要因で形を取り戻したのか?どちらにせよ、二人には知る術も知る理由も無い。


 運転席で端末を見つめている未島と、助手席で大人しく外を眺めている水上。未島の視線が射干玉の尻尾に向き、また端末へと戻る。


「警察の方には第一発見者としてじゃなく、匿名の通報として伝えておくと連絡が、ミサホさんの了承も貰ったし後はすることは無いみたいだね」

「そうか、動物霊はお供物とか、お地蔵さんを綺麗にしたりで成仏していたみたいだけど、まさか大量に猫や犬や鳥の骨が出てくるとはなァ……」

「水上、犯人の詳細が来たよ」

「誰」

「お地蔵さんの周りに花植えた、花屋の夫婦、動物虐待の証拠が発見されたと」

「……そっ、か」

「……次に行こうか」

「おう」


 陽が傾き、暖色が空に広がりつつある戻り道。

 一応、まだ一件二件対処する気ではいるらしい未島は、後姿だけなら、結構、そこそこ、割としょげ萎れて見える水上を窺い、視線が前に戻り、車のエンジンをかけゆるりとタイヤを回し始める。


 車が揺れる音、秋陽を受け生温い空気、無言。感じる必要の無い気不味さに耐え切れなかったのか未島が口火を切った。


「……あー、水上はさ」

「うん?」

「猫派?犬派?」

「今聞かなきゃ駄目かその質問」

「仕方ないだろ、話題がコレしか浮かばなかったんだから」

「はァ…………」


 体勢を変え、前を向いた水上の顔は鬱々としていたが、質問の答えを考えるうちに気分が多少晴れてきたらしい。渋々だが、未島の雑談に乗った。


「……鳥派、雀が好き」

「猫か犬で聞いているんだけど?」

「未島は?」

「猫系女子の方が好きかな」

「猫か犬で聞いてるんじゃなかったのかよ」


 陽はまだ落ち切っていない。もつれ雲が踊る空の下、合縁奇縁な二人を乗せる薄汚れた軽自動車が一台、次の仕事先へと向かっていった。

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