第5話 うまくいったらお慰み


 暖色の電気が部屋の中を照らす、光量を絞っている訳では無いのに、電灯が照らしている筈の部屋の中は暗い。


 重苦しい年輪が刻まれた木の机、そこに水の入った湯呑みを置き、見えない外を遮光カーテン越しに見つめる老齢の男。

 眼尻の皺より眉間の皺のほうが多く、口の周りには整えられた髭が生え揃う。


 灰の後頭部をじっと見つめる水鏡のような瞳の持ち主は水上。一つに纏められた緑の黒髪を揺らし、仏頂面で男へと声をかけた。


「未島の身が持ちません、防護服等、諸々の使用許可を下さいませんか、対処課長、節義ふしぎさん」

「昨日の今日で使用できる備品増やせは通らんよ」

「長時間放置か、真偽不明、または人間ひと相手の可能性が高い物が未満として回って来ています、お願いします」

「だめだ、何のために怪異"未満"討伐組を新しく作ったと思っている、今現在利用されている正規品は渡せん」

「……局長からの圧が?」

「正直に言うとそうだな、相当あの若いのが気に入らんらしい」


 椅子が回り、節義の目が水上を捉えた。表情は蝋で固めたように動かないが、その眼の奥には斎火が如き光が灯る。

 水上は視線を節義の羽織はおりへと移す。鳶色のひきずり羽織、中に着込んだ灰汁色の着物スーツの上を、木玉の羽織紐はおりひもが留めていた。


 湯呑みを掴む男の右手には中指と薬指の間に裂けたような傷痕が残っており、神経に障りがあるのか小さく震え、湯呑みの中に波を作りだした。


「正規品はとにかくダメだ」

「では非正規品の許可は頂けますか」

「非正規品も使うなと指示書に書かれているのか?」

「書かれていません」

「では私は知らん、現場の判断に任せる」

「承知しました、有難う御座います」

「水上」

「はい」


 礼儀として頭を下げた水上が名前を呼ばれ顔を上げる。

 彼女の眼の光は細く成り、節義に対しての敵意なのか、恐怖なのか、腿の脇に添えられる黒手袋に包まれた手が震えていた。

 それを見えていないのか、いや、見えているその上で言及していないのか。節義は空いている手で羽織の袖を直し、目を閉じる。


「借り物だ、壊してくれるなよ」

「……はい、失礼します」


 踵を返し、逃げるように部屋から出ていく水上。その背を黙って送り出した節義は、一つ、長い長い溜息を吐いた。

 歳を皺として刻んだ手の中に収まる湯呑み。切り取られた円の中で波立つ水は、壁に阻まれみるみる内に収まっていく。それを見下ろす人間の瞳。


「……嫌われたものだな」


 湯呑みの中は凪、生き抜いてきた分の皺が刻まれた手の震えは無くなっていた。




 局の廊下、生白い電灯が照らす中、身体を斜めに傾け壁にもたれ掛かるタイプの壁ドンをしている未島。

 目の前には誑かした八人のうちの一人……かどうかは分からないが、内巻きボブの栗色の髪が可愛らしい、クリーム色のブラウスがよく似合う女性が恥ずかしげに顔に紅葉をちらし立っていた。


 未島の檳榔地の髪が壁から離れ、栗色の髪へと少し近づく。骨ばった男の手が、灰鼠のファイルを二冊掻き抱く女の指先に触れる。


「マミヤちゃん、最近連絡くれなくなったけど、もしかして調子悪い?」

「うーん、別に、調子は悪くないけどぉ……」

「そっか、なら良いんだ、最近寒くなってきたから体調に気をつけてね」

「未島くん……」

「これハーブティー、良かったら飲んでくれると嬉しいな、それじゃ」


 太い指が軽く引けば、操られるよう白魚の手がファイルから離れ、手渡されたハーブティ(温)のペットボトルを優しく掴む。

 それ以上の接触は無く、やけにあっさりと引いた未島の手は上着のポケットへ吸い込まれ、革靴が踵を返し廊下を踏み進む。遠く成る背に女の手が伸び────


「ぁ……未島くん、待っ」


 ───引き留める声に待っていましたと言わんばかりに満面の笑みで振り向く未島。置かれた肩の手に手を重ねたが、黒手袋に包まれ金属の如く硬い。硬い?


 目の前には渋面の水上。

 不快感を隠そうともしない動作で未島の手を振り払い、己の背後で困惑しているマミヤ《元カノ》ちゃんを全く気にせずに朝の挨拶を口に出した。

 挨拶は大事だが、今でなくとも良いだろうに。横槍に目尻を引くつかせる未島。


「おはよう未島、非正規品管理部行くぞ」

「水上?は?非正規品管理部??」

「おう」

「あの陰気で年がら年中怪異が入ったモノやら変な機械やら持ち込まれてる蠱毒の部屋に?」

「そう」

「なぜ」

「お前の防御力の低さをどうにかするため」

「後で向かうから今は、ちょ、待って、引き摺るな止めろ、マミヤちゃん良かったら連絡待ってるから!!」


 アイロンがけをされぴっしり折り目のついたシャツ襟を黒手袋が引っ掴み、容赦なく廊下を突き進む黒いパンプス。となんとも色気の無い音がする。

 予防接種に連れて行かれる犬のような、なんとも情けない鳴き声をあげ引き摺られていく未島。

 マミヤちゃんは手を振り、快く送り出してくれた。優しいね。


「……異動ってほんとだったのね」


 して、小利口な立ち回りを心得ている者は獲物を追わない、向こうから来て、偶に自分から行く。

 見目よし身体よしの男であれども、自分以外にも相手が居るとなれば話は別。本命にするには些かコスパが悪い。


「なら、ま、いっか」


 特段好きでもない貢物のハーブティーを揺らし、他と切れたという話が本当なら本気に成るのも良いかと思い始めた男を見逃し、次の火遊び相手へと移るのだった。


 ここは日本秘匿理局、日々怪異相手に仕事をし、一歩間違えれば命の危険もある職場。

 色恋相手を盗られたぐらいで凹むメンタルの人間は、はなから在籍していないのである。




 所変わり、人影少ない局内の廊下、奥の奥の奥の部屋。

 細まった通路の先にひっそりと置かれた磨りガラスの覗き窓がついた戸、その向こうは薄闇、所々浮かぶ白い線は棚だろうか。


 戸の上に掠れた文字で書かれた非正規品管理部の文字を見て眉を顰め。

 ガラス戸についたよく分からない茶色の汚れを見て目尻を歪め。

 上り藤の中心に逆さ鈴を入れた紋が描かれた木札を見て口をへの字に曲げる未島。

 

 どうにも胡散臭い。それにこの辺もカビ臭い。


 背後に付き従えた未島の渋面には一瞥すらくれず、遠慮容赦なく戸を叩く水上。木札がカラコランと跳ね、視界不良な磨りガラスの向こうに人影がぬるりと現れた。


化藤ばけふじィ、居るかー?」


 扉を開き幽闇から滑り出てきたのは、中は紺のスウェット上下に足元は緑のスリッパ、ダルダルに袖が伸びた青色のパーカー。袖の色が褪せて、所々にシミがある。

 落ちない程度に傾いだ指紋だらけの丸眼鏡、鳥の巣材に最適だろう荒れた髪を後ろで一つに纏めた、今ほど水上の口より化藤と呼ばれた男。


「はいはいはいはい次はなんですか水上氏もう某の最近最貴な最高傑作が壊れたんですか勘弁して下さいよ幾ら成る可く安価な素材で作製してると言えどもそれなりの金額が……左腕が壊れてない」


 今さっきまで扉を叩いていた水上の左腕、義手側を上から下まで目視で確認し、手を取って黒手袋を剥ぎ、指先までなんともないか確認した後顔を上げる。


「壊してくればよかった?」

「滅相もない、して、其方の不機嫌オーラが半端ねぇ方は何方ですかな?」

「私の新しい部下の未島」

「ハァ〜〜〜〜水上氏前回の義手全損時腕バッコンよりも御冗談が格段にお上手に成りましたなぁ〜〜〜〜〜〜」

「ンッハッハ喧嘩売ってんのか」

「滅相もねぇですわぞ、こんな所ではなんですし、どぞどぞ中へ」


 踵を返し、部屋の中へと癖毛を揺らしながら入っていく化藤。もさり、端を丸めた紙束が棚から落ちたが意にも介さず奥へと消えた。

 開け放たれた扉からは何とも言えない空気が漂い、空気が二度ほど低く成ったような寒さに身震いする未島。

  

「何なんだあの薄ら寒いノリ」

「お前の口説き文句の方が酷いだろ」

「は?」

「扉の枠は踏むなよ未島、怒られるから」

「は??」


 擦り減ったパンプスが扉の枠を跨ぎ、よく分からない箱やら資料やらが突っ込まれた棚の奥へと揺れ去る水上の髪。

 突然言われた意味の分からない約束事にまごついていた未島だが、眼前から黒い尻尾が無くなるのは不味いと足を動かした。革靴が扉の枠を飛び越え、室内へと駆け入る。


 なおざりに未島の手が掴んで離した扉は中途半端な位置で止まったが、少し経つと自然に、優しく、音も無く閉められたのだった。


 ここは室内で、風すら吹いていないのに。

 



 棚に並ぶはクリップやホチキスで止められた紙束、重々しい背表紙の書籍、横文字で題名が箔押しされた本etc《他にも色々》。

 ズラッと並ぶ漫画娯楽小説女性キャラクターのフィギュアにアクリルスタンドにラバーコースターetc《他にも色々》.


 角が折れ皺が付くのも構わず棚へ乱雑に突っ込まれている書類、一、三、八号数が飛んでいる科学雑誌、何度も読んだのか頁が膨らみ表紙に汚れがついた本やらが適当に並べられている。

 とても管理が雑だ。

 それに対して趣味であろう側の棚には埃一つ無く、架空のキャラクターを模したグッズはアクリルケースに整理整頓され、愛読書であろう本は一から最新刊まで抜けなく並んでいる。

 とても管理が行き届いている。


「ようこそいらっしゃいました非正規備品管理部へ、某は水上氏の義手制作担当兼非正規品管理係の化藤と申します、以後宜しく御頼み申す」

「どうも……この度怪異未満討伐組に配属された未島です…………」


 仕事用か趣味用か判別が付かない据え置きPC前の椅子に座り、ぺっかぺかの笑顔で頭を下げる化藤。

 一応は来客用であろう長椅子に座り、警戒心を隠さぬ顔で応える未島。


 その隣で水上は実家で寛ぐかの如く、PCが置かれた机横の小型冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出し、紙コップを一人分だけ出し、注ぎ、未島の隣へ当然のように座った。


「いやぁ顔良し身体良し素行悪しとの伝承元である未島氏と対面できるとは、人生何があるか分かりませんなぁ、某も都心の技術課を目指していましたが、割と好き勝手出来る地方局のここに配属されて良かったと思う時も多々あります故、部署移動に対してそんなに悲嘆なさらずとも宜しいかと」

「はぁ……」


 早口。くちばしを挟む隙もない単語の羅列、今まで接した事のないタイプの人間に面食らった未島が少々仰反る。

 彼の視線が水上へと窺いを立てたが、我が物顔で煎餅の個包装を開け、義手で掴む力加減を間違えて割っている所だった。この女、頼りにならない。


「某と違い良い見目をお持ちのようですから人生は安泰でしょう!まぁ組まされたのが水上氏相手では悲嘆するなと言われても無理でしょうが!!アッハッハ!!」

「化藤ぃ?」

「……なんだ、結構良い人じゃないか」

「未島ァ??」


 二つに分かつた黒手袋により、煎餅が三つに割れる音。空中に米菓の粉が舞う。

 化藤の巧笑に少しだけ緊張が解けたのか椅子に深く座り直し、楽な体制を取る未島。隣から送られる苛立たしげな視線には気付かない事にするらしい。


「して、義手のメンテでなければ何をお望みでこちらに?」

「瘴気耐性のある服か装飾かなんか欲しい」

「おややや、どちらがお付けに」

「あ、俺です」

「成る程なるほど、失礼ながら未島氏、理局員用のの健康診断はお受けになっていますかな?」

「受けています」

「ではでは少々データを拝借させて頂きまして、あ、某は日ノ本の秘匿理に対して効果は認められますが正規採用に至っていない非正規品を取り扱っていますので、最適な品をお選びするため詳細データを閲覧可能な権限を保有しております、もし事情が有り見て欲しくないデータ等有れば口頭で教えて頂けると有難いのですが、何かおありですかな?」

「特に無いです、大丈夫です」

「承知、では少々茶でも飲んでごゆるりと待たれい、茶請けはそちらの入れ物からどうぞお好きなモノをお選びに成りませい」


 簡単な応答。くるりと二人に背を向けた化藤はキーボードを叩き、背を丸め何事かを調べ始める。

 ピッタリと口を閉じ、指先だけを忙しなく動かしている彼の後ろ姿を見ていた未島は、背中を預け肘をつき、だらけ切った体制で煎餅を齧る水上に肩を寄せ声を潜めて話しかけた。


「…………普通に良い人じゃないか……」

「……当たり前だろ、私の義手作った奴なんだから……」

「……なぜ化藤さんはこんな湿気た場末に、もう少し日の当たる所があるだろうにさ……」

「……能力があるが故に人間関係で色々あったらしいぞ、こっち来てからは楽にやってるみたいだけど……」

「……そうかそうか、彼とは仲良くなれそうだ……」

「……局長の孫ひっかけようとして飛ばされたお前と一緒にしてやんな……」

「……初対面時から度々思っていたんだが……」

「……なんだ……」

「……水上、結構大きいよな……」

「……セクハラなら金出して構ってもらえる所でやんなエロ猿……」

「……態度が……」


 蹴り。蹴り。踏み、踏み返し。無言の応酬が続き、胸ぐら掴み合い一歩手前で化藤が椅子を回転させ二人の方を向く。解散。


 ぽふぽふと脛やら足の甲やらの汚れを手で払っている二人。

 奇特な行動を見ないフリしてやり、デスク横のタブレット端末を取り出した優しい化藤は、おそらく未島が装備可能であろう商品の一覧を出して二人へと見せた。


「未島氏〜装備品ある程度絞り込めましたぞ〜〜此方が一覧と成りまする」

「本当ですか、ありがとうございます」

「金属アレルギーは無し、呪具も大凡フリー、視界が良過ぎる為に眼から入ってくるモノへの防御力が低くてらっしゃると」

「はい、化藤さんはどんな品が良いと思いますか?ほぼ外回りなので長期間付けても疲れないモノが良いんですが」

「着脱が楽なのは眼鏡ですが、未島氏たぶん水上氏によりあちこち走り回る事になると思うので多分吹っ飛びますな、ノーメガネイエスピンチ、ハイどうぞ」

「選ぶ上で水上のことは考慮に入れずお願いします、どうも、お借りしますね」


 ケッ。不服そうな鳴き声が横に座った水上から飛んできたが、それも無視。受け取ったタブレットでめぼしい装備を探す未島。

 しかしどれもこれも彼の琴線には掛からないのか、指の動く速度は投げやり気味だ。

 

 それを横目にもう一台タブレットを取り出し手に持った化藤は、画面に出ている身体情報と他幾つかのチェック欄を指で突きながら話を続ける。


「いうて仕事スタイルに合わせる消耗品ですのでね、では理局の方から支給されているであろう肌着、シャツとパンツをまずしっかり着てもろて」

「……なんで着てないって分かるんですか」

「怪異対処課は瘴気汚染に少しでも耐性つけるために特殊な製法で作られた肌着が配られるんですなぁ、部署移動後に着忘れる人間がちらほら居ますがまさか図星とは……最低限ですが一番効果のある装備なのでダサくてもちゃんと着てくださいな、冗談抜きで早死にしますぞ」

「はい…………すみません……」

「怒られてやーんの」

「うるさい」


 肘掛けに全体重を乗せ、パンツスーツの尻に敷いていたクッションを腕と頭で挟み楽な姿勢を取る水上。隣からの不満げな視線を無視して残りの煎餅を口へと放り込んだ。


「我々は主人公張れる少年少女じゃ無いんで、ただの地方一般通過怪異対応用モブなので、固められる装備はガチガチに固めていきましょうぞ〜〜〜〜」


 化藤の指が己の持つ端末の画面を叩くと、未島の手の中の端末に商品が映し出される、画面の中には簡素な背景と説明文。

 隅切り角に鬼灯の文を刻まれた小瓶、中に透明な液体を入れたそれは、お馴染み百円均一の棚で見かけるマニキュアの瓶の形をしていた。


「まず爪紅(マニキュア)、飛鳥奈良時代から続く定番ですな、爪に魔除けの色として塗る事で手先足先からの進入を防いでくれますぞ、色が気になる方向けにネイルオイルが最近開発され申した、随時被験者募集中と言っておきましょう」

「素敵な入れ物ですね、ちなみにお値段は」

「お高くないの無料(ただ)なんですよぉ〜、その代わり新参品なので一週間に一度定期的な検診を受けて効果の程を報告してもらう義務があるます、割と手間とは思いますが塗れば即効性なのですのでね、手軽さと効果では随一かと」

「確かに……」

「未島氏は水上氏のサポート役ですからな、怪異に直接手で触ることは少ないと思われますのんで、気休めとデータ収集のためにと思って頂けると有難の極み〜〜」


 緑のスリッパを履いた脚でよろよろ立ち上がり、部屋の棚を掻き分け、紙箱を重そうに持ってくる化藤。机の上に置いて箱を開くと、同じネイルオイルがキッチリ詰められ並んでいた。


「取り敢えず好感触そうなので多めに渡しておきますわぞ、肌や精神に合わない場合はすぐに某か水上氏か医務室に申し出て頂いてもろてね」

「因みに、精神に合わないってどんな症状が出るんですか」

「人それぞれなんで某の口からはどうとも……しかし、合わなかった際の事例として多いのは、嗅覚や視覚に異常が出るとの報告ですな、触覚はあまり報告が無く、味覚は体調不良による異変を出すのが十八番なので除外で」

「へぇ」


 自分の椅子に座り直した化藤は端末を持ち直すと、眉間を指で掻きつつ画面へ視線を滑らせた。

 少しの間ネイルオイルの瓶を弄っていた未島だったが、化藤の眉間の皺を見て自分の手元の端末に倣うように視線を落とす。


「えーでは本題の、どう足掻いても討伐組となると窮地で眼鏡がおそらく吹っ飛ぶのは確実なので、コンタクトは如何ですかな?眼球びたづけなので効果は微々たるものですが、ジェネリックならすぐに用意出来ますしオスシ」

「コンタクト…………」

「眼鏡よりも搭載可能な術式は減りますが、確実に"眼"に接地するので防御力は意外とお高、お苦手で?」

「つけ方分からないんですよね、俺、視力落ちた事無いし、カラコンとかも買った事無いんで……」

「マァ巷で噂の御尊顔ならそうでしょうなァ、羨ましい限りで、でも眼球の前に一枚防護壁が有るのと無いのじゃ大分ダメージ量違いますしぃ?某イチオシ、幾つかお試ししときます?」


 今度は椅子ごと移動し、棚の下側から幾つか小さいコンタクトレンズの箱を抱え……きれなかったので、渋々立ち上がり椅子に積んで引き摺ってきた化藤。

 その鈍臭そうな行動を観察していた未島だったが、肩の力が抜けたのか、自分も立ち上がり水上の足を跨いで化藤の落とした箱を拾い集める。


「化藤さん、付け方教えてくれますか?」

「ン〜〜これが噂のイケメン捨て犬voice、いうて某も生涯眼鏡民なので説明書以上の事はなんとも、練習には幾らでも付き合って差し上げましょうぞ」

「ありがとう親友」

「距離詰め激早で草ァ」


 幾つかを未島に持ってもらった化藤は朗らかに笑いながらそう返すと、PC前に戻り、下の引き出しから小さい毛布を出し抱えた。


 首を傾げる未島の前を通り過ぎ、クッションに埋まって寝ている水上に慣れた手つきでかけてやる化藤。

 長い髪を顔の前から退かし、唇の前に指を近づけ、呼吸が正常なことを確認してから未島の方へと振り返る。


「そんじゃまぁ水上氏が飽きて爆睡しているうちにコンタクトを付ける練習でも致しますかな」

「えっ、今」

「早いうちに慣れておいた方が良いですぞ〜未島氏、ささ、お手洗いへ移動しましょうか、説明書出して頂いてよろしいですかね」


 室内付きの手洗い場へ二人が消えてから暫く経ち、ソファの半分で丸まり眠る水上の身体から毛布が滑り落ち、濡羽色の下に敷いていたクッションが肘掛けと背凭れの隙間に埋まり切った頃。

 綺麗に折り畳まれていた脚が解け、一度緊張し、力を抜く。億劫そうに上体を起こした水上は、目を擦りながら辺りを見渡した。


「……ン゛ん…………化藤ぃ、選ぶの終わった………………」


 同じ室内には誰も居ない。手櫛でてきとうに寝癖を整えた水上は、机の上に置かれたネイルオイルの瓶を手に取り、中の液体を揺らす。

 流光が瓶の中で踊ってみせる。しかし、あまり興味をそそられなかったのか黒手袋は瓶を机に戻してしまう。

 起き抜けの耳には少々賑やかすぎる声が、室内付きの手洗い場から聞こえてきた。


「いわかんすごい」

「未島氏入れるのはお上手なのに、出すのはド下手くそなんですなァ、可哀想」

「化藤くん本当にこれ出し方合っているのかい、拷問の間違いじゃないかな」

「合ってますから慣れてくだちい、次のコンタクト出しますぞ〜〜」

「待ってまだ取れてないんだけど」

「取り外しが上手くいった物にしましょうかね、防護に関してはどれも大差無いですしぃ、桜王おうおうと小葉樂(《こばら》製薬どちらが外しやすいです?」

「わから、な、いッ!」

「力任せに取ると眼球傷付きますぞ」

「怖い事言わないでくれ一生つけたままになる」


 義手を包む黒手袋が床に落ちていた毛布を拾って、反対の手で埃を払う。パンプスを床に脱ぎ揃え、両脚をソファの上に投げ出した。


「……もう少し寝てるか」


 彼女が居る場所よりは明るい手水場の方から聞こえてくる悲鳴、二度寝に入る余裕はあるだろうという判断。クッションの位置を直し、自分で毛布をかける水上。右腕を下にして目を閉じた、が。


「長時間つけたままでも色々と眼球が不味いことになりますけども」

「あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 鼓膜に刺さった悲鳴から逃げるよう寝返りをうち、クッションを頭の上に被せた。とてもうるさいので。




 数十分後、無事着脱がしやすいコンタクトを選べたのか少し目の周りを赤く腫らした未島と、欠伸を黒手袋の下で繰り返す水上が局内の廊下を歩いている。

 ちかり、電灯が廊下へと明かりを供給する事を一瞬止め、また光る。そろそろ替え時なのだろう。


「化藤虐めてねぇだろうな」

「ははは、君にだけは言われたく無いし化藤くんとはもう大親友になった」

「可哀想」

「どういう意味だ、どうせなら奥の方にあった刀とか、扇子も見せて貰うべきだったかな、俺もある程度は抵抗可能な武器が欲しい」

「怪異対処の武器に関しては特殊な事情や現場への配備、一部の特例班で無い限り所持禁じられてるぞ」

「えっ、では自衛はどうしろと」


 ガシャ。未島が両手で運んでいる箱の中から瓶がぶつかる音が響く、箱の上に乗せていたコンタクトの小箱を入れ持ち手を一つに結んだビニール袋が滑り落ちたが、水上の手が袋を受け止めた。

 中身は同じコンタクト(商品)の箱、箱、箱。この個数であれば暫くは保つだろう。水上の視線が袋を一瞥し、前方へと戻る。


「今貰ってきたろうが、コンタクトとネイルオイル、あと配布されてる下着」

「攻撃は」

「私の仕事」


 箱の上に袋を乗せ戻した黒手袋は、外へ繋がる扉を開いた。燻んだ青を鉤状雲が掴み、高い位置に登りかけている太陽ごと引っ張っていってしまいそうだ。

 水上は未島に先に出ろと顎で示し、未島もそれに対し礼も言わず従う。駐車場に向かう足取りはどちらも重い。


「討伐組は特殊な道具を使わずに討伐出来る範囲の怪異の対処に追われてんだよ、コスト削減と地域住民への配慮でなァ」

「しかし、他地域から情報交換により送られてくる報告書では、妖刀や鉄扇、大きい物だと薙刀を使用した大捕物が複数あるが」

「特殊な現場か面倒な怪異を退けてるか、ソレしか持てない血筋の人間の報告書だぞそれ、突然漫画やアニメの主人公にでも成らない限り持つ事ァねぇよ」

「期待して損をした……」

「能力が高ければ高いほど危険な場所に行かされるし、それこそ最高位の血筋と能力を持ってる人間なんて地方の理局になんか居ない、みやこかその周辺に送られてる」

「……それもそうか」


 黒手袋の指が車の鍵をポケットから取り出し、unlock《開錠》を押した。両手が塞がったままの未島の前へ進み出た水上は、後部座席の扉を開く。

 気遣われているのかと水上の行動に少し面食らった未島だったが、臍曲がりなため礼はまた言わずに荷物を乗せ……………………。


 だがまぁ、親切にはして貰ったのでお愛想の一つは言ってやろうかと腹を決め顔を上げたが水上は視線の先に居ない。


 運転席の扉が開く音。目を丸くした未島が其方に目を向けると、水上は早々に乗り込み椅子の位置を調整しているところだった。


 思考、熟考、狼狽。


 別に申し訳程度の愛想でもひとつ貸しとでも気遣いだとも思っていないのであろう彼女の行動に舌を巻いた未島だが、矢張り、どうにも、彼女の気の知れない行動が面白くない。ないったらない。

 助手席に移動し乗り込むと、ミラーの位置を確認している水上と目が合う。未島の口が開き。


「……ど、この国にだか、一人の子供が妖精を信じる事を止めると、一匹の妖精が死ぬだったか、そんな話があったよね」

「ああ、それで怪異も消えてくれたら世話ねェんだけどな」

「水上、このコンタクト、サブリミナル効果ってことは無いんだよね?」

「私が知るわけないだろ、使ったこと無いんだから」

「非正規って言っても効果はあるから局の倉庫に来ているんであって、決して勝手に期待して実は効果無しとかそんな事無いよな?なあ??」

「私が効果あるっつったところでお前信じるのかよ」

「気休めにはなる」

「箱の中の説明書でも読んどけ、それと」


 ミラーの位置を直し終わったのか、雑談に物静かに答える水上がハンドルを握る。視線は未島の方では無く、前に向いたままだ。


「未島がどう思ってんのかは知らねぇけど、化藤は私の義手の製作者だ、だから私は信頼してる」 


 エンジンの震動が尻の下を擽った。水上の左腕、義手にしては肉の腕と同じように動く不思議なソレに未島の視線が移り、一度手元の電源を入れていない端末に落ち、フロントガラスの向こうへ向いた。


「……なら、まぁ信じても良いかな」

「大親友になったんじゃねぇのか、親友の言葉と仕事を信じてやらないなんて冷たい野郎だなァ」

「効果無かったら水上の責任にするよ」

「お門違いにも程があんだろ」


 理不尽に責をおっ被せてこようとする未島に鼻で嗤い返した水上は、どこか暑さが残る秋口の町中へ車を走らせた。

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