第4話 事が延びれば尾鰭がつく


 春であれば桜並木、今は枯葉並木、桜前線は遅いくせに冬将軍は我が物顔で居残る地域。小さな秋は短い滞在の帰り支度を始める頃。

 小学校の訪問者用玄関、一般家庭と変わらぬインターホンの音が静かな小学校の駐車場に響いた。


「どうもー、NHK(日本秘匿理局)から収集に来ました水上ですー」

『水上さん……?、あ!今お持ちしますね、少々お待ちください』

「お願いしますー」

「……やっぱり止めないかそれ」

「なんで?これが仕事だろ」

「そうではなくて……」


 話が通じぬと未島が空を仰げば、群青色にすじ雲がいく本も流れていた。秋晴れと呼ぶにはまぁ及第点であろう、雲和紙が一枚挟まれた陽の光はあまりに目に優しすぎる。

 意味が分からないと腰に手を当て、新しい黒手袋を義手に馴染ませる為、左手を何度か握って開いてと繰り返す水上。


 なんぞやその反応、気に食わないが、喧嘩を売られないだけ良しとするか。

 そんな雰囲気が二人の間に流れる、人間、腹がくちく成ると大抵の事はどうでも良く思えるものだ。


「……なんのために小学校になんて来たんだ、用事があるのは用水路の筈だろうに」

「七不思議の発露の状況確認と回収解散も仕事のうちなんだよ、一人で回ってた時もここのベートーベンだけよく貰ってた」

「ベートーヴェン?」

「ベートーベン」


 だが、満たされていたとて腹が立つ時はある。お愛想を言い合う仲では無いが、同じ釜の飯はまだ食べてはいない。


 どちらの呼び方が正確なのか喧々諤々吠え合っても良かったが、どうせ外来の言葉に日本の読みを当てただけ。

 二択で己の呼びが外れ恥をかくよりは放置した方がよいと二人とも判断したのか、それ以降は口をつぐみ、どちらも大人しいものだった。


 湿気た火薬庫のような空気の中、訪問玄関が緩く開き、建物内からひょこりと人好きする顔の男が顔を出す。


「どうも、新しく用務員になりました刑部おさかべです、こちらが回収物です、ね、ご確認ください」

「しっかりと受け取らせて頂きました、理局ことわりきょくの水上です、こちらは新人として討伐組に入りました、未島です」

「よろしくお願いします」

「回収物の処置はこちらで致しますので、今後ともよろしくお願い致します」

「いえいえこちらこそ、宜しくお願い致します、それでは失礼します」

「はい、ありがとうございました」


 柔らかな笑みを浮かべて二人の前に全貌を現した男は、両手で茶封筒を水上に渡すと、当たり障りの無い挨拶をしてさっさと中へ引っ込んだ。

 受け取った茶封筒を弄ぶ黒手袋、対人用の愛想笑いを消した水上が、気味が悪そうに自分を見つめる未島に不躾な質問を投げる。


「……なんか不服そうだな未島」

「気のせいじゃないか?……それ、中身は結局なにが入っているんだい」

「一回こう」


 義手を包む黒手袋で躊躇無く握り潰される茶封筒、糊付けされていない袋の口から黒い靄が立ち上り、秋風に吹かれ消えた。

 今空へ登った靄は見間違いではなかろうかと目を擦る未島に、皺くちゃと成った茶封筒を差し出す水上。駐車場に停めた車へと二人歩きながら、他愛もない会話が続く。


「もう中見ていいぞ」

「目の前で明らかに怪異が対処されているのに、その残骸を見たい奴がいると思うか」

「んな怖がんなくても、目が合うと呪われる音楽室のベートーベンだよ、カラーコピーのな」

「えぇ……」

「七不思議の一つ、こいつが成ると他の話も本当じゃって子供が騒ぎ出すから、成りかけそうだったら局に連絡きて、その度に回収してんだ」

「はぁ、その報告は俺の管轄じゃなかったから知らなかった」

「討伐っていうより回収だしな、通常対処完了の一つがこれだ、学校の駐車場を一つ借りられるから車はこのまま停めて用水路行くぞ」

「いってらっしゃい」

「お前も来るんだよ」


 車の後部座席に封筒を投げ、助手席に乗り込もうとする未島の襟を掴み、噂の有る学校近くの用水路までやってきた水上。

 隣で唇を尖らす男が持つ端末を覗き見、コンクリートの隙間から生えたヤナギモが揺れる陽光溶かした水中を覗き見、覗き込み過ぎて転げ落ちる所を未島の腕に支えられた。


 咄嗟に手を出した故に抑えた位置が悪く、未島の手が胸を握る形で触れたが、それに関しては別に気にしないのか眉の位置ひとつ変えやしない。

 それもとにかく面白く無い、引き戻しついでに即引っ込めた手をきまり悪げにぐぱと動かしながら、怪異の話を振り出す未島。


「危ないよ……オオヌシサマって言ってもたかが用水路の魚だろう?飼育放棄されたアメリカザリガニか金魚が放流されて、それが噂に成っただけじゃないか?」

「悪ぃ、橋の下は?」

「居ない見えない深く覗き込まない今度こそ落ちるぞ」

「……入るか」

「えっ」


 水色をしてはいるが、お世辞にも綺麗とは呼べない水路の水。飛び込むにしても絶妙に上がれなさそうな高さ、片方は柵、もう片方は明らかに人の土地。

 呆れが礼に来るような発言をした隣の女を見れば、用水路脇の柵に尻を置きパンツスーツの裾を捲り上げ、片方靴下を脱いでいる所だった。


「未島、ちょっと車走らせて百均で虫取り網買ってこいよ、私入って探してるから」

「君一人の時はどうでも良いが、今は俺が居るんだぞ、ここ通学路のマークがついた道だしにあるのは小学校だ、通報されて職務質問なんて受けたく無い」

「あ゛ぁ?NHK(日本秘匿理局)って言えば警官スルーしてくれるだろ、早く買ってこいって、それか長い棒探してこい」

「水上とセットで不審者扱いされるのが嫌だって言ってるんだよ靴脱ぐな裾捲るな今何月だと思ってるんだ」

建戌月けんじゅげつ

「待てってば!!」


 靴下を脱ぎ終わり、裸足で飛び込もうとする水上の腰に抱きつき静止する未島。

 他の女相手ならば色気慾気のままに抱き締め、口説き文句の一つでも投げてやるものだが、相手も相性も悪いため生憎必死に止めることしか出来ない。

 身体の柔らかさなど二の次だ、兎に角止めなければ通報待った無し、不審な動きをする者二人としてお縄をかけられるだろう。


「離せよ橋の下見るだけだ、そうそう長くは入らんし、今の状態の方が不審だろ離せって」

「水遊びなんてしてる人間いないだろ止めろバカもう二十分、いやきっと五分もしたら下校時間だぞ完全に不審者にな」


「おっちゃんとおばちゃん何してんの?」


 キンと響く子供の声。

 紫紺のランドセルを担いだ小学生が、浅い水路へ裸足で身投げせんとする大人水上と、それを引き止める為何事かを喚きながら腰と肩に腕をまわし押さえつける大人未島


 子供に対し害を加えている訳ではないが、ここは小学校の登下校道の半ば、完全な不審者である。

 走ってきたのか赤い頰、ずびびと鼻を啜り首を傾げる小学生、肩ベルトに下げられたシンプルな白い防犯ブザーがちゃらりと揺れた。



「ふーーん、テレビの取材する人なんだ」

「そう、それで全国の小学校の七不思議や、登下校する道の怖い話なんかを集めていてね」

「……NHK《言い訳》強えなぁ」


 日本秘匿理局が言い做す十八番、認知度が高すぎる、どこに居ても説得力が有りすぎる、ローマ字での略称はこのためか。

 否、最初に決めた人間がローマ字しか知らなかったからだ。

 仮の略称がそのまま根付いてしまった負の遺産、皆、思うことはあれど何も言わず、口頭説明の際に楽だしなという理由で放置している。直せ。


 子供と目線を合わせて真摯に、あくまで紳士的に話す未島。目は笑っているが口に焦りが出ている。

 自分達は決して不審者では無いのでどうか通報・ブザーを鳴らす・先生に言うのはやめてくれ演説を聞くのにも飽き、取材後の記事を出す場についてアドバイスを始める少年。


「でもさあー、今ならSNS《ネット》とかで聞いた方がいいじゃん、情報集まるの早えよ」

「お兄さん達はこの地域の取材担当だからね、現地に行って調べろと偉い人から指示が出ているんだ、面倒臭い、ネットで経由済むならその方が確かにいい」

「テレビで紹介されんの」

「それはお兄さん達には分からない、決めるのは偉い人なんだ、頑張ったのに褒められもせず発表の場も用意されないなんてよくある事さ」

「なんだそれー、テレビより動画投稿とかの方が絶対いいよ、みんな観るし、チャンネル名教えてよオレが皆んなに言ってあげるから」

「まだ許可を貰って開設出来ていないんだ、考えておくよ、それより、君に取材の一環として聞き込みをしても良いかな」

「やだ」


 唐突な拒否。思わず顔を見合わせる未島と水上、端的な嫌という言葉の真意を探る為、兎に角お巡りさんにお話を聞かれない為に、未島が言葉を続ける。


「どうして?」

「怪しい人とは話すなって先生に言われてっから」

「今までの会話はなんだったんだ」

「そっちのおばちゃんなら良いよ」

「え?私??」

「何回か放課後に見たことある、居なくなっちゃったけど前の用務員さんと友達だろ」

「とも……だち……まぁ、友達みたいなもんなのかな…………雑談はしてたし……」

「友達少ない奴が無理やりカウントしたみたいな理由だな」

「黙っとけ

「は?」

「おばちゃん達なに聞きたいの」

「オオヌシサマについて、出来ればこの目で見たいとは思ってる、少年は何か情報お持ちですか?」

「ん」


 真っ直ぐ突き出された子供の手、意図が読めず、不思議そうにまじまじと見つめる水上に、また、ん!と更に突き出される手。

 指の先までピンと張られ、今ならば顔を近づけずとも手相だって読めそうだ。


「なにその手」

「取材料金」

「しっかりしてんね」

「SNS《ネット》で、取材したのに金払わない酷い大人がいるって見た」

「取材協力として未成年に現金渡すと処理面倒だから、コンビニの餡饅か肉まんでもいいです?」

「肉まん」

「了解、未島ァ、私は餡饅」

「払わせる気か」

「さっきのラーメン代返したいんだろォ、そら、車の鍵」

「チッ」


 最短距離にあるコンビニでも歩いて行くには遠い距離、必然的に車で走る事に成る。

 投げ渡された車の鍵を難なくキャッチした未島は舌打ちをひとつ投げ、足早に小学校の駐車場へ向かって行った。


 苛立たしげに去って行く背を見送った少年が、柵に寄りかかったまま欠伸する水上の方へ向いて話を続けた。


「あのおじちゃん態度悪いね」

「拗ねてんだよ、少年に不審者扱いされたから」

「だって怪しい人じゃん、あ、オレの名前はね」

「ちょっと知ってる人ぐらいが一番怪しいと思いな、名前は言わなくていいよ、どっかに書く時は少年Aとかにするから」

「AじゃなくてXがいい」

「じゃあ少年Xにしとこうね、少年Xは、ここの水路でオオヌシサマ見たことありますか?」

「ない、けど見たって言ってた奴の話は聞いたことある」

「水路のどの辺に居たって?」

「この下」

「……橋の下か、やっぱ虫取り網でも買ってくるかな…………」


 橋というにはあまりに小さい、自転車ひとつ通せるぐらいの狭い橋。しゃがんで中を覗き込む水上の目には、靄も影も映らない。

 一緒に覗き込んだ少年Xは不思議そうな顔をし、本当に悪い人では無いのだろうと判断したのか、懐っこそうに水上の服の裾を引いた。


「取材する人なのにオオヌシサマ呼び出す呪文知らねえの?誰も教えてくんなかった?」

「呪文?まだ聞いたこと無いなァ」

「学校じゃ一年生でも知ってるよ」

「どんな呪文」

「口に出すなって言われてる」

「口に出すとどう成る?」

「夢の中でオオヌシサマに手ぇ喰われんだってさ」

「嫌な夢だなァ、じゃ、こちらの端末にその呪文を入力してくれませんか?今メモ画面にしてありますので、操作はスマホと同じです、御入力よろしくお願いします」

「いいよー」


 水上の手から少年の手に渡ったそばから物凄い速さで聞こえてくる入力音、カカコカコココカカコココカコ。小鳥の威嚇鳴きのような小さな音が響く。


『かむろがそろって水遊び 一人は釣りに 一人は石積み 最後の一人はすいれんに』


 入力し終わった文章に目を滑らせる水上、少年Xの手から端末を受け取り、二度、三度、文字列を目で追って眉根を寄せた。


「……ありがとう、読んでみてもよく分かんないな…………」

「これを橋の上で三回唱えると、オオヌシサマが出てくる、らしい!」

「出てくる、で確定させないとこ良いと思う、取材協力誠にありがとうございました、少年X」

「どういたしまして!」


 得意げに胸を張る少年X、下げられた防犯ブザーがその勢いで跳ね、カチャンと軽い音を立てた。

 一つ足音が近づいてきた、大と小、二つの頭が同じ方向へ視線を投げると、その視線に応えるように不貞腐れた未島がコンビニの袋(小)を掲げる。


「買ってきたよ、肉まんと餡饅」

「遅かったな」

「レジが混んでいたんだよ、オオヌシサマは出たのかい」

「今呪文教えてもらった」

「肉まんちょうだい、あちッ!」

「気をつけて食べてね親切な小学生、で、唱えれば出るのかな、早く終わらせて帰りたいんだが」

「口に出すとオオヌシサマに夢で手ェ喰われるらしい、あ、他の知らん大人に物もらっても食べちゃ駄目だからね、薬とか仕込まれてる可能性あんだから」

「はーい」

「それは俺が睡眠薬を仕込むような悪い大人だと言っているのか?」

「誑し込んだ相手によってはしてるかと」

「そうかそうか、不安にさせてすまないね、その餡饅寄越せ」

「嫌、呪文は書いてもらった、これ」

「へぇ……であれば、本体を見るのは後日にしようか、夢で逢えるならそれでよし、そして俺はもう帰りたい」

「次のなんか対処してから帰るつもりだが」

「そんなクソ真面目なのにどうして破損が多いのかな、不思議だ」

「相手にすんの実体持ちが多いだけだ」

「ふーっ、ふーっ、そういえばさ、おっちゃんとおばちゃん、オオヌシサマ見るの怖くないの」


 危うく火傷しかけた手を吹いて冷ます少年Xが、水上と未島に至極当然な事を聞く。

 噂は噂、しかし好きで怪異に手を喰われたい人間など相当な物好きでもなければ居ない。

 ただ、そんな事を言われても、二人はこれが仕事なので仕方がないのだが。


 餡饅に齧り付いた形で止まる水上の脇腹を未島の肘が容赦なく抉る、今度は水上の擦り減った踵が容赦無く未島の爪先を踏み躙る。


 ガキよりガキらしい小競り合いを始めた二人を前に、突然、肩を落とし悄気しょげ始めた少年。


 重そうなランドセルが肩からずり落ちそうに成り、慌てて未島の手が押さえた。

 餡饅を咥えたまま水上がその場にしゃがみ込み、少年の顔を覗き見るが、先程までの元気はどこへ行ったやら。

 ぷっくりした頬を強張らせ、まんまるな瞳で地面を見つめている。


「ほうひはひょうへんへっふふ」

「だって、上の学年の奴が、今年の夏休みに水難事故で死んじゃったのが居るって」

「どこで死んじゃったの?」

「海だって」

「じゃあ関係ないな」

「なんでそんなこと分かんだよ、オオヌシサマ呼び出すって言ってたし、夏休み前にはそいつがオオヌシサマ見たって言ってたってクラスの子も」

「オオヌシサマが出るのはここの用水路だろう、本当にオオヌシサマが原因なら、みすみす海にご馳走を流すなんてしないとお兄さんは思うよ、なぁ水上」

「まぁ、人を喰うって言ってるなら、家だろうこの水路で食べたいだろうしな、海での水難事故に関しては不幸な事故以外のなんでもない」


 肉まんの皮に少年の指が沈む、一部が破れ、白い湯気が空へと溶けた。信憑性なんて無い、噂とは関係無いという赤の他人からの言葉。

 名前も知らない、学校の裏でちょっと姿を見た事があるだけの大人。けれども、大人がハッキリと関係無いと言ってくれたのならば、本当に関係無いのでは。


 少年の手に力が籠る。


「じゃあさ、オオヌシサマ見ても死なないのかな」

「死なないんじゃないか?」

「死なないだろ、万が一死んだらそれはそれでスクープだけど、だから探してる」

「そっ、か……」

「あっ、喉詰まるよ、ゆっくり食べな」

「ゴミはこの袋の中に入れてね、後で捨てておこう」


 子供も大人も、信じたい言葉を信じるものだ。


 口を大きく開け肉まんにガッと齧り付いた少年は、唇の周りに肉汁が付くのも構わず、御世辞にも綺麗とは言えない食べ方で腹の中へと収めていく。

 喉に詰まらせやしないかと見守る二人の大人の前で、見事十秒かからず肉まんを消して見せた少年Xは、未島の持つ袋に外袋を突っ込んだ。


「じゃあ食ったしオレ帰る」

「気をつけて帰りなね少年X」

「キラキラネーム?最近のはさらに尖ってるんだねぇ」

「違ェよ、申告されたペンネーム、今のご時世匿名性は大事にしないと怒られるだろ」

「おじちゃんとおばちゃんも気をつけろよ!さよなら!!」


 そう言い残し、二人の間をすり抜け走り去る紫紺のランドセル。少年が一歩前へと飛ぶ度に、金具が外れているのか蓋が左右に揺れ開く。

 遠くへ駆けていく少年の家は何処なのか、本当の名前はなんなのか、きっとこれから先も知ることは無いだろう。


 スーツを着た不審者が二人、一歩も動かないまま少年を見送った。


「頼むからお兄さんって呼んでくれー」

「小学生から見たら大人なんて全員おじちゃんとおばちゃんだろ、さて、夜にまた来るか」

「俺は帰るからね」

「いいぞ一人で行くから、無理しないで今日は寝とけ」


 いい歳をした大人二人、意地の張り合いヘソの曲げ合い。

 お互い仕事の付き合い故に、気に入らなくともこれから渋々顔を突き合わせなければならない事は知っている。



 ので、その日の残業は雁首揃え、小学校の駐車場へ自分の車を並べたわけだ。

 星の齢に小学校近くの水路に現れた二人組。片方は昼と同じパンツスーツを着た女、もう片方は白いルームウェアを着て、下はジーンズを履いていた。


「午前二時、水面にそれらしき影は無し」

「結局自分の車出して来てやがんの」

「うるさいな、こっちは君の監督責任負わされてるんだよ、公共の水路破壊されたらたまったもんじゃない」

「一人で行くっつったのに……呪文唱えるぞ」

「離れるから待て」

「〈禿かむろがそろって水遊び 一人は釣りに 一人は石積み 最後の一人は水練すいれんに〉」

「待てって言っただろうが!」

「三回唱えなきゃ来ねーよ」


 遠目から見れば、非常識な時間に非常識な場所で遊ぶ若い男女。通報こそされないものの、好んで様子を伺いに来るような住民は居ないだろう。


「本当だろうな!?」

「知らね、〈禿がそろって水遊び 一人は釣りに 一人は石積み 最後の一人は水練に〉」


 あくまで噂、それでも噂、何事にも意味を持たせるのは人間である。星の並びに話を持たせ、自然の移ろいに心を動かしてきた。


「〈禿がそろって水遊び 一人は釣りに 一人は石積み 最後の一人は水練に〉」


 故に、恐ろしいモノを作り出す事だってある。橋の下から飛び出た影は、粘りのある水滴を跳ねさせながら空へと踊り出す。

 鱗が月華に光り、かぱりと開いた口が橋の上の水上へと向けられた。


 が、それも一瞬、容赦無く義手に叩き落とされ、地面へ縫い付けられる魚型の怪異。嫌々未島が容姿を確認しに近づいくる。


「おーおー、本当に食べに来た」

『ひいふうみいよおいつむうななやあここのつ』

「未島、何に見える?」

「……ウロコみたいに、人間の……爪?が生えてる、鯉、人語で数を数えている」

「んー、よく分からん、潰すぞ」


 怪異に理由を持たせてはならない、人が紡ぐ言の葉でそう成ってしまうから。

 怪異に意味を持たせてはならない、人の思いで変わり果ててしまうから。

 怪異を理解しようとしてはいけない、人を辞めなければならなく成るから。


「……怪異未満っていうか、ほぼ成りかけか」

「気持ちが悪いモノを見せられた……」

「爪はどんなだった?」

「全部子供の爪のようだった、俺や水上のものより小さい、場所や形態を変えてそれなりに"喰って"はきたんだろうね」

「呪文から分かった事は」

「適当にり合わせただけに見える、禿やら、水練なんて今じゃ殆ど口に出さない言葉を使って、昔からの力ある怪異に見せかけた、只の子供騙しっぽいね」

「出所はやっぱ、友達の友達の友達とかか?」

「学校の噂なんて大体がそんな始まりだろうさ、人間が作ったのであれ、それ以外が作ったのであれ、ね」


 水上の義手から黒い液体が滴り落ち、地面に落ちる前に靄と成って空気に溶け消えた。魚の形を保てなく成った怪異は、とお、じゅ、と、嗄れた声で鳴いて消えていく。

 消え切った事を確認した水上は義手を地面から離し、もう片方の手で軽く汚れを払う。

 見届けた未島は、端末へと入力事項を記入するのに忙しいのか、つつ闇の中光る画面から視線を上げない。


 徐にポケットの中に手を入れた水上が、赤いひらひらしたものを取り出し、微かな光源を溶かし揺れる水路へと投げ入れた。


「んーーー、じゃあ帰って寝るか、お疲れ」

「はぁ……対策課に帰りたい……は?なんだ今投げ入れたものは、学校の近くの用水路をゴミ箱代わりとは最低だなコンビ解消してくれ同じ人間だと思われたくない」

「明日の昼にでも回収する、あとゴミじゃ無い、見てみろ、水草の中に怪異の元」

「ああ、なるほど」


 睡魔が忍び寄ってきた顔をした未島は、水路の中を見、水草に絡みついた赤を目に入れて納得したのか、それ以上夜の内に二人の会話は無かった。

 



 朗ら朗ら、空が黒から青に変わり、雀と鴉が起き出す頃。

 ランドセルを背負った子供が学校へと登校する時間、その中には、ドラゴンの体操着袋を上に、紫紺のランドセルを背負った子も居る。


「マジでテレビの人居たのかよ」

「マジだって、オオヌシサマ探しに来てた」

「テレビかぁ、誰か実況者なら良かったのに」


 色とりどりのランドセル、ガッシャガッシャと中に何が入っているのか、大仰な音を立てて進む少年達。

 彼らの中の一人、昨日テレビの取材を受けたと胸を張る少年の目の端を赤いものが掠めた。


「あ!赤い影ある!!」

「バカ見にいくなよ!」

「ぜってぇ死なねーから平気!オレ無敵だから!!」


 根拠の無い自信を胸に抱き、勢いよく水路脇の柵へと飛びつく少年。胸に下げた白い防犯ブザーにまた一つ、ランドセルの金具に負けた傷がついた。


 水路内、水面から飛び出た水草に絡まる一枚の赤い布。


 スカーフかハンカチかの判別は少年には付かなかったが、幽霊の正体見たり枯れ尾花のとしては、まぁ上等な物だろう。

 共に登校していた他の子供もそばに寄って来て、柵の上に手を置いて観測する。

 オオヌシサマは魚でもザリガニでも怖い物でも無かったと、彼等の中で噂は終わりを告げた。


「……ただのゴミかぁ」

「なんだぁ……」

「呪いのオオヌシサマってこれじゃね?」

「かもな、じゃあ」


 笑い声が響く通学路、噂の水路に三人並んでいる事で何事かと少年達の背後から覗き込み、噂の赤い影が只の布切れだった事が判明していく。


「やっぱ全部嘘だったんだ、あの噂」


 誰が口に出したのか、誰が頷き肯定したのか、ある一つの小学校中を震撼させた噂の終わりはなんとも呆気ない物だった。

 怪異の正体を暴き恐れを取り除くのも、また、人の成せる技である。

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