第3話 下駄も仏も同じ木のきれ


 醤油、酢、辣油、胡椒、箸箱にティッシュ箱。ピッチャー入りの水。少しベタつく机に、陽の光に晒され色が褪せた椅子、安い作りのプラコップ。


 ラーメン屋。テーブル席に対面する形で座った未島と水上、特段寒くも暑くも無い店内。

 口角のみで笑顔を作る店員に、勝手に相手の分まで注文をする女の声。


「正気か?」

「味噌ラーメン二つ、餃子二つ、未島ライスは要るか?」

「正気か??」

「私の分だけでお願いします」


 問いかけに答える気はさらさら無いらしい。伝票に書き付ける店員に一人分ライスの追加を伝えた水上は、メニューを箸箱の後ろへと戻した。


「ご注文を繰り返します、味噌ラーメン二つ、餃子二つ、ライスお一つ、以上でお間違いないですか?」

「はい」

「少々お待ちください」


 寝不足だろうか、目の下にクマを付けた店員は簡単に注文内容を確認するとすぐに厨房へと向かう。

 油汚れで作られたシミが目立つエプロンを見送り、御手拭きを開け始める水上。薄いビニールの中から湯気が一瞬上がり直ぐ消えた。


 水を飲みながら怪訝そうに睨んでくる未島に対し、金属の指で机を叩いて質問を促して見せる。大変に行儀が悪い行いであるので皆様は真似をしない様に。


 それに目尻をヒクつかせ不快を示した未島だったが、対話をしない事には通じ合えないのが人間だ。

 腹の虫を自分の腿を抓ることで抑え、しかし押さえきれぬ声色で問いかける。


「車内で吐いていた人間にラーメン?」

「餃子とライスが無料でついてきて得だろ、今回は私が下手を打ったからな、私の奢りでいい」

「正気か????」

「人の奢りに文句か?」

「文句しかない店選びだろうが」

「何食べたいか言わなかったろ」

「だからって胃腸に負担がかかるような物を選ぶか普通」

「そんな負担かかるかァ?見た目より歳くってると大変だな」

「君と同い年だよ、もっと他にあるだろ、弱っている相手に食べさせるようなのが」

「そこまでぴぃぴぃ鳴けンなら回復したも同然だろうに、産まれたての雛鳥拾った覚えはねェな」

「君な」

「なんだよ」


「お待たせしましたー、餃子二つとライスです」


 一触即発ばっちばち。人間、美しい言語で対話は可能だが、平和的に通じ合えるとは限らない。ピリつく空気の中、先ほどと同じ店員がお盆を携え戻ってきた。

 無感情に二人の前へと頼まれた品物を置いていく店員、餃子二皿、ライスは水上側へ。


 一時停戦、黒手袋が調味料を取り、餃子の皿の窪みにお酢が注がれる。


「……酢胡椒?」

「……醤油にラー油」

「つくづく合わねーな、どうぞ」


 続けて先に箸を取り出していた未島側の皿へと醤油が注がれ、辣油は自分で調節しろとばかりに適当に入れ物が滑らされた。

 突然の気遣いに面食らい固まる未島、彼をよそに自分で箸を取り出し、胡椒を酢の中へと散らし始める水上。


 視線を無感情な女の顔、自分の前の皿、また顔、と、何度か見返し、首を傾げ、疎ましい相手ではたるが一応の、本当に一応の人として最低限の礼儀は大事なので。


「………………ありが」

「お待たせしましたー、味噌ラーメン二つです、ご注文は以上でお揃いですか?」


 丁度ラーメンが届いた。店員により慣れた手つきで置かれる味噌ラーメン、味噌スープに浮かぶモヤシの白とネギの緑が目に優しい。

 お察しの通り健康にはあまり優しく無いだろうが、それは承知の上。

 数秒前まで無表情だった女の顔には一般的な良客に値する程度の笑顔が貼り付けられており、その顔は店員へと向けられている。


 局内で浮き名を流す未島としては少々面白くない。雑に御手拭きの袋を開け、勝手に失敗した。


「はい」

「ごゆっくりどうぞー」


 確認を終え、店員が去った途端に愛想を無くす水上。視線を未島の方へと戻し、ついでに表情も無くし、割り箸を二つに分けながら話しかける。


「何か言おうとしたか?」

「何も」

「そう、いただきます」


 造り物の手と黒手袋に包まれた手が合わせられ、躊躇無く食べ始める水上、大蒜の臭いも気にせず腹へと入れていく。

 忙しなく動く箸使いにより次々と酢胡椒につけられて皿から無くなる餃子を見ていた未島だが、視線を自分の前の食べ物へと向け、ゆっくりと手をつけ始める。


「未島、お前どこまで見えるんだ」

「何が」

「色々、未島が浮名通りあっちこっち手を出して交際してた女の子に、"混ざり者"は居ないだろ」

「人を勝手に差別主義者にしないで欲しいね、俺は出身国や血縁で他人を決めつけるような人間じゃあない」

「そうじゃないのは分かってんだろ、人ではない者を宿す"巣喰い《寄生怪異》"、わざと局に飼われてる"備品共存怪異"、それと」


 のたりと箸を動かし、一口分麺を啜った未島、強烈な味噌の味に少々顔を顰めた。が、一口飲み込んだのが呼水と成ったのか、己の腹が空である事に身体が気付いたらしい、箸を動かす速度が上がる。

 最後の餃子を持ち上げて酢に入れる水上、柔らかい皮へ胡椒が纏わりついた。口が破れ、包まれていた餡が酢の中へと溶け出す。


「人では無い者と、人の間に産まれた"逢魔の混ざり者"、その三つはどんなに見目が良くても手を付けない」


 肉の油が幾つも酢の表面に円を浮かばせ、崩れた具材が箸の先を避けて沈む。

 視線を食べ物から逸らさない女を見つめる未島、手に持つ箸から摘まれたモヤシと麺がスープの中へ逃げ、二滴ほど机の上に茶色の雫が飛ぶ。


 不意に水上の視線が箸の先から目の前に座る男へと向けられ、一瞬目が合った後、未島の視線が女の目から湯気を上げる料理達へと落とされた。

 筋張った手がティッシュを手に取り、簡単に口元を拭いて机へと置いた。


「未島、人間でない者と、人間の間に作られた子は、お前の目にはどう見えてるんだ?」

「…………食事時の話題選びとしては最悪かな」

「で?」

「人間として付き合う分には問題無い、が、どうも目が人間と違うから、間近では中々ね」

「判別は目でしているのか、どう違う?」

「身体にも色々生えている時も有るが、瞳に何かしら特徴がある者が多くてさ、長時間見ていると、失礼なことではあるんだけど、体調を崩してしまうんだよ」

「ふーん」

「水上から聞いたくせに興味なさげだな」

「実際そこまで興味ねぇからな、私には見えないし」


 まなじりを痙攣させたが優男の表情は崩さず、しかしこの女と瞳の焔は封じ込めることが叶わず、行儀作法は忘れたとばかりに箸の先を餃子に突き立てる未島。

 腹に風穴を開けられた餃子は萎み、醤油に漬けられ辣油をかけられ、素材の味も風味もへったくれもない状態にされ口の中へと放り込まれた。


 目の端でそれを見ながら、ラーメンのモヤシをパキパキと口の中で折っていく水上。もう一度目が合い、どちらともなく逸らす。


「……どこまで見えるかと言われると、人には見えてはいけないモノは大体見えるさ、画面越しでも、写真でもね」

「見事に対策課向きの才能だな」

「だろう?だから外回りなんて向いてないんだ、次からトランシーバーか何かで報告してくれ、そうしたら、車の中で端末に必要事項を入力していくからさ」

「却下、私には黒いモヤにしか見えないっつってんだろ」

「カメラも持てばいい、現場凸実況してくれよ」

「片手塞がるから絶対にイヤだ」

「どうせ片手しか使えないだろ」


 水上の箸が麺を千切った、ぼちゃぼちゃと短く成った麺がスープの中へ落ち、机の上に冷めた雫を飛ばす。同じ温度まで冷めた瞳がそれを見送り、ティッシュを一枚取り出して飛ばしたスープを拭き取る義手。

 無言で次の一口を喰む姿を観察した未島は、麺をほぐしながら御座おざなりに話しかけた。


「俺からも質問いいか」

「ン」

「水上の左腕、義手だろう?」

「ん゛」

「どういう原理で怪異を消し飛ばしてるんだ」

「ん〜〜〜〜〜」

「飲み込んでからでいい」


 頬を膨らませ咀嚼を続ける水上。義手を口元に当て話せない事を示し、顰め面でしばらくモグモグと口を動かした後、結露がついたコップで水を飲んだ。

 義手の掌、間接部位に水滴が入り込み見えなく成ったが、繊細な動きは可能な割に義手らしく触覚が鈍いか無いらしい事がわかる。


 器官の方へラーメンが遊びに行ったのか、激しく咳き込む水上。未島が差し出したハンカチを箸を持つ手で止めて断り、呼吸を整え。


「わかんない」

「は?」

「作ったのは非正規備品管理部の化藤ばけふじだから原理はわからん、ただ、義手自体にお清めの力とかは無い、消し飛ばせるだけだ」

「じゃあ本気でゴリラパンチの勢いだけで怪異を倒してるっていうのか」

「ンなわけないのは分かってんだろ、私、産まれつき左腕が無いんだよ、戦えんのもこの義手のおかげ」

「そう……」


 指を滑らかに動かし、固い駆動音が小さく響く。指に彫られた鱗模様が電灯の光を受け凹凸を見せ、狭い範囲であるが意匠を凝らすぐらいには懐に余裕があるらしい。

 スーツの袖に隠れ全貌を表してはいないため、水上の左手から腕に至る、どこから何処までが義手なのか。


 透過の能力なぞ持ってはいない未島にはとんと見当がつかず、また、義手の話は特段彼の興味を惹くようなことでも無かった。


「他の課にも結構居るだろ?産まれつき両脚不自由だったり、どっか無かったり、目が見えなかったりする人間」

「確かに、多い気はするね」

「だろ?理局に居る人間は、何かしら見えたり、祓えたり、倒せたりする奴しか居ない筈だ、身体の欠損も人間では無いモノが関係している事が多い」


 聞いておいて興味を失うのはお互い様。話している相手の顔を見るのも飽きたのか、二人同時に手元の器へと視線を落とす。


 最後のひと啜り後、丼の中の油を箸で集合させながら好き勝手に雑談を続ける水上。

 丁寧な適当さを含む相槌を打ちながらラーメンと餃子をのんびり食べ進める未島。


「前世かその前か、人によるけど何かしらの執着から逃れるために失くした奴が殆どだろうよ」

「へぇ、執着から」

「私の左腕は……前々前世?に、川の神に嫁入りした男が、左手の婚姻の印ごと引き千切ったから無いそうだとよ」

「……信じ難いな」

「妖怪も幽霊も神も仏も居る世界でなに言ってんだ、事務課のすめらぎちゃんは土地神に好かれて監禁されてて、逃げるために拘束具がついた両脚を切った娘が前世だろ?」

「待て」

「鈸徐組の日向ひなたさんは確か、池の主?に婿に来いって言われて、断ったら視力取られた武士の産まれ変わりで」

「ちょ」

「対策課から経理に異動した浜山はやまさんは……あの人は海で釣ったのに釣竿ごと右手喰われたから別か…………」

「待ってくれって!」

「他の客に迷惑だから大声出すな、あと食え、ラーメン伸びるぞ」


 問わず語り《聞き流せる》をお望みでは?小首を傾げて見せる水上の顔には愛嬌のカケラも無い。

 頑是がんぜない子供を諌める為の口調に似ているが、声色も態度も冷め切ったものだ。


 蔑する相手。とまでは言わないが、少なくとも好ましいとは思えぬ相手に諌められ、神経を逆撫でられた様を顔に出した未島。

 だが、麺が放置すればするだけ増えることは事実であるので早く食べろという指示にだけは素直に従った。


「まぁ、魂についた川の神の執着がいい感じに義手にジワってなって、なにお気に入りに手ぇ出しとんねん……みたいにこう、怪異を攻撃できるらしい」

「つまり」

「私専用武器ってこと、他人には扱えない」

「使えない……」


 青菜に塩でもかけたような肩の落とし方。怪異と顔を突き合わせる事に成るので、多少なりとも自衛の為に何かをと考えていた未島の思惑は掻き消えた。

 少なくとも、女の腕を取り上げ一人逃げる手は使えないと判断した次第である。肘をつき手の甲に額をつき、とにかく項垂れる。


「露骨にガッカリしてやがる……魂に執着が向いているせいか、それなりに瘴気には耐えられるしその辺の成りカケにはまず負けねぇよ」

「瘴気か……報告書には載っていたが、実際体験するとなんとも空気が悪いし寒いし重苦しかったな、二度と行きたくない」

「社割に載ってる桃の香りのヘアオイルおすすめだぞ、割と気分良くなる人多いらしいし」

「男が桃の香りは無いだろ」

「多少の耐性効果が見込めれば髪につけるのなんてなんでも良いだろうに、我儘だな、ごちそうさまでした」

「あっ」

「先に車行く、時間はまだあるから食べんの急がなくて良いぞ、車で寝てる」


 徐に席を立ち、伝票を掠め取って行く水上。まだ三分の一ほど残っているラーメンを前にして追うことも出来ない未島。

 急ぎ温く成った麺を啜り上げるが、全て腹の中に収めた頃にはとっくに清算は終わったのか、女の影も形も店内には無かった。


 車へ向かえば運転席を倒し、局から配布されている端末で何か読んでいるのか、瞳と指だけが動いている水上。


 運転席側の扉が開き未島が乗り込むと、一寸、水上の視線が端末から離れ、また元に戻る。

 上着の内ポケットから財布を取り出した未島は一枚札を取り出し、水上の腹の上に置こうとして義手に阻まれた。


「払う」

「要らん」

「水上に借りを作りたく無い」

「じゃ後でなんか買ってくれ」

「金額差」

「知らん」


 しばらく攻防を繰り返したのち、未島の方が先に諦め札を財布にしまった。

 受け取る気が無い相手に押し付けたところで暖簾に腕押し豆腐に鎹(かすがい)、無駄な体力を使うだけという事を知っている動きであった。


 財布を懐に入れ、掌を上に向け、水上の方へと突き出す未島。言葉に成らない催促をした。

 今度はなんだと女の瞳が視線を揺らし聞くが、分かっているだろと右肩をすくめることで返す男の腕。


「水上」

「なに、レシートなら捨てたぞ」

「端末返せよ、俺が記録係だろ」

「地図ぐらい確認させろ、あ、そうだメール来ててよ、鈸徐組のベテランがさっきのとこ終わらせたらしいぜ」


 黒手袋が持つ端末に表示された長文。眼前に突きつけられたそれを、未島は、驚きながらも少し顔を離して読んだ。



【日本秘匿理局員が認識した事により、能力の向上が見られた、人により神が変容した怪異で有り、人間の恐怖を糧に成長すると推察する。

監視対象に移行、芯体を見つけ次第対処方法を模索、可能であれば討伐を優先。

            判定:別型(一柱)】

 


 人を人とも思わないような創作宗教でっちあげではあったが、崇めていた神は本当に神様だったモノらしい。

 自分達が逃げ帰るしか出来なかったモノ相手に、こうも早く対処が済んだのか、少々複雑そうに歯噛みをしている未島の前から端末が消える。


「早いな、そんな簡単に済むものなのか」

「経験値と装備、対処方法の違いだな、私等は消失、鈸徐は浄化、次は小学校近くの川行くぞ」

「用水路を泳ぐ赤いオオヌシサマを見ると呪われて、近いうちに水難で死ぬ……よく考えつくねこんなくだらない噂」

「そうだな」


 水上の手から勝手に端末を取り上げ、次の対処怪異の情報を読み始める未島。

 よくある話だ。地域毎に特色が出る学校の怖い話、人が集まれば噂も集まり、嗾け仕向け焚き付ければ、時にそれは誠と成る。


 一通り目を流し、読んだり恐れ入るのにも飽きたのか、端末から外の景色へ目を投げる未島を横目に入れつつ、エンジンをかける水上。

 ハンドルを握る義手に憑いている彼女の神も、昔は川の氾濫を抑え人を守る神だったらしい。


「案外、怖いモノって全部人間が作ってんのかもなァ」



【鈸徐組望月率いる神鷹組が対処、元が逃走、完璧には祓いきれず。警戒されたし。

怪異未満討伐組仮所属、未島の意識を"この"怪異から逸らすことを推奨する。以上 】



 彼女の脳裏を掠めた文面を、傷だらけのパンプスが踏むアクセルの音が撫で消した。

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