第2話犬も朋輩鷹も朋輩


「そこ右」

「次からあと2秒早く言え」

「悪いね、あくせく動く外回りには慣れていないもので、それに正確なナビなら昨今便利に成りすぎたスマホで自分で出せば良い」

「一人なら自由に動けんのに……」

「道を間違えたついでにそこのコンビニ寄ってくれ、コーヒーが飲みたい」

「ヤケになってやがんな、いいよ、私アイス買お」


 混んでいるとも空いているとも言えぬ道、地方都市にしては小さく、ド田舎と呼ぶには店と住宅街が続く。どうにも中途半端な町だ。

 ウィンカーを曲がる直前で出す車に眉根を寄せ、適当なコンビニへ車を入れる水上。駐車、車外へ、一時解散。車内にて集合。



 虚無を見ながらペットボトルの温かい珈琲を口へ運んでいた未島だが、無言に耐え切れなかったのか只の暇つぶしか、不意に無意味な雑談を始めた。


「……水上、君、いつから討伐課に勤務してるんだ」

「は?身辺調査かよお盛んだな、悪いが相手するつもりはねぇ、女漁りなら他所当たれ」

「はははは、これでも新しい部署で和やかな人間関係を構築しようとしているんだ、全くといって興味は無いけどさ」

「興味ねぇなら聞かないで良いだろ……ハズレか…………」


 会話のデッドボール。棒付きアイスを食べ終わった水上が、袋にゴミを入れて小さく丸めドリンクホルダーへ突っ込む。袋の外側につく水滴が落ち、黒を濃くした。

 投げやりに動く黒手袋を横目に、助手席を倒し、腹の上にペットボトルを置いて暖を取り始める未島。長い脚を窮屈そうに曲げ、スマホを弄り始める。


「はぁー……どうせなら若くて清楚で可愛いくて純情な子とバディを組みたかった…………」

「今のご時世じゃ信じられないぐらい炎上しそうな台詞だな」

「誰にだって自分の好き嫌いを口に出す権利はある筈だ、一夫多妻系異性愛者への差別も止めて欲しいモノだね」

「囲う財力も無いのになに戯けたこと言ってんだか、浮気は男の甲斐性は稼ぎを表す言葉であって、浮気を正当化する言い訳じゃねェぞ」

「俺が囲うんでなく、複数人が俺を囲っているんだ、要は御触り自由のパートナーさ、彼女全員がそれを承諾したと思っていたんだけど、おかしいなぁ」


 鼻で嗤い返しエンジンを掛けた水上は、助手席の了承無く車を発進させた。車体が大きく揺れ、未島が不快そうにシートを起こす。


「パートナー?だかなんだか知らんが、囲……われてた相手は八人も居たんだろ、今はどうしたよ」

「岩鬼局長のお孫さんに手を出したと噂が出た時点で全員と連絡が取れなくなった」

「さすが、船から逃げる鼠の速さだなァ」

「そうそう、俺に残されたのはこの美貌と頭脳と現場職への片道切符だけさ、帰っていいかな?」

「良いわけねぇだろ」

「見た目に似合わず真面目だね水上」

「お前は見た目通りのちゃらんぽらんだがな」


 十分ちょっとで辿り着いたのは、空き家に成って長いだろう古びた家。玄関の横につけられた磨り硝子の古都に、一本流星のようなひびが入っていた。

 空き家前の草地、辛うじて車一台分の砂利が引かれた土地へ、二人の乗った車が少し斜めに停められる。


 心底嫌そうな声でのたのたと支度をする未島、シートベルトを外し、革靴の紐を結んでみせる。

 そんなの知らんとばかりに車から降りた水上は、開けたドアに寄りかかりながら空き家の窓を見つめていた。


「……あ゛ー、いやだ、現場に行きたくない…………」

「……空き家内の不審な影への対処、さっさと終わらすぞ」

「見た人間の気のせいで済むやつじゃないか、影への対処って、何をしろって?」

「殴る」

「車内で待っていてもいいかな?」

「現場記録係が来なくてどうすんだよ」


 素気無く閉められた運転席のドア。顔に当たる色気ない風に口の端を引き攣らせた未島は渋々助手席のドアを開け、枯れ草と緑草が混ざる地面を踏んだ。

 


 数歩進んで玄関前。立て付けが悪いのか年季により歪んだのか、古びた引き戸に手をかけ首を傾げる水上の右斜後ろに立ち、割れた窓から見えない中を覗き見ようとする。


「対処と言ったって、数珠とか、札とか、塩すら使わずに何をするって言うんだ、それとも呪文でも唱えて祓うと?」

「だから殴るっつってんだろ、どうもー、NHK(日本秘匿理局)でーす」

「その声かけでいいのか……?」

「嘘は言ってない、あ、い、たッ!」


 勢いよくスライドされる扉、木のささくれが左手に嵌められた黒手袋を強めに引っ掻いたが、気にする事なく玄関内へと踏み入る水上。

 湿気と乾燥を繰り返し折れ割れた床板の間、上二つ下一つの黒々とした目玉がついた、両手が鎌の形をした小さな怪異が、開いた玄関をまっすぐに見つめていた。


「お、居た」

「ヒぎッ!?」

「なに悲鳴あげてんだよ、逃げたじゃねぇか」

「ほ、本当に居るのか」

「怪異対策課に居たのに今更何言ってんだ、入るぞ」

「無理」

「は?」


 崩れかけた家の奥へ素早く逃げていく異形。音も無く、滑るように暗がりへと、その手の鎌が反射する光ごと溶け消えた。

 拒否の言葉に対し振り向いた水上は青い顔をしてその場にしゃがみ込む未島を睨み……自分の上着の裾に縋り付く手を外して、再度家の中へと視線を向ける。


「怪異"未満"って言ってたじゃぁないか、明らかに動物でも人間でもないモノが居るなんて聞いてないぞ」

「そりゃ怪異に成りかけの奴だからな、この世のモンじゃないのも居るさ蒟蒻野郎、飽きるほど上がってる報告書で見慣れてんだろ」

「だからって一頭身の三つ目は無いだろう!?」

「……未島、お前今の一瞬で、そこまでハッキリ見えたのか?」

「逆に君には見えてないのか?あの気持ち悪いの」

「黒いモヤにしか見えん」

「本当に怪異を討伐する討伐組の人間なのか」

「なんにせよ、お前と組まされた理由はなんとなく理解できた、入るぞ」


 埃と塵と砂と木片、長い時間人が入っていない事を示すように、水上の靴跡が踏んだ場所に残る。

 天井は所々剥がれ落ち、雨漏りどころか雨通しと成るだろう屋根の穴から、今は日の光が差し込んで舞う埃を照らしていた。


 袖で口元を隠し家の中へ進む彼女を見つめる未島は、踏み石が割れた玄関前に座り込んだままヒラリと手を振った。


「俺は外で待っているよ、お気を付けて」


 戻る。襟首を掴む。引き摺る。


「入るぞ」

「あ゛あ゛あ゛あ゛!」



 

 不服そうな面持ちで前を歩く水上と、水上の上着の裾をしっかり掴んでついていく未島。両人とも眉間に皺を寄せ、歩幅を狭めて奥へと向かう。


 腐り割れた板の間、明らかに人の手で破られた障子、湿気り剥がれた壁紙、埃の積もった吊り電灯。

 積み重ねられ褪せた新聞紙、期限の切れた消火器が転がり、通販の水が詰められていたであろう段ボールが畳まれる事のないまま放置されている。


「嘘だろう対策課の人間をこんな所に放り込むなんて本当に何を考えているんだ人事部に異議申し立てをしてやる」

「元対策課だろ、端末にたぶんテンプレート来てるから情報入れてけェ、どこいったかな……」

「ふざけるなよ俺は非戦闘要員」


ばギョッ!


「い゛ッぃっ!!?」

「おお、すごいなお前、成程これは良い餌役だ」

「エサ……やく……………」


 素っ頓狂な声を上げて跳ねた未島が足元へと視線を向けると、品の良い革靴で今正に踏み潰したのは安い作りのウォーターボトルという事に気づく。

 日に晒され、乾き、淡く薄く成り果てたそれは硝子のように割れ砕け、彼の靴底と床へ真新しい傷をつけた。


「反応良し、声良し、認識良し、女誑しで人の怨みを買いやすい、最初に襲われる色惚けとして役満だな、最高」

「どういう意味で言っているんだ」

「そのまんまの意味で言ってん、だッ!」


 不意に腰を落とし、床を走り抜けようとした三つ目の怪異を左手で捕まえた水上。手の先にある鎌が黒手袋を掻き裂き、中から鈍く光る鉛色が覗いた。

 指を切り落とそうと蠢く怪異を未島の眼前に突きつけ、切られた黒手袋が剥がれていく。


「そォら捕まえた、ちゃんと記録しとけよ」

「えっ、嫌だアふぁっざけんな!?!?」

「私には黒いモヤにしか見えんから、触れられてもどう記録して良いか分からなくてな、よーく見て詳細を端末に入れてくれ」

「エッ、手ッ、なんッ」

「他所の部署の奴に書面以外で説明するのは初めてだったか、私の左手は怪異に触れられる、この世のモノでなくても同様にな」


 怪異の鎌の手が鈍い音を立てながら攻撃を続ける。手首まで切られ、中指と人差し指に残る手袋の布以外が細切れと成り、床へと揺れ落ちる。

 中から現れた義手の指は重たく輝き、怪異の喉元を押さえる人差し指の第一関節から第二関節の間に、三角が散りばめられた鱗の文様があしらわれていた。


「義手だよ、特注品(オーダーメイド)の、それにお前は今日から組む相手だ、早めに慣れてくれ」

「明らかに無理なんだが」

「慣らしてやるよ仕方ないなァ、近くで見てみろ、まあ私には細かいところは見えないんだけど」

「どワッぃやだ気持ち悪い黒目しかない三つ目が気持ち悪い寄せるな止めろ寄せてくるな虫見せてくる小学生みたいな顔するな!!!!!」


 小学校の教室内で繰り広げられる逃走劇を、大の大人がやるのは大変見苦しい。

 たとえ相手を好いていても好いてなくても、生理的嫌悪を催すモノを持ち、追いかけるのは仲良く成るには悪手だ。みんなは止めようね。


 暫くドタバタと崩れ落ちそうな床を踏み荒らした後、水上の義手の中でくったりし始めた怪異と、床に崩れ落ちぐったりした未島。


「もう嫌だ……」

「で、元対策課の人間の見解は?」

「……、朽葉(くちは)型、人の噂から出来上がった奴だ、貰った資料を見るとこの廃屋の近くに小学校がある、おおかた子供用の古いぬいぐるみか人形を、肝試しだなんだとここに入り込んだ小学生がオバケに見立てたんだろう」

「ほぉ」


 日に当て義手で捕まえた怪異を見つめる水上の目には、異形としては映っておらず、ただの黒いモヤの塊だ。

 しかし、未島の目から見たその怪異は恐ろしくも愛嬌のある形相。鉛色の指が握れば苦しそうに呻き、抵抗のため義手に突き立てる鎌が刃毀はこぼれし始める。


 生かさず殺さず苦しめるその様子を見た未島は眉根を寄せ、彼女から目を逸らした。


「玄関の扉に閉める鍵は無く、柵なんかも壊れているから敷地内に入るのも容易い、あとは肝試しの途中に転けたり床を踏み抜いたりと怪我をしたのを、その三つ目で両腕に鋭い牙が付いた怪異のせいにした」

「へぇ、そんな見た目してんのかコイツ」

「成りかけた経由はこんな所だろう、どうでも良いから早く消すなり祓うなりしてくれ、頼むから、もう視界に入れたくない」

「はいよ」

「は」


 軽い返事と共に握り潰される怪異。断末魔と煙が上がり水上の手の中に残ったのは、日に焼け、色がされ、持ち主に置いて行かれたクマのぬいぐるみだった。


「元は子供用のクマのぬいぐるみだなァ、目と鼻に光沢のある素材が使用されているから、ここを眼だと認識されて怪異に成りかけたのか、ご丁寧に爪が描かれてら」

「え、今、握りつぶして」

「うーし終わり!コレ回収して次行こ」

「……今日はもう帰らないかい?」

「何バカなこと言ってんだ、行くぞ」


 まだ日は高く、割れ落ちた窓から薄日が入る。人が動く度に舞い上がる塵が、水上の手に持たれた淋しげな顔をしているクマのぬいぐるみの手に触れる。

 とっくの昔に身捨てられた地で最後まで動いていた者に対し、家が別れを惜しむ様だった。




 所移り、次はまだ比較的新しい外観の空き家。

 洒落たポストには新聞や封筒に混じり、赤いインクで書かれた憎悪満載の脅迫状や、折れ曲がり風化した訴状が捻じ込まれている。


 電気はもう通っていないのだろう、"嘘吐き"と赤文字で殴り書きされた横に付いているインターホンを押し、鳴らないことを確認してから扉を叩く黒手袋。


「こんにちはー、NHK(日本秘匿理局)でーす」

「その声かけ止めないか……?」

「これが一番怪しまれないんだよ、お邪魔しまーす」


 躊躇無く開かれる玄関。鍵はかけられていないのか、それとも招く為に開かれていたのか。

 少なくとも理局から預かっていたのであろう鍵を茶封筒から出しかけた、筋張った手が困惑したので後者の可能性が大きい。怪異とは理不尽なモノである。


「渡された資料によると、元創作宗教の教祖様が住んでいた建物……ただの民家に見えるが」

「さーて、次はなんの怪異かなー」

「ゥはヒェッっっっ!!!?」

「しがみ着いてくんな邪魔だ」


 外観を見直し、封筒を懐に仕舞い、革靴が土間へと踏み入れて一歩目。

 先に踏み入れていた水上の腰と肩付近に躊躇無く腕を絡ませ、鬱陶しそうに肩口へ絡ませた腕の方を外されかけたが抵抗を続ける。


「おおれだって好きでしがみ着いてるわけがないだろうが」

「何見えたんだよ」

「ヘビ」

「蛇?どこに、影もモヤも見えなかったし、崇めてたのは水神でも龍でも無いはずだろ?ここの」


 震える声で言い切った未島の顔へと水上は視線を投げかけ、彼の視線が真っ直ぐに家の中、自分達の五十センチほど前にある段差。

 土間と家の床との境界線、靴を脱いで上がる場所を見ていることに気づき、肩口の腕を外すのを止めた。


「床、廊下の」

「……なんもねぇじゃん、上がろうぜ」

「馬鹿バカばか踏むなやめろ影が」


 彼女の目には本当に自分と同じモノが見えていないのか、やっとそれを自覚したのか、焦ったように抱き締めていた腕のまま引き留めようとしたが女の足は止められない。

 畝り、揺れて、今にも獲物を捕らえようと動く蛇のような影の上に水上のパンプスが───置かれなかった。


「……あれ」

「引いたか?」

「ああ、まぁ、引いたというか……」


 嫌がるように逃げた?まだ白いままの壁紙、綺麗なままの床板、やけに長い玄関から続く廊下。下駄箱の上には埃で曇り割れた丸い手鏡が一つ、何も映さず放置されている。

 そして、それぞれにかかるように蠢いていた影は、彼女が進もうとした一歩分、家の中へと後退した。


「ん、即襲われるってわけじゃ無さそうだな」

「……正気か?」

「……未島、渡した除霊スプレー持ってるな?」

「使うのか」

「お前にな」


 自分の懐から取り出したアトマイザーを義手の手に渡した瞬間、蓋が取られ噴出口が向けられ、顔面に苦味のある液体が霧となって未島に襲いかかる。


「うわっぷ!?顔にかけるなよ!苦っ……」

「あと背後にいて私の髪掴んどけ」

「リード代わりに?」

「ちげぇよバカ、命綱代わり」


 驚いて水上の身体を離した腕が掴まれ、黒い尻尾の先へと誘導された。

 頰を引き攣らせ、突然の奇行に冗談で返した未島だったが、一切声を荒げず淡々と巫山戯た返答をした水上に身体をこわばらせる。影はまだ二人の前で蠢いている。


「俺は外に出たいな、今すぐ」

「待て、私の後ろから出るな」


 おどけも嘲笑も一切孕まない声。黒髪の先を掴んだ手が震え、男の喉仏が上下へゆっくりと動く。

 振り返れば出口はある、だが、振り返ってはいけないとは誰が言い出したか怪談でも怪異でも妖怪でも、黄泉比良坂の戻り道でも、全てに通じるだ。

 

 アトマイザーから霧を出し、自分達の頭部から軽くかける水上。慣れた手つきで空に成ったそれをポケットへ入れ、右手の手袋の嵌りを調整する。


「……何か、まだ見えてるのか?」

「蛇、みたいな影が、玄関マットより奥を50センチほど空けてだけど、蠢いてるよ」

「そうか……靴履いたまま上がるぞ」

「待って」

「イッテ」


 びん!効果音が出るほど強く引かれた黒尻尾ポニーテール、真っ直ぐ一度伸び、たわみ戻って後頭部を押さえながら困惑する水上。

 視線は前だが目尻が震え、背後の男にこの状況下で喧嘩を売られたのかと短考。だがこの状態で喧嘩をおっ始める気は無いだろうとの結論に至り、義手の拳を握る迄で収めた。


「は?お前、は??髪引っ張んのは無いだろ……」

「心の準備が出来るまで待て」

「何時間かけるつもりだよ行くぞほら」

「嫌だなんで後ろから出るななんて言ったんだ君そういう怖がらせるような事言うなよ虐めか?パワハラで報告するぞ??」

「勘だ」

「そんな適当な理由で????」

「私の勘はよく当たんだよ、後ろから出るな、そのまま髪の毛を両手で掴んでろ、それと端末は私が持つから見たものを報告してくれ」

「アッアッ動くな待てやだ早い出ちゃうだろ!!!!」

「うるっせ、あ、左手だけは絶対離すなよ」

「なんでそういうこという!!!?!!?」


 吠え合いながらも足だけは何とか進める二人。

 女の声には呆れが入り、男の声には駄々が入る、だが仕事は仕事なので二人とも諦めたようにやけに湿度の高い冷えた空気の中を歩んでいく。


 只の民家。されど民家。人間が住んでいたという痕跡が残る廊下の奥、人間といえど思考は違い、人間といえど新しい神を造ろうとするような人間だ。


 二名分の靴底が踏む床には明らかに四つ脚の動物では付けられない引っ掻いたような傷が幾本も残り。


 壁には何故か長く長く引かれた赤茶けた線が、膝下の辺りにだけうっすらと描かれて、途切れている。


 奥へ進めば進む程に、猟奇的なまでに静穏を取り繕った掃除と修繕の跡、跡、跡。

 貼り直したのか壁紙の白は、所々黄ばんでいたり、新しかったり、薄ら赤かったりと地金が出ている。


「アハハハヒ無理、怖いもう笑うしか無い」

「お前対策課の時どうやって仕事してきたんだよ」

「詳細が分からない怪異の写真を見て、見た目と周りの情報からおおよその噂元や、幽霊や妖怪の素性を割り出してたんだよッ……!怪異は怖いが建物も怖い……ッ!!」

「なーる、影は?」

「君が進むと後退している」

「背後は」

「ぜっっっっっっったいに振り向きたくない」


 まだ秋の始まり、なんなら残暑も居座る頃だろうに、家の中は雪の降り始めた頃のように足元から冷たい空気が立ち上る。

 踏み出すたびに影は引き、踏み締めるたびに床が鳴る。先頭を進む水上の手が壁を撫ぜ、一室扉が埋め込まれた痕を確認し、その隣の扉のドアノブへと手をかけた。


「度胸ねぇなァ、建物は新しい割に床がよく軋む……トイレか、中には」

「妊娠検査薬が未使用使用問わず死ぬ程落ちているふざけるなホラー映画じゃぁないんだぞ掃除しろ」

「それは私にも見えてる、他には」

「誰も居ないし何も居ないが閉めてくれ、寒い、トイレのドアを開けてから空気が明らかに悪くなった」


 億劫そうに扉を閉じ、また前を向く水上。口の端から漏れた息が白く濁る、吸った空気に粘りのある鉄臭さが混ざり表情を曇らせた。

 背後に付いた未島も空気の悪さに咳き込む、掴んでいる髪の毛の主から顔を逸らしたが、目を向けた先に一際強く付けられた壁の傷が有り、顔を顰めた。


 次の部屋の扉に手をかけ、開く。一層濃いカビと鉄と湿気の臭いに仰け反る二人、態とらしく整えられたダブルベットと、敷物だけが新品同様。

 周りを取り囲む棚には枯れた植物らしき鉢、教典らしき下品な色合いの本、威厳を保つ為だけに置かれているであろう埃を被った分厚い本に置物に装飾品類。


「寝室」

「趣味が悪い、早く出たい、以上」

「んー……めぼしいものは無し、か」


 敷物を踏めば優しい足触りが靴を労る、せせこましい日本の民家には不釣り合いな柄と厚さ。

 大きな窓は中から目張りされ、執拗にペンキのようなモノで塗り潰されていた、必要も無いのに飾りとして付けられた豪奢なカーテンは年季の入った埃とカビの含み方をしている。


 ベットサイドに置かれた机の上には細工を凝らした水差し、針が折れ中が血で汚れた注射器、蔦の紋様が描かれた香炉。

 そして、蔓か触手か判別はつかないが、何かが巻き付いている人間を模した、間近で見ても素材の判別がつかない像。


「この像はなんなんだ気色の悪い……」

「創作宗教の像っぽいな、端末の情報によるとこの像は…………販売物の記録に無い、非売品?」

「止めろ不用意に触るな馬鹿手を離せバカほんとばか!!!!!!!」

「おろ、割れた」

「あア゛ぁ……」


 義手に触れられ亀裂が入り、二つに分かれ砕けた像が綺麗に整えられたシーツの上に零れ落ちる。

 壊した像を元の場所へ戻し、関節の隙間に残った粉を反対の指で払う水上は、視線を上へと向けた。


 綿埃の積もったシャンデリア、狭苦しい家屋内には到底釣り合わない大きさ。

 華美な装飾を天井に広げるその後ろ、何故か人の居なく成った家にも関わらず色褪せぬ赤で描かれた髑髏の群棲。


「……未満とか言ってる場合じゃ無さそうだ、端末にある間取りを全部確認し終わったら外に出るぞ」

「早く行こう気分が悪くなってきた」

「窓が中から目張りされてる上に換気扇までご丁寧に塞がれてるしな、カーテンの下がカビてら」

「吐く」

「吐いて楽に成るなら良し、私にかけるなよ」


 歪んだ営みを見つめ続けてきたのであろう落ち窪んだ赤から目を逸らし、背後でグロッキーに成ってきた男を引き連れ部屋をあとにした。



 扉を開く、開く、引き剥がして開く。何処もかしこも体裁を整えようとしてはいるが、其処彼処に壊れた信仰と美意識と狂った志望。

 金持ちの意味を履き違えた成金趣味の部屋、部屋、部屋、悍ましい物を好むからとて強い人間では無し、美しい物を好むからとて出来た人間でも無し。

 どう取り繕おうとも、結局は神の威を借る人間。窮地で足掻く他人を喰い物にした者の生活痕散財跡が、狭く狭い箱庭の中にこびりついていた。


 一部屋開ける度に空気が重く成る、一部屋見る度に視神経に痛みが走る。

 最後の部屋の扉前、顔から表情を落とした水上と、今にも崩れ倒れそうな未島。彼の目に映る影は畝り唸り、扉の奥へと引いて入った。


「台所、風呂場、元子供部屋らしき部屋、客間……客間が一番奥ってぇのは珍しいな、開けるぞ」

「だから、何故そんな躊躇なく…………」


 開いた。引き開けた。


 昨今の家の作りでは珍しい畳のある部屋、低い机がひとつ、ひっくり返った座布団がいくつも、真正面に向いた床の間へと飾られる、四角く区切られた赤の色。


 迫る。


「未島」

「る゜」

「抱える、しがみつけ」


 扉を蹴り閉めた残心、水もたまらず、背後で咽喉から音を出した未島の身体を義手で抱え上げる水上。

 そのまま長い廊下を走り抜け、玄関を蹴り開け陽の当たる外へと躍り出ると、その勢いのまま車へと固まる未島を投げ入れた。


 目の端で家の扉が勝手に閉まるのを見つつ、運転席へと飛び乗り、シートベルトかけぬまま発進させる。命綱を付けないことへの警告音を無視し、一目散に家から遠ざかるため急回転する四つタイヤ。



 暫く車を走らせ、遠く遠くの店の駐車場、閉を示す看板をかけられた飲み屋。

 昼間から開いている場所では無いことを承知で車を停め、隣で凍り付いたように動かない男へ、水上が気まずそうに声をかけた。


「はぁーーーー……………あー、悪かった、次から逃げる時は目、閉じさせる」

「ゥ゛」

「袋」

「ォお゛えェ゛げ゛ッ…………!」


 運転席のドアポケットから取り出した黒い袋を開いて渡し、胃の中のモノを吐き出し始める未島を置いて、車を降りる。

 後部座席の扉を開け、足元から水が入ったペットボトルを一本取り出した。膝で車の扉を閉めながら、ポケットから端末を引き抜き、誰かへと文字で連絡をとり始める水上。


 車の反対側へと周り、助手席側の扉を開けて、浅く息を吐く未島の手へと水を押し付けた。


「これでいいか……口濯いで、息は…………大丈夫そうだな」

「ハァッ、ハァッ、ゲほッ!ハッ、ハァッ」


 一度だけ震える背中を義手で撫で、吐瀉物が入った袋を躊躇いなく奪い取り、しっかりと口を結ぶ。

 今度は助手席側の扉のポケットからもう一枚袋を取り出して入れ再度結び、後部座席へと投げた。


「扉は閉じてきたから安心しろ」

「はあっ……………」

「……話せるか?」


 問われ顎を上げた男の顔は、眼光鋭く、畏れに満ちていたが対処の意思は呑まれていないことが伺えた。震えていた手が義手を強く掴む。


「鈸徐組」

「もう呼んだ、なんでもいい、詳細が欲しい」

「怪異だが、ちがう、別、おそ、らく、何処かから持って来られた神だ……土地に合わず、同郷、の、だろう、人を喰わせたか、喰われたか、とにかく、混ざってしまって、それで」

「山?海?」

「山」

「蛇じゃない、蔓だ、はっきりは……ウ゜」


 瞳孔が揺れ、吐き気がぶり返したのか口に手を当てて背を丸める未島。

 離された義手でもう一度だけその背を撫ぜ、今聞いた仔細を何処かへと送信した水上は、端末をしまって扉を閉めようとした。が、震える手で上着の裾を掴まれ、首を傾ける。


「……もういい無理すんな、充分聞いた」

「…………地下がある、と、思う」

「なんでそう思った?」

「理由は、無い、勘だ、よ」


 口がかろうじてそう動き、裾が離される。未島の顔からは多少の落ち着きが見て取れたが、矢張り、顔色は悪い。

 助手席の扉が閉められ、水上が再び端末をポケットから出し操作する。


 誰かに電話をかけたのか、端末を耳に当てながら車の前を歩く水上の姿を未島は目で追った。

 口元の動きを見ても読唇術など知らない彼には分からない。しかし、普段はいけ好かない女の黒い瞳に、怪異相手か電話の向こうへかは判別つかないが多少の嫌悪が宿っている事だけは見てとれた。


 短い電話を終えた水上が運転席の扉を開け乗り込む、目から剣呑な光は消え失せ、慈悲とも憐憫とも取れない色が代わりに瞳の中に混ざっている。


「この件については鈸徐組に後を頼む、少し休もうか、昼飯はどこで食べたい?」

「……食べられると思うか?さっきまで吐いていた人間が」

「今ぜんぶ出したから胃にスペースはあんだろ」

「は、君ッ、ほんと」

「シートベルト付けろ、出すぞ」


 雑で下手くそな気遣い。ついさっきまで無様を晒した事に対して、未島の口が何か言い訳をする前にざっぱな命令で口を閉じさせる。

 急発進によりヘッドレストへと後頭部を強かにぶつけた男は、ハンドルを握る女へと"貴様の運転は不快だ"の意味で舌打ちを投げた。


「飯食いながら話そうぜ、和やかな人間関係でも築く努力しようや」

「……どの口が言うんだ……………」

「この口だよ」


 売った喧嘩を水上に"知ったことか"と鼻で嗤って返され、和平の申し出を投げつけられる男。

 一人は前を、一人は横を向いたまま。あとは誰も、なんにも話さず車は走って行った。

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