第2話 金曜日の夜と百合お姉さん
幾度妄想したかわからない。いつか自分の前に現れるだろう理想のお姉さん。年上の、きりっとしたお姉さん。私だけを愛して、甘やかしてくれるお姉さん。
一度、勇気を出して女性同士の出会いの掲示板をのぞいたことがある。マッチングアプリに登録する程の勇気はなかったから、様子見には丁度よかったのだ。ピンクピンクしいタイトルの下には見たことのない専門用語が並び、自分の容姿の特徴、性的嗜好、連絡先と共に書き連ねられていた。
ここに書き込めば、もしかしたら私も。
「京子(仮)です。24歳、中肉中背、ボーイッシュ寄り。黒髪で肩口までのセミロング。優しく甘やかしてくれるお姉さんとお話したいです。」
他の人達の書き込みを参考に、捨てアドを作って、メッセージと一緒に書き込んだ。こんな出会い厨のようなことをしたのは初めだったが、結果、2時間で4件もメールが来た。
「よかったらお話しませんか。」
心臓が跳ね上がった。掲示板なんて誰も見ていないと思ったのに。でも、これに返事をすれば、理想のお姉さんと出会えるかもしれない。言いようのない寂しさを埋めてくれる誰かに出会えるかもしれない──。
そう思ったのに。
結局、自分が取った選択は、掲示板の書き込みも捨てアドも削除することだった。
情けないことに、返事をする勇気が出なかった。掲示板の向こうの知らない世界に踏み出す勇気が、私にはなかった。そもそも、相手が本当にお姉さんなのか信用できない場所に捨てアドとは言え個人情報を晒すなんて、愚かにも程がある。明日からどんな顔をして子どもたちに「知らない人とは会ってはいけません」なんて言えばいいのだろう。教育者失格だ。
ファミレスに通うようになったのはそのすぐあとだった。なんとなくわかったのだ。結局、自分は理想のお姉さんに出会いたいと思っていても、実際に行動に移せる程、踏み込んだ生き方はできないのだと。
だから妄想するのだ。いつもこの席に座って。この世界に、この街に、きっと自分と同じように言いようのない寂しさを抱えるお姉さんがいて、そのお姉さんもきっと私のような寂しい人間を探してる。もしかしたら、あの窓際の席に座っているお姉さんがそうかもしれないし、喫煙席で煙草をふかしているあのお姉さんかもしれない。きっと目が合ったら、運命みたいにわかるんだ、ああこの人だって。
だから話しかけてよ。
私を見つけてよ。
そんな妄想を一人寂しく、1年続けた今日この日。
「一人の時間を邪魔してしまったかな。」
とうとう、やってきたのだ。理想のお姉さんに出会う日が。
「い、いえ。」
ありがとう、と笑うお姉さん。すらっと伸びた指が肩から鞄を下ろすと、そのまま斜め前の席に腰を下ろした。一つ一つの挙動が艷やかで、思わずまじまじと見つめてしまう。
相席としての配慮なのか、すぐに私とお姉さんの眼の前には店員によって透明なパーテーションが設置された。
「このトマトのパスタと、アイスティーを。」
年は20代後半位だろうか。落ち着いた声が、心地よい。
注文を終えるとお姉さんはすぐに文庫本を取り出して読み始めた。流れるような動作から離せないでいると、お姉さんと目が合った。
「気になる?」
「えっ」
突然の声掛けにひっくり返る自分の声。まずい、見過ぎた。
「やっぱり、突然相席なんて気まずかったかな」
「や、そんな、大丈夫です!」
願ってもないことです!とは、とてもじゃないが言えない。こういうシチュエーションだって履いて捨てるほど妄想してきた。そう、私は妄想してきたのだ。理想のお姉さんに声をかけられて、それで──ん?それで?しまった、声をかけられることは何度も想定してきたが、自分からは何を切り出していいかわからない。本のことを聞くか?何を読んでいるんですか?とか?いや待て、そもそも話しかけられたくないタイプだったらどうする。でも話しかけなければ何の進展もない。1年待ってやっと巡り合ったこの状況を逃すわけにはいかないのだ。でも──。
「あのさ、」
はっと見上げるとお姉さんがくすくすと笑いながら、こちらを見ていた。何か言っているが、とっさのことで、パーテーション越しではよく聞き取れない。そんなこちらの状況を理解してか、お姉さんはパーテーションを窓際にずらしながら話かけてきた。
「百面相だったよ、今。青い顔したり、赤い顔したり。」
にっと歯を見せながら、いたずらっぽく笑うお姉さん。綺麗な顔立ちからは想像できない、少年っぽさを含んだ笑顔。なんだこれ、心臓がうるさい。
「パーテーションなくてもいい?」
「は、はい。」
「ありがとう。これがあるとちょっと落ち着かなくてさ。」
そう言ってまた本に目を落とすお姉さん。まともに言葉を紡げない自分が情けない。こういう時にもっと気をきかせたことが言えればいいのに。お姉さんの長いまつげを眺めながら悔しい気持ちになる。スマホをつけて見ると、表示は丁度20:00を指していた。特に意味もなくメッセージアプリを開いても、来ているのは登録しているアパレルショップからの新作のお知らせと、宅配業者からの荷物配送のお知らせくらいだ。
意味もなくスマホをつけては消してを繰り返していると、
「お待たせしました、トマトパスタとアイスティーです。」
お姉さんの注文した料理が届く。チーズとバジルとトマトのコントラストが食欲をそそる、この店の看板メニューだ。
ありがとう、と一言をお姉さんはお礼を言うと、こちらに向き直ってアイスティーの入ったグラスを差し出してきた。
「アルコールじゃなくてあれなんだけど、折角の金曜日だし、付き合ってもらえないかな。」
「あっ、はい。喜んで。」
「ありがとう。じゃあ、今日も一日お疲れ様。」
乾杯。グラスとグラスがカチンと音を立てる。そのままアイスティーを一口飲んで、パスタを口に運ぶお姉さん。そして、
「いやあ、この瞬間のために労働しているんだよね、私は。」
さっきの少年のような笑顔を見せるお姉さん。どこかで聞いたことのあるようなフレーズに思わず私も笑ってしまう。
「わかります、私もです。」
楽しい金曜日の夜は、まだ始まったばかり。
ああ、そんな都合のいい百合お姉さんいたらいいのに 本八幡アネモネ @tyagei_fuko
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