最終話 カタツムリの我慢

 月曜日の事件以降、僕たちの周りは大騒ぎだった。


 先生たちが来てからも、ベーゼブルーは喚き散らして暴れ回った。その後警察が来て引き取られて、事情聴取されてと、なんやかんやあって夜遅くまで拘束された。


 左手に残ったあいつの涎を早く拭いたかったけど、重要な証拠の一つなので、再生するのも、洗うのも我慢した。


 音声や動画、そして僕の左手を証拠として提供した後は、夜も遅いということで家に帰された。


 僕が言い出した囮作戦を父も母も、つむりでさえも褒めてくれなかった。


 確かに僕だって、こんなことはしたくなかったけれど、絶好の機会だったから仕方がなかった。


 来年にはカリンさん、その次はマイさんが卒業してしまう。そうすれば、残されるのは同級生の僕とあいつだけだ。あいつは日替わりで僕たちを食べ、それこそ全学年のスラグを脅迫して1カ月分の献立表を完成させてしまう。そんなことは許せない。


 何より、あいつに怯えながら、2人との限られた中学生活を過ごすのが嫌だった。


 ……翌日も、その翌日も、僕の周りは大忙しだった。全国ニュースになってしまったし、人の口に戸は立てられない。実名は報道されなくても、ネット上には出てしまうだろう。フィクションみたいに上手くはいかない、理不尽な被害に遭った上で、理不尽な影響を受ける。だから僕もマイさんもカリンさんも、最初から覚悟の上で、学校を休んだ。騒ぎが鎮まるまでとは言えないので、とりあえず2週間。


 その間に、トリアス家の罪が次々と明らかになっていた。奴らは敷地内に牧場と呼ぶ監禁施設を有していて、そこには何十人ものスラグ人が収容されていた。先祖代々、違法な手段に手を染めて、周りを共犯者に巻き込んで、勢力を維持していたらしい。事は大物政治家1人だけの話に留まらずに、政党を、国を巻き込んだ大事件に発展し始めていた。


 メディアの矛先が、事件の発端の中学校から政治の話に移ったところで、僕たちは学校に登校することにした。


 送迎されるなんて初めての経験だ。目立つ事を警戒してか、運転手はダマスター人じゃないし、車も黒塗りじゃなかった。ドラマみたいないかにもな護衛は付かない。


「そろそろ良いんじゃない?」


 成人になって、僕よりも10センチは身長が高くなったマイさんが、もう我慢できないとでもいうかのように、僕たちに提案する。騒ぎが鎮まるのを首を長くして待っていたんだろう。実際に成人になった事で、彼女たちの首は長くなっていた。


「住所は割れていないようですし、車を使って街中で撒けば問題ないでしょう。土日は3人で成人式ですね」


 マイさんよりも5センチは高いカリンさんが、決定事項であるかのように告げる。


「透子さんに今日と明日はお泊まりですって連絡しなきゃ」


 マイさんがスマホを取り出して僕の母にメッセージを送る。


 僕は後部座席の真ん中で、両側を涎を垂らした彼女2人に挟まれた状態で送迎されていた。


 脱皮期間を含めて延べ3週間のお預けを喰らった彼女たちは、もう限界のようだ。後部座席は黄色いモヤが帯となって埋め尽くしている。僕が運転手だったら、前が見えなくて事故待ったなしの状況だ。ほんの僅かに見え隠れする桃色を見つけて僕は少しだけ安心した。


 猛獣の檻の中のような車内で、話題を変えようと僕は話を振る。


「脅迫されていた人たちはどうなったんでしょう?」


 僕は覚悟の上だったけれど、他の人たちはそうではない。僕たちの件で騒ぎになった事で、救われた反面、迷惑を被った子もいるはずだ。


「詳しい話は聞けなかったけど、まだ学校に来れていない人もいるみたい。写真や動画が出回らなくても、そういうことをされたっていうのが広まるだけでも嫌だって人もいるだろうね」


 そうだろう。強姦まがいのことをされた人。そういう目で周りに見られることになる。それに耐えられる人ばかりとは限らないし、僕だって学校に行くのが憂鬱だ。


 転校する人も、耐えられずに不登校になる人もいるかもしれない。


「ヌルミチさんが気にする必要はありません。あなたは過去、現在、そして未来の被害者を救った英雄です。被害者たちが恨むべきはトリアスで、そしてダマスターです」


 カリンさんが気落ちする僕をフォローしてくれる。少しだけ気が楽になった。


 だけど今回の事件で、ダマスターの風当たりは強くなっただろう。あいつのせいでマイさんたちが理不尽に非難されるのは納得が出来ない。何か出来ることがあればと、思わなくもない。


 でも僕がしゃしゃり出れば、マイさんたちとの関係が露呈して、余計な火種を生むことになる。


 この状況は、夏休み明けのあれと似ている。捕まった口牙さんを弁護出来なかった僕は、今度はマイさんたちが傷つくのを、ただ見ていることしか出来ない。そしてあの時とは違って、規模が何十倍にも大きくなっている。


 ただの中学生である僕にはこれ以上は何も出来ない。




 。。。。@ノ¨ 。。。。@ノ¨ 。。。。@ノ¨




 学校に行ってから腫れ物に触れるような視線を少しだけ感じたけれど、想像していたよりも雰囲気は悪くなかった。


 後から聞いて知ったことだけど、マイさんが何やら情報操作をしていたらしい。


 スズキやザトウといつのまにか連絡先を交換していたみたいで、僕のアフターケアはしっかりと実施されていた。クラスメイトは普通に心配してくれたし、何人かは僕を褒め称えた。マイさんのクラスメイトの手も借りたらしい。僕は悪の女王から学校を救った英雄扱いされた。これなら、被害者の人たちもそこまで悪い気にはならないかもしれない。流石は政治家の娘と言ったところなのだろうか。


 授業が終わってから、生徒指導室で軽い問答をして、僕は学校を後にする。ベーゼブルーに命令されて僕を呼び出した左巻さんの様子は気になるけれど、少しの間距離をとったほうがいいだろう。いつか顔を合わせて話せる機会が来ればいいなと思う。


 登校時と同じように、送迎されて家まで帰る。遠回りして信号を使って追っ手を巻く徹底ぶりだ。まるで芸能人にでもなったみたいだ。


 家についてから、車を待たせて僕は外泊の準備をする。ここのところずっと顔を青くしている父はまだ仕事から帰ってきていない。体重が3キロ落ちたと言っていたので、3段腹を治すいい機会だと思う。


「おにーちゃん、今日はお泊まりってほんと?」


 僕の部屋にノックもせずにつむりが突っ込んできた。相変わらずのお転婆ぶりにため息が出てしまう。少しはカリンさんを見習って欲しい。マイさんは……まあ今のところつむりはいいところだけしか見ていないから問題ないか。


「うん、久しぶりに泊まってくるよ」


「いつになったら私は叔母さんになるの?今夜?」


「僕もつむりも、まだ分化すらしていないんだ。気が早すぎるよ」


「マイちゃんもカリンちゃんも、待ちきれないって言ってたよ。いい加減に覚悟を決めて欲しいってさ」


 彼女2人はつむりと大変仲がよろしいようで。


 ……きっと小遣いでも貰って伝言係をしているんだろう。


「あの2人にいくら貰ったんだ。100円か?200円か?」


「野口3枚!」


 あの2人、小学生に何てことを仕掛けるんだ。教育に悪い。


「つむり、100円あげるから、あの2人に今夜はお預けだって伝えてきて、外で車に乗ってるから」


「了解です!ケチなおにーちゃん!」


 走り去って行くつむりを見送る。妹が金持ちのお嬢様の金銭感覚に毒されている。玄関から5メートルのお使いで3千円は出し過ぎだ。後で叱っておかないと。


 僕は荷物をまとめてつむりの後を追った。




 。。。。@ノ¨ 。。。。@ノ¨ 。。。。@ノ¨




「そういえば、結局マイさんはあの約束を破った上に、勝手に婚約をしてましたよね?あれって詐欺ですよね?契約違反というか」


「何の話?」


「忘れたんですか?マイさんが大人になる前に、僕を大人にするって言ってたあれですよ」


 僕がマイさんに恋すれば、分化するはずだから、マイさんが成人するまでに僕に恋をさせるとか、そんな感じの内容だった気がする。確か……。


『契約内容は、《《甲が成人になるまでの間、乙は甲に肉体の一部を与える。この関係性を恋人(仮)とする。ただし、甲が成人になるまでに乙が成人になった場合、契約の延長を行い、婚約する。期間は永年とする。これでいいよね?』


 こんなことを言っていたような……。まあ、所詮はただの口約束だけど。


「あれなら、破っていないし、もうとっくの昔に叶ってるよ?」


「え?」


「甲が誰で、乙が誰とか決めてないからね、誰でも、カリンちゃんでも適用されるよ」


「……いや、それじゃおかしいですよ。肉体の一部を与えるのは僕しか出来ないですよ?」


 僕は食べられるのは好きだけど、食べてないぞ!


「毎日のようにキスしてたじゃん、ちゅーちゅーしてたよね?」


 ……唾液のことを言っているのか?そんなのあり?


「わたしとカリンちゃんが成人した時点で婚約済みだよ、何を今更なことを言ってるの?」


「そうですよ、ベッドの上でいうセリフではありません。蠱惑的な誘いをかけて下さい」


 カリンさんも最近おかしくなってきたな。よだれダラダラだし。


 ——僕は今、マイさんの特大ベッドの上で2人にのしかかられている。


 もちろん、2人に食べられるのは気持ちが良いし、僕としても楽しみではあるけれど、3週間分を一度に支払わなければいけないというのは、少し気が重い。


 2人の熱量が高いということは、その分完食の危険度が増すということで、つまり僕は少し抑えめで我慢しなければいけないということだからだ。


 3人ともが夢中になってしまうと、僕があっさり死んでしまうので、いつのまにか暗黙の了解でそういうことになっていた。


 僕がどんなに今日を待ち望んでいたとしても、鉄の意志で我慢しなければならない。だから気が重かった。


「2人とも絶好調ですね、羨ましいです」


「ヌルくんは今日は我慢だよ」


「マイさんに言われなくても分かっていますよ、明日にとっておきます」


「……私、思ったんですが、ヌルミチさんが我慢しているって考えながら食べるのって、なんていうかとても、その……」


 カリンさんが頬を赤らめながら口籠る。いつのまにこんな人になってしまったんだろう。初めて会った時はとても真面目だったのに。


「分かる、我慢できないくらい、めちゃくちゃにしてあげようって思うよね」


 マイさんにそう言われたので、少し考えてみる。完食以外で、僕が一番興奮するだろうめちゃくちゃなシチュエーションを。





 ——まず、逃げられないように両足首を2人に食べられる。そこでカリンさんが言う。「足が無くなってしまいましたね、もうお外に出られないですよ」


 僕が腕を振って暴れるの見たマイさんは「乱暴なおてては食べちゃおうね」と言って、僕の両手首をあっさりと食べ尽くす。


 僕はもう逃げられない状態になって絶望しているのに、そこで彼女たちはどっちが多く食べたかで言い争いになるんだ。食べすぎたマイさんに対抗するように、今度はカリンさんが右足を食べ過ぎ、それを見たマイさんも競うように他の部位を食べる。それを繰り返す。


 気づけば僕は肩から先も、太ももから先も無くなってしまって、自分で寝返りもうてない状態になってしまう。


 その姿を見たマイさんがニヤニヤしながら言う。「頭は我慢するけど、ここは食べても良いよね?」彼女が2番目に好きな部位を指差す。「実は、私も……」カリンさんもそこが好きらしい。2人は顔を僕のそこに寄せて——。






「ヌルくん、これ、もしかして……」


 僕が妄想を膨らませるのに耽っていると、マイさんが間の抜けた表情をしながら、そこを指差した。


 ——ズボンの中に何かが発生していた。


 先ほどまで平べったかった僕の股間に、何かが発生して、今はとても窮屈そうに布を持ち上げていた。


 知識だけは、たくさんある。待ち遠しかったから、ひたすら調べた。


 同級生たちが小学校の時に分化を済ませて、次々と男と女にカテゴライズされていく中で、僕だけがそのどちらにも属さずに浮いていた。


 世の中の設備の大概が、男用と女用に分けられている。


 体育の授業の着替えの時、僕だけが特別な更衣室を使った。


 僕以外に誰も使っていないような、校内に1つだけあるトイレ。掃除を他人に任せるのを申し訳なく思っていた。


 修学旅行では、僕だけ部屋風呂で済ませたし、もちろん部屋も1人部屋だった。


 ——もう、あんな思いをしなくても良いんだ。


「おめでとう」


「おめでとうございます」


 2人が、僕の成人を祝ってくれる。大人になった喜びと、その瞬間を彼女たちに見られている恥ずかしさが混ざって、言葉では表現出来ない感情が込み上げてくる。


 いや、違う。混ざった感情を塗りつぶすように何か途方もなく強い感情が湧いてきた。そしてそれに比例するように、僕のそこが存在を主張する。


 そしてそれを見た2人の目が怪しく光る。僕は2人の様子に気がついてしまった。だから、期待してしまう。


 我慢しなければいけないのに、強い感情に支配されそうになってしまう。


 僕が己の欲望と戦うのに必死で、「ありがとう」も言えずにいる中で、マイさんとカリンさんの2人だけで、今後の予定を話し合っている。


「後で絶対喧嘩になるから、ここは一緒に食べた方が良いよね」


「それは構わないですが、2人で分けられるところと分けられないところがありますよね?」


「下は2つあるはずだから良いとして、上は……両側から同時でいいでしょ。それよりまずは記念写真だよ。ビフォーアフター撮って額に入れて保存しなきゃ」


「写真はいいとして、食べるタイミングについて提案があります。この日のためにずっと考えていました」


「聞かせて貰おうかな」


「男性になったのであれば、あれが出るようになったはずです。味が気になります。食べてしまいたい気持ちは強いですけど、先ずは食前酒を楽しむべきです」


「なるほど、百利あるね、採用しようか」


「ありがとうございます。ですが1つ問題がありまして……最初の一発目というのは、とても希少価値が高いらしいです。これを2人で分ける方法が思いつかなくてですね……」


「コップで受けて半分こすればいいじゃん」


「……それは思いつきませんでした。口で受け止めなければならないとばかり……」


「あーでも、サーバー直飲みにも初めてと2番目があるのか。ヌルくんの初めては譲りたくないし困ったね」


「食事の初めては全部まいに譲りますので……明日になるかいつになるか分かりませんが、あっちの本番は私が……」


「それは絶対に譲らないよっ!何ふざけたこと言ってるのさ!?」


「そうですよね……ヌルミチさんにアレが2本あれば平等に分けられるのですが」


「真ん中で2つに割ってから再生すればいけるんじゃない?ヌルくん出来る?ヌルくん?」


 マイさんとカリンさんのやりとりは全て聞いていた。聞いていたから、期待が、我慢が、もう、なんか、やばい。


「なんかきちゃいそうです」


 震える声でなんとかそれを伝えると、目に見えて2人が慌て出す。マイさんはカメラを取りに行き、カリンさんはコップを探しに台所に向かった。


 2人の喜ぶ顔が見たいから、僕は舌を噛んで必死に耐える。


 ——食べられたい僕と、食べたい彼女たち。


 お互いに我慢するからこそ成り立つ、この歪な関係を僕たちは選んで、ここまで続けてきた。


 これまではなんとか維持できていたけれど、3人ともが大人になってしまったことで、我慢が利かなくなってしまうこともあるかもしれない。


 3人が2人になるかもしれないし、1人ずつに別れるかもしれない。


 最悪は、僕が完食されるかもしれない。


 でも、きっと僕たちなら耐えられるだろう。3人一緒なら、きっと。


 そのためにも、先ずは、今。


 この欲を、耐え切って、みせ……




 了






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カタツムリの僕はマイマイカブリの君に恋をする スケキヨに輪投げ @meganesuki-

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