皮相

ゆう

第1話



ハ、と息を吐く。

心臓が痛い。針を何千本も刺されているかのような痛みはこれまで私を何度も痛めつけてきた。胸元を握り込む、皺が幾つも畝を作っているのが見える。苦しい、息ができない。

過呼吸を起こしパニックになる中、脳裏を駆け巡るのは一人で居たくないというエゴ

誰でもいいからそばにいて欲しいと強く思った。それと同時に友人も家族も恋人も傍にいて欲しくないと思う。誰にも弱みを見せたがらない、そんな人間が私なのだった。そんな人間性が巡り巡って、私をこうして苦しませている。


てをのばす。握り返す相手がいないと分かっていながらも手を伸ばすのを止められやしなかった。誰かに、気づいて救って欲しかった。



それは滑らかなものだった


私の閉じかけの瞼に触れ上下に見開かせるのはぬるい柔らかなもので、限界まで引き上げられ又は下げられ露出した目にぴったりくっついた眼球は何よりも黒き深淵を称えていた。

私はそれに驚くどころか酷く安堵した。そして広くなった視界に映る存在を見て(あぁそうか)と納得もした。苦痛と絶望に何よりも近く私と同年代である彼女は今この場に適任だ。

何故なら私は理解されたくも弱さを認められたいわけでもなく、踏み躙られ殺されたいわけでもなく、ただそばにいて欲しいだけなのだから。


もう片方のぬるい指先が胸の中心に触れ、ずぶずぶと沈んでゆく。服を皮膚をすり抜けて肉と肉の間をなぞるようにゆっくりと手は沈んでゆくのをただ呆然と見つめていた。

中身をかき混ぜられるような感覚がしたあとグッと心臓を掴まれた。

「ぁ」

連動して肺も委縮して声が出る。そこで不規則な動きをしていた気管支が慌てふためいて正常な動作を繰り返したのが分かった。

いつの間にか下げていた視線を正面へ戻す

以前触れ合ったままの彼女の眼球はしっとりと濡れていてケーキのスポンジが真っ黒に染ったような触感がする。と何故かわかってしまった。


ごぷ、と音がして鶯色のセーターに何かが滴り落ちる。目をやるとそれは私の胸から溢れていた。黒とも赤とも選別付かぬただただ黒いもの、液体のような個体のようなそれは彼女と私をひたと汚していく

私は動かず、息さえもしなかった。自然とそうしなくても生きていけると思ったのだ。

彼女は深淵の瞳をゆっくりと一度、二度と隠し潤した。

潤った深淵は語らっていた。声のない言葉を音のない文章を、私はそこから一言も漏らさぬ様に見続けた。その時の私は呆けた顔をしていたかも知れない

彼女の音のない言葉だけで生きていけると本気で思った。


私は喋らなかった。瞬きすらもできなかった。彼女はただ真っ黒な目を私に向け柔らかく滑らかな腕を私の胸中に入れたまま、しっとり微笑んでいた。

私の胸中からは粘度のあるものが絶えず溢れ、私と彼女の体温を奪っていく。

ごぷ、どろり、、くぷァ、ぐちゃ、

そんな音が響く中私はただ不快とは思わず成すがままになっていた。

ここは私と彼女しかいない空間だった

母の胎の中と同じであり、私もまた赤子のようにこの空間が酷く落ち着くのであった。





いつの間にか私の胸中の痛みは消えており、ただ安らかな凪いだ気持ちで床にふせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

皮相 ゆう @yuuuu__0000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ