世界に一つだけ、なんて

キトリ

世界に一つだけ、なんて

 学期初め、ホームルームの時間。いのちのホットラインやチャイルドラインといった名前のついた電話番号のカードが配られる。


「あなたという存在は世界に一つだけです。とても大事な存在です」


 その言葉を聞くたびに、私は「そんなことはないけどな……」と思いながら、隣を盗み見る。真剣な顔で黒板を見つめている姉の視線は揺らがない。私の視線に気がついていないだろう。


 一卵性双生児、遺伝子も顔も身長も体重も成績も体力テストの結果も声の周波数も全く同じ。数値で測れるものは全て同じで、違うのは性格だけ。優等生で明るく、多趣味で、誰からも好かれて人気者の姉と、先生に迷惑をかけないという点で優等生は優等生だけど何にも興味を持てず、無口で、ひっそりと生きている私。まぁ、一応違いはあるのだから世界に一つだけの存在と言われればそうなのかもしれないけれど、正直私が存在する必要はあるのだろうかと思う。なにせ、数値で測れるスペックは全て同じ。それなら、人に好かれ、頼りにされ、愛されている姉だけで十分ではないかと思う。


 そんなことを考えるからといって死にたいとか、消えたいとか、そんなことを思っているわけじゃない。ただ、世界に一つだけというのが本当なのかを私は考えている。


 チャイムが鳴った。今日の授業はこれで終わり。姉は友達と遊んだり、部活があればそっちに行くかもしれないけれど、私は家に帰るだけ。声をかけられないうちに教室を出たい。


悠妃ゆうひ、帰るの?」


 そう思っていたのに、姉——悠莉ゆうりに声をかけられる。


「帰るよ」

「えー、悠妃も吹奏楽部、入ってよ。悠莉が上手いんだから悠妃も上手いって」


 いつのまにか悠莉の隣に、別の生徒が立っていた。悠莉と仲の良い子だった気はするが、夏休みを挟んだせいで名前が出てこない。今日も一日、授業の指示以外で誰とも話はしなかったし。


「そうだよ、今なら3rdトランペットが空いてるし。悠莉と同じ身体なんだから、悠妃ならすぐ吹けるようになるって」

「悠莉がいるから、うちが弱小吹部なのわかってるでしょ?別に厳しいことなんてないから。みんなで演奏したい曲を演奏しよう!って部なんだし、悠妃なら今から入っても全然いけるよ」

「……ごめん、休み明けだからか若干頭痛くて。今日は帰る」

「あ、ごめん」

「ううん、また明日」


 力なく首を振って教室を突っ切れば、特に止められることもない。何回か使っている手なのでそろそろ仮病とバレていてもおかしくはないが、それを追求してくるほど性格が悪い人がいなくて何よりだ。


 重たいスクールバッグを肩にかけて家に向かって歩く。はやく帰りたいような、帰りたくないような。どちらにも傾き切らない微妙な気持ちのせいで足が重い。


(悠莉と同じなんだから)


 頭の中でぐるぐると「同じ」という言葉が回る。親も同級生たちと同じことを思っている。悠莉と私は同じだから、同じようにして、同じものを与えていれば不具合はない。食べ物も同じもの、服も同じもの、習い事も同じもの、部活も中学時代は強制だったから悠莉に連れられてテニス部に入った。私は何も選ばないので、親は悠莉が選んだものを私にも与える。否、私が何も言わずとも平等にちゃんと与えてくれて、なぜだかうまくいく。


 かといって、親が私に悠莉と同じようにしろ、と強制してきたことはない。高校生になって、私が悠莉と同じように部活に入らなかった。それだけが、これまでの人生と違うが、別にそれを咎めたりはしなかった。返ってきた言葉は「あ、やらないの」の一言だった。ちょっと意外そうな顔はしていた。姉の真似をしなくなっただけとでも思っているような様子だった。


 同じ年の同じ日に生まれたのに姉も妹もないと思うのだけれど、一応生まれた順でそういうことになっているから、私は悠莉を姉だと紹介する。悠莉も私を妹と紹介する。スペックは何一つ変わらないのに。違うのは性格だけだが、性格が違うというよりは個性のある姉と無味乾燥な妹という組み合わせであり、陽と陰というべきか。それとも最近、情報で習った現用系と待機系というのが正しいか。


 まぁ、要するに。スペアとしての扱いが否めない。自分でもスペアだろうと思う。世界に一つだけの存在はスペアにならない。同じだからスペアになるし、スペアになれる。


 私がスペアにならなければならない出来事が、きっとこの先起きるのだろう。


「わっ」


 ギュッと後ろから急に抱きつかれた。感触で、相手はすぐにわかる。毎日触っている私の身体と全く同じ身体を持つ人間はこの世界に1人しかいない。


「悠妃、本当に大丈夫?」

「部活行ったんじゃないの、悠莉」

「いやぁ、だってガチ顔色悪かったよ?」

「照明の当たり具合じゃない?」

「じゃあ、頭痛くないわけ?」

「……心配されるほどじゃないよ。音のデカい部活に行けるほど元気じゃないってだけで」


 ふぅん、と納得したのかしていないのかよくわからない声で相槌を打って、悠莉が私の手を握った。


「早く帰ってアイス食べよ?」

「別に1人で帰って食べれば?」

「えー、どうせ家に帰るんでしょ?」

「頭痛い人間にアイスなんて食わせる?」

「熱中症かもしれないじゃない。悠妃は夏休みろくに家から出ないかったから、身体が暑さを忘れちゃってるんじゃないの?」


 ほら帰ろ、と悠莉が私の手を引っ張っていく。


「気が向いたらでいいからさ、吹部来てよ」

「……なんで?」

「落ち着かないもん。悠妃がいないの変な感じ」

「今までが異常なんだよ、なんでも一緒で。それに、悠莉は私がいてもいなくても変わらないでしょ」

「変わるよ。今までは悠妃がいるから大丈夫でしょって色々冒険できてたけど今はそうはいかないもん」


 悠莉の言葉に私はため息をつく。ナチュラルにスペア扱いされた気がしてならない。数値はピッタリ同じなのに、どうにも心がシンクロしている、なんて事態は私たち姉妹には起きないらしい。


「悠妃?」

「……気が向いたらね」


 私はそれだけ返した。目の前に伸びる、全く同じ長さの影を恨めしく思いつつ、家に向かってひたすら足を動かした。

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