エピローグ
菱田先生の車で送られる間、なにか質問された気がしたが、答えなかった気がする。そして、自宅へと送ってもらい家に入る。いつもと同じ家、いつもと違う時間、お父さんがいないのはいつと同じ。けれど、その誰もいない家がひどく寒く感じる。ふらつきながら玄関を上がり、仏間へ向かう。
「お母さん」
位牌に向かって話しかけるけれど、お母さんのホログラムは笑っているだけ。当たり前の話だ。位牌を持ち上げ、抱きしめる。
「お母さん」
涙がこぼれる。私はあなたの娘だ。あなたの娘だと名乗って良いのでしょう。答えてください、お母さん。
精神の苦しみと肉体の疲労からか、意識が遠のいていく。現実と意識の接続が離れる直前、懐かしい匂いに抱きしめられた気がした。
そして気がつくと、あたり一面が真っ白だった。
「これ、夢?」
そうだ、これは夢だなにもないと言う夢。喪失感が生み出した夢だ。
けれど、そう考えた瞬間周囲の景色がパッと変わる。そうだ、この夢はいつか見た私を抱く夢、お母さんになった夢だ。思い出した通りに、赤ん坊の私をあやし、思い出したとおりにうろ覚えの歌を歌う。けれど、この赤ん坊は今の私につながる。前はそう思えたけれど、今は自信がない。
やがて、前と同じ通りに景色がぼやけていく。最後にお母さんはこう言うんだ。「あなたを愛しているわ」と。けれど、私はその『あなた』に値しないのかもしれない。夢の中でも涙がこぼれる。そして、最後の言葉を言うために口が動き始める。
「あなたを……」
お母さん、私がたとえあなたの娘でなくても、あなたを愛しています。けれど、口の動きは私の記憶と違う形を作る。
「産んで良かった」
違う、記憶と違う。確かにここのセリフは「愛している」だった。
口はそのまま止まらず、あと一言だけ紡いだ。
「私の娘」
そして、私は目が覚める。
腫れぼったい目を擦ると、毛布が体からずり落ちた。いつの間にかお父さんが帰ってきていたらしい。恥ずかしいところを見せてしまった。
位牌を仏壇に戻して立ち上がろうとすると、腿に硬いものが当たった。そう言えば、研究所で『お土産』をもらったんだった。ポケットから引っ張り出し、ガラス二枚越しの月明かりにかざしてみる。その赤い結晶はやはりきれいに輝いていて、奥を見通せないほどには濁っていたけれど美しさは確かに備えていた。
この結晶をどうしようか。いきなりズケズケと心に踏み込んできた矢橋くんのデリカシーの無さに怒りがこみ上げてきて、握った腕を振りかぶったが少し考えて腕を下ろす。
まあ矢橋くんのデリカシーの無さはともかく、『彼』に罪はないしね。正直なところ今でもいっぱいいっぱいで、矢橋くんの語ったこと。彼の正体だとか、私の治療のことだとか、そんなことを考えると結論よりも先に頭をかきむしって叫びだしたくなる気分だ。
けれど、私には自信を持って言えることが一つだけあるのだ。結晶を仏壇の奥、簡単には見えないようなところに置いてあげた。そしてリビングへと向かってお父さんを問い詰める前に、独り言のように、けれどはっきりと宣言する。
「私の名前は及川萌音よ」
そんなことは、なんでもないことなのだ。
それゆけスワンプマン(仮) 猫煮 @neko_soup1732
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