招待
今日の授業が終わり帰りのホームルームの号令の後、クラスメイトたちが思い思いに帰宅する中、私もその例に漏れず帰り支度をしていた。今日も疲労の溜まる一日、早く家に帰って熱いシャワーでも浴びたい気分だったのだけれど、扉をくぐろうとする私を呼び止める声があった。
「及川さん、ちょっと良いかな」
振り向けば、クラスメイトの何人かと談笑していた矢橋くんがこちらを見ている。面倒ごとの気配を感じ走り去りたい衝動が頭をもたげるが、クラスメイトたちの視線の手前そうもいかない。結局きびすを返して扉から離れざるを得なかった。
半眼で見つめる私に苦笑するその仕草は、他のクラスメイトとまるで見分けがつかない。先程の純子との会話を思い出して子の成長を見守る親の気分でいると、会話していたクラスメイトに「また明日」と挨拶をして解散した矢橋くんがはにかみながら口を開く。
「このあと菱田先生のところへ少し付き合ってくれないかな」
私がよほど威圧した空気を醸してしまっていたのか彼は少し腰が引けてしまっていたが、用件を告げる。菱田先生、授業以外では最近お会いしていないけれど、私の方もそろそろサポート役はお暇したかったところだし渡りに船である。「良いわよ」と頷いて、まだ自分の席にいる純子に手を振って挨拶をしてから、彼と連れ立って職員室へと行くことにした。
もともとそう遠くない距離ということもあって、職員室までの道中は無言。彼の転入初日を思い出すけれど、藤堂先生は先に職員室に戻っているのが違うところ。職員室の座席表を見る限り菱田先生は在室しているようでパネルは緑色、どちらともなく頷いて扉に手をかざす。ロックが外れるぷへぇと気の抜ける音と共に扉が開くと、いつも私の顔をチラッと見る先生は不在のようだった。そして、菱田先生の席に行くと先生も不在。
「居ないわね」
「ううん、困ったな」
顔を見合わせる。そもそも、彼は菱田先生になんの用事だろうか。このタイミングで聞くのもはばかられてなんとなく目を彷徨わせる。先生の机の隅で頭を揺らす赤ベコをに目を留めると同時。
「何か用かな」
「ウピィ!?」
「あ、菱田先生」
後ろから突然生ぬるい声がかけられ、久しぶりだったので肩が飛び跳ねる。矢橋くんはよく平成でいられるものだ。彼の心臓は鉄の心臓ではなかろうか、いや比喩ですらないか。振り向けば、笑顔の菱田先生がコーヒーの香りがするマグカップを手に、立っている。この香りは、モカかしら。
「菱田先生、実は相談したいことが」
「あ、私もです」
平然と会話を始める矢橋くんに、相乗りして私も話す。矢橋くんは少し驚いたような表情だったが、すぐにほほえみを浮かべると、お先にどうぞとジェスチャー。つくづく、この数日で急激に人間らしくなったものだ。
「実はそろそろ矢橋くんのサポート役を終わりにしたいんです」
好意に甘えて私から先に要件を切り出すと、驚いた表情になる二人。
「ええと、僕、何かしたかな」
矢橋くんが心配そうな表情で尋ねるが、そうではない。
「別にあなたが嫌いだとかそういうことじゃないんだけれど、ほら、あなたもそれなりにクラスに溶け込んだでしょう。この先手助けだの何だのと言って手を貸すのは、人間関係として不健全かなと思って」
その言葉に納得の表情を見せる菱田先生。飲み込みきれていない矢橋くんを他所に、大きく頷く。
「確かに、クラスに馴染んでいるらしいね。及川さんの言うことも最もだし、意識しての手助けは必要ないかもしれない」
その言葉に勢いよく振り向く矢橋くん。けれど、それ以上は何も言わない。それを見てか見ずか、先生は続けて言った。
「でも、友人として彼を支えてやってくれるかな?」
「ええ、まあクラスメイトなりの手助け程度には」
それは言われなくてもそのつもりだ。その言葉に安心したような表情をする矢橋くん、微笑ましいと感じるのは純子に植え付けられた母性愛の色眼鏡のせいだろうか。私の用事はこれでおしまいとアイコンタクトをすると、矢橋くんは気を取り直して要件を話し出す。
「実は、及川さんを家に招きたいんです」
ちょっと、どういうことよ。そりゃあ、同性の友人同士なら互いの家に招かれることもあるかもしれないけれど、この年頃の異性でというのはあまりよろしくない。そもそもそこまで親密になった覚えはないわよ。
けれど、先生は納得したような顔をして、それから顔をしかめて言った。
「まだ早いんじゃないかな」
そうよ、というかまだも何も、そんな予定が入ることなんて多分ないんじゃないかしら。けれど矢橋くんは首を振って食い下がる。
「お願いします。必要なことなんです」
そう言われた先生は難しい顔で考え込んでいたが、頷いた。なんで頷くのよ。責任問題よ、責任問題。私の心中はともかく、菱田先生は私の脇をすり抜け、自分の椅子へと座る。そして大きく息を一度吐くと、例の可愛くない顔で私に話しかけた。
「及川さん、矢橋くんは別に悪意が有って言っているわけじゃないし、不安なら先生も一緒に行く。だから、彼の家を訪ねてはくれないか」
嫌です。と即答しそうになるのを我慢して少し考える。こうも食い下がるというのは、十中八九アンドロイド関連の話だろう。菱田先生がこうして頼むのもその事情を知っているからに違いない。私が好奇心と良識の間で悩んでいる間にも、菱田先生は端末上で手続きの準備を進めているようだ。早くしないと外堀が埋められてしまうけれど。ええい、もう。
「わかりました、先生がついてきてくださるなら」
言ってしまった。あまり良識のある行動ではないけれど、好奇心には猫も勝てない。
「ありがとう、それじゃあすぐに行こうか。藤堂先生に見つかるとまたことだから」
そう言って、席を立つ菱田先生。藤堂先生とはこの件については未だに和解していないらしい。とりあえずこの場は解散して、校舎裏の職員駐車場で待ち合わせをすることに。荷物を取りに行って校舎裏へと向かう間、疑問に思って矢橋くんに聞いてみた。
「なんでいきなり私を招待するとか言い出したのよ。しかも即日」
「ほら、さっきの休み時間、鹿渡純子さんと僕の話をしていただろ。あれを聞いて思うことがあったんだ」
はっきりと話さないのは、やっぱりアンドロイドに関わることだからだろう。けれどそれよりも。
「何よあなた、盗み聞きなんて趣味が悪いわね」
「能力は同じでも、処理は人並み以上だからね。それに、及川さんの声はよく聞いているから」
「なにそれ、口説いてるつもり?」
「え、ああいや、そうじゃなくて。初めての友達だから」
「友達ねえ」
これは好意、で良いのかしら。鳥の雛がやるインプリンティングみたいな気もするけれど、悪い気はしない。どちらにせよ、賽は投げられたのだ。詳しい話は後で分かるでしょう。そう思いながら校舎裏で菱田先生の車に乗り、彼の家へと向かう。
流石に先生の前だと軽口も叩けず、先生も少し緊張しているのか誰も口も開かず、無言のまま車は走り続ける。そしてたどり着いたのは、守衛ロボットが立つ広い敷地の前だった。
「研究所じゃないのよ」
思わず声に出る。大きな石造りの門には『国立計算技術実装推進センター』の文字。
「まあ僕はアンドロイドだから」
確かに機械の体なら研究所でメンテナンスなんてのも頷ける話だけれど、人間で例えるならそういうのって病院の役割じゃないの。そんなやり取りを背に、菱田先生が守衛ロボットと何か遣り取りをしたあと、車が自動運転に切り替わり奥の建物へと進んでいく。車の運転システムをオーバーライドするなんてずいぶん厳重な警備だ。よっぽどの研究をしているんだろうけれど、そんなところに私が入って良いんだろうか。
肩身が狭い思いをしながらしばらく車に揺られていると、運転が終了する。外に出てみると、そこには町中でよく見るような家が一軒、ビルの間の広いスペースへ場違いに建っていた。
あまりの違和感に目を白黒させる私をよそに、二人は家の玄関へと歩いていく。慌てて私も追いかけ、矢橋くんの招きで屋内へと入る。すると、身長が二メートル近くある男の人が扉の向こうで笑顔で私達を迎えた。
「やあ、菱田。連絡をもらって驚いたよ」
「先輩、急にお邪魔してすみません」
「いや、良いんだ。息子のわがままのせいだしな」
なるほど、そういう縁だったのね。納得している私に、矢橋くんの父親が視線を向ける。
「やあ、及川さん。調子はどうかな」
「え、元気です?」
何なのこのおじさん、ちょっと馴れ馴れしい。思わず怯むと、彼はしまったという顔であやまる。
「ん、そうか。すまない、馴れ馴れしくて。君の意識がない時に、何度か君に会っているからつい。許してくれ」
え。意識がないとき、ということは一年前の事故のときのことかしら。それも何度か会っている?
「あの、もしかして矢橋くんのお父さんはお医者さんなんですか」
言ってからそんなはずないと考え直す。アンドロイドの父親なら普通は開発者、百歩譲っても機械工学の研究者だろう。思った通り彼は頭を振って否定する。
「いや、私は計算機科学が専門の科学者だ。しかし、知らないとなると君の父親は私について話していないようだね。それならこれ以上は話すのをやめておこう」
気になる。すごい気になるけれど、ここで話し込んでも仕方がない。口ごもる私に笑いかけ、彼は名乗った。
「改めて、私は矢橋和人(やはしかずひと)。保の父親、つまり開発者だ」
「及川萌音です。覚えていなくてすみません」
「いや、良いんだ。しかし、保。本当に良いんだな?」
和人さんの問いかけに、矢橋くんは頷くとこちらへ向き直って言った。
「ついてきて、見せたいものがあるんだ」
私はチラと菱田先生を見るが、先生は無言で頷くだけ。仕方がなく、二人で彼の家の奥へと向かう。後ろで音の立ちが小声で話すのを背に突き当りの扉を開くと、中にはコンピューターや機械が所狭しと並んでいた。
「ここは?」
「僕の『部屋』だよ」
「へえ、アンドロイドともなると部屋も人間とは違うものね」
何気なく行った感想に、矢橋くんは深く頷いて言った。
「そうなんだ、僕たちは似ているけれど違う」
いきなり深刻そうな声色になった彼に、目が点になる。そんなに変なことを言ったかしら。不審げに見やる私に疲れたような笑い顔を見せると、矢橋くんは奥の戸棚を開いてプラスチックケースを机の上においた。曇っていてよく見えないが、赤い色が透けている。そして、彼がケースのフタを開けると中は格子状に仕切られ、そのマスには一つずつ、赤い結晶のようなものが左から順に収められていた。
「あら、キレイじゃない」
蛍光灯の明かりを反射するその結晶は、宝石とはまた違った美しさを放っている。
「ありがとう、これを見せたかったんだ」
そう、と相槌を打ちながら身をかがめ、結晶を見つめる。
「それで、これは何なの?」
何気なく聞いた質問に、彼は気負いもせず答えた。
「これは僕だよ」
「え?」
それ以上言葉が続かない。精神論的な話かしら?
矢橋くんは何でも無いような声で続ける。
「これはこれまでの僕だ。アンドロイドが人間並みの機能を持つために何が障害になると思う?」
「それは、エネルギーの消費だって授業で」
そんなことを菱田先生が言っていた。
「そう、機械は人間の体よりも燃費が悪い。では、僕がどうやってその問題を解決しているか。それがこれだ」
そう言って真ん中あたりの結晶をつまみ上げる矢橋くん。
「アンドロイドがエネルギーを一番使うのは人工知能。けれどそれを解決する、新しい人工知能を構成できる液体が発見された」
その話はニュースで見た覚えがある。海外のAAAはハルマゲドンのラッパだと言って騒いでいたけれど、夢のある話だとお母さんと笑いあった記憶がある。
「けれど、その液体は効果が一日しか保たず、結晶化してしまう」
「だから実用化はまだ先だって」
そんなニュースだったはずだ。
「なら、一日ごとに新しい液体に人工知能を転写すれば良いと思わないかい?」
なによそれ。
「もちろん、不安定な媒質だ。転写の段階でいくつか抜け落ちてしまうデータはある。けれどその分は他のシステムが記録しているデータで補うことはできないだろうか」
何を言ってるのよ。
「その思想のもとに稼働している人工知能、その一体が僕だ」
それじゃあまるで。
「あなた、誰なの?」
「僕は、僕の名前は矢橋保だよ」
これまで見てきた彼らは一日ごとに別の人工知能が入っていたってこと?
「私の知っている矢橋保は、ボウッとした変な子だった」
「彼も僕だ」
膝から崩れ落ちそうになる。彼、いいえ、この子の言っていることが理解できない。けれど、わかったことが一つある。
「わかったわ。私とあなたは確かに違う生き物なのよ。そんなふうに、連続していない自分を自分と言えるなんて人間じゃありえないもの」
「そんなはずはない。仮にそうだとしても、君にだけは解るはずだ」
「何を言ってるのよ。私には解らないわよ」
「君も僕と同じなんだから」
ふざけるな。
「なによ、私があなたと同じなわけないじゃない。私は夜毎に体を取り替えたりしない!」
「けれど君は連続していないだろう?」
「意識不明だったのは、眠ってるみたいなものだもの。それとは違うわよ」
事故の話を何処かで聞いてきたんだろうけど、御生憎様。一年前の私と今の私は連続している。そのはずだ。
「そんな話じゃない。だって、君は君のお母さんの脳から複製されたんだから」
息を呑む。その言葉が理解できない。
「君は事故で小脳に重症を追って、それで肉体的に死亡していたお母さんの脳とサーキットを接続して、記憶を対比させている間に治療したんだろう。コピーしたという意味では同じじゃないか」
知らない。
「そんなこと、知らなかった。お父さんも、誰も教えてくれなかった」
「その治療のデータを元に、僕たちは生まれたんだ。だから、ある意味では君が母親ということになるのかな」
「あなたみたいな子供、産んでないわ」
頭がくらくらする。息が荒くなるのを感じる。
「わたし、帰るわ」
「もしかしたら、知らなかったのか。すまない。でも、僕と君は同類なんだ」
そんなはずはない。そう言いたいのに、口がうまく動かない。ふらつきながら部屋を出ようとする私の肩を矢橋保が掴む。
「これをあげるよ。初めてあったときの僕だ。研究資料だから本当は保管しないといけないんだけど、一つぐらいは構わないさ」
手を振り払いたい衝動が湧き上がるが、それを実行する気力もなくスカートのポケットに結晶が差し込まれるのを無気力に眺めるしかない。
ふらつきながら部屋の外に出ると、菱田先生が驚いた顔で駆け寄ってきた。
「及川さん、どうしたんだ」
「先生、わたし帰ります」
先生は動転したままだったが、わかったというと、私を腕に捕まらせて玄関へと向かう。その後ろで矢橋保が和人さんに問い詰められているのをぼんやりと聞きながら、曖昧なままで一礼して外に出た。
「また明日」
後ろから少年のような声が聞こえたが、それに返事はしなかった。
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