交流
さて、この日から矢橋くんとの交流が始まったのだけれど、最初の予想に反してさほどの苦労はなかった。あれほど気負っていたのに、重大な問題は何も起きなかったのである。何も、起きは、しなかったのである。取り越し苦労の代金を請求したいところだけれど、請求先も解らないのが更に腹立たしい。
もちろん、順風満帆というわけではなくて、彼の奇妙な所が現れて肝を冷やしたこともある。
例えば、家政の時間にこんな事があった。
その日は調理実習で、野菜炒めを作ることになっていた。野菜炒めと言っても、食材は工場産のもやしとキャベツとピーマンの規格外品。根菜は型が決まっているので規格外品もなく、材料にも含まれない。初心者が指を切る心配もない、簡単な料理だ。実際、誰も包丁をすべらせるようなことはなかった。
ところがである。矢橋くんの班、つまりお目付け役の私もいる班の、炒める担当の子が失敗をして半生の料理を出してきたのだ。できた班から食べて良いということで、最初は喜んでいた班の皆も、シャキシャキ系というよりガリガリ系の野菜炒めに顔をしかめていた。けれど、矢橋くんだけは文句も言わず平然と野菜炒めを口に運んでいたのである。
「矢橋くん、大丈夫なの?」
居心地悪そうにしていた炒め担当の子が、恐る恐る尋ねる。
「大丈夫、って何が?」
不思議そうに首を傾げる矢橋くん。これまでもフォローできる範囲でフォローをそれとなくしていたのだけれど、このときは間に合わなかった。
「その野菜炒め、不味いと思うんだけど」
「でも食べられるよ?」
そりゃあ生で食べられる野菜ですからね。でも、そういうことじゃないのよ。面倒を見始めた初日から痛感したことだけれど、やはり彼はアンドロイドだ。なぜって、言葉の裏が読めないし、言葉以外の行動の意図にも疎いんだもの。菱田先生はそれを学習しているんだと言っていたけれど、そのあたりは他所で学んでから転入してきてほしかった。
そんなポンコツアンドロイドの矢橋くんの答えに、事情を知らない班の皆は顔を見合わせる。他の子にバレたらいけないんじゃなかったのかしらねえ。どうやって誤魔化せば良いだろうか。一番楽なのは、「こんなので喜ぶなんて」とあしらうことだけれど、流石に全方向に失礼よね。
悩んだ挙げ句、とっさに出た行動はつまらないもので。
「で、味は?」
と当たり前のツッコミをするだけだった。けれど、ポンコツのポンコツたる所以を甘く見てはいけない。矢橋くんはまたもボケをかます。
「野菜と塩と鶏ガラの味だ」
それは材料の味よ。材料そのまま、自然の息吹のオーガニック料理、なんて話をしてるんじゃない。オーガニック料理を否定するわけじゃないけれど、野菜炒めとしてどうなのかをこっちは聞いてるのに、言葉の裏が読めないんだから。
「そうじゃなくて、感想を聞いてるのよ」
調理担当の子には悪いけれど、ここは悪者になってもらおう。特別に仲良くはないのでそこまで心も傷まない。これで「あまり良くない」とでも言っておけばみんなの輪の中に入れるものを。帰ってきた答えは信頼のボケ。
「ええと、味がするなあと」
「んもぉ!」
何が人工知能よ、この人工無能。学習機能があるって話だけれど、何を学習しているのか怪しいものだわ。頭を抱える私、すると隣の席で吹き出す音がした。そちらを見てみれば、隣の班の純子が後ろを向いて小刻みに震えている。
「ちょっと、何笑ってるのよ」
「いいえ、何も。ただ、音がするなあと」
事態をややこしくするんじゃない。今はこのポンコツの世話で手一杯なのよ。けれど業腹なことに、純子の言葉はごまかすという点では良い一手だったらしく。同じ班のクラスメイトからも笑いをこらえる声。仕方がないので、この流れを利用する。
「あれ、声がするなあ」
私がそう言うと、笑いをこらえていた生徒が我慢できずに噴き出す。それを契機に班の中の空気も和らぎ、ポンコツの『非人間らしさ』についてはうやむやにすることができた。けれど、こんな笑いものになるような方法なんて。全くスマートじゃないわ。
「二人で組んで、漫才師でも始めるのかしら」
肩を震わせながら純子が後ろからからかってくるけれど、こちとら漫才したくてやってるわけじゃないのよ。
「それ以上言ったら私は犯罪者になるわよ」
思わず目が座ってしまうけれど、それを見た周囲はまた笑う。漫才やってるんじゃないんだって。助かったことは事実だけれど、礼の一つをいう気も失せてしまった。ため息とともに残りの野菜炒めに箸をつけようと座り直すと、あのポンコツは我感せずと野菜炒めを22回咀嚼しながら飲み込んでいる。思わず二つのつむじをひっぱたいてやりたくなるが、蒸し返すわけにもいかないのでぐっとこらえたのであった。
そんな事があった授業の後の移動中、少し遠回りして人気のない廊下を歩きながら、私は矢橋くんに恨み言を吐いていた。
「さっきの受け答えは何だったのよ。何よ『味がします』って」
「それは、味がしたから。まるハンは味がなかったから新鮮で」
「味がないって、あなたプレーンのまるハンなんか食べてるからそんな感想がでてくるのよ」
彼は人生の楽しみ方を知らないらしい。照れくさそうに笑う矢橋くんだけれど、褒めてるわけじゃないからね。
「全く呆れた。あなたって本当にロボットなのねえ、てんでバカだわ」
「バカとはひどいな。このサイズでも人間と同等の能力があるんだぞ」
むくれる矢橋くん。そんな行動はできるのに、どうして普段のコミュニケーションでそいつをうまく使えないのやら。
「能力じゃなくて、その使い方の話をしてるのよ。味なんてのは、何が入ってるかじゃなくて何を感じたか、美味しいとか美味しくないとかそういう話なの」
すると、矢橋くんは難しそうな表情になる。こういう動作自体は自然なのに、使い方を間違えるだけでどうしてああも不自然になるのやら。
「美味しい、というのはまだ解らないや」
ほら、今も深刻そうな顔でくだらないことをいう。
「あのねえ、美味しいなんてのは味が気に入ったとか、見た目がきれいとか、匂いが好きだとか。そんなことで良いの。あなただって好き嫌いぐらいあるでしょう」
「そりゃまあ、判定基準はあるけどさ」
「だったら、それを話せば良いのよ。伝達するだけならメモを一枚チャットで送れば良いだけなんだから。話ってのはそういうもの、心のための栄養なのよ」
「心のための」
キョトンとする矢橋くん。これは悪い例えだったかしら。
「まあ、あなたに心なんてものがあるかは知らないけれどね。人間ですら、あるかは怪しいのに」
「失礼な、僕にだって心ぐらいあるさ」
「どうだか。まああったほうが面白いけど、このザマじゃあねえ。あんなに『面白い』ことをされちゃ、怪しいものだわ」
「今のは皮肉だね?」
「そうよ、解ってきたじゃない」
口をとがらせるポンコツアンドロイド。それでも、出会った頃よりは人間味が増している気はする。言うと調子に乗りそうなので言わないけれど、そもそも調子に乗るなんて機能が付いているのかしら。
「丁寧な『栄養』をどうもありがとう」
ほら、こうやって学習自体は早い。ロボットのずるいところよね。「どういたしまして」と皮肉で返しつつ、追いつかれないようにと歩く足を早めた。これは余談になるのだけれど、この一件で矢橋くんのクラス内での評価はつまらない奴から、なんかずれた変な奴に格上げ(?)されたようだ。
そんなことが数日のうちに何度か続き、問題こそ起きなかったけれど、私の疲労といくらからの評判を代償として、矢橋くんはかなりクラスに溶け込んでいた。菱田先生の頼みについてはおよそ達成できたということにしたいけれど、藤堂先生に頼まれた監視については特に何も言われていないので継続中。正直に言えばさっさとお役御免と行きたいのだけれど、あの不機嫌な藤堂先生に再び会うには心の準備ができていないので、惰性で観察を続けている。
先ほどもポンコツアンドロイドの『些細な』ミスをフォローして疲れ果てた私は、自分の席で溶けたように突っ伏しながらポンコツが他のクラスメイトと話をしているのを眺めていた。
「お疲れねえ」
そんな私をからかうような胡散臭い声。前の席の純子である。顔を上げれば、やっぱり胡散臭い笑みがこちらを見下ろしていた。口を開くのも億劫で、手のひらをひらひらと振ると、純子は肩をすくめてとんでもないことを言い始めた。
「育児疲れってやつかしら」
素っ頓狂な言葉に素っ頓狂な叫びが出そうになるが、教室中なので辛うじてこらえる。
「ちょっと、いきなり何を言うのよ」
「あら、だってあなた。あの転校生の世話をずいぶんと焼いて。まるで幼児を育てる母親みたいだったもの」
冗談じゃない。あんな手のかかるよくわからない息子なんて!
「変なこと言わないでよ。あんな大きな幼児だなんて」
まあ中身は案外似たようなものかもしれないけれど、それを伝えることはできないのがもどかしい。そもそも、世話だってやりたいからやっているわけじゃないのに。
「あなたが子育てにかかりっきりなものだから、私ったらもう暇で暇で」
「だから子育てとか言わないでよ」
私のクレームに取り合わず、純子は自分の個人端末の画面を私に見せる。何のつもりかと思いながら、それを見ると背筋が凍った。
「こんなものを作ってしまったわ」
そこに表示されていたのは、私と矢橋くんが二人で写った写真の数々。隠し撮りと思しき写真の多くは、人気のない場所で彼の出自に絡めた愚痴をこぼした場面を写したもの。つまり、純子はあの場にいたことになる。
言うなと言われていたことが勝手にバレたということにできないだろうか。いや、無理か。発端は私の迂闊さが原因だ。
「これは、ええと、その」
言い訳が思いつかず、弁明代わりに要領を得ない単語だけが口を抜けていく。
「ずいぶんと脇の甘いこと。隠しごとにはもっと念を入れないといけませんわ」
胡散臭いいつもの声が、今は責めているような底冷えのする声に聞こえる。いよいよ追い詰められた私がなんとか絞り出した言い訳は、ひどいもので。
「男女の逢瀬を隠し撮りなんて趣味が良くないわね」
という、バカみたいなものであった。それを聞いた純子の目がスビッと細まる。スゴイコワイ。
「それで良いのね?」
「え?」
唐突な質問に、理由もわからず聞き返す。
「逢瀬をしていた、ということで良いのね?」
周囲の喧騒にも関わらず、聞こえる音が遠のいていく。言いしれない圧が純子から発せられているようで、息の仕方を忘れてしまいそうなほど。これ以上は無理か。ついに観念して、頭を下げた。
「ごめんなさい。話してはいけないと言われていたものだから」
すると無言の圧力は消えて失せ、世界には音が戻ってくる。
「先生方の頼みだから、逆らえなくて。黙っていてごめん」
続けて謝ると、純子はため息を一つ。先程までの威圧感はかけらもない、いつもの胡散臭い美少女がそこにいた。彼女を怒らせると怖いのよね。美人というのもあって、怖さが二割増だわ。
「そんなことじゃないかと思っていたわよ」
呆れ声の純子。タハハとごまかして笑いつつもう一度頭を下げる。
「知られてしまった以上は仕方ないけれど、他の子に言わないでちょうだい。ほら、聞いた通りのことだから」
クラスメイトがアンドロイドだなんて、良くも悪くも騒ぎになりそうである。増して、人間のように受け入れられている今の状況ならなおさらだ。なるべく具体名を言わないようにしてみて、初めて先生方の会話の苦労を思い知る。隠しごとなんて割が合わないものね。けれど、純子はここでとんでもないことを言い出した。
「あら、何を?」
「何をって、あなた。わかるでしょう、転校生のことよ。事情は黙っていてもらいたいのだけど」
「黙るも何も、何を話していたのかまでは知らないもの」
「は?」
思わず間の抜けた声が出る。私がペラペラと喋っている後ろにいたんじゃないの?
「場面は見ていたけれど、会話までは聞こえなかったんですもの。黙れと言われても、あなた達が密会していたぐらいのことしか黙るネタはありませんわよ」
なんだそりゃ。思わず真顔になるが、純子は涼しい顔。この女やりやがった。
「あんたカマかけたわね」
「あら、あなたが勝手に誤解して、自白しただけですわ」
心労が、心労が降り積もる音が聞こえる。思わず威嚇のポーズを取るも、純子は鼻で笑って受け流す。おのれ純子、謀ったな。そんな純子は肩をすくめて上体をそらす。
「まあそんなところだと思っていました。あなたの口から本当のことを聞いて吹聴する気はなくなりましたし、良いのですけれどね」
それだけは救いだ。けれど、なくなった?
「あの、もし言い訳を撤回しなかったらどうなさるおつもりで?」
「もちろん、クラスのグループチャットに画像が一枚アップロードされたでしょうね」
正直になって、本当に良かった。
「事情もあるようなので深くは聞きませんけれど、無理のない範囲になさいな。先日のように青い顔をされても困りますもの」
「……、ありがとう」
心配してくれた友人に感謝を述べると、純子はフイッと前を向いてしまう。けれど、白い肌は赤くなった耳をことさらに際立たせていた。
そんな心温まる日常の一コマだったが、その日の放課後、私は忘れがたい体験をすることになる。
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