証人フォーティーナイナーズ 生臭坊主と霊感アルバイター、霊能探偵をするなり

京橋ころ

第1話 此岸のルールの話

「幽霊なんてもんはなぁ、そもそもおらへんねん」


俺を客間の座布団に座らせた僧侶は、煙草の煙を吐き出しながら、目の前で気怠そうに言った。

京都の酷暑は蝉さえ鳴かない。代わりに付けっぱなしにされているテレビからは、甲子園の甲高いサイレンが響く。

線香だかお香だかよく分からないお寺っぽい匂いが染み付いた畳にだらしなく片膝を立て、筆を遊ばせている目の前の作務衣男は到底お坊さんには見えない。けれども彼は間違いなくこの小さな寺の住職だと言うのだ。


「……そんなこと、お坊さんが言っていいんすか?」

「いいもなにも、ウチの宗派はそういうモンやしなぁ」


あっさりとそう言い切った男の視線はテレビに釘付けで、ちっともこちらを向こうとしない。一応、お寺の中だからと畏まっていたのがなんだか馬鹿らしくなって足を崩す。クーラーで冷えた畳がくるぶしに当たって、汗が引く気がした。


「そういや、名前聞いとらんかったな」

「あ、穂積ほづみ国周くにちかです。一応、何でも屋みたいな事やってて、みんな適当にチカって呼んでます」

「いやそこまで聞いとらんけど。……改めて、桐村きりむら弦壱げんいちや。まぁ好きに呼べ」


そんな妙に軽い自己紹介を交わすと、やっと弦壱は筆を動かし始める。さらさらと梵字が書かれていくのをぼんやりと見ながら、俺はこの奇妙な僧侶の元へやってくる経緯を思い返した。



そもそもの発端は、普段からとてもお世話になっている大家さんからの頼みだった。

今朝の7時頃だっただろうか。早朝のチャイムの音に目を擦りながら出てみると、弱り切った様子の大家のおばちゃんが立っていて驚いた。


「朝早くにホンマごめんねぇ、どうしてもチカちゃんに助けて欲しい事があって……」

「いやいや、全然構わないっすよ。今日はバイトも無いですし、なんでも手伝える事あったら言ってください」

「ホンマありがとう。実はね、御守りを取りに行って貰いたいんよ」

「御守り?」


おばちゃんの口から飛び出た予想外の依頼に首を捻る。てっきり力仕事や男手が必要な仕事かと思いきや、簡単なおつかいを深刻な顔で頼まれるとは。

こちらが拍子抜けしたのを察したのか、おばちゃんは少し声を潜めて事情を続けて話した。


「ここだけの話なんやけどね、今ウチに東京の姪っ子が来とるんよ。あの子、ちょっと前に事故で友達亡くしたらしくて、それ以来夢見が悪いって言っとって。大学休んで気分転換にこっち来たんやけど、やっぱり治らんて言うてて」

「そりゃ辛そうですね」

「で、昨日晩かな?よぉ効く御守りをくれるお寺があるってインターネットで調べたらしくって、今すぐ貰いに行くって暴れて……」

「ああ、なるほど。じゃあ今は旦那さんが姪っ子さん見てるんすね」

「そうなんよ。やからチカちゃんには悪いんやけど、私ら夫婦があの子を見とる間にそのお寺に御守り貰いに行って欲しいんよ。あの人だけじゃ不安でねぇ」


頬に手を当ててため息を吐くおばちゃんの隈は濃い。相当疲れているように見えた。この状態の彼女の頼みを断れる訳もなく、俺は一も二もなく頷いた。


「お安い御用っすよ。任せてください、チャチャっと貰って来ますんで」

「ホンマ助かるわぁ。これ、お寺の詳細とお布施ね。先にお寺には連絡入れておくから」


即決で引き受けると、おばちゃんはホッとしたように肩の力を抜く。そうして、プリントアウトされた数枚の紙と白封筒が入ったクリアファイルを手渡してきた。俺が受け取ったのを確認したおばちゃんは、ぺこぺこと頭を下げながらそそくさと帰っていった。

なんだか変なお願いをされてしまった。そう思いながらクリアファイルの中身を覗き込む。印刷されていたのはネットの掲示板らしきスクリーンショットが数枚と地図アプリの画面だった。ざっと目を通してみると、なんだかアングラちっくな心霊系の書き込みが目立つ。なるほど、切羽詰まった姪御さんは悪夢をどうにかしようと調べた末に、この掲示板に辿り着いたらしい。

スクリーンショットには、とある寺の住職は本物の霊能者だ、という噂が書かれていた。曰く、本当に困った霊障を解決してくれただとか、彼のお経は幽霊に効くのだとか。そういった中に、彼に貰った御守りのお陰で体調が良くなった、などという書き込みがあった。彼女はこれを見つけて、御守りが欲しいと思ったのだろう。


「いやホンマかぁ、これ」


正直、胡散臭い。ホラー的なものは特段興味が無い性質だから、信じ難いという感想が先に来てしまう。ただ、あくまで姪御さんはこれを信じた訳で、大家夫婦もこの話に縋っている。ならば、部外者の勝手な感想など余計なものだ。俺の仕事は御守りを受け取ってくること、それだけだ。あとは当人が納得してくれればそれでいい。

よし、と呟いて玄関を閉める。兎にも角にも朝飯である。買い置いていたパンをコーヒーで流し込んで、一通り部屋の掃除をすれば適当な時間に出掛けられるだろう。

六畳一間をざっと片付けて、バイクに跨ったのが午前九時半頃。それから三十分ほど南に下って件の寺に着いた時には、ヘルメットの中は汗でびっしょりになっていた。

タオルで頭を拭きつつ、真夏の太陽光に照らされる寺の瓦を見上げる。はっきり言って、その寺は思っていたよりもこじんまりとしていた。住宅街の中から急に現れる、京都にはよくある地域密着の末寺といった風体の寺は、とてもじゃないが本物の霊能者が居るようには見えない。良くも悪くもありふれている小さな寺だった。


「おじゃましま〜す……」


門をくぐると、二、三十基ほどの墓が飛び石の両脇に並んでいた。お盆前の墓参りシーズンとはいえ、太陽がギラギラと照りつけ始める時間帯に入り始めた墓地に人は居ない。何処となくそわそわする心地を抱えながら飛び石を踏んでいくと、大きな階段を備えた本堂があり、その隣に一般的な和風の民家が建っていた。和風と言っても古めかしいものでもなく、世間一般の建売住宅よりは昭和の香りがする、そんな民家である。

この時点でもう、ちょっとした不思議体験が出来るかも、なんていう期待は風前の灯だった。

その灯火を完全に吹き消したのが、この寺の住職だったのはもはや言うまでもない。


「ごめんくださ〜い。あの、先に電話があったと思うんすけど、御守りを受け取りに来ました」


人の気配が全くない本堂や墓地をウロウロした後、仕方なく民家のチャイムを押してそう叫ぶと、暫くして出て来たのが覇気のない顔をした作務衣男だった。その男が住職だと名乗るのだから、その時点でもう期待値は底打ちしていた。



そのまま促されて今に至る訳だが、この弦壱という男、見れば見るほど僧侶らしくない。

甲子園の実況を気にしながらのろのろと筆を進める彼の様子を眺めながら、俺は出された麦茶を啜る。

まず、髪型が坊主というにはちょっとツーブロック気味だ。流石に短髪って程じゃないが、お坊さんなんてツルツルにしているイメージしかないからかなり異質に見える。もっと言うと煙草は吸っているし、低い声も少し酒焼けている気がする。それでいてよく通りそうな声でもある。話し方も偏屈っぽい。僧侶ってもっと慎ましい感じじゃなきゃいけないんじゃなかったっけ。

結論から言って、胡散臭い。生臭坊主ってこういう感じのを言うんだろうか。

そこまで考えて、まぁ人のことは言えないか、と内心独り言ちる。怪しい僧侶より、定職につかないフリーターの方が外聞が悪いのが世の常である。だって仕方ない、いろんな仕事をするのが楽しいんだもの。


「そういや、詳しい話聞いとらへんかったな。この札、何に使うんや」


いつの間にか次のバイトについて考えていた俺を、弦壱の声が引き戻す。相変わらずこちらを向いていないが、その態度にも慣れてきた。


「あー、俺も詳しく知っちゃいないんですが、なんでも依頼主の子の友達が事故死したらしくって。それ以来、夢見が悪くて散々調べた結果、貴方の噂に辿り着いたらしいっすよ」

「ほーん。そんならまぁ、すぐ良ぉなるわ」

「え?なんでそんな事分かるんすか?」


気のない声で確信を持った言いぶりをする弦壱に、思わず声が跳ねる。直接彼女を見てもいないのに、なんでそんな事が言えるんだ。

弦壱はテレビから此方へ視線を移すと、頬杖をついた。気怠げな雰囲気は変わらないのに、俺は自然と背筋を伸ばしていた。


「人はな、死んだら極楽に行けるんや。ただ、死んですぐピャッ、と行けるわけやないねん。少なくとも四十九日は掛かってしまう。だから四十九日目の法要で見送んねん」


やった事ないか、と聞かれて咄嗟にある、と答えた。あまり思い出したくない記憶だけれども、きちんと四十九日法要に出席した経験がある。


「で、うちの宗派においては、阿弥陀さんはどんな人間でも極楽に連れてってくれはるんよ。だから、四十九日が過ぎるまでは現世でウロウロもする。でも四十九日目には阿弥陀さん達が連れてってくれはるから、それ以降に幽霊なんて存在する筈がない」

「えーっと、つまり?」

「その子の友達がいつ亡くなったか知らんけど、四十九日過ぎたら枕元にも来ぃひんやろ。此岸におらへんのやから」


それは、あまりにも極論だ。でも、ある種の救いでもあるのかもしれない。この考え方が良いのか悪いのか判断はつかないけれど。

呆然と聞いていると、弦壱はいつのまにか仕上げたお札を小さく折り畳んで懐紙で包んだ。それを差し出しながら、ぶっきらぼうに言葉を付け足した。


「まぁ、気になるんやったら『南無阿弥陀仏』って唱えときって伝えりゃええわ。身近な人間が阿弥陀さんにどうぞよろしくって言っとくだけでも、極楽までの旅路がちょいとは楽になるもんやしな」


そう言い終えると、弦壱はまたテレビに視線を戻した。興奮した実況の声も虚しく、高々と舞い上がった白球はライトのグローブに収まり、そのイニングは終わった。弦壱が呻いて舌打ちをする。

CMに入ったテレビから聞こえた『ながーい、お付き合い』というフレーズが、妙に頭に刻まれるような心地がした。

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