第3話 覚悟の話


翌日。相変わらず京都駅で犯人の姿を探しているみつきと合流して、一号線を下っていく。すぐに入り組んだ住宅街に入っていき、細い路地をゆるゆる走ると見えてくるのが中弦寺である。弦壱が住職を務める小さな寺だ。

バイクの後ろに荷物よろしくちょこんと乗っていたみつきは、思った以上に規模の小さい寺が目的地であることに呆気に取られたらしい。ポカンと口を開けて本堂を見上げる彼女を促して、あの日と同じように民家のチャイムを押す。出てきた弦壱は、今日も今日とて作務衣姿だった。


「なんや、お前か。女連れでわざわざ何の用やねん」


咥え煙草に腕組みで玄関に凭れ掛かる弦壱は、変わらず僧侶には見えない。けれども、今はそんなことはどうでもよかった。


「え、この人、今ウチのこと見て女連れって言った?」

「やっぱあんたも見えるのか……」

「あん?なんの事……って、ああ、嬢ちゃん、もしかして仏さんか」


眉を顰めていた弦壱が少しだけ態度を緩める。やっぱり僧侶だから、死者には思うところがあるのだろうか。

とりあえず、みつきの姿が見えるなら話が早い。意気揚々と彼にここに来た理由を話すと、弦壱は煙草を深く吸った後に首を回しながら言った。


「オレも盆は忙しいんや。チカ、お前が残りの書きもの手伝うっちゅうなら協力してやってもええ。それでええんなら上がり」


言うなり三和土を上がって奥に引っ込んでいった弦壱を追って、俺とみつきは玄関の奥へ進んだ。

民家と本堂は繋がっているらしく、ぐるりと大回りした廊下の先のドアを開けると御堂の中だった。金色の装飾やでっかい木魚、大きくて立派な本尊、それにずらりと並んだ椅子は、たぶん何かの行事の準備の為に置かれているのだろう。

弦壱は御堂の隅に置かれた机に座って何やら筆を準備している。その前には大量に積まれた卒塔婆があった。興味津々、といった風のみつきがフラフラと近寄る。


「へぇー、弦ちゃん、なにこれ」

「げ、弦ちゃん……?」

「嬢ちゃん、ほんま物怖じせんタイプやな……まぁええ、盆の終わりには施餓鬼と塔婆供養をせなあかんのや。それの準備をしとるんや」

「なるほど〜お盆やもんね、そういえば。あ、せや、チカちゃんも弦ちゃんのこと渾名で呼べばいいやん。仕事手伝う以上は仲間なんやし」

「それでも弦ちゃんはないわ……せめて弦さんとかだろ」

「……好きにせぇ」


言ってみてから恐る恐る弦壱の方を窺う。みつきのお気楽な態度に気圧されたのか、弦壱は深ーい溜息を吐いて頭を掻いた。


「本来なら他所ごとしとる暇なんぞ無いんやが……まぁ人手が増えるに越した事はないからな」


ほら、と促されて弦壱の向かいに座る。途端に筆と卒塔婆を差し出されて、リストと照らし合わせながら書けと指示された。ご丁寧にお手本まで用意されれば、もう筆を持つしかない。

弦壱も以前とは違って真面目に手を動かしている。意外にも綺麗な筆運びで綴られる文字は美しく、みつきが感嘆の声を上げる。


「で?嬢ちゃん殺した奴を探すっちゅーても、肝心のヤツの顔は分かるんか?」

「あー、うん、まぁ……覚えとるよ。あの時は結構暗かってんけど、鼻の横にでっかいホクロがあって眼鏡かけてた小太りのオッサンやった」


ニコニコしていたみつきの顔が曇る。その複雑そうな表情を見て、やっと俺は今からやろうとしている事の重大さに気付いた。

いくらみつき本人が平気だと主張しようが、これからするのはつい最近犯罪に巻き込まれた被害者の傷を抉る行為なんじゃないか。

背筋が寒くなってくる。俺の頬が強張ったのを真っ黒な瞳で見遣った弦壱が、嫌味なほど静かな声で更に追求する。


「そうか。せやったら次の質問や。みつきの嬢ちゃん、あんた、殺されたのは何日やった?」


嫌な予感がした。初めて此処に来た時、彼はなんて言っていたか。

話題を変えようと口を挟むより先に、みつきは素直に答えてしまった。


「えーっと……確か、七月の半ば辺り。サークルで夜ご飯行って、その帰りやったから……七月十四日、やと思う」

「という事は、今日が八月十三日やから、ちょうど一ヶ月か。つまり、残りは十八日間しかない訳やが、ほんまにそれだけで探し出せるんか?」

「え?」

「ちょ、ちょっと待って弦さん!それってもしかして……」


彼の言わんとしている事が分かってしまった。しかし、それをみつきに伝えるのは酷ではないのか。しかし、そんな俺の葛藤を他所に、弦壱は容赦なく彼女に事実を突き付けた。


「嬢ちゃん、あんたはな、今月末までしかこの世に居れんのや。四十九日が過ぎれば、みぃんな浄土行き。九月以降もこの世に残ることは出来ひんねん」

「そ、れは……消えちゃうってこと?こうして二人がウチのこと見たり喋ったり出来んようになるってだけやなくて?」

「あの世に行くんや。消えるんやない、居らへんくなるんや」


御堂の中がしん、と静まり返る。息苦しいほどの沈黙の中で、弦壱は真っ直ぐにみつきを見つめ、みつきは絶句してその場に立ち尽くす。俺はその光景をただ黙って見ていることしかできなかった。

どれくらいそうしていただろう。呆然と立っていたみつきが、不意に身を翻して御堂の外に飛び出していった。黙って出ていく彼女の目元が潤んでいたように見えて、思わず追い掛けようと椅子を引く。そんな衝動的な行動に出た俺を、弦壱の鋭い一言が食い止めた。


「行くな。今の嬢ちゃんにとって、オレら生者の言葉ほど虚しいモンも無いやろ」

「っ、だったら、なんであんな事言ったんだよ!」

「当日になっていきなり知るより、今教えてやった方が有情やとオレは思うんや。特に、犯人探しなんて言うとる奴にはな」

「それは……」


先程と変わらない真っ向からの視線がこちらを向いている。何らかの威圧感が俺を再び椅子に座らせた。


「それよりも、や。チカ、お前、元から霊が見えるタチか?」


ほとんど睨み付けているような形相で弦壱は訊ねる。もはや尋問されている心地で、俺は首を横に振る。


「い、いや、別にそういう訳じゃなくて……確かにここ最近ちょっと視界にぼやけた物が映る気がしてたけど、ちゃんと見えたのは昨日のみつきが初めて。まぁちゃんとって言っても半透明だけど」

「半透明?ああ、まだそんなもんか」


ボソッと呟かれた意味が分からず口を噤んでいると、弦壱は腕を組んだ。ご丁寧に舌打ちまで添えられており、迫力だけならさながら極道映画といった風である。はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。

何か考え込んでいる彼を前にして、身動ぎ一つするのも憚られる。何が弦壱の地雷だったのか未だに俺は分かっちゃいなかった。

それからまるまる秒針三周分が経った頃、黙して動かなかった弦壱がようやく口を開いた。


「結論から話そか。チカ、お前、この件からは手を引いた方がええ」

「はぁ?!なんで今更」

「その方がお前の為になるから言っとるんや。仏さんの相手をするっちゅうのは生半可な覚悟で出来るもんとちゃう。お前はそれが解っとらん」


ピシャリと言われて思わず怯む。得体の知れない怖気のようなものが身体を走り抜ける。それは、先程犯人像を語るみつきを見た時のものとよく似ていた。


「で、でも、俺、あいつと約束したし……」

「それがお前の生半可なところや。人が良過ぎる。ええか、どれだけ情をかけようが、あの嬢ちゃんは四十九日を過ぎたら居らんくなるんや。お前の費やした感情が報われるとも限らん。そもそも……」


そこまで言って、弦壱は少し躊躇った後、俺の核心を突いてきた。


「……お前、誰か大事な人間を亡くしとるやろう」

「……なんで、分かって」

「お前が平然と嬢ちゃんを受け入れとるのが妙な話なんや。普通のそこらの人間が急に幽霊なんぞ見えようもんなら、発狂するか病院行くか寺駆け込むかや。話を聞こうなんて酔狂な奴は、あの嬢ちゃんになんらかのプラスの感情を抱ける奴に限る」


まぁ、嬢ちゃん相手じゃ毒気を抜かれるのは分かるんやけどな。肩を竦めて、弦壱は続ける。


「お前、嬢ちゃんに以前亡くした誰かを重ねとるんやろう。やから、異様に人が良い。今の生き方もそれが影響しとるんやろな。まぁ、ここまできたら邪推やけども」

「っ、…………」


何も、言えなかった。図星だった。

学生時代から延々と引き摺ってきた罪悪感がずっと背中に張り付いている。みつきとの出会いは、それから解放されるんじゃないかという希望になったことは否定できない。彼女への協力が贖罪の代わりになるんじゃないかと下心を持った。

それを全部見透かされていた。穴があったら入りたいっていう諺の意味を、身を持って思い知った気がする。

それでも、こうしてこれまで生きてきた分、譲れない気持ちもあった。今更みつきの手を離すのは、ちっぽけなプライドが許さない。

半ば意地になって、言葉を捻り出した。


「……何か見返りがあることなんて、求めてないんで」


それに対する弦壱の返事を聞きたくなくて、そのままみつきの後を追うべく御堂の引き戸を開ける。己の背中に掛けられた言葉には、ついぞ反応出来なかった。


「抱えんでええモンまで抱えて、痛い目見るのはお前やぞ」



みつきは、飛び石の先の門前にふわりと浮いていた。かんかん照りの真夏の日差しは強烈で、彼女の薄い色彩を更にぼんやりとさせる。照り返しの光がまるでみつきの身体を掻き消してしまうような気がして、咄嗟に声が出そうになって、そしてはたと我に帰った。

勢いで出て来てしまったけれど、彼女になんと声を掛ければいいのか全く考えていなかった。

弦壱の渋い顔が脳裏に浮かぶ。やから半端者なんや、という幻聴さえ聞こえた気がした。

考えあぐねて立ち尽くしていると、みつきの方が先にこちらに気が付いた。


「あ、チカちゃん……」

「みつき……、えっと、俺、」


やぶれかぶれに口を開いたが、先に切り出してきたのは彼女だった。みつきはさっぱりと笑う。


「さっきはごめんね!」

「え?いや、なんでそっちが謝るんだよ」

「んー、いきなり飛び出してったんやし、めっちゃ気まずくさせたやん。単純にちょっとびっくりしただけやし、もう落ち着いたから心配せんでええよ」


後ろ手に両手を組んで飛び石の上を跳ねて遊ぶみつきには、本当に哀しそうな雰囲気が無い。この短時間で気持ちを切り替えられている様子の彼女を、信じられない思いで見つめる。


「落ち着いたって、あんな事いきなり聞かされて納得出来ないだろ」

「そらそう、なんやろうけど。考えたらまぁそれも悪ないかなぁって思ったんよね」


彼女がその場でくるりと回れば、半透明のスカートがひらりと舞う。モンシロチョウが、そこに何も無いかのように裾を掠めて飛んでいく。


「ウチ、実は死んだ実感ってのが無かったんやって気付いたんよ。ほんまに突然殺された訳やし、こうしてチカちゃん達とも話せてるし。でも、今はまだ気楽〜にできてても、ずっとこのままやったらどないしよって思ったらさ。きっとみんなの事、羨ましくてしょうがなくなって、呪ってしまうんちゃうかって、怖くなった」

「呪うって、お前、そんな事するタイプじゃないだろ」

「ううん、わからんで。だって、ウチ、もっと生きたかった」


それを、みつきは微笑んで言った。声音は穏やかで静かで、だからこそ辺りに重たく響いた。


「ウチを置いて歳をとっていく友達や両親の事を考えるとゾッとする。チカちゃんがお昼ご飯食べてるのを見るのさえ嫌になるかもしれん。だから、あと十八日間、ウチがウチのままで成仏できるように、全力尽くそうって思ったんよ」


だから、どうか手伝ってください。

みつきは俺と、俺を通り越して更に奥に向かって頭を下げた。つられて振り返れば、御堂の階段の上で弦壱が腕組みをして立っていた。俺とみつきを順繰りに睥睨した彼は、ふと肩の力を抜いて深く息を吐いた。一度閉じられた両目が再び開いた時には、険しいばかりだった弦壱の表情は幾分か和らいでいた。


「……元より手伝わんとは言っとらん。そんだけの覚悟があるんやったら、これ以上やいやい言うのは野暮やろ。チカも、ここまできたら腹ぁ括れや」

「っ、もちろん!」


弦壱とみつきに向かって勢いよく頷く。覚悟が決まったとは胸を張って言えないけれど、今から十八日間を無駄にはさせないという意気込みだけはあると宣言できる。

こちらに降りて来た弦壱は、おもむろに柏手を一つ打った。ポカンと見守る俺とみつきに、彼はニヤリと口の端を持ち上げた。


「この広い京都で犯人探しってのはどうにも手間や。せやったら取る手段はひとつ。人海戦術ならぬ、“獣”海戦術や」


途端、弦壱の周りに幾つものモヤが発生する。人にしては小さなそれらは、くるくると収縮して各々が形取る。弦壱の肩に、足元に、頭上に、それらは慕わしげに集まっていく。


「わぁ、すご、大集合やん!」

「こいつら……動物の、霊?」


あっという間に、弦壱の周りには猫や犬、カラスや雀といった姿の半透明な動物たちが二十匹ほど集っていた。


「さて、キリキリ働くで」


告げられた音頭に、その場の全員が呼応した。

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