第2話 一人目の証人の話


そしてその奇妙な僧侶との縁は、一度限りのものではなかったらしい。

俺が再び弦壱と再会することになったのは、全く期待していなかった“不思議体験”を自分自身で経験する羽目になったからだった。



その日は確か、御守りを大家さん一家に届けて一週間ほど経った日のことだった。惰性でつけっぱなしにしていたテレビのニュースが胸糞悪い事件を報じていて、全て見るまでもなく消したのを覚えている。


『京都市南区の桂川で見つかった遺体は、市内の大学生の八重場やえばみつきさんと見られ……』


「犯人の気が知れないわな……」


人が殺された、なんて話はよくあるのだろうが、積極的に知りたいような話でもない。バイト前にこんな気分になるのも癪で、イヤホンを耳に差し込みつつ家を出る。その日のバイト先である京セラドームまでに自分の機嫌を直すべく、アップテンポの曲を選んだ。

そうして、ドーム内を駆けずり回ってクタクタになり、朝のニュースなんてすっかり忘れた夜の帰り道。

京都駅で新快速からホームへ降り立った時、俺はそれを見た。見てしまったと言った方がいいかもしれない。


「うそだろ……」


若い女が、向かいの線路の上で浮いている。

それも、半透明の身体で。


「ゆ、幽霊ってやつ……」


咄嗟に視線を下に落とす。視線を合わせたら不味い気がした。息が上がって心臓が痛い。よろめきながら自販機の側面に凭れ掛かる。ハッ、ハッ、という喘鳴がうるさくて、でもそれが自分の口から出ていることにようやく気がつく。


「れ、冷静に、冷静になれよ、俺」


口元を両手で覆って、心の中で何度もそう唱える。最初の衝撃をなんとかやり過ごしたところで、やっとまともな思考が帰ってきた。

そもそも、あれは幽霊なのか?

ただの見間違いの可能性だって大いにある。むしろ、こんなに大きくて明るい駅で幽霊を見るなんてナンセンスな事が起こるはずがない。ガラスに映った乗客の姿を空目したとか、夜闇とライトのせいで勘違いしたとか、そういう類いのものだ。

幽霊だなんて、バカみたいだ。


「疲れてんのか?俺……」

「ねぇねぇお兄さん」

「あ、すんません、別に体調不良とかじゃないんで……」

「えっと、それも心配なんやけど、それよりお兄さん、ウチのこと見えとったやろ」

「は?」


てっきり心配した乗客に声を掛けられていたのかと思いきや、突拍子もない言葉が聞こえて伏せていた顔を上げる。

上がった視線の先に居たのは、若い女。半透明の身体で笑顔でVサインをするおまけ付き。


「いや〜ほんま賭けやったんやけど、見える人おってよかった〜!ね、ね、お兄さん、ちょお助けてくれへん?」


ハイテンションで捲し立てる様子はただの女子大生のようだが、その身体は透けている。残念ながら間違いなく、彼女の背後にある時刻表が読める。

つまり。目の前のこの女は。

脳の回路が繋がったその瞬間、俺は飛び上がって盛大に自販機に頭をぶつけ、今度こそ心配した周囲の乗客によって駅員を呼ばれた。



「落ち着いた?お兄さん」

「……とりあえず」


ちょっとした騒動の後。しきりに心配する優しい駅員を宥めすかして改札から出ると、バイク駐車場の近くの縁石に腰を落ち着けた。その隣にちゃっかりと座り込む幽霊女は、あれからずっと俺についてきている。

両手で膝に頬杖をつく女は、ホラー物でよくあるような血がベッタリ付いた姿だとか、白装束といった鉄板の幽霊姿でもない。やはりパッと見では、そこら辺の飲み会グループにいる女子大生にしか見えない。それでも生身ではないらしく、半透明だし俺以外の人間には彼女の姿も声も認識出来ないらしい。それは先程の騒動によってよくよく思い知った。頭を打って錯乱しているのかと気遣う視線を向けてきた駅員の顔は、はっきり言って思い出したくもない。

頭を掻きむしっていると、空気をあえて読まないのか天然なのか、女は突き抜けた明るい声で名乗り始めた。


「お兄さんってなんて名前なん?ウチはねぇ、八重場みつき、気軽にみつきって呼んでや」

「八重場みつき……?どっかで聞いたなその名前」

「あ、ウチのこと知ってる人?せやったらめちゃくちゃ助かるんやけど、ウチお兄さんのこと知らへんわ」

「穂積国周、チカって呼んでくれ。たぶん知り合いじゃねぇよ。確か、えっと……あっ」


首を傾げるみつきの目を見て思い出す。朝に見たニュースに映っていたのは、確かに生前の彼女の写真だった。


「お前、桂川で見つかった女子大生か!」

「そうそうそれそれ!チカちゃん話早くて助かる〜!それやったらもうウチがお願いしたい内容もわかるんちゃう?」


ふふん、と胸を張るみつきは、あっけからんと言い放つ。


「ズバリ、ウチを殺した犯人を見つけ出すのを手伝って欲しいんよ!」

「はあぁぁぁ?!」


何がわかるんちゃう、だ。そんな突拍子もないことを急に言われて即応できる人間がいると思っているのか。しかも、言っている本人は幽霊だ。

絶句している俺を他所に、みつきは言い募ってくる。


「だって、腹立つやん!こちとらまだ華の大学一回生やったんやで!やりたい事いっぱいあったっちゅーのに、サクッと殺されてはい終わり〜とかありえへんやろ!チカちゃんだっておんなじ立場やったら末代まで呪ってやる〜って思うって絶対!」

「いやそりゃまぁ……気持ちは分からんでもないけど」

「やからもー絶対探し出してやるって思っててんけど、京都!人多いやん!無理っ!ってなって。だからワンチャンウチのこと見える人おらんかなって思って駅にいたんよ。ね、せやからお願いします!手伝ってください!」


パン、と音はしないがそれくらいの迫力で両手を合わせたみつきが勢いそのまま頭を下げる。その頭越しに見えるアスファルトをぼんやり眺めながら、どうしたものかと俺は声を出さずに呻いた。

間違いなく可哀想な話だ。同情もするし、出来れば力になってあげたいとも思う。けれども、どうしようもなく臆病な自分が、この話を引き受ける事に二の足を踏ませるのだ。これ以上首を突っ込めば、自分の中の何かが決定的に変わってしまうような、そんな予感があった。


「……正直、無茶な話してるって自覚はあるんよ」


俺が黙ったままでいると、みつきがおもむろに立ち上がった。そのままブランコに乗っているかのように両足をぶらぶらと遊ばせる。


「突然幽霊見て逃げずに話まで聞いてくれるめちゃくちゃお人好しな相手に、更にこんな事頼むなんて厚かましいことこの上ないやん。ウチ、流石にそこら辺は分かってるんやで」


でも、どうしても抑えられんくて。みつきはふ、と夜空を見上げる。視界の端で、京都タワーが白く輝いていた。


「どうしても、なんでって思ってしまうんよな。どうしてウチが死ななあかんかったんやろって、そう思ったら居ても立っても居られなくなっててん」


ごめんなさい。そう言って笑ったみつきを、いよいよ見ていられなくなってしまった。

突然人が亡くなった時、何故、どうして、と思う気持ちは痛いほど分かる。それはきっと、現世に残す側も残される側も同じ気持ちなんだろう。そしてその感情はきっと、未練と呼ばれるものなのだ。


未練を残して逝く人を、もう見たくはない。


俺は立ち上がってみつきの腕に手を伸ばす。生憎と彼女の手は掴めなかったけれど、それでも驚いたように丸くなった目が此方を向いた。


「……俺も、どこまで役に立てるか自信ないし役に立つかもわからん。でも、協力する。一緒に犯人を探そう」


みつきの口がパクパクと動く。一語、二語と口の中で消えて、暫く経った後に絞り出すような声がした。


「……ありがとう」

「とりあえず、闇雲に探してもしょうがないし、明日こういう事に詳しそうな人の所に行ってみるってのでいいか?」

「もちろん。でも詳しそうな人って、どんなアテがあるん?」

「うーん、まぁ、詳しいってか俺が唯一知ってる幽霊関連の人……」

「大丈夫なん、それ……」


一週間ほど前に会ったあの生臭坊主を思い出す。大丈夫とは言い切れないが、現状において彼しかアテがないのも事実である。

呆れて引き気味のみつきに向かって、俺は苦笑いで肩をすくめることしか出来なかった。

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