第4話 捜査の話


「にしてもチカちゃんって、ホンマなんでも出来るんやなぁ」


あれから五日。バイトの合間に、みつきと合流しては京都市内を走り回る生活が始まっていた。

みつき曰く、殺される心当たりなど全く無い、と言うので犯人が出没しそうな場所をしらみ潰しに回る。遺体が見つかった桂川の河川敷に始まり、当日にサークルで夕飯を食べた四条河原町の繁華街を歩き、みつきの自宅がある太秦付近を彷徨いてみたり、人の多さに賭けて京都駅に戻ってみたり。考えつくおおよその地点は回り終えたが、未だに手掛かりはない。

今日は一日フリーであるので、早朝から京都駅に張り込んでいた。改札に吐き出され、吸い込まれていくビジネスマンたちを一通り見送った後は、観光客が溢れかえる時間になる。

みつきの証言を聞く限り、犯人は勤め人の可能性は高いので、張り込み場所は烏丸方面に変更した方がいいだろうか。そんなことを考えている時に、みつきが思い出したようにそう呟いた。


「なんでもって、そうでもないけど、いきなり何だよ」

「だって、バイク乗れるし、変装も出来るし、あとこの前のモンタージュ?イラスト描くのも上手かったやん」


彼女は両手をわやわやと動かしながら並べ立てる。

しかし、その評価はちょっといただけない。バイクは必要に迫られた足として最低限乗れるだけだし、変装といっても張り込みに際して怪しくならない程度にキャップを被って服装を変えるだけだ。みつきの話を聞いてザッと犯人の似顔絵を描いた時も、動物霊たちにだいたいの人相を教え込む為のものだった。決して実用性のあるものでもない。

要するに、ただの器用貧乏であるのだと俺は自覚している。


「こんなん、全部べつに大したレベルでもないって。俺より上手く出来る人なんてゴロゴロ居るし」

「うーん、せやろか」


どっちつかずな声を出したみつきは、暇そうに欠伸をした。集中力が切れてきたらしい。やっぱり場所を変えようと決めて、バイクの鍵を引っ張り出そうとした、その時だった。


「あ、シロ!チカちゃん、あれ、走ってくるん、シロやろ!」


何かを見つけたみつきが伸び上がる。観光客でごった返す構内を縫うようにして此方へ猛然と駆けてくるそれは、半透明の白い柴犬だった。安直にシロ、と呼ばれている動物霊の犬はやたらとみつきに懐いているらしく、パッと駆け寄ってきたと思えば俺に向かってはお義理でほんの少しだけ尻尾を振り、すぐにみつきに飛び付いた。


「わはー、シロ、そんなはしゃがんとってぇや!どしたん、帰りしなにウチら見つけたん?」

「シロがこの時間に弦さんところに帰るって、何かあったのか?」


言いながらスマホを開くと、弦壱から寺に来るようにと連絡が入っていた。簡潔で他に情報は書かれていないが、何か進展があったのかもしれない。


「みつき、シロ、寺に戻るぞ」

「オッケー!シロもバイク乗っていこか」


わふ、とみつきに抱えられて御満悦なシロは鷹揚に賛同した。

寺の裏に着くと、駐車場に見慣れないセダンが一台止まっていた。端にバイクを停めつつ、まずいタイミングに帰ってきたかもしれないとチラリと気に掛かった。急に檀家や客が来ていて、鉢合わせたら気まずい。

しかし、みつきとシロはそんな事お構いなしに家の方へと突撃していく。なまじ一般人には見えない分、俺ばかりが気を揉んでいる。なんとなく強張っている気がした肩を揉みながら彼女たちに追いついてチャイムを鳴らすと、意外にも弦壱はすぐに俺たちを迎え入れた。


「思ったより早う着いたな」

「ああ、ちょうど移動しようと思ってたとこだったから……というか弦さん、お客さん来てるんじゃないの?俺たち出直そうか?」

「いや、あいつらの話聞くんやったらお前らも居った方がええやろと思ってな」


そう言って廊下を渡り、弦壱はいつぞやかの客間の障子を開く。そこには、スーツ姿の男女二人組が座っていた。

男の方は恰幅の良い中年で、勝手知ったる様子で茶菓子を片手にワイドショーを観ていた。麦茶を啜りながら此方を見遣る姿は、もはや家主もかくやと言わんばかりのおっさんぶりである。

その一方で、その隣に座る生真面目そうな女性は、きっちりと正座の膝頭を此方に向けて軽く頭を下げた。真っ直ぐ伸びた背中に、これまた綺麗なストレートのポニーテールがストンと落ちている。怜悧な面差しに少々の苛立ちが滲んでいること以外は、概ね百合のような印象の女性だった。

彼らのうちの男の方が、弦壱とその隣の座布団に座った俺を見て得心がいったという顔をする。


「ははぁ、こいつが。お前の言っとった弟子やな」

「誰が。ただ使いっ走りさせとるだけや」

「照れとんなぁ。そうかぁ、お前もやっとまともに人付き合いするようになったんやなぁ」

「壬生ぅ、ええ加減にせぇや」


ぽんぽんと高速で行われるやり取りに、俺とちゃっかり隣に居座ったみつきがポカンとする。あの気難しい弦壱とここまで親しげな会話が出来る人物がいるなんて、考えたこともなかった。ただし、シロは慣れた風に弦壱の隣に伏せて鼻を鳴らしていたが。

唖然としていた俺たちに気付いたのか、弦壱がわざとらしい勢いで正面の二人組について紹介を始めた。


「ええい、チカ、こっちの狸親父が壬生みぶ庄吉しょうきち。こんなんでも刑事や。彼女の方は不幸にもこいつの部下になってもうた子らしい」

「京都府警察刑事部捜査第一課所属、成宮なるみや白百合しらゆり警部補です。壬生警部の御指導を受けています」

「え、警察?!」

「せやで〜おっちゃんこれでもデカやねん。ま、そんな気ぃ張らんと気軽ぅに接してや」


ひらひらと片手を振る壬生の振る舞いは、さながら気の良い親戚のおっちゃんである。とても刑事には見えないところが、生臭坊主気味の弦壱との相性が良い理由だろうか。

それよりも、何故いきなり警察官が二人もここにいるのだろうか。全く読めない展開に戸惑いつつ、とにかく二人に対してちょこんと頭を下げて名乗っておく。


「穂積国周です。弦さんからはチカって呼ばれてます」


それを聞いて壬生がまた、弦さんやって、と盛り上がる。また弦壱と不毛なやり取りが始まりそうなところで、蚊帳の外だった白百合の方から大袈裟な咳払いが聞こえた。


「……すみませんが、お話を進めてくださいませんか、壬生警部」

「つれへんなぁリリーちゃんは。霊験ありがた〜い情報源なんやで、桐村は」

「っ警部、その渾名恥ずかしいのでやめてくださいって言ってるでしょう。あと、捜査協力の範疇を超えるようなお話は勤務外でやってください」


ピシャリと言い切った白百合は澄まし顔だが、斜めから見ていたみつきには耳が赤いのが見えていたのだろう。リリーちゃんって可愛い渾名いいな〜、と純粋に羨ましがるみつきに、ひっそりと空肘を入れた。

何はともあれ、と諌められた壬生が姿勢を正す。一瞬で切り替えられたその眼差しには、確かに歴戦の刑事と言っても過言ではない光があった。


「桐村も、そこの弟子くんも知っとるやろ。今現在の京都で持ちきりの話題と言やぁ、桂川女子大生死体遺棄事件。捜一のワシらのチームが今追っとる事件や。ただまぁ、どうにも行き詰っとってな。例の如く桐村にアドバイス貰いに来っちゅう訳や」


隣に座るみつきがピクリと反応する。斯くいう俺も背筋が伸びた。警察と聞いた時から予感はしていたが、やっぱりみつきの事件に関する話だ。弦壱がわざわざ呼び戻してきたのにも納得する。

それにしても、捜査に行き詰まったからと言って何故弦壱を訪ねて来るのだろうか。例の如く、ということはそれなりに前例があるのだろう。弦壱の方をそっと伺うと、こちらの困惑を見て取った彼が説明してくれる。


「ああ、アドバイスって程でもないわ。ただまぁ、オレは妙に勘が良いらしゅうてな。仏さんが居るような事件があると、壬生が勝手に探偵の真似事させてくるんや」


そう言いながら、彼は正面の二人には見えない角度でシロの頭を撫でている。なるほど、つまり死者の証言をそれとなく壬生に伝えて事件を解決しているという事か。背後のみつきが俄かに腰を浮かせたのが分かった。


「いやいや、桐村のこれに関してはほんまに信頼しとるんやで。で、早速聞きたいんやが、この事件、とにかく証拠が無いんや」

「と、言うと?」


それがな、と壬生が話し始めると同時に白百合が簡単にまとめられた資料を取り出した。差し出されたそれに目を通しながら、覗き込んでくるみつきと目を合わせて確認を取る。

警察が把握している事件の概要は然程複雑なものではなかった。

被害者である八重場みつきは、七月十四日にサークルメンバーとの夕食後以降に失踪し、今月八月九日、南区の桂川の河川敷にて遺体で発見された。死因は窒息死だと見られるが、遺体は真夏の暑さと水に浸かっていた所為で死亡推定時刻が判別できない。目撃情報もなく、彼女の周りに怨恨のような要素も無い。最後の足取りは、彼女の実家の最寄駅である一乗寺駅の監視カメラに映っていた後ろ姿のみである。


「ないない尽くしやないか」

「やから困っとんねん。もはや通り魔じみとる」


壬生が溜め息混じりに肩をすくめる。白百合も固い表情で資料を睨んでいる。警察は本当にお手上げ状態らしい。

チラリとみつきの方を見ると、彼女は頷く。


「今のところは大体あっとると思うよ。ただ、私は四条河原町から一乗寺に着いた後、家に帰ろうと歩いとったら後ろから襲われたんよ。そこら辺の監視カメラとか、映っとらんかな」


それを聞いて、弦壱が早速壬生に尋ねる。


「この嬢ちゃんの実家の周りで目撃者とかも居らんのか?監視カメラとかも」

「それは調べていますが、残念ながらまだそれらしい映像は見つかっていません。そもそも犯行現場も確定していませんし」

「あ、そっか、ウチが一乗寺で首絞められて死んどるのも、誰も知らへんのか……」


呆然と呟くみつきの声が、虚しく俺の耳に届く。

それがあまりにも腹の奥を冷やすような音をしていて、咄嗟に違うと叫びかける。その衝動を、弦壱が俺の膝を思い切り抓ったことで押し流した。


「イッッ、だぁ?!」

「え?だ、大丈夫ですか?」

「あ、いや、その、膝を卓にぶつけて……すんません、はは」


白百合が目を丸くして心配してくれるが、その一方で弦壱は素知らぬ顔をしている。みつきの声を聞いて決して何も思わなかったわけではないだろうに、涼しい顔を装えているのが妙に年の功を感じさせた。

顎髭に手を添えた弦壱が、資料を睨み付けたまま推論を提示する。


「これは完全にオレの勝手な推測やが、この娘は一乗寺で降りた後、その付近で襲われて車に連れ込まれたんちゃうか。それなら目撃者は最低限に抑えられるやろうし、監視カメラさえ気を付ければ足取りは追われにくい。桂川に仏さん放りに行くのも簡単やろ。後はどの線から追うかやな……」

「うーん、そうか……犯行の瞬間が捉えられない以上、あとは御遺体から追うしか無いんだが……こっちも首の索状痕から当たったが何処にでも売っとるビニール紐やったし、他は当てにならん状態や」


弦壱がみつきに目配せするも、彼女は自信無さげに首を横に振るばかりだった。被害者本人でも、今の段階で提示できる物的証拠は何も思い付かないらしい。

それを確認して、弦壱は別の角度を提案した。


「ならまぁ、その通り魔じみたっちゅー方向から攻めてみるのも一手やろ」

「……と、言うのは?」


資料に目を落としていた白百合が目を瞬かせる。弦壱が眉間に皺を寄せながら腕を組む。


「オレも詳しゅうないが、通り魔なら通り魔の心理ってもんがあるもんなんやろ。現場に戻ってきやすいとか、周りの反応を気にする、とか。犯人像の方から考えてみるってのもありや」

「プロファイリングってことですか……」

「それしかないか……よし、リリーちゃん、一旦戻って監視カメラ映像の洗い直しと情報の確認しよか」

「警部……了解です」

「桐村もいつもすまんな。だいぶ頭ん中整理できたわ。またなんかあったら頼むわ」

「そう頻繁にあってたまるかいな」


そそくさと資料を鞄の中に仕舞い込み、警察官二人組が立ち上がる。彼等を見送るべく弦壱も立ち上がり、後を追おうと立ち上がりかけた俺はピンと伸びた指に遮られた。弦壱が卓上を指差して言う。


「お前はええ。先、このグラス片付けとけ」


口ではそう言っているが、その顎はみつきの方をしゃくって目で訴えている。彼女のフォローをしておけ、と弦壱は無言で言いつけると踵を返した。


「弟子くん、またな〜。今後ともよろしゅう」

「お邪魔しました」


壬生がへらりと笑い、白百合が頭を下げる。それに挨拶をして、客間から三人が出て行ってやっと、俺はみつきの方に向き直る決心がついた。

果たして、彼女は泣いてこそいなかったが、悄然として立ち尽くしていた。シロが心配そうに見上げるのにも気付かない。


「チカちゃん……犯人、どうやって捕まえたらええんやろ……」


その問いに返す言葉を、今の俺には思い付けなかった。

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証人フォーティーナイナーズ 生臭坊主と霊感アルバイター、霊能探偵をするなり 京橋ころ @kyoubashi0831

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