聴こえないメロディー

クロノヒョウ

第1話





 下校のチャイムが鳴ると同時に一斉に教室の中が騒がしくなる。

 椅子をひく音、カバンを閉じる音、ドアを開ける音。

 そして、この声だ。

晴人はると、帰るぞ」

「あ、うん」

 あらゆる音の波をのりこえて耳に飛び込んできたのは直幸なおゆきの声だった。

「貸して」

「あっ」

 直幸は俺が持っていたカバンを奪い取るとすぐに背中を向けて歩きだした。

 直幸を追いかけるようにして後に続いた。

「だから、こんなケガ大したことないって」

 追いついた直幸を見上げた。

「俺が気にすんの」

 前を見たままでつぶやく直幸。

 一週間前のこと、体育でバスケをしている時だった。味方がシュートして外したボールを取ろうとゴール下でジャンプした時、同じようにしてジャンプした直幸とぶつかって弾き飛ばされた俺は床に思いきり腕を叩きつけてしまったのだ。

「あれはお前のせいじゃないし。わざわざ毎日送ってくれなくても」

 直幸は自分が悪いと思っているのか、それから毎日こうやって俺のカバンを持って家まで送ってくれるのだ。

「本当に気にすんなよな。骨が折れたわけでもないし。あれは俺だって悪かったと思うし」

 直幸は背は高いが運動神経はあまりよくないらしかった。同じクラスになってから数えるほどしか話したことがなかったが、こうやって一緒にいると案外普通に話せるやつだった。

「晴人は悪くない」

「いや、だから直幸も悪くないって」

 本当に真面目なやつなんだな。わざわざ送ってくれるなんて優しいし、もっとクラスでもしゃべったりすればいいのに。

「とにかくさ、もうこの包帯も明日とれるから、今日で最後な」

 半袖のシャツから見えている俺の腕の包帯を見つめる直幸。

 なんだよ、その寂しそうな顔は。

「いや、明日まで、送る」

 寂しげに笑いながら直幸はそう言った。


 次の日の放課後。

 いつもならすぐに俺のところに来る直幸はクラスのやつに呼び止められていた。

 何話してんだよ。

 俺は窓際の席に座ったまま三人に囲まれている直幸を眺めていた。教室の中はもうあと数人しか残っていない。

「ハハッ」

「だろ?」

 直幸たちの笑い声がやけに耳についてイライラしてきた。

 俺は窓の外を眺めた。

 なんだよ、俺だけじゃなかったのかよ。

 てっきり直幸は俺といる時にしかあんなふうに笑わないのかと思っていた。

 ふーん、ちゃんとクラスのやつらとも仲良くやってるじゃん。

 だったらべつに、俺と一緒に帰らなくても。

 でも直幸が言ったんだぞ。今日までって。

 だから早く来いよな。

「晴人、ごめん、お待たせ」

「んぁ」

 気づくといつの間にか俺の目の前の席に座っていた直幸。

「びっくりした」

 周りを見ると、もう教室には誰もいなかった。

 いやいや、俺は今、いったい何を考えていたんだ?

「ごめん」

「いや、べつにいいけど、何話してたんだよ」

 おい、そんなこと聞くなよ俺。

「えっ? えっと、たまたま同じゲームやってて、いろいろ話して、連絡先交換した」

「はあ!? 俺も直幸の連絡先知らないのに?」

「え?」

 何言ってんだよ俺。これじゃあまるで嫉妬してるみたいじゃん。

「晴人、俺の連絡先知りたかったの?」

「あ、いや、まあ」

「じゃあ交換しよう」

「お、おう」

 スマホを取り出し連絡先を交換したはいいものの、俺は直幸を正面から見ることができなくなっていた。

 なんか、自分がガキみたいでくっそ恥ずかしいわ。

「晴人? 大丈夫?」

「わっ」

 突然俺の顔をのぞきこむようにして近づいてきた直幸と目があった瞬間、俺の心臓が激しく音をたてた。

 俺は思いきり椅子を後ろに引いた。

 そして激しく鼓動している胸を押さえた。

「晴人? 大丈夫?」

「な、なんか、心臓が」

「ねえ晴人、それってさ」

「わ、ちょっと」

 直幸が俺の手を掴んで引っ張った。

 俺の手が直幸の胸に触れた。

「こんな音?」

 手から直幸の心臓の鼓動が伝わってくる。

 それが俺の心臓の鼓動と重なって頭の中にまで響いてくる。

「俺は晴人といる時ずっとこんなだったよ。聴こえなかった?」

 俺は無言のまま首を振った。

「そのケガ、本当にたまたまだったけど、ごめん。晴人のそばにいられるチャンスだと思って喜んでた。俺、晴人のことが好きだから」

「は? す、好きって」

「こういう好き」

 掴まれたままの手から伝わってくる直幸の心臓の鼓動がさらにスピードをあげた。

 ああ、そうだったのか。

 俺も今、やっと気づいた。

 あまり人と話さなかった直幸が俺とだけ話してくれるのが嬉しかった。運動神経が悪いのも真面目で優しくて話せるやつだと知っているのも俺だけだ。俺だけが知っている直幸を他の誰にもとられたくなかった。それに直幸の声が好きだ。直幸に「晴人」って名前を呼ばれるのが好きなんだ。

 その時、まだ校内に残っている生徒に下校をうながす音楽が流れはじめた。ゆったりとしたメロディーだ。

 俺は立ち上がった。

 そして手を握ったまま直幸の目の前に立った。

「もっと、俺の名前、呼んで」

 直幸の驚いたような顔。

 熱くなる俺の顔。

「晴人」

 もう、俺には直幸の声しか聴こえなかった。



           完





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