◼️BLACK DRAGON◼️100年に一度蘇る黒竜〜空色の瞳と大魔導士の軌跡〜

Y.Itoda

厄災、黒竜

 ——はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……


 漏れ出す息が……

 蒸発していく。

 身体中の水分と共に。


 凄まじいごう音と咆哮ほうこうが天地に鳴り響き、地面が揺れる。

 空気を引き裂くような雄叫びに、身体も引きちぎられそうだ。


 これほどに巨大だったとは……

 人間なんて、やつの指一本分しかみたない。

 かつ強大で、その禍々しい目で睨みつける黒竜は、再び炎を口から吐いた。


 その炎は、四人を覆う防御魔法を貫通してきていた。

 今は僅かながらの量だが、身の危険予期した。

 焼けるように肌に絡みついてくる。


(こりゃ、まいったね)


 前線で防御を張る、ミツゾさんの心の声が聞こえてきた。


(熱い……このままじゃ焼け死んじゃう)


 後ろで封印のチャンスを伺う、イナンナの心の声も聞こえた。


「ヨシハ! あんた何とかしなさいよっーー!」

 怒鳴り声も。


 ——はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……


 ……熱い。

 干上がりそうだ。

 首から下げたペンダントを服の上から握りしめる。


 ——父さん。


 おれは——

 はたして、こいつに勝てるのだろうか。



 ◇◇◇



 ——二年前。

 

「お~、全員揃ったなー。試験始めるぞー」


 ミツゾは、緊張した面持ちの、生徒たちが気になっていた。

 目の前いる六人の生徒たちは、この魔法アカデミーで、三年間みっちりと鍛え上げられた精鋭ではあったが、


「おまえら、ち◯毛、もう生えたか?」


「何言ってんだよっ⁈」

「ミツゾさん、セクハラです。死んで下さい」


 大声でリアクションするヨシハに続いて、幼馴染のイナンナも適切に対応する。

 他の生徒たちも、口々に不満を溢した。


「さいてー」「噂通りだな」「まだ生えてねーよ」「人のことより、自分の頭を心配しろよ」


 生徒の年齢が低いことを危惧していた。

 それと、少しばかり落ち込むミツゾであった。


 ——今の若いやつって、ほんと遠慮ねーんだな……


 一年前の黒竜討伐メンバーの一人で、大陸全土に名をとどろかすミツゾだが、村では『逃げ帰った英雄』などと揶揄やゆされ、その不名誉な言葉は、どことなく人を避けるような口ぶりがそうさせていた。

 髪の毛の量が少ないのは、黒竜のせいだという事実は、謎ではあるが。

 本人は吐き出す炎で、一部が燃えたのだと譲らなかった。


 100年に一度の厄災『黒竜』。

 その竜を封印する魔法が、レム村には代々伝わっていた。その継承者がこの試験で決まる。


 基礎魔法の筆記試験を終えると、生徒たちは、教室の外の敷地で、魔力の実技試験を始めていた。

 皆で、ミツゾが張り巡らせた、防御魔法の壁に向かって魔力を放っている。

 手にした杖は、 持つところが曲がりくねった『ワンド』、短い棒状の「ステッキ」、長い棒状の「ロッド」と、それらは各自で持ち合わせた物だ。


「おーい、ヨシハ~。そんなんじゃ、おまえの父ちゃんの顔も浮かばれんぞ~」


 ミツゾは、懸命なヨシハの気持ちを逆なでるように、にたにたと笑みを浮かべながら口にした。

 息巻くヨシハは、全ての魔力を絞り出すように杖を握る。


「いっけぇーっ!」


 その声に感化された、他の生徒たちも、防御魔法の壁に向かって、懸命に魔力を注いだ。


「あんたは黙ってなさいよっ! 集中できないじゃないっ」

 隣にはイナンナの姿もあった。


「よ~し、お前らー、全魔力を出し切れー、四元素を安定させろよ~」


 魔法を発動させるには『火・地・風・水』の、四種類の元素のエネルギーが扱うことが必要で、封印魔法を使うには、それら四元素の自在コントロールが必須だった。


「んじゃ~、試験結果は明日発表するなー。解散していいぞー」

「ありがとうございましたー!」

 ミツゾに向かって、生徒全員で挨拶をした。


「たく、あんたのせいで、試験に落ちたらどうしてくれんのよっ」

 イナンナは言いながら、ヨシハの背中を拳で殴る。

 どうしてこの女はこうも暴力的なんだ。昔っからそうだ。

 イナンナとは家が隣同士で、生まれたときからの仲だった。

「はいはい」

 ヨシハはあしらうように片手を上げ、「どのみち合格するのは、おれだから」と、イナンナと視線を合わせることもなく、その場を立ち去ろうとした。

 すると声が割って入った。


「それは聞き捨てならんな」


 振り返ると、イダビレ国の王都からやって来た貴族のユサだった。


「黒竜を封印するのは、このおれだ」


 また面倒なやつに絡まれたと思った。

 こいつは、言うことなすこと全てが鼻についた。その見るからに高貴な身なりと、自分たちのみすぼらしい服装を比べ惨めに思う。

 どうせこいつらは、金、地位、名誉、が目的で試験に来てるだけだ——


「父さんの仇を討つのは、おれだ」


 ヨシハはユサに掴まれた肩の手を振り払い、その場を後にした。


 近年、王都の発展は著しく、ヨシハの住むレム村との違いは歴然だった。

 かつては大陸一といわれ、魔法で賑わっていた村も、ずいぶんと過去の話になってしまった。人々は私欲にまみれ、黒竜の存在ですら、実在しない幻想の作り話だと疑う者すらいる。

 それは、一年前の討伐の際に、父を失ったヨシハにとっては、いたたまれない事実だった。


 翌日。


「この大馬鹿者がっ!」


 ヨシハは試験に落ちた。

 帰宅するなり激怒したのは、ヨシハの祖母だ。丸まった背中を起こして懸命に訴えかける。

「全ての属性を網羅した歴代最強とうたわれた、お前の父、アメノが泣いておろうぞ!」


 属性として、攻撃、防御、回復、があり、一人一属性が一般的の中、アメノはこれに加えて、封印魔法も継承していた。


「しょーがないだろ、ばーちゃん。おれは攻撃魔法しか使えないんだから」

「何を言っとろう! お主はまだ十二才じゃろうが! しっかり精進せんか! あの、全てを焼きつさんと禍々まがまがしい赤色の瞳で睨みつける、100年に一度の厄災。黒竜を一体だれが封印するんじゃ!」


 そんなことは、言われなくたってわかってる……


「とりあえず、討伐メンバーには入ったんだからいいだろ」

 ヨシハは家を出た。


 耳にタコができるほど聞かされていた。黒竜の赤い瞳の話は。ばーちゃんのばーちゃん代のときは、討伐メンバーが全滅し、村までやって来た黒竜のせいで、多くの人が死んだ。


 山間にある木々に囲まれた小さな村は、自然と調和して暮らす人々の住処で、村の中心には水車小屋が見え、川の流れを利用して穀物をひき、村人たちは農業や狩りで生計を立てながら、平和で心豊かな生活を送っていた。

 王都までは、馬を走らせても七日はかかり、けして裕福ではなかったが、ヨシハはこの村が好きだった。


 一人になりたくて、村を少し外れた川のほとりにやって来た。ここは、ヨシハの憩いの場所だった。

「泣きたいのは、おれの方だ……」

 木陰のある木にもたれかかって座り、川の水流をあてもなく眺めた。

「——父さん」

 この川で、何度も一緒に魚釣りをした。

 首から下げたペンダントを服の中から手に取り、ぼんやりと眺める。父アメノから譲り受けた物。

 澄み渡った青色の石に、自分の顔が浮かんだ。黒色の目が青く映って見えた。

 それは、見上げた空と同じ色だった。


『ヨシハ、この石は——数千年も前から受け継がれてきた平和の象徴だ』


 アメノの言葉。


 ——父さんも空、好きだったのかな……。

 空は、のんびりとしていた。


 しばらく感傷に浸るつもりだったが、突然、後頭部に蹴りが入った。


「あっ、ごめんあそばせ~」


 イナンナだった。

「いってーなー! ばかやろー」

 本当に痛かった。

「だからあやまってんじゃん! 試験落ちたくらいで、泣いてんじゃないわよっ」

「ばかやろー。泣いてんのは、お前の蹴りのせいだっ」

 イナンナは、ふんっ、と荒い息を吐いてから、ヨシハの隣りに座る。


 ほんと何なんだ、この女は。

 可愛い顔して、その辺の凶暴な魔物と何ら変わりがないぞ。

 ヨシハも腰を下ろした。


「さっきミツゾさん、言ってたでしょ? 前線も封印と同じくらい大事だって。二年でミツゾさんと同じくらいまで魔力を高めないといけないんだから。あんたは、しっかり私を護衛しなさいっ」


(ほんとバカなんだから……)


 レム族は、テレパシーのような力で、意思疎通をすることが可能だった。

 心に届いた声は、少し悲しげと不安が入り混ざったような波長だった。


 イナンナは強気な態度とは裏腹に、弱気な一面も持ち合わせていることをヨシハは知っていた。


 封印魔法は、それそうのリスクがあった。

 エネルギーの緻密なコントロールの他に、魔力消費力が高く、尽きると死に直結する。

 アメノも封印した後に、命を落としたという。


 ヨシハの握った手に力が入った。

 イナンナを死なせるわけにはいかない。

 おれが何とかする。

 父さんの仇も討つ。


「まあ……大丈夫だ」

 ヨシハは力強く言ってから立ち上がった。

「おれが付いてる」

 言葉とは別に、ヨシハの温かい心の声が読み取れたイナンナは、満面の笑みで応えた。


「うんっ!」


 ——ここか……。


 レム村には、封印魔法の他に、もう一つの最強魔法の存在が伝わっていた。

 それは公にはされず、ごく一分の者だけが知る情報だった。しかし、アメノが死んだ後、ヨシハは父の部屋で一冊の本を見つけた。

 その古ぼけた本には、こう書かれてあった。


 最強最悪の禁呪魔法——『デスクラマ』。


 ——ヨシハはずっと疑問に思っていたことがあった。


 どうして封印なんだ?

 倒せないのか? と。


「これは、土と風の性質のエネルギーと、少しだけ水だな」


 結果が森の全体を覆っていた。

 ヨシハは、目の前の森結界に手で触れ分析を試みた。薄い白と水色が混ざり合ったような色だ。

 当然、ここへ近づくことは、村の長、及びミツゾからも強く禁じられていた。A級クラスの魔獣や魔物も生息し、並の魔法使いでは手に負えないからである。


 ——火と風でこじ開けれそうだな。


 しかし、ヨシハには自信があった。

 それは、攻撃値に関してだけいえば、村で一、二を争う実力の持ち主ではあったからだ。


 杖を結界に向け、魔力を一点に集中させる。

 灯した炎は、風のエネルギーが加わると、みるみるうちに、渦巻きながら火力を増していき、自分の体と同じくらいの大きさになった。

 ——頃合いだ。


「よし……いけ」


 ヨシハは魔法を撃ち放つ。


 結界に穴を開けたヨシハは、何食わぬ顔で森の中心部まで足を進めていた。

 途中で遭遇した、犬、鳥、トラ、型の魔獣は簡単な魔法で威嚇いかくする程度であしらってここまでやって来た。

 これは、魔獣とも共存を理想としていたアメノの教えでもあった。むやみに傷つけるなと。


 ——森が沈黙した。


 辺りが急に静まり返る。

 神聖で、張りつめた空気に、ヨシハはただならぬ何かを感じとる。


 この先に、何かある……

 一歩、前に足を踏み出しときだった。


 鳥が鳴き叫び、一斉に飛び立った。

 と、同時にがなり声が大きく響いた。


 肌で感じる恐怖。それは、重低音で深く、荒々しく、恐ろしかった。


 ——大型の魔獣だ。


 ヨシハは咄嗟とっさに顔をめがけて火の魔法を放つ。

 自分の身の丈の十倍ほどもあろう熊の魔獣は、よろめいてから、さらに大きな声で威嚇をする。

 即座に思った。


 ——まずい。こいつはS級だ。


 後退りしながら、再び顔をめがけて火を放つと、魔獣は慌てふためいた。——逃げるしかないっ。

 思って、瞬時に後ろを向く。

 そのときだった。もう一匹いた——

 熊の魔獣は、叫び散らしながら、その巨体からヨシハめがけて、かぎ爪を振り落とした。


 ——やば、死んだ。


 そう思った。間違いないと。

 でも、声がしてから、ヨシハの体は、球形の防御魔法で覆われた。


「ばかやろー! 何してんだっ!」


 魔獣のかぎ爪は、防御魔法を大きく揺るがし、穴を開ける。

 この魔法は全体を覆う分、壁形よりも強度が劣った。


(隙ができたら走って逃げろ)


 目が合い、ヨシハは小さくうなずいた。

 ミツゾの瞳は黒色から空色へと変化していた。

 これはレム族の特性でもあった。ある一定量の魔力を解放すると発動する。

 ヨシハはその目を見て、すぐに対峙している魔獣の強さを理解したのだった。


 このあとの動作は、あっという間だった。

 ミツゾは防御を壁形へと変化させると、そのまま防御壁を目の前の魔獣ごと、前へと押し出していき、ヨシハが外へ向かって走り出したことを確認してから、後ろの魔獣にも防御壁を喰らわせ、一気に防御壁の加速を早めた。

 そして、次々と魔獣もろとも木をなぎ倒していき、爆音が交互にしたあとに、結界が揺れる。

 魔獣は二匹共に結界の内側に激突したのだ。

 しばらく、地鳴りと霧や煙のようなものが、立ち込めていた。


「ばかやろー! 何やってんだっ。お前はっ」

「ごめん。ミツゾさん」


 外で怒鳴られた。

 ——本気で怒った顔。初めて見た。


「ちょっと待ってろ。結界を張り直してくる」


 ぼんやりと——大きな石の上に座りヨシハは、レム村を遠目に見下ろしながら、ささやかな吐息をこぼした。


「たくー、どうしてこんなことをしたんだ……」


 頭をかきながら戻って来たミツゾも隣に座る。心地のよい風が、二人の頬に触れる。


「ミツゾさん。この森にある魔法って、一体なんなの?」


 本を読んで、森にやって来たヨシハだったが、未熟さゆえに、全てを読み解くことはできていなかった。

「本に描いてあった、竜の絵って?」

 少しの時間、ミツゾはレム村を眺めた。


 ——ほんとは、お前たちを巻き込みたくなかった。


 ミツゾは以前から、村の長たちに訴えかけていた。未来ある若者を。ましてや黒竜の討伐に向かわせるなんて、と。幼少期から青年期の間が、最も有効だという理由だけで設立された、魔法アカデミーにも反対をした。それほどまでに、レム村の人材不足は深刻だった。

 そもそも魔力の鍛錬は、毎日、何千、何万回と、細い糸を針穴に通すような地道なものであり、興味本位で志す者などいない。皆、城や建物、構造物を作ることに躍起やっきしている。もはや、黒竜討伐なんて頭の片隅にもないのであろう。


(おれは黒竜を倒したいんだ)


 何故だろう。こいつの眼差しを見ていると、応援したくなるのは……

 真っ直ぐ遠くを見つめるヨシハを見て、


 ああ、あいつと重なるからか——

 あいつと同じ目をして、同じ台詞せりふを言ってやがる。


 ミツゾは、笑みを含むと、「この世界は、光と闇の力エネルギーで均衡を保っている。それがレム村にある」と、言ってから話し始めた。



 ◇◇◇



「しっかりとお役目を全うするんじゃぞっ!」

「ヨシハ……これ」


 ——父さんの杖。


「今なら持てるでしょっ」

 そう言って、母は、にこりと微笑み、ヨシハの身の丈ほどの杖を渡した。


「かあさん。ばーちゃん。行ってきます」


「遅い! 私を待たせんな! また泣いてたんじゃないでしょうねっ⁈」

「やれやれ。まだまだ子供だな」

 村の入口の門の前で待っていた二人に、「あー、うるせーなー。せっかくの感動の旅立ちが台無しだ」と、ヨシハは言い合流をする。誇らしげに並ぶのは、左にイナンナ。右にはユサだ。

 最初に待っていたミツゾも胸を張り、そろったな、と口を開いてから言った。


「おまえら、ち◯毛、生えたか?」


「たくー! 何でミツゾさんはそうなるんだよっ⁈」

「先生……。関係のない質問はやめていただきたい」


 二年経っても変わらぬ師に、呆れる二人だったが、イナンナは無言を貫いた。


 村を離れ、山頂に向かう道中で、ヨシハが訊いた。

「しっかり修行してきたんだろうな?」

 この二年間、ユサだけは別行動だった。

「大丈夫だ、ヨシハ。おれがとっておきの家庭教師を紹介してやったから」

「ミツゾさん」

「そもそも、ユサが駄目だったら、このパーティーは全滅だ」

 先導するミツゾが言うと、ユサが問いかけた。

「おまえの方こそ大丈夫なんだろうな?」

 するとヨシハは声高らかに答えた。


「当たり前だ」


 順調だった。歩きながらたずねた。黒竜の封印が解ける周期が早い理由を。しかし、ミツゾの口からは、三年前に何かがあった——それだけだった。


 魔獣と遭遇しても必要なときだけ戦い、戦闘時は、ミツゾが防御を固め、隙を見てヨシハが攻撃を放ち、必要とあればユサが回復に回る。慎重に進めた。イナンナの魔力を温存することに皆、全力を注いだ。

 それは必然だった。封印できなければ、この世界は終わるのだから。


 山頂の岩々は、時の流れに削られながらも、威厳いげんを残し、風が波を打つように鳴り響く。厳しい地の雄大なる息吹を伝えていた。

 壮大な岩肌は、荒々しくそびえ立ち、悲壮な地形が広がっていた。


 そして、

 夜空に輝くたくさんの星の下、それはあった。


 これが……


 ヨシハは息を呑んだ。

 目の前のそれは、まるで垂直に切り立った岩壁だ。想像をはるかに超え、天まで届きそうだった。

 僅かながらに、ゴゴゴゴと、不気味な音を立て、小刻みにゆれている。封印が解けかかっているのか?


「準備はいいか?」


 知ってか知らずか、皆の動揺を気にとめる様子もなく、ミツゾが封印を解いた瞬間だった。


 ——いきなりきた!


 轟音と、咆哮。

 地面が大きく揺れ、地割れと共に、空気が肌を刺すように黒竜は暴れ狂う。

 一瞬にして地は炎に包まれ、その姿は火山の噴火のように恐ろしく、その声はまるで雷鳴のようにとどろいた。


(これじゃ、らちがあかねぇな……)


 事前の作戦通り、防御、回復、隙を見て攻撃魔法、と繰り返していたが、黒竜の口から吐く炎と、強固なうろこはそれらをことごとく弾き返した。

 ミツゾに、『封印することだけを考えろ』。

 そう言われた理由が、身に染みてわかった。


 ——次元が違いすぎる。


 黒竜は赤色の目で睨みつけ、叫び狂いながら、絶え間なく炎を吐き続けた。

 いくつもの壁型の魔法を繰り出し、好機を作っていたミツゾの防御も、次第に皆を覆うだけの球型の防御へと変化していた。すでに瞳は空色だった。


 まさに防戦一方。


 絶え間なく吐き続く炎に、(予想以上だ)と、動揺するミツゾの弱気な心の内がヨシハに伝わった。僅かながらに防御を貫通していた炎の範囲も、徐々に広がってきていた。

 戦闘が始まってからずっと、地に魔法陣を張り巡らせ、皆を回復し続けるユサの限界も近い。


「ヨシハ! あんた何とかしなさいよおーーー!」


 ヨシハは後頭部を、イナンナの怒鳴り声に殴られるが、


 ——はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……

 熱くて、干上がりそうだ。


 なす術がなかった。

 首から下げたペンダントを服の上から握りしめる。


 ——父さん。


 おれは——どうすれば?

 黒竜は、凶暴にたけり狂っている。

 怒り? 悲しみ?

 一体、何がおまえをそうさせる……


 その、どこか嘆きにも似た叫びの中から、ヨシハは何かを感じ取ろうとしていた。


(やばいっ!)


 ミツゾ叫ぶと、咄嗟に防御を強化する。しかし巨大な翼で風を切りながら飛翔した黒竜は、またたく間に視界を塞ぐ。そして雄叫びを上げ襲いかかった。

 並べた防御は、渾身の三重の壁だったが、振り下ろされた巨大な爪は、ものの見事に破壊した。

 その衝撃により、皆、弾き飛ばされる。


「くっ……」


 ユサは大きな石に背を預け、激しく息を切らしながら悟った。体力と魔力が底をつきかけていることを。——皆を回復しなければいけないのに……。


 そのときだった。


「どうして……」

「当たり前でしょっ。ユサだけほっとけるわけないじゃない」


 必死さは、これまでの献身的な動きから皆に伝わっていた。そこには、心の意思疎通ができないことなど関係なかった。ユサも何かを背負ってここまでやって来た。命をかけて。


 即座に施されたイナンナの魔法で治癒したミツゾは、三人の他、ユサにも防御魔法を張り、かろうじて全員が炎を免れた。


(聞けっ! おれが時間を作る。そのあとはヨシハだ。イナンナは準備しておけっ)


 切迫した様子から、全員が全てを感じ取った。これが最後の攻撃になるのだと。命がけの。


 ミツゾは防御の魔法を張ったまま、両手を地面につけ、深呼吸すると、土の気配を感じ取り、魔力と同調させる。地に魔法陣が浮かび上がる。


 ——ミツゾはわかっていた。


 おれはこの魔法を放つと、死ぬ。


 ミツゾは目を開き、声を張り上げる。


「ヨシハ! いくぞ!」


 言葉とともに、地面は揺れ始め、波のように盛り上がった土は、一瞬にして変化していく。凄まじい音と振動が、空気を震わせながら、土砂が津波のように勢いよく炎を押し戻す。


 そして——


 黒竜の上半身は土砂で固まり、ついに動きが止まった。


「よし」


 黒竜の視線の高さまで浮き上がって、ヨシハは魔力を練り込んでいた。夜空に杖を突き上げ、それは煌々と燃える。杖の先に光る魔石が、より強大に炎を膨れ上げさせていた。


(ぶちかましちゃいなさいっ!)


 イナンナも魔力を高め備えていた。空から細い光の線が伸び、地面に複雑な模様を描き始めていた。魔法陣の中心に立ち、降り注ぐ星の光を集める。その祈る姿は神聖で、女神のようだった。


 二人の瞳は、空色へと変化していた。


 ——何だ?


 杖を振り下ろしたときだ。

 放った魔法が、黒竜に到達するまでのほんの一瞬のとき。ヨシハは気づく。そのうれいを帯びた黒竜の瞳が、空色になっていることに。


 ——ひょっとして、父さん?


 ミツゾに聞かされた話が、脳裏をかすめた。

 あの森に眠る、最強最悪の禁呪『デスクラーマ』。

 ドラゴンに変身する魔法のことを。


 ミツゾは決死の形相で訴えた。


(そうだっ。三年前、おれたちは勝ってたんだっ)

 最後の力を振り絞るように。


(すまねえな。おれがヘマしたばっかりに。アメノをそんな姿にしちまった。ヨシハ、そいつを止めてやってくれ——)


 ……だけど、この声は誰にも届かなかった。


(っ⁈)

(っ⁈)

「先生っ⁈」


 ミツゾは地面に崩れ落ちるようにして横たわり、魔法は無情にも消え失せる。

 その直後、黒竜は再び叫び出したが、ヨシハによって放たれた魔法が、頭上にぶつかり爆発した。光と炎の衝撃波が、この星を揺るがした。


「イナンナ!」


(任せて)


 手を合わせ、深呼吸をすると、イナンナは、周囲の空気がひんやりとした感覚に変わるのを感じた。魔力が満ちていく。

 目を閉じ、呪文を詠唱えいしょうした。


「ヌイクムカミツキイルテ!」

 

 光が魔法陣を埋め尽くし、もの凄い勢いで輝きは増していった。そして、

 イナンナは目を開き、黒竜に視線をぶつけた。


 その刹那せつな、魔法陣から強烈な光が弾けると、無数の星たちの光が矢となって、黒竜に向かってことごとく突き刺さっていく。次から次へと押し寄せる矢は、体の全て貫通させた。


 目の前の常軌じょうきいっした光景に、ヨシハは地に足をつけ、ただ佇むことしかできないでいる。


 そして、生気を失い、矢が猛烈に輝いて消えると、黒竜は再び石のように固まった。


 しばらく間、静まり返った大地に、三人の息づかいと、行き場のない鼓動だけが漂った。


「ミツゾさんは?」


 イナンナの声で、皆、我に返る。



 +++



「何でだよ……」


 ヨシハの声がこぼれた。


 気づけば、夜が明けかけていた。

 微かな光が、ミツゾの顔を照らす。


 イナンナは、ミツゾの二つの手を、そっと腹部の辺りに持っていき、涙を流した。


 ユサは背を向け、泣いていた。


 ——どうして、こんなことが繰り返されるんだ。

 ヨシハは感情の整理がつかないでいた。

 イナンナとユサも同じ思いのはずだ。


「強くなろう……」

 ヨシハは小さく呟く。


 ——この世界は何かがおかしい。


 空を貫いて差す陽光は、気持ちとは裏腹に、くしゃくしゃになった顔をキラキラと輝かせた。


 そして、ヨシハは力強く言い切った。


「こんなくだらない戦い、おれたちで、終わらせるんだ!」




______________________

*続編は

ブラック・ドラゴン 亡国の勇者

にて連載します!

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