青痣

那須茄子

青痣

 青を見つめていた。

 痣で変色した自分の身体を抱きしめながら。


 鏡に映る私へ問いかける。 

「あなたは傷付けられる方が楽で好きなの?」、かと。 


 答えを知っていても、敢えて自問を行う。答えはいつだって気紛れで弱いからコロコロと変わる。

 私はそれを許しちゃいけないと思う。


 青痣をつくり続ける以上、この繰り返しに意味を名付けなければいけない。

 きっと私は、罰を前提にして罪を見出したいのだ。


 私任せにして生きていたいから。鏡を通して、私に全ての苦しみと痛みを押しつける。  


 いっそのこと、死んだ方がまだマシな世界で自傷行為に入り浸る私は可哀想?

 頭では分かりきっていても、壊れた心には何も感じない。幼子は善悪の判断がつかないように、私も良いことと悪いことが曖昧で感じにくい。

 まるで、道徳の向かい側で生きる住人だ。


 それは鏡の中の私も同じ。

 見つめ続けた瞳が揺れて、鏡の中の私はそっと窓に視線を向ける。


  

 窓の外。

 言いたい言葉は、なんとなく分かった。


 私がつい最近見つけた湖で、入水自殺をしようと促しているのだ。


 あのよく澄んだ青い水の中なら、私の身体を沈ませれば素敵な色が浮かび上がるに違いない。

 そんな思いつきを、鏡の中の私は覚えていたらしい。 


 どうしよう。それはそれで、いい提案だ。

 私の思いつきが、ここにきて大きなを揺さぶりをもたらすことになろうとは。

 

 

「あ、でもダメ。私が居なくなったら、あの人は傷付けるものを無くす。そうしたら、あの人は見境なく傷付ける怪物になるよ」 


 

 それはあってはならないと、私の脳が理解した。私はその可能性――事実を、鏡の中の私に告げる。


 鏡の中の私は瞳を細くし、胸に手を当てる。そして、また窓の外を見る。

 その一連の動きにはまるで生命というものがなく、流れるようにあるだけの造り物みたいに見えた。


 もしかしたら、私は偽りを正して、正解を答える無機質に成りだしているのではないか。

 

 鏡の中の私もまた、私。

 私もまた、鏡の中の私。


 そうだ。

 なにより私は、世界で一番青色が大好きなんだ。



 私はもう十分傷付けられた。

 全身に青痣をつくるほど、暴力で塗りたくられた今がまさに。

 私の身体を沈ませれば素敵な色が浮かび上がる熟れ頃。



「……そっか、難しく考えなくていいね。もう簡単に考えられるようにできているんだから。私は私を綺麗にしてあげよう」



 私はボロボロの服を破いて、裸体となる。

 それに合わせて鏡の中の私も、瞳を大きく動かして横に置かれていた拳銃を手に取る。



 まずは、あの人を殺す。



 私は死ぬから、あの人は傷付けられるものがなくなる。それなら、あの人も一緒に死んでもらえば色々と都合がいい。

 確かあの人は、居間の大きなソファでお昼寝中。

 

 頭を一発で撃ち抜けば、それで永遠のお眠りだ。


 

 私は忍び足で、あの人がいる居間まで歩いた。拳銃を握る手は、何度も引き金を触る。慣れていない分、早く撃ち殺したいという衝動に駆られるのだろう。

 

 もう拳銃を構えればそれだけで、あの人の頭を撃ち抜ける距離だ。このまま的が動かなければ、百発百中のど真ん中を撃てる自信すらある。


 けれど、なんだかそれは物足りない。


 今にして思うと、散々暴力を振るわれていたことが理不尽でしかたない。

 ほんの少しばかり、苦しんで欲しい。



 私はわざと、あの人の肩を揺さぶる。

 最後にせめてもの優しさを込めて、あの人の耳元に囁く。


「おやすみとさようならを愛して、あなたを殺します。今までたくさんの暴力を私の身体につくってくださり、ありがとうございます。私はあなたに巡り逢えて、結果的には良かったかなと思ってますよ。ずっとずっとそういうことにしときます」



 あの人が薄く目を開けるその刹那。


 バンッ、と乾いた音を響かせた。

 

 おそらく寝ぼけた視界の中で、あなたを殺した。なにも言わないまま、笑顔を向けて殺した。


 


 ふと。 

 居間に小さく置かれた鏡の光が反射して、私の顔に当たる。

 

 眩しいというより、温かい。

 私は鏡を見つめる。


 正確には、鏡の中を見つめる。

 そこには、私が映る。

 鏡の中の私が、私を見つめ返していた。

 

 瞳を潤ませる鏡の中の私。

 それに思わず笑みが溢れる私。

 狂と喜が合わさって、狂喜が生まれる。


 生きているという実感が本能を刺激して、人間であることの喜びがなんたるかを知れた。 


 嗚呼。 


 私は私が堪らなく愛おしい。私が私で良かった。私が私を好きでいてくれて、どうもありがとう。

 私は青色が大好きで、壊れる在り方に美しさを求める。

 

 心は壊れていなかった。物凄く躍動して動いているのだ。

 私はとんでもない勘違いをしていた。


 

 「ああははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははぁぁ。


私行くね。私逝って来る。綺麗な青色にしてくる。私を綺麗な青色にして殺す。  


私は私で、鏡の中の私はやっぱり、私。

青い私も、私で、青色も私。

私がいっぱい。私がいっぱい居る。どうしようどうしよう。


こんなに私が居たら、死にきれないよ。大丈夫かな。

大丈夫だよね大丈夫!!!!!!


ああははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははぁぁ」

 


 胸が高まるあまり、笑いが止まらない。


 幸せ。


 死逢わせ。 


 

 もう目の前には、あの青色がある。 

 

 何で?

  

 気付けば、足が勝手に動いていた。駆けていた。

 青い足から赤い血が吹き出していた。青色と赤色が混ざって、紫になっていく。まるでパレットに絵の具を間違えて落としたみたいに、全てがぐちゃぐちゃに見えた。


 おかしい。


 


 あれ。あれれ。

 どこ。どこにいったの。 

 青色がない。私が大好きな青色がいなくなった。


 どこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこ。

 

 

 見えない。見えない、青色が見えない。


  

 真っ暗がどこまでもあるだけ。




 私の青色も、あの綺麗な青色もない。

 見つめるものが、もう何もない。


 

 

 

 

 

 

 

  



 


 

 


 

 

 

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