もう一度
@yanagiminamo
第1話
「ただいま」
いつもと同じように、返事の無い言葉が玄関に虚しく響く。乱雑に荷物を置き、早々に上着を脱ぐと、男は吸い込まれるかのように寝室へと足を踏み入れた。
「帰ったよ、理人」
理人、と呼ばれた男は、死体と呼ぶにはあまりにも綺麗な状態で、ベッドに横たわっていた。男は枕元に腰を下ろすと、目を覚ますことのない理人に話しかけ始めた。まるで、相手からの相槌を待っているかのように。
「はぁ、今日は散々な一日だった。仕事でやらかして、上司にこっぴどく叱られてしまった。だがあれは、何も俺一人のせいではないと思う。上司達の方にだって非はあったんだ。それをあたかも俺一人のやらかしってことにして、自分達は罪から逃れる。やれやれ、人間ああはなりたくないものだな。なぁ、そうだろ?理人。」
相変わらず返事はない。
「やっぱりお前がいないと寂しいよ。お前に話したいことがたくさんあるんだ。もう一度お前の声を聞きたい。もう一度お前の笑顔を見たい。そのためなら俺はなんだってやる。二人でどこか遠くへ行こう。二人で逃げよう。誰にも見つからない場所へ。もう二度と、お前を失わないように。」
無常にも、行き場のない言葉たちは虚空へと姿を消していく。幾ら男が嘆いても、理人が目を覚ますことはない。それは、男が一番分かっていることであった。これからも、無駄なことだと分かっていながら、男は、理人に語りかけるのだろう、叶うはずのない理想を。願い続けるのだろう、二度と訪れることのないもう一度を。ふと、動くはずのない理人の口元が、ほんの少しだけ微笑んだように感じた。
「あぁ…理人、」
もう一度 @yanagiminamo
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