Nの故郷の宇宙船には、何千光年も先にある惑星の環境を詳しく解析できる機械が搭載されていた。Nはそれを使い、ある星に目をつけた。その星にはNたちに似た人類が住み、人類たちは高い知能を備えているようだった。彼らは自然を作り替え、都市を形成し、高度に文化的な生活を営んでいる。宇宙船が惑星に接近すると、さらに詳細なことが分かってきた。その星では文字や絵や映像を問わず、フィクションの愛好家が数多く存在するようだ。また、どうやら物語を物理的に形にした〝本〟というものが売られているらしかった。

 惑星の重力場に入り、美しい青い星の上を周回しながら、Nは知恵を絞った。どんな物語が彼らの興味を惹き付けるかを。そして、どうしたら自分が作った物語に最も注目してもらえるかを。

 小説は読んでもらえなければ意味がない。N自身は自作を自分で読んで楽しむことができたが、他者の目に触れていない物語は、自分の頭の中にだけ存在する妄想と何ら変わらないのだ。

 Nは宇宙船の中で青い星の住人が気に入りそうな小説を執筆した。これだけたくさんの他者の目を意識して物語を創るのは、初めての経験だった。総文字数一兆を超える物語を、Nは一週間(故郷の惑星換算)で書き上げた。

 Nは物語を宇宙船内の記憶媒体に書きつけながら、住人に読んでもらうためのアイデアも練っていた。彼らは好奇心が強いようだから、謎めいた形で物語の存在をほのめかすのがいいだろう。ほぼ一日ごとに定期的に開く、日記というものがあるようだ。やはり、本能の深いところに訴えかけるにはデジタルではなくアナログだ。膨大な量の日記に少しずつ物語を書き込めば、彼らは自身が能動的に見つけ出した物語に興味を示すはずだ。

 Nの生まれ故郷の科学技術をもってすれば、何十億冊もの日記に同時に任意の文字列を印字することなど、赤子の手をひねるよりも簡単なことだった。

 こうしてNの思惑通り、砂漠の砂から発掘したかのごとき物語に、住人たちは熱中したのだった。

 Nは青い星に降り立ち、何日もそこで過ごした。見かける誰もがNのしたためた小説にのめり込んでいた。Nは自らが創った物語によって生まれた、たくさんの表情や感想に出会った。心を揺り動かされた人々の様子を目の当たりにして、Nは感動を受けずにいられなかった。嬉しかった。幸せだった。自分は孤独ではないのだ、と温かい気持ちを噛み締めた。

 溺れるほどの多幸感に浸るNだったが、しかしその満足も長くは続かなかった。

 青い星の住人たちは、Nがもたらした物語に没頭するあまり、日常生活のほとんどを放棄するようになった。これほど面白く夢中になれる物語がここにあるのに、他に時間を遣うことは単なる無駄でしかない、と仕事に行く意味を誰もが見失った。インフラが立ち行かなくなり、親は赤子や幼児の面倒を見ることを忘れ、胸躍る物語にいくらでも続きがあることに幸せを感じながら、次々に衰弱死していった。おびただしい死体に囲まれながら、住人たちは読書をやめようとはしなかった。己の死期が間近に迫るまでは。

 こうして、惑星の支配者だった人類は呆気なく滅んだのである。Nが愛し生み出した、ひとつの物語によって。

 Nはもちろん、そんな結末は望んでいなかった。坂を転げ落ちる岩を途中で止めるすべがないように、一度広まって読まれだした物語を絶つ手立てをNは持っていなかった。Nは、住人に楽しんでもらおうと編み出した物語が、彼らを次々に殺していくのを呆然と見送ることしかできなかった。Nにとっては丸一日ほどで読みきってしまえる一兆文字という分量は、おそらく彼らには長すぎたのだ。

 Nの所業はほどなく同胞たちに見つかった。Nは失意の中、青い星に留まり続けていた。どんな処罰も甘んじて受ける心積りだった。

 同胞たちはNに対してかんかんに怒っていた。最新鋭の宇宙船を勝手に盗み、独断で他の惑星に手を出したのだから当然である。しかし、Nが書いた小説に過剰に没頭したせいで人類が滅んだと知ると、同胞らはものすごい勢いで掌を返した。

 でかした。すごいじゃないか。

 これでこの美しい惑星は我らのものだ。

 お前はこのために人知れず刃を研いでいたのだな。こんなやり方は私には想像もできなかった。今まで迫害めいたことをして悪かった、どうか許してくれ。

 口々に向けられる熱っぽい美辞麗句は、ぽかんとしたNの意識の表面を上滑りしていった。断罪されるだろうと確信していたのに、まさか称賛されるなどとは露ほども思っていなかった。厳しく責任を追及される方がよほどマシだったのに。

 青い惑星を訪れた同胞の中には、久しぶりに顔を合わせるNの幼なじみもいた。何を言われるんだろう、とNの全身に震えが走った。「やあ、N」と見たこともない満面の笑みをたたえながら幼なじみは親しげに言う。


「この星の征服は君ひとりで成し遂げたんだって? すごいじゃないか! 今までそんな偉業を打ち立てたひとはいないよ。君はまさに我々の英雄だ! 物語ってよく分からないものだったけど、そうやって武器として使う日が来ると予想して練り上げていたんだな。改めて見直したよ、尊敬する」


 にこやかに言い募り、幼なじみはNの腕を引き寄せて抱き締めた。

 親愛を示す抱擁の最中さなかに、Nは冷たく暗い絶望を味わっていた。足元ががらがらと崩れていく感覚があった。

 よりによって、物語に理解を示してくれていた幼なじみに、悪魔めいた仕業を褒められるなんて最悪だった。君が好きなものを征服の道具として使うようなひとだったとはね、見損なったよ、がっかりだ、となじられ軽蔑され冷ややかな視線を向けられた方がずっとずっとよかった。

 唯一Nを罰してくれるはずだった相手は、なぜか慈しむようにNを抱き寄せている。

 違うんだ、こんなはずじゃなかったんだよ。その一言がどうしても言葉にできないまま、Nは曖昧にほほえんだ。心はずたずたに破れていた。自分が浮かべた中で、最も醜い笑みだとNは思った。


 * * * *


 以上の文章は、私――異星人N――が、自分が起こした一連の出来事を物語調に記したものである。

 大きな過ちを犯してなお、私は物語を書き続けている。ひとつの星の支配者を蹂躙してから、私の書く小説は故郷では武器と見なされ、物語を書くことに支障はなくなった。けれど幼なじみを含めて、私が創作した物語を誰かが楽しんでくれるなんてことは未だにない。

 これからも物語を愛し、物語を生み出す資格が自分にあるのかは正直分からない。判断してくれる存在が自分の周りにはいないからだ。

 私は性懲りもなく、架空の物語を愛好する同志をこの宇宙空間に探している。虚構を愛する同志を見つけたたそのときは、一から関係性の構築をやり直したい。私はただ、物語を愛する仲間として、他者と語らいたいだけなのだ。

 ここに記した私の物語を読んでくれる誰かは、何を受け取り、どう感じるのだろう。自分はそれが知りたい。私を許せないと思ってくれるのならそれもいい。物語が星を滅ぼすなんて荒唐無稽だ、それこそ虚構の物語だろう、と思われるのならそれもいいだろう。

 ここはどうしようもなくかわいている。現実しかない世界は、私にとってはからからに干涸らびた砂漠と同じだ。私は自らの喉の渇きを潤すため、誰宛でもない物語を書いている。そして、この贖罪のようなメッセージを宇宙空間へ発信し続ける。物語という不思議な営みを理解してくれる存在が、そこにいると信じながら。



 メーデー、メーデー、メーデー。こちらは物語の砂漠。

 これを読んでいる宇宙のどこかの誰か。そう、そこのあなた。

 私の言葉が届いているのなら、あなたがもし物語を愛する存在であったなら。

 どうか返事を聞かせてほしい。

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こちらは物語の砂漠 冬野瞠 @HARU_fuyuno

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