第1話-2

 ──ときに、BRBという企業は致命的な問題を2つも抱えた企業である。


まず社長。彼は自分のモノと他人のモノの区別がつかず、

プライベートは利益よりも面白さを優先し、

逆らう者は力をもって封じる悪魔である。


そんな彼がよりにもよってただの趣味で社長の座に着いてしまっているのだ。

当然、彼の中でBRBはただの私物と化していることだろう。

現にBRBの口座から引き落とされるのは債務の買取金よりも書籍の方が多く

振り込まれる金も個人的な・・・・融資の方が多い。


そのうえ依頼を引き受けるかどうかすらこの経営者ぼうくんの気分次第である。

…………そう。この時点で察しのいい悪魔なら気づくだろう。

"道楽にしたってあまりに気まぐれすぎないか?"と。

"赤字に苦しむのは自縄自縛では?"と。


……これらの疑問は概ね正解だ。

が、彼は趣味に対して適当な姿勢で向き合うような(辞書的な方での)性癖ではない。

かといって雁字搦めに縛られ苦しむことに喜びを見い出す(俗的な方での)性癖ということもない。多分。

なんならそもそも、彼が囚われているのは数字の色ではない。

それは彼が結んできた契約と関係にこそある。


数字の色が彼に与える影響は単なる表面的なもの……それこそただの『趣味』でしかない。

先にあった崩れた収支計算表のように、

真の問題はもっと重く、根深く、手遅れになっている代物だ。


────それは彼の生涯において欠かせないものとなってしまったとある契約が

今現在もなお束縛しているという事実。


そしてこれこそがBRBにおけるもうひとつの致命傷たる『利率の悪い業務内容』へ通ずるものだ。


というのも本来、地獄では死後に天国へ行く機会を与える価値もないとされた元人間の悪魔──

──通称『罪人つみびと』が人口の大半を占めている。


つまりそれは今を全てと思い込み明日の事に目を向けず考えることを辞めたくせに

文句だけは一丁前な悪魔カモが取り放題なことを意味するわけで、

回収する手段と貸し出す資本金さえあればわざわざ他社から見込みの薄い厄介な債権を購入して

手ずから回収しにいく必要などないのだ。


では何故か?

答えは単純。

BRBが事実上の子会社、それも親会社が抱える返済の意思もしくは能力がない債権を処理し

かつ損失を隠す為に興された会社だからである。


となれば社長の横暴な態度もそれが許される理由も自ずと見えてくるだろう。

ともかく、この問題だらけの企業は今日も誰かに地獄の底を見せているのである。




雲の重さも星の光も分からない満月の夜。

商魂たくましい第八層の中でも一番大きなオフィス区画である『Eternityエタニティー Plazaプラザ』は何も無い夜空に反して

じっとりと湿った嫌な空気が絡みついている。


高層ビルの立ち並ぶ環状交差点では蹄にブーツにあしづめにと

色とりどりの足が規則を踏みにじり蹴飛ばす音ばかりが反響し、

一歩外れた路地から響く酒に焼かれた悲歌慷慨ひかこうがいは誰の耳にも届かない。

空に浮かぶ偽りの月光だけが平等に優しさを注いでいた。


 BRBが常に幽霊会社ゴーストカンパニーの瀬戸際であるからだろうか。

物乞いがそこかしこに居を構え車のマイルールがぶつかる大通り、

その曲がり角に立つ大きなビルに構えたはずの事務所は今日も閑古鳥(と経営者)が鳴いている。


待合室の奥に備え付けられたテレビから流れるCMの音が

やや遠くに離れたエントランスにまで届くのがその証左だ。


『金が無いからヤクを辞めたいそこのあなた!

なんと!ヤク中は脳の病気なんです!でも大丈夫!ヘスピタルにお任せを!


安く!早く!楽に!すぐ治ります!

ご利用の方は666-××××-××××までご連絡────』


倫理をかなぐり捨て利益に媚びる。正しく地獄に相応しいCMだろう。


テレビの音声が子犬のように騒ぐ隙間で扉を開く音が混ざる。

音の先は薄暗く、更にガラス器具の置かれた机以外は包装された書籍やら謎の白い粉末やらが

終末論を謡う貧者ように散乱していた。

こちらもこちらで地獄である。

唯一の救いといえばゴミはゴミ袋にまとまっていることくらいだ。


そんな到底ヒトが住める場所でない……いや、

住んではならない部屋からぬるりと影が出てくる。

その正体は先程まで苛立ちと不安に唸っていた横暴社長ことファウストだ。


しかし今の彼は違う。

背を曲げて嘆息をこぼさず、理不尽を体現したような苛立ちも表さない。

代わりに顔には道化のようなメイク(もしくは地獄の煮凝りと言えるもの)を塗っている。


その悪趣味なメイクがどのような影響を及ぼすかは語るまでも無いだろう。

現に机に足を乗せお行儀を尻に敷く赤い角の受付嬢は呆れたような視線を投げている。

最も、それはファウストが視線を返す前に消えてしまう儚いものだ。

ファウストはそれを知ってか知らずか、どちらにせよカウンターに腕を乗せて軽く言う。


「やあ、テリオン。ご機嫌いかが?」

…………無視。

一瞥さえもしない完璧な無視である。

日頃の行いに加えて6つある耳のうち2つがイヤホンで塞がれているといえどあんまりな結果だ。

しかし彼は腐っても社長である。


上に立つ悪魔として、他人の関心を得ることは運次第だと割り切れるだけの器量はあるようだ。

彼は依然として見向きもしない彼女にひらりと手を振るとそのまま待合室の方へ消えていった。


 合わせてカメラは待合室へ。

まず真っ先に目に入るのは褪せない血をペンキに使ったのではないかと疑いたくなる真っ赤な壁に

無味無臭で冒険の2文字を知らない革張りのソファだ。


通常、ありとあらゆる印象がそちらに吸われてしまうだろうが私的にはこの相反する2組に

どうにかして調和をもたらそうとひとり孤高に足掻いている観葉植物に勲章を上げたい気分である。


ソファには2人の事務員が仲睦まじく腰掛けている。

片方はグレムリン。そしてもう片方は犬……それも耳にリボンを結んでいるおしゃまな犬だ。

彼らの関係を理解するには同色のスーツと似通った柔軟剤の匂い、それから揃いの指輪で十分だ。


一方、耳をすませばやや遠くから(二重の意味で)高いヒールの音がテレビ番組と張り合わんと

その存在を強く主張しているのが聞こえる。

が、待合室ではテンションも声も高いレポーターに負けてしまっているのか、

そもそも娯楽を邪魔されるのにはもう慣れきったから気にしていないのか。

どちらにせよ事務員たちの視線が彼の方へと移るようなことは一切ない。


間もなく中央にたどり着いたファウストは

杖をマジシャンのように持ち替える。

大道芸として出すには十分すぎるその所作だが

鮮やかな赤を放つ液晶から視線を奪うとまではいかない様子である。

しかしそれは些細なことだ。

なにせ彼にとってこの状況を粉々にする手段はいくらでもあるのだから。


さて、今回はいったい何をやらかすのだろうか。

期待を込めた瞬きから明けると持ち替えられた杖はとうに彼の手を離れていた。

スリングの切れたそれは漂うように宙を落ちていく。


一拍。


高くつんざく金属色の悲鳴がテレビの音を無残に打ち砕いた。

それはファウストが杖を冷たい床に押し付けた瞬間に生じたものだった。


見れば先の衝撃でコンクリートは小さくひび割れ杖の先端がやや埋まっている。

そこまでする必要があったのかははなはだ疑問だが、まあ一種のパフォーマンスなのだろう。

幸いにも砕いた分の効果はあったようで、時が止まるような沈黙が四方に滲んでいた。


テレビを見ていた事務員たちといえば兎は耳が空の方に跳ねた後に嫌そうな顔で対象を見やり、

犬は音が鳴り止んだ今なおも目を白黒させながら尾を上下に揺らして警戒を訴えている。

静まり返った数秒は画面の先の喧騒を遠いものにさせていた。


やがて、彼が杖を床から引き抜いた。

顔を出した石突からは赤い粒子が溢れひび割れた隙間を埋めるように降り積もっていく。


いずれにしても、これで事務員ふたりの視線をテレビから奪うことは叶ったのだ。

……まあ、エントランスで悠々自適に過ごす受付嬢だけは依然として

画面の前の(明確に実在する)ガールフレンドに夢中なのだが。


 ともかく、我儘な音の主はひとまず二人の注目が集まったことに満足したのだろう。


軽く息を吸って大仰に、


「諸君、我が社は今月も赤字だ。俺はとても嘆かわしいよ」


と告げた。それを耳にしたグレムリンが”また始まった”と窘め、文句、呆れ等々が溶かされた曖昧な目で

彼を睨みつける。


そうしたい気持ちは分かる…………のだが残念。

こいつは相手に取り入って優しさを引き出しそれに付け上がって搾取する第八層の権化だ。

それも遊びで他人の人生狂わせようとしたくせいざ熱病に罹ったら素知らぬ顔で去っていくタチの悪い■■■■■■■■で……!


………………ともかく。

このグレムリンの視線だって彼がおそらく今1番欲しかったものなはずだ。

現に彼は指先で騒めくノイズを真っ黒な世界で染めあげ、挑発するかのように流し目を送っている。


不意に彼がグレムリンの方に近付く。


鼻先が触れ合いそうな隙間は


「何か心当たりは?」


そう言った。


誤解を誘う距離感、日頃からのダル絡み、嘲るような表情、退屈なテレビを勝手に消したこと。

クイズにしてはあまりにも多すぎる選択肢に

グレムリンの気分も目線も口すらも地の底へと落ちている様子である。


しかしこのグレムリンは債権回収代行会社『BRB』が設立して五年、

ずっとこの暴君の相手をし続けてきたのだ。

当然、こういった一蹴されることが前提である悪意の対処法も心得ているのである。


この状況で彼がとった対処法はひとつ。文字通り“お手上げ”な状態でヘラりと笑い──


「さあ。僕には社長がバカの浪費家だってことしか分かんないっすね」


皮肉で返すのだ。


これを聞いたファウストはしばし考えこんだ。

プライドが高く享楽主義な奴のことだ。

明後日の方向へと目をやり口元に人差し指を添えいかにも考え事をしてますよ、

という振りを見せているからにはどうせ


──確かにBRBの逼迫した財政は俺の不始末。赤字の金額も大した痛手にはならない。

だが、これを易々と認めては……“面白くない”──


なんて考えているんだろう。


ふと、何かが脳裏に浮かんだのかヤギの瞳孔が考え事と共に斜めぐるりと下へ落ちる。

その思考は量れない。が、目尻にある皺からしてろくでもない思いつきなことだけは確かだ。


瞬間。


ファウストが弾かれたように頷き、完全にノリと勢いで指を鳴らした。


「ああ!デイビッドによる銃弾の浪費か」


「違います」


すかさず本人が否定。

ツッコミにしては鋭く冷たいトーンが彼の敵意を色濃く現している。


それでもファウストがその敵意に怯むことはない。

むしろ愉しんでいる。それも指先が遊ぶほど大いに愉しんでいる。


「おお、これは失礼。正確には三日前に君の誤射で標的もろとも爆破させたときの賠償金だったな」


「何の話だかわかってます?」


グレムリンの声が機嫌と一緒に低くなっていく。

伸びた語尾の末にある歯軋りに近い威嚇はさながら狼の唸り声だ。

それでもファウストが態度を改めることは無い。

彼はとぼけたように口を開く。


「君のお粗末な射撃術について?」


立ち耳は伏せ耳へ、唸り声は呻き声へ。

実に堂々とした誤りに今度はグレムリンの頭が下がっている。

しかしそんなこともお構い無しにファウストが"だろ?"と追撃のウインクが飛ばしてくる。


徐々に大きくなっていく呻き声はもう単なる空気の音でしかない。

それはグレムリンの肺活量が切れたところで限界を迎えた。


「ああ、もう!」


頭をぐしゃぐしゃになるほど抱えていたグレムリンが辛抱出来ないとばかりに顔を上げて叫ぶ。


「どんな耳してたらそうなるんすか!」


叫ぶ。

丸から三角へと変貌した目が、眉間に深く刻まれた皺が彼の訴えを殊更強く引き立てている。

ここまで来るとちょっと可哀想だがこの職場を選んだのは彼なのだからどうしようもない。

ファウストは彼の叫びをひとしきり受け止めると小さく己の耳を弾いた。


「見ての通り山羊の耳じゃないか」


数学なら満点、文語なら零点。

確かに耳の触り心地であれば山羊G.O.A.Tだろうが

発言の意図を汲み取る気がないその精神性はバッドである。


そもそも彼は単なる四足歩行の山羊ではないし

全身を白い体毛が覆っているわけでもない。


いやしかしどうだろう。考えてみればフロッキー加工もしくはベルベットのようにふわふわとした手触りであるところからして他の獣に類する罪人と同じように数ミリメートル程度のごくごく小さな毛羽やが生えている可能性も捨てきれない。とすれば彼にある耳の構造も人間ではなく山羊の可能性があるわけで──────。


…………ともかく。山羊の角と耳が生え、蹄というブーツを履いた人型に近い悪魔だ。

近頃堕ちた少々頭のイカ……によく似た好事家な罪人によれば

この特徴を“獣”か“ケモノ”か“ケモ耳”かで激しい論争を繰り広げているらしい。

趣味嗜好を明確に区分するのは良いが、その区分に優劣をつけるものは如何なことだろうか。

まして特殊で嫌煙されやすい嗜好をあたかも優れているかのように自慢するなど論外極まりない。

他者に対してより優位に立つため“だけ”の嗜好、それは本当に好きと言えるのだろうか?


…………失礼。今度こそ話を戻そう。

ファウストが喋っている間もグレムリンの下まぶたはひどく痙攣していたのだが、

彼が挑発するように左耳を弾いた姿を見てついに

もう我慢ならないといったふうにソファーを叩いて立ち上がった。


次いで勢いのままに半歩床を踏みしめ、

真正面の壁にある多くの本が入った戸棚を指して

口を裂けんばかりに大きく開く。


「じゃそのひねくれた悪い耳にもわかるように真っ直ぐ言ってやりますけどね!


あんたが魔術の本やら論文やらを

片っ端から経費で落としてるのが問題なんすよ!」


デイビッドの魂の叫びが室内にこだまする。

とはいえ彼の心からの訴えなぞBRBにおいては日常の一コマにすぎない。


現に隣に座る犬は驚くことも止めることなくただただテレビを付け直しているし、

受付嬢の視線は長らくスマホに釘付けだ。


だがしかしこの訴えは当のファウストに届きさえすれば十分……なのだが、

まあそれが叶っているのなら地獄に堕ちるはずが無い。

おそらく彼はこの地獄でも指折りの良識者たるグレムリンを

叩けばいい音のなる玩具とでも思っているのだろう。


強い怒りを向けられてなおも腹黒さと性根の悪さが前面に出た笑みは崩れておらず、

むしろより楽しげに目を細めている。

他人の怒りを愉しんでいるその姿は正しく悪魔といったところだ。……見てるこちらも胃が痛くなる。


しかし彼の愉悦が表に出たのもほんの僅か。

グレムリンの訴えが終わった時には既にファウストの顔は一変していた。


丸く開かれた瞳、柔らかく下がった眉、うっすらと開いた口。

"なぜ俺が怒られなければならないんだ?"とでも言いたげに小首を傾げるその姿は

さながら罪も穢れも知らぬ幼子に見える。


もっとも、こんな芥場で無垢な顔でいられる奴らの中身は決まって

罪を罪とも思わない吐き気を催すタイプの邪悪なのだが。


「マジでこれ立派な横領ですからね」


グレムリンが腕を組んでは溜め息と共に言葉を吐き出す。

だがファウストはそんなこと気にも留めず

ゆっくりとグレムリンの横を過ぎ静かに窓辺へ向かっていく。


「ふむ…………」


短い呟きの中、靴音が一つなる度に彼のコートから赤い粒子がこぼれ落ちていく。

それはまるで意志を持ったかのように歩みに合わせて宙を舞い、

流れるように窓の鍵へと吸い込まれていく。

命が溶けるようなその様は紛れもない不吉の予兆だった。


やがて窓辺にたどり着いたファウストはピルエットのようにくるりと回って振り返り、

堂々とした視線をグレムリンに向ける。


「いいかデイヴ」


その一言を待っていたとばかりに窓の鍵がカチリと鳴ってひとりでに開く。


その正しく破滅の合図。

実に分かりやすい"これからやらかしますよ"の宣言は部屋の隅々まできっちり届いたのだろうか、

事務員ふたりは冷めきった目で速やかに耳栓を装着し

終始我関せずであった受付嬢すらも大きく分厚いヘッドホンでその四つ耳を覆っている。


「俺は魔術の天才だ」


もはやため息の形すら繕えない何かがグレムリンの口から漏れていた。


***

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Be After Prain(ビーアフタープレイン) 稲子帰依 @inagokie

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