幻想写真家マーガトゥンの真実

冬野ゆな

第1話

 あのマーガトゥン・ブレイズが最初に思いついたのは、SNSに写真を載せることだったんだ。

 あんただってマーガトゥン本人を知らなくても、「幻想写真家M」のアカウントと、掲載されている写真を見たことくらいはあっただろう。

 無い?

 まあしょうがない。

 そのアカウントだって、数多くの市井の芸術家のなかに埋もれていたんだからな。なにしろ最近は昔と違って、一般人や素人でも自分の「作品」を簡単にネットに上げられる。それが絵だろうが写真だろうが変わらんのさ。

 まあでもとにかく、マーガトゥンは多くの無名の芸術家たちのようにした。自分の作品をSNSにあげて多くの人々に見てもらうことにしたんだ。

 あの天使を作り上げるまでな。


 俺がマーガトゥン・ブレイズと知り合ったのは大学でのことだった。いまから十年ほど前の話だ。俺とあいつは美術大学の学生だった。その頃の奴は――まあ、ごく普通の学生だったよ。美術大学なんて行く奴は、良くも悪くもおかしなところがあるもんだ。けどあいつはそこまでおかしくはないと思ってた。もちろん、俺もだ。俺たちは建築学科だったからな。マーガトゥンは絵画だったかなんだったかの方に行きたかったらしいが、将来を考えてそうしたらしい。命を賭けてまで絵画だの彫刻だのやってるような連中とは違って、マーガトゥンは本当にごく普通の学生だった。俺にとってはな。でも、確かに絵は上手だったよ。美術解剖学かなんかをやりたかったらしい。人体以外にも動物の構造とか描き方とか、骨格や筋肉の描き方を好きで研究してた。たまに描いてるデッサンなんか見てたけど上手いと思ったもんだよ。それでも、美術大学の中じゃ上澄みにさえなれないと踏んだんだろう。

 それ以外には知らないな。裏では絵を描いたり手慰みに何か作ることはあったんだろうが、俺は見たことがなかったんだ。ときどきノートの落書きを見るくらいだ。あいつがキャンバスに向かって本気を出した作品っていうのを見たことがなかったんだ。


 卒業して顔を合わせることはなかったけど、やりとりはしていた。

 俺もあいつも建築家にはなれなかったけど、互いに仕事を見つけてなんとかやっていた。ときどき思い出したようにやりとりをして、近況を報告しあうくらいかな。お互いの好きな映画とかは知ってたし、好きなアーティストが同じだったから、新譜が出ると感想を言い合ってたんだ。その程度の関係だった。

 だから、マーガトゥンがあるとき、SNSのアカウントを教えてきたときも似たような感覚でいた。俺はせっかく教えてくれたのだから見てみるかって、気楽に覗いてみたんだ。

 そうしたら――どうだ。驚いたよ。「幻想写真家M」という名前のアカウントには、作り物の生きものの写真ばかりが載せられていたんだからな。


 はじめて見たのは、黒い猫の背中から黒い鳥の羽が生えている写真だった。被写体としてはよくあるものさ。猫に翼が生えてるなんてね。幻想生物としてはありきたりだ。でも撮られた写真は何枚かあって、本当にいまにも動きそうなできばえだった。俺だって最初はびっくりしたんだからな。「こんなのいるんですか」というコメントには、「制作期間は半年くらいです」とMから――もといマーガトゥンから返事がされていた。

 翼のある猫、ってのはときおり発見されているんだ。その翼はだいたい猫の毛と同じような質感で、実際のところは固まった毛か、あるいはなんらかの病気で皮膚が分離しているかどちらかだ。でもあいつが載せていた写真は、本当に鳥の羽そのものだった。カラスみたいな色だったな。それでいてあまりにも自然だったから、俺は驚いちまったのさ。

 あいつは作り物の生物を作っては、生きているように写真に撮ってたんだ。

 写真ってのは、昔はそこにいるのが実物であるという証明みたいになってたんだ。有名な作家が騙された妖精の写真だってそうだったんじゃないか。それでなくてもどこぞの古いホラー小説だって、悪趣味な絵描きが、実は本物の怪物を絵にしていたなんていう――あれも確か、最後に写真が出てくるからこそ、被写体になっていたのが実際の生物だってわかる仕組みだ。

 とにかくあいつはそういうことをしてた。

 俺はびっくりしたよ。あいつがそういう趣味を持ってたこともそうだし、そんなものが作れるのも初耳だった。もしかしたら俺の知らないところでずっと作っていたのかもしれないけど、少しその手先の器用さに嫉妬するくらいには完璧だったのさ。


 アカウントとしてどうかっていうと、当時は……まあ百人もいなかったんじゃないかな。

 一般人のアカウントとして見れば結構いる方だけど、クリエイターとしてはそんなに、っていう数。

 だって、考えてもみてくれよ。こういうことをしてる奴っていうのは結構いるじゃないか。要は在野のクリエイターってやつ。最近はネットがあるから簡単にあげられるし。名乗りさえすれば、だれでも作家やクリエイターになれる時代なんだから。そのくせあいつはコミュニティみたいなのにも入ってなさそうだった。仕方ないから俺はアカウントをフォローして、応援だけはすることにしたよ。何年も会ってないって言っても、昔の友人だからな。「いいね」くらいしてやるのがそれなりの礼儀ってもんだろう。

 それでしばらくしたくらいかな。あいつは二体目の「幻想生物」を写真として載せた。

 二体目はネズミだった。ネズミの背中からコウモリの羽が生えていた。写真が何枚もあったから見てみたら、不思議なことに気付いた。ネズミの頭がな、違う方向を向いてんだよ。気のせいとか写真の角度とかじゃなくて、明確に違う方向を向いたり、俯いたりしている。もしかしたら何匹か作ってるんじゃないかと思った。まあネズミは小さいからな。それにしてもずいぶんと生き生きとしていたよ。大学の時に見たのは人間のデッサンばかりだったけど、動物にも詳しかったんだなって感心した。ただ、せめてもっと可愛らしい方向に行くとか、邪悪を突き詰めていくとか、そういう方向性があればいいのにとは思っていた。

 三体目はトカゲだった。トカゲにこれまたコウモリの羽を生やしてた。悪魔の造形としては面白いと思うけど、やっぱりよくあるパターンだった。

 それから何度か幻想生物は増えていった。

 ウサギに角を生やしたり、羽を生やしたり……、鳥も居たっけ。その頃には少しずつアカウントにもフォロワーが増えていってたと思う。撮り方が下手だなと思うこともあったよ。動物を増やすんじゃなくて、CGか何かで動かしだしたときもあった。数秒程度の動画もあった。

 だけど動画の方の腕は……まあ、そこそこだったよ。だって、コウモリの羽の生えたネズミが、ちょろちょろと動いて終わりなんだ。それも外や明るいところじゃなくて、室内で撮ったものを動かしたって感じだった。微妙に暗いし、ネズミの動きもあんまり良くなかったし。逆に不気味でね。それならそれで、もっと気味の悪い方向にいけばいいと思ったものさ。

 せっかくここまでのものを作れているのにもったいないとも思った。

 とにかく、あんまり評判は良くなかった。

 動いてるところは凄いと思ったけどな。


 ああ――そう。

 一度だけ会ったんだった。あいつに。

 十何年ぶりだったかな。SNSの投稿で俺の家の近くに来ることがわかったから、連絡を入れたんだ。あいつは渋ることもなく承諾してくれた。すぐに時間を決めて出かけていったよ。

「よう、先生!」

 俺がそう声をかけると、あいつははにかんだように笑ったよ。

 十年経っているっていうのに、あんまり変わってなかった。たぶん髪型が同じで、服装のセンスが一緒だったからだと思う。少し頭の方が薄くなっていたように思うけど。

「凄いじゃないか。実物そっくりだぜ」

「まあね」

「あんな趣味があったんだな」

 俺たちは近くのバーでそんな話をした。お互いの近況を語り合うなんて深いことまではしなかったけど、「幻想写真家M」の話はそこそこしたよ。あいつが近くに来ているのも、それがらみだったからな。

「もっと大きな作品を構想しているところなんだ。そのための材料を探しにね」

「へえ。もしかして、店がこの近くにあるのか」

「まあね」

「ふうん。知らなかったな。どこにあるんだ?」

「いくつか回るから、どことは……。でもいま、その作品のための材料を集めてるところなんだ」

 俺も店自体にそんなに興味があるわけじゃなかったからな。

 あいつが実際はどこに行っていたのかは知らない。

「その大きな作品ってのができたら見せてほしいね」

「できたらね」

「できない可能性があるのか?」

「いや、作ってみせるよ。そのためにいま、奔走してるんだから」

「へえ」

 あとは適当な話をしていたんだ。お互いに酒も入っていたから……何を話したのか細かくは覚えてない。大学の時の変人の話とか、絵画の学科にいただれそれが個展を開いてるとか、世界的に有名になりつつあるとか……そういう話をした。他愛ない話さ。たぶん、あんたには関係ないことだよ。そうそう、ネットで知り合った人間に会いに行くとも言っていた……。


 ……。

 ああ、大丈夫。

 少し関係ないことばかり話しすぎたかな。

 でも大丈夫。

 これからが本題なんだ。


 そうそう、そのときだよ。マーガトゥンのアトリエの場所を聞いたのは。あいつも、いつか実物を見てほしがってたようでね。教えてくれたよ。せっかく会った旧知の人間なんだから。驚くことに、住んでいるところはそれほど離れていなかった。車を飛ばして二時間ってところかな。行けない距離じゃなかったんだ。

 ……まあ、そんなに興味なかったけど、やっぱり応援したい気持ちはあったし。それで、あいつと別れてしばらくした頃かな。三ヶ月くらい経った頃だ。その頃、あいつは自分の作品にかかりきりになっていたみたいで、SNSにもあまり書き込みはなかった。俺も自分の生活で手一杯だったし、ネット上の人間が書き込まないからといってそれほど気にしていたわけじゃない。

 でもあるとき、新作があがった。

 驚いたよ。

 なにしろそれは人間だったんだから。


 美しい女だった。

 顔がどうとかじゃない。すべてが完成されていたんだ。

 檻の中に繋がれた彼女は、手錠をして首輪をつけていた。濡れそぼったウェーブのかかった金髪。真っ白だった布のような衣服は、汗と土塊がついたように少し汚れていて、投げ出した足は乾いた泥と血の跡があった。その背中からは巨大な白い翼が広がっている。疲れたような表情で、怯えたように俯いている。憂いを帯びた暗い瞳。

 でもひどく美しかった。

 退廃的で、まさにほんの一瞬を切り取った写真。

 檻に繋がれた天使。


 動画もアップされたよ。

 動画は見ただろう。地下への階段を降りていくところから始まって……、扉を開けると、暗い室内に檻が設置されている。天使はその中でうずくまっている。小さく呼吸音がして……苦しげに背中をかきむしろうとするけど、手に付けられた枷が邪魔をしているんだ。

 驚いた。

 これまでの小さな作品群に比べて、あまりに物語性に富んでいて。それで勢いよく跳ねたんだ。

 バズったのさ。

 あとは知ってのとおりだ。

 数百人程度だったフォロワーは一気に増えた。「幻想写真家M」の名前はよく知られるようになった。日本人も結構いたらしいから、本物だったのさ。

 俺は、ついにやりやがったと思ったよ。

 やればできるじゃないかと思った。


 凄い事になってるな、って言いたかったけど、コメントの量がものすごくて。あいつもさすがに一人一人に返信するわけにはいかなくなったんだと思う。途中からコメントが無くなって、返信できなくなったって断りも書いてあったから。

 二、三日すれば落ち着くんじゃないかと思ったけど、その頃からコメントに奇妙な書き込みが散見されるようになった。

 それは、「この人物のことを探しています」って添え書きから始まっていた。

「この人物はアン・ブレッドというイギリス系アメリカ人で19歳の大学生です。二ヶ月前から行方不明になっており、家族と友人が探しています。彼女のことを知っているのならご連絡ください」

 最初は面白おかしくコピペされていたよ。

 だから俺もそれは荒らしの類だと思っていた。

 でも、写真に写っている「天使」が本当にアン・ブレッドであることが証明されるのにそれほど時間はかからなかった。アン・ブレッドの写真が公開されると、確かに似ているという話が出てきた。それに対してマーガトゥンは何も言わなかった。ただ淡々と、写真を公開していった。天使の写真は何枚にも及んだが、決して檻の中からは出ることはなかった。そのなかの一枚なんぞは、檻を掴んで泣きながら懇願していた。

 アン・ブレッドのことは次第に大きくなっていった。知らないなら知らないで、マーガトゥンも言えばいいのに。コメントを見てないわけじゃないだろう。俺はしばらく信じられなかった。だから俺は――電話したんだ。あいつは電話には出なかった。

 だけどめげずに何度も電話をかけた。何度目かの時に電話は繋がった。


「おい、マーガトゥン?」

「ああ、きみか。すまないな。ちょっと――手間取っていてね。すぐには電話がとれなかった」

「そうか。何事も無かったならいいんだ」

 あいつの後ろからはガンガンと何かを叩く音が聞こえていた。

「マーガトゥン?」

「気にしないでくれ。でも、少し手伝ってほしいことはある」

「いったい何を言ってるんだ?」

 もういちど後ろから音がした。金切り声があがった。あいつの声じゃなかった。あいつは何事か叫びながら、俺に「すまない」とだけ言って電話を切った。いやな予感がしたんだ。

 そりゃあ――飛ばしたさ!

 車をぶっ飛ばして、二時間の距離を一時間くらいで向かった。

 教えてもらった住所からは何も変わってなかったからな。家を探すのに少し手間取ったけど、それだけだった。ドアをノックしても返事はなかった。

「マーガトゥン?」

 俺はゆっくりと扉を開けた。

 開いていた扉の奥へ片っ端から入ってみると、そのうちのひとつからは異様なにおいがしていた。なにかが腐ったにおいだ。思わず鼻を塞いで見ていくと、腐りかけたウサギがいたよ。一匹や二匹じゃない。そいつらの頭や背中には、動画や写真で見たパーツがくっついてた。

 それからあいつの設計図もな。

 多分あれは設計図だったと思う。大学の時に見た、あいつの――あいつの描いた骨格図や筋肉図。そこには本来あるはずのないパーツをくっつけるための設計がされてた。

 俺はマーガトゥンがどこにいるのか気になった。

「マーガトゥン! おい!」

 俺はあいつの名前を呼ぶことしかできなかったよ。

 それ以外になにができたっていうんだ?


 動画で見たあの地下室への入り口が見つかったよ。俺は……俺は、その階段をくだっていったんだ。そこに何があるのか考えもせず。わかってたはずだった。ここまでお膳立てされて……そうして、動画の通りの扉があった。そこは開いてた。

「入るぞ」

 俺の声は空虚で、震えていたと思う。鉄のにおいが、血のにおいがしたから。

 あいつは、檻の前でうずくまっていた。ぴくりとも動かなかった。中にいるものに抵抗されたんだ。俺は暗い檻の中を覗き込んだ。


 あいつは天使を作り出した。作り出そうとした。

 真っ白に染めて、骨格と筋肉に刺した巨大な羽を、あの女の、アン・ブレッドの背中にくっつけたんだ。背中の筋肉と骨を引きずりだして、巨大な翼をくっつけて……。あの女は写真で見たそのままだった。横たわったままで……傷だらけの手がマーガトゥンの首にかけられていた。ああ、クソッ、素人の俺でもわかったんだ。拒絶反応だか大量出血だかしたに違いなかった。

 くそったれ!

 あれは確かに本物だった。

 本物の人間を使った、作品だったんだ。

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