糧になる

与野高校文芸部

糧になる

 実りに実った稲穂の最後尾で、風に吹かれ身体を揺らしながら一面の田畑を眺めていると、すぐ上から声がした。


「俺たちは『米』っていう名前で、化け物に食われるらしいぜ」


 そんな噂話、だれが信じるものか、と心の中で毒突いた。

田舎の薫風が僕達を靡かせながら、辺り一面の田畑に黄金の波を生み出している。柔らかいこの風が身体を撫でるのが、ほんの少し擽ったくて好きだ。周辺は新緑の山々で囲われ、空気が澄んでいる気がする。今日は雲一つ無い晴天で、ギラギラと己を燃やし続ける太陽が一段と輝いて見える。自然豊かで素晴らしい場所なのだが、イナゴが下から跳ねて稲葉を食い逃げしたり、逆に上からトンボが奇襲を仕掛けて来たりなど、生きていくには些か困難であるのが玉に傷だ。それでもこの景色を見ていると、それでもいいか、と心の何処かで許してしまっている自分がいる。ぶらんぶらんと、自力で身体を左右に動かしながら遊んでいると、斜め左に人が作業しているのが見えた。


「爺ちゃんだ。」


お爺ちゃんは腰を低くして、真剣な目つきで何かを探しているようだった。首を横にぶんぶんと振りながら時々、「おった!」と、両目をバキバキにさせて叫びながら、他の稲穂を殴る勢いで払っていた。お爺ちゃんが腕をぶん、と振る度に他のお米たちは「いてっ」と声を漏らしていた。たぶん、虫か何かを追い出してくれているのだろう。その後お爺ちゃんは覚悟を決めたように一度小さく頷いて、家の方へ帰って行く。その背中を見ながら、僕の頭の上から山田が話しかけてきた。


「米田はさ、俺達はこれからどうなると思う?」

「どうなるって……」

「多分だけど、あの爺ちゃんに食われんだよ。この間さ、近くで爺ちゃんと婆ちゃんがここの米は美味しそうだって、笑いながら話してたんだぜ?」


ははっ、と山田は乾いた笑いをしながら稲穂全体を大きく揺らした。


「そんなことがあるんならさっさとここから逃げ出してやるよ!」


 きゃあきゃあと楽しそうに笑う米たちをよそに、本当にそうなってしまうのだろうかと、少し心が締め付けられる感覚がした。

ふと下を向くと、乾いて亀裂の入った土が、より一層崩れて見えた。肌寒い風が、僕達を貫く。

もうすっかり日が暮れてしまったみたいだ。仄暗い畑の中は、どうも居心地が悪かった。

      *

あくる日。目を覚ますと前方の田畑に随分派手なトラック?が右から左に流れている。

刹那、お米の誰かが「コンバインだ!」と、空を切るように叫んだ。皆は口からナイフが勢いよく飛び出したかの様な声に慄き、僕達の稲穂がブルブルと震え始めた。赤色のコンバインは不気味な重低音を響かせながら、徐々に此方へと近づいて来る。コンバインに乗っているお爺ちゃんは呑気に鼻歌を歌っている。歌詞の無い鼻歌でもこぶしが効いているのでたぶん演歌だ。僕は冷や汗を額から垂れ流しながら、そんなどうでもいいことばかり気にしてしまい、全く以て解決策など見出せずにいた。どうしようどうしようと、風もないのに僕達の稲穂が揺れている。コンバインは、すぐ目の前まで来た。けたたましい轟音に、稲穂が腹にくっつくくらい深いお辞儀をするように曲がった。


「やばい、もう少しで俺達は……」


誰かの言葉に僕も唾を飲んだ。(あれで粉砕されるんだ)(避けられないの?!)(みんな、ありがとう)お米たちは次々に、絶望の音を上げた。そして遂に、僕達の番がやってきた。四つの大きな爪が、稲を木っ端微塵にしているのが見えた。僕は目を閉じた。そのまま嗚咽と喧騒を飲み込んで、最後にギュッという、搾り取られるような、一瞬で刈られたような音を聞いた。

*   *   *                 

 随分長いこと気絶していたようだ。僕達は助かったらしく、薄暗い部屋の中で監禁されているものの、みんな無事だった。

 ただ、一つ気になることがあった。僕達は前までずっと身体が黄色かったのに、今は真っ白になっている。黄色い殻が取れたんだよ、と誰かが言っていたが、なぜ取れたのかは解らない。しかも、移動している。僕達は運ばれている。でも、何処に?

 考えれば考えるほど、頭の中の糸みたいのが、複雑に絡まる感覚がする。ガコン、と段差を踏み越える感触を床で感じたのち、ピーピーとバックする音が聞こえる。大きな車は、其処で止まった。耳を劈くような開閉音と共に、視界が一気に明るくなった。開かれた方を覗くと、巨大な建物が聳え立っていた。下に、真っ黒なコンクリートの駐車場があって、すぐ横に「P」という看板が見える。さらに、看板はそれだけじゃない。もう一つ、白い柱が高く伸びた、背景が白で、赤い輪っかと黒字が特徴的な看板。見たことがないのに、頭が何か記憶を捻り出そうとしている。僕達は農家のお爺ちゃんとは違う、お爺ちゃんによって、その建物に運ばれていく。

 中はかなり騒がしく、味わったことのない不快感が襲った。蛍光灯の眩しすぎる発光に耐えながら、目を凝らして先を見ると、まな板があった。木製のやつで、何本も筋が入っている。お爺さんは急いでいるのか、僕たちの入った桶を揺らして運んだ後にバン、と厨房に置いた。辺り一帯に広がる銀色が照明の明かりを乱反射していて眩しい。

本能的に目を瞑ったその時だった。桶は横に大きく移動し、上から滝がなだれ落ちてくる。僕たちは水圧に押し潰されながら、激しく掻き混ぜられる。視界が螺旋状に歪む。景色が混在して黒になる幻覚を見た。朦朧とする意識の渦で、あの冷たい水を思い出した。如雨露から溢れ出る霧雨。女神様の涙みたいな水を浴びて、僕たちは生かされてきた。

いつの間にか僕たちは丸く凹んだ空間に流し込まれ、浸かるくらいの水を入れられた。瞬きした頃には、眩しい照明はガチッという音と共に真っ暗になっていた。何となく、心地よかった。プカプカと丁度良い温度の水を左右に掻き分けながら、ゆっくりと進んでいく。こつんと端にぶつかりまた戻る。暗いのは嫌いなはずなのに、昔の夜空を思い出してしまう。

突然、下のほうからブクブクと音が聞こえる。


「おい!なんか熱いぞ!」


垂直に伸びた絶叫が空間に反射して耳が痛い。言われてみれば確かに、底から熱が込み上げてくるのを感じた。慌てて周りを見渡す。ほかの仲間たちも皆、熱さで身体が赤く染まっているように見えた。熱波が狭隘な洞窟を支配する。暫くすると泡が噴き上げ、僕ら全体が蠢き始めた。必死に液体から顔を出す。それももう限界で、呼吸できずに沈んでいった。

       *

目を覚ました時には身体はすっかり冷たくなっていて、他の皆も元気そうだ。そこでふと気づいた。僕たちはまた、桶にいる。それに周囲から鼻を刺すような匂いがする。謎の液体。困惑していると、急に大きな物体が僕を横切り、影を落とした。


「うわああああああああああああ」


仲間の一部が巨大な手に掴まれる。開いた口が塞がらないまま、僕も同じように、厚い掌に包み込まれた。ぎゅうぎゅうと握り潰されている。なにやら長方形に変形され、丸い皿に着地した。

その後、僕らの上からベチン、と湿った何かが乗っかった。僕は狼狽するのにも疲れて目を閉じた。完成した何かはレーンに乗せられ、ものすごい速度で風を切りながらニンゲンの元へと運ばれた。


「寿司来た!寿司来たよ!」


幼いニンゲンの声がする。そのバケモノは箸で僕たちを摘まんで、先の見えない大きな口の中へと運ぶ。

最期に、山田のあの言葉を思い出した。まったく、その通りだった。飲み込まれ、僕らは虚空に吸い込まれてく。


「美味しい!」


 騒がしい店内に、元気な声が響いた。

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