愛は未だに星を見る

与野高校文芸部

愛は未だに星を見る

 愛未。

 じっとりと暑苦しく広がる草むらの中で、そう書かれたアクリルキーホルダーが光を放っている。

誰の名前なのかなどわからなかったが、どうしてか、気付いたときにはそこへと手が伸びていた。

 私の手に乗ったそれは、先ほどよりも光を増して輝いた。

 近くで見ると、その名前は、まるで雪の結晶のような儚い線で書かれていたということに気が付いた。

 裏返してみると、そこには、茶色い髪をしたかわいらしいキャラクターのイラストが描かれていた。


「わあ……」


 思わず声が出てしまう。

 私はただ、愛未という名のプリンセスから、目を離すことができなかった。


 家に帰ると、手を洗うのも忘れてスマホと向き合った。

 手からも離すことのできなかったアクリルキーホルダーが、今も輝き続けている。

 愛未。ネットでその名前を検索しただけではヒットせず、写真を撮って画像検索をした。


「あっ」


 少し経ってから、ようやく見つけた。

 愛未。彼女は「スターシスターズ」というアイドルグループのメンバーであるようだ。

 担当カラーは緑色で、写真に写る彼女は、緑色の輝かしい衣装を身にまとっている。

 大きく開いた目。すっと通った鼻筋。ありきたりな言葉だが、どれも彼女にぴったりのものだった。

 綺麗で、美しくて、まさにプリンセスそのものだった。

 スターシスターズのSNSアカウントを開く。すると、驚くべき情報が目に入った。


「卒、業……」


 愛未 卒業について。白い背景に淡々と書き綴られた文章は、この一文から始まった。

 お腹の辺りが冷たくなったように気がした。定位置のない親指を意味もなく往復させ、少し息を吸ってから、その文章を読み始めた。

 読み進めるうちに、目頭が熱くなっていくのを感じた。

 どうしてだろう。彼女を知ってから、一時間もたたないのに。

 アクリルキーホルダーをもう一度手に取り、人差し指を目尻に当てる。


「愛未さん」


 名前を呼んでも、どこにも届かない。彼女が今、何をしているのかもわからない。

 それでもなお、アクリルキーホルダーは輝いていた。


 それから私は、時間も気にせずに愛未さんについて調べ続けた。

 歌声、ダンス、表情。そのどれもがキラキラしていて、その魅力から離れることができなかった。

 スターシスターズは、現在も活動を続けている。今週末に、東京でイベントを開催するようだ。

 東京という馴染みのある場所。ただ、そこへ行っても、愛未さんに会える気がしなかった。卒業したからではなく、愛未さんは、私とは違う世界にいる。そんな気がしたのだ。

 ――私は、愛未さんに会いたいのだろうか。

 自分が今考えていたことに対して、疑問が湧いた。

 会いたい……

 なんて図々しいのだろう。こんな私が、愛未さんと会うだなんて。

 それに、欲張りだ。こんなにも、抱えきれないほどのドキドキをもらっているのに。


 鞄に愛未さんのアクリルキーホルダーを付けて、家を出た。

 持ち主が見つかるまで、私が愛未さんを守る。そう自分に言い聞かせる。

 ひとりだけど、ひとりじゃない。私は、昨日までの私とは少し違う。


「あいみんの、愛見てて」


 過去のライブの映像で、愛未さんがそう言っていた。

 ひねりがないうえ、意味もよくわからない。だけど、そう言う愛未さんは最高にかわいくて、何も気にならなかった。


「中川さん、どうしたの」

「あっ、佐野くん。なんでもないよ」

「そっか、ごめん」

「いや、全然……」


 どうやら、無意識のうちに声に出していた上、それを聞かれていたようだ。

 ふと、佐野くんに、愛未さんのことを話してみようかな、と思った。

 抱えきれないほどのドキドキ。それを、佐野くんと共有してみようかと。

 でも、どうしてか、話すことができないまま、時間が過ぎていった。


 家に帰り、手を洗ってスマホと向き合った。

 まだまだ、愛未さんのことを知りたい。

 愛未さんは、自身のSNSにお菓子の写真やペットの猫の写真をよく投稿していた。また、たくさんのファンレターの写真も投稿されていた。

 愛未さんは、たくさんの人達に愛されている。そしてその皆が、愛未さんからドキドキをもらっている。

 なんて素晴らしいのだろう。

 愛未さんのことを知れば知るほど、どんどん大好きになっていく。

 愛未さんのことを知ることが、心から楽しい。一昨日までの自分が何をしていたのか忘れるくらいに。

 愛未さんはもう、アイドルを卒業している。

 今も、これからも、このことによって彼女の輝きが失われることはない。確かに、そう感じている。


 翌日。

 愛未さんがセンターの「MAGiC!」を口ずさみながら、学校までの見慣れた道を歩く。

 歌詞の「LOVE ME!」が「愛未」と掛かっていることに気が付いて、心が躍った。

 動画を見ているうちに、少しずつ愛未さんのダンスの振りを覚えてきた。

 抱えきれないほどのドキドキ。胸に手を当てると、その輝きを感じる。

 少し深く息を吸って、腕を広げた。


「LOVE ME! 君に知ってほしいから」

「PRINCESS! 見せたい景色があるんだ」


 体が動いた。心が騒いだ。

 小さな声で歌いながら、愛未さんのダンスの真似をしてみる。

 全身で感じるドキドキ。広がっていく温かさ。

 愛未さんは、私の星だ。


 学校に着くと、いつもよりも体が熱くなっているのを感じた。

 心臓の音が鳴るたび、心も熱くなっていくような感覚があった。


「中川さん、おはよう」

「おはよう」


 自分の席に着くと、隣の席の佐野くんが挨拶をしてくれる。

 特に理由はないのだが、私達は登校するのが早い。

 教室に二人しかいないのに、何も話さないのは気まずい。佐野くんはきっと、そう思って挨拶をしてくれているのだろう。


「走ってきたの?」

「いや、そんなことはないけど」

「でも、息が」

「これは、全然大丈夫だよ」

「そっか」


 絶対に、踊ったからだ。

 素直にそう言うのが恥ずかしい、というわけではない。この前だってそうだ。

 少し考えても、どうして言えないのかはわからなかった。


「……中川さん、ちょっと聞きたいんだけどさ」

「うん、どうしたの?」

 佐野くんは、深刻そうな顔でそう言った。

「中川さんってさ、その、好きな子とかって、いるの?」


 そう言う佐野くんの目は、いつもと違って少し潤っていた。


「うん」

「っ……」


 心臓がドキッとした。

今なら、言える。


「愛未さん、って言うんだ」

「え?」

「アイドルなんだ。かわいくて、綺麗で、本当にプリンセスみたいで」

「そ、そっか」

「そう。私の、大好きな人」

「……なるほど」


 佐野くんは、溶けるように背もたれに寄りかかり、私から目を逸らしてそう言った。


「この前呟いてた、愛がなんとかっていうのは、そういうことだったんだ」

「……あれは忘れていいよ」


 自分の顔が少し熱くなるのを感じた。


「でも今、話してくれたじゃん」

「それはそうだけど」

「もっと、聞かせてよ」

「……」


 笑われるかもしれない。馬鹿にされるかもしれない。

 子供みたいで、中途半端で、いつの間にか芽生えていた、ふんわりとした想い。

 それでも、私の心の扉はもう、開けられちゃったから。

 抱えきれないほどのピースをかき集めて、正解じゃない形を作って。


「私ね、アイドル、やってみたいの」


 佐野くんと、共有した。


「……中川さんのステージ、見てみたいな」

「……!」


 なんて、温かいのだろうか。


『科学部の物置に、未開封の衣装があった!』

『写真』

『なんで?』

『なんでだろ。まあなんにせよ、衣装の問題は解決だね!』

『勝手に使っちゃっていいの?』

『部長さんに許可もらえたから、大丈夫』

『そっか』


 あの後、私は佐野くんとLINEを繋ぎ、「その日」への準備を始めた。

 私の学校では、毎年「三日月祭」という小さなイベントが開催される。出演を希望する生徒が、それぞれダンスや漫才などを披露する、といったものだ。

 佐野くんが、ここに出演するのはどうか、と提案をしてくれたため、そうすることにした。


『あとは僕に任せて、中川さんは練習頑張って!』

『スタンプ』

『スタンプ』


 歌って踊るのは、私一人がすることだ。

 スターシスターズの「MAGiC!」に合わせて、歌って踊る。

踊ることが楽しい。みんなの前で歌う機会ができたことが嬉しい。

 誰かが落としたアクリルキーホルダー。

 愛未さんからもらった、抱えきれないほどのドキドキ。

 佐野くんが気付かせてくれた、私の本当の気持ち。

 全てが、温かい。


「あとは係の人がやってくれるみたいだから、僕は客席に行くね。中川さ……」

「大丈夫、ありがとう」


 段数の少ない階段をゆっくりと上がっていく。

 佐野くんたちが用意してくれたステージ。その、真ん中で。

 息を吸い、前を向く。



「私の愛、見てて」



 幕が開く。

 マイクを口に近づけて、左手を上げる。

 私のことを知っている人にも、知らない人にも。全ての人と、共有したい想い。

 歌とダンスに乗せて、表現する。

 緊張する。でも、本当に楽しい。


「LOVE ME! 君に知ってほしいから」


 ――愛未さん。私、愛未さんのことが大好き。愛未さんがくれたものは、とっても綺麗で、輝いていて。私が前に進むための、大切なエネルギーになるんだ。


「PRINCESS! 見せたい景色があるんだ」


 ――佐野くん。私ね、嬉しかった。私の心の扉を開けてくれて。佐野くんが見たかったステージ、できてるかな。

 精一杯の愛を、全ての人へ。

 私がもらったドキドキを、全ての人へ。


「お疲れ様、中川さん」

「ありがとう、佐野くん」


 三日月祭は無事に終わり、放課後となった。

「とっても綺麗だった。流石、プリンセスだね」

「ふふ、ありがとう」

「……僕も、頑張らないとだね」

「え?」

「なんでもないよ」


 心がふわふわして、ぼーっとした。


 真っ暗な夜。煌めく星。

「愛未さん。私、アイドルっぽいこと、ちょっとだけやってみたの。

 愛未さんに魅かれて、だんだん、私もあんな風になりたいって思ってきちゃって。

 すごく楽しかった。

 私自身のことが、大好きになれたんだ。

 全部、愛未さんと出会えたから。だから、今の私がいるの。

 例え正解じゃなかったとしても、私はずっと、愛未さんという星に、手を伸ばし続けたい」

……

「おやすみ、また明日。大好きだよ」

……

「そういえば、これ、誰が落としたのかな……」

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