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「始業式の日。どうして、A組にいたの?僕の席の前に座っていたでしょ?」

「ああ……あれは……。」


春日井さんは手に持ったカップの淵を撫でながら、言いにくそうに口籠る。


「あれは、私の中のメシアがあそこに行けと……。」

「メシア?」

「……。クラスを、間違えただけだ。」

「クラスを……。」


彼女は罰が悪そうに紅茶が入ったカップに口をつけた。

パーカーと髪の隙間から見える小さな耳がうっすらと赤いのは気のせいではないだろう。


ということは。

僕はたまたまクラスを間違えた女性に、なぜか死亡予告されたということだろうか。

そもそも、自分の後ろに座った人間にいきなりそんなこと言うだろうか。

彼女の赤く染まった耳を見ながら、考えを逡巡させる。

これでも多少は気にしているのだ。いくら小さいことは気にしない性格だとはいえ、いきなり知らない人から「死ぬ」と言われば誰だって心のどこかに引っかかりは生まれるだろう?


「僕に死相が見えるとかなんとか言ってたの。すごく気になってるんだ。もしかしてクラスを間違えた照れ隠しだったりとかする?」

「……死相?」

「そう、【死ぬ】に【手相】の相で【死相】。」

「ああ、あれか。」


春日井さんの片目が一瞬大きく開いた。

数日前の些細な記憶の断片を彼女は見つけてくれたらしい。


「そう。あれだよ。多分。僕、結構図太い性格だと思うけど、さすがに人から死にそうだって言われたら気になっちゃってて。どうかな?もしかして言ってみただけ?」


僕は彼女がその問いに対してただ頷くことだけを期待していたが、当の本人はしれっとそれを否定した。


「私は嘘はつかない。その時の私にはお前に【死相】が見えた。間違いない。」


あまり覚えていないが。

そう付け加えると、彼女は僕の顔をじっと見つめた。

粘着質なようでいて感情を感じさせない視線。紫色の瞳の向こう側に黒い何か、ちらつきが……。

それをもっとよく見ようとした瞬間、体の奥がぞくりと震えた。

僕の足は彼女から逃げるように後退りして、後ろにいた咲夜くんにぶつかってしまった。

ふらついた僕の肩を彼が支える。その手の大きさと感じる体温に少し安心し、僕は息をついた。


「兎於菟様?」

「ああ、ごめんね。少し貧血かな?」

「……見たところ、死相が消えたとは言えない。多少、影が薄くはなっているようだが……。まぁ、運命の歯車はいずれ元に戻る。諦めろ。」

「僕、スピリチュアルや非科学的なことは信じていないんだけど、なんだかこうやって言われると壺を買っちゃう人の気持ちがわかるよ。」

「めずらしいな、お前がこう言うことに対して音を上げるなんて。」

「んん。そういう雰囲気が春日井さんにはあるよね。」


額のあたりがひんやりと冷たい。

僕はいつの間にかかいていた汗をハンカチで拭った。

赤羽に勧められて僕ら四人は春日井さんと対面のソファに腰掛けた。僕の隣では、輝月さんがソワソワと落ち着かない様子で春日井さんを見つめている。

お願いだから、彼女を悪い見本にはしないでほしい。これは僕のみじんこみたな些細でやっかいな親心なんだけれども。

「紅茶を淹れてくる。」そう言って赤羽は給湯室の方へ消えていった。松田が「手伝うー。」と言いながらそれに続く。


僕はどうしたものかとそちらの方を見ていたけれど、カチャリと陶器の鳴る音に思わず春日井さんの方を振り返った。


「言っておくが、私は出鱈目は言わない。」

「そんなことは言ってないよ。」

「その薄ら笑いをしまえ。」


ピシャリと言われて、僕は大人たちにそこまで評判の悪くない作り笑顔を引っ込めた。

輝月さんが僕のシャツの裾を掴む。目線を向けると困ったように眉を下げていたので、安心させるように少しだけ口角をあげた。


「春日井さん。失礼、あなたと兎於菟様はほとんど初対面のはずですが、発言がいささか無礼かと。」

「無礼?私は嫌なものを嫌だと言っているだけだ。死の深淵に片足を取られている若者を悲劇だとは思うが、それとこれとは別の話……。」

「それも含めて無礼だと言っている。」

「まぁまぁ。咲夜くん、落ち着いて。」


咲夜くんの物言いがだんだんと刺々しくなってきた。

それに気づいているのか、いないのか。春日井さんは彼の顔をひたと見つめて眉を顰めた。


「お前、園芸委員か?」

「は?」

「園芸委員か?」


意味のわからない質問に、一瞬、咲夜くんの苛立ちが削られる。

彼は訳がわからない気持ちとまだ残る苛立ちを言葉に乗せて、つっけんどんに答えた。


「園芸委員だ。それが何か?」

「昨日の昼、当番だった。」

「……。」

「藤棚がお気に入りか?念入りに手入れをしていたようだが……。愛しのラウラにでも捧げるつもりか?確か花言葉は……」

「〜ッ!!」


ガシャンと春日井さんが机に置いたカップとソーサーが揺れる。

机の上にはカップから漏れた紅茶が作った水たまりと、硬く握りしめられた咲夜くんの右手があった。


「なんだ。顔が毒林檎みたいだぞ。」

「……。」


「藤の花言葉は【忠実】だ。」


お盆にティーカップを乗せた赤羽がいつの間にかローテーブルの横に立っていた。

その後ろにお菓子を乗せたお皿を持った松田が顔を覗かせている。


「あとは……。」

「おい、それ以上言ったら……。」

「はいはい。あとは自分で調べろ。」


咲夜くんが片手で自分の顔を覆うように隠す。

一緒に藤を見ようと。昨日約束したばかりだけれど、何かその言葉に彼なりの深い意味があったのだろうか。

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来栖さんちの生贄様〜未完全ヴァンパイアの僕に過保護すぎる双子の愛は重すぎます〜 中里了 @RN729-91

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