第44話 悔い改めて、プリン

「お怪我をされた方、具合の悪い方はいらっしゃいますか」

 ――男子保健委員の治島なおしますなおが、柔らかい声で呼びかけつつ、C組の席を回っている。


 C組はさきの二回戦で、タンクの九割をほぼ透明な水で埋めるという好成績を修めて勝利した。

 一方で、各所で発生していた乱闘のせいで、怪我人も多かったはずなのだが――。


「あら、大木君、血が出ていますよ」

 治島が大木のひざを覗き込むと、大木は何故かさっと顔色を変え、「まっ、もっ、森野先生の応急処置で、十分だから!」とあわあわ叫んで、森野の方へと逃げるように走っていった。


 ――試合の後で聞いたが、試合中の治島の行動は、全て演技だったのだという。

 治島は、E組の早雲はやくも元気げんきに頭を殴られた瞬間――と言うべきか、早雲元気に頭を殴られながら、短時間で進行していく怪我を、かたぱしから治癒魔法で治してしまった。

 その時、このクラスの頭脳である白尾黒江が素早く、治島と覇来はき――体調操作魔法を得意とする覇来はき健吐けんとに合図を送り、まずは覇来の遠隔体調操作魔法で治島を失神させ、殴られた場所の腫れまで再現した。

 そして、あの逆転劇が演じられたというわけだ。


 つまり、治島は、本当はいい奴なのだ。

 確かに、一年C組の担任の森野は魔法医師免許も所有しており、各所の許可を得て、学校の活動中に怪我をしたり体調不良を起こしたりした生徒たちを、魔法または魔法以外の方法で日常的に治療しているそうだが――。


 ――先生いそがしそうだし、治島は怖い奴じゃねえし、普通に救護室きゅうごしつ連れてってもらえばいいのに。

 千色がそんなことを考えている間にも、一人、また一人と、森野の処置を待つ列へ走っていく。


「忘れるところでした、七変君」

 千色がクラスメイトたちを眺めている間に、治島は千色の前に来ていて、何か大きなものを千色に差し出している。

 治島が両手に持っているのは――。

 千色のスポーツ用箒ではないか。


「さっき、僕が修復魔法で応急処置をしまして、森野先生にはOKを頂きました」

 治島は『応急処置』などと言っているが。

「すげえ! 新品じゃねえか!」

 千色が試合で使っていたスポーツ用箒は、熱野に焼き焦がされた芯だけではなく、高校入学からこれまでの間に付いた傷や色落ちも全て元通りになっている。ボディに多少の泥や埃が付いていることを無視すれば、新品だと言われても誰も疑いはしないだろう。

 試しに、右手で掴んで少し魔力を送ってみると、箒は、壁に取り付けられた手摺てすりのように安定して、宙に浮いた――。

「うわーっ!」


「喜んでいただけたようで、良かったです」

 子供のような声を上げる千色の前で、治島は頭を掻き、どこか申し訳なさそうな顔で笑う。

「僕はまだ魔法の調節が下手なもので、誰かの持ち物を直すと、愛着のあった傷までなくなってしまって、残念がられることも多いのですが」

「いや、いいよ! 俺、そういうの気にしねえから!」

 使い込んだものに愛着が湧く気持ちも分からなくはないが、千色はそれよりも、箒が再び使えるようになったことが嬉しい。


「森野先生によれば、今日の試合くらいなら大丈夫ですが、学校に戻ったら、螺子山ねじやまさんに見ていただいた方がいいでしょう、とのことでした」

 治島は、千色の箒のの先端、さっきまで黒い大穴が開いていた部分のなめらかな曲面きょくめんを、白い指先で確かめるようになぞりながら、もともと細い目を更に細くして微笑ほほえむ。

 ――治島が言った『螺子山さん』というのは、防魔高校が学校ぐるみで世話になっているスポーツ用品店の店主だ。


「分かった治島! すげえぞ治島! ありがとう治島!」

 生まれ変わった愛用の箒をさすり、感激する千色に、治島はにこにこと手を振ってから、保健委員の巡回に戻っていった。


 ――そうだ。

「龍、お前は大丈夫なのか?」

 千色は、自分の箒からも、現在行われているA組とD組の準決勝からも視線を外して、隣の龍郎を見る。――この試合は、A組が余裕で勝ちそうだった。

 C組とE組による二回戦の序盤、龍郎はドラゴンの状態で瞬間移動魔法に失敗し、羽根や鱗が剥がれて、かなり出血していたはずだ。千色は羽根も鱗も生やしたことがないが、無理やり抜かれれば、相当痛いことが想像できる。


「俺はドラゴンだからな」

 龍郎はいつもの無表情でそう言うと、体操服の半袖をまくって、右の上腕じょうわんを見せる。

 高校一年生にしては太いその腕には、鱗が剥がれた所だろう、いくつか刃物でがれたような跡があったが、その傷はどれも、数週間前のものかのように綺麗にふさがり、薄く茶色い盛り上がりを残すまでになっている。


「それなら良かったけど」

 ――しかし、龍郎のあの癖はどうにかならないものか――。

「ねえ、ちい君ってさ、きょーだい、いるの?」

 話題の急旋回に、千色はむち打ちを負いそうになる。

「何だよ急に……」

 千色は本当に首をさすりながら、龍郎とは反対側に座る乙盗の方を見る。


 乙盗は何にも構わず、「きょーだい、きょーだい」と両手で千色のももを叩きながらうながす。

「……まあ、いるけど」

 正直、胸を張って紹介できる人物ではない。


「いるの? でも、今日は来てないの? なんで?」

 遠慮もへったくれもなく身を乗り出し、質問攻めにしてくる乙盗を手で押し返そうと、一応は奮闘しながら、千色は諦める。――何をしても乙盗は諦めない。

「……上に、兄貴あにきがいるけどさ、その、喧嘩けんかして、いえ飛び出して……」

「なんだ、複雑な事情があるんじゃないか」

 何故か急にかせてきた龍郎が、「そう無理やり聞き出そうとするな」と、筋肉で乙盗を席に戻す。


 しかし、その気遣いが千色には痛い。

「いや、別に、そこまでのことでも……」

「いらっしゃいませ、弟よ!」

 ……あー、来たよ。

 来ちゃったよ。

 面倒臭いのが来ちゃったよ。


 深い溜息を吐いて項垂うなだれた千色の椅子が、一瞬、がたがたっと揺れて、直後、千色の顔に当たっていたはずの日光がさえぎられる。

「この狭い場所で後ろから椅子乗り越えて来ないで⁉」

 千色は、反射的に突っ込んでしまったが。

「いや、来たのはレイト兄ちゃんからだったねえ! だから、『いらっしゃいませ、弟よ』じゃなくて『参りました、兄ちゃんが』だねえ! あっはっは!」


 ……つまんねー。

 ……だりー。

 今は学校の座学の方が腹を抱えるほど面白いと思えている千色の前で、千色の兄――七変なながわり零透れいとは、腰が二つに折れそうなほどに身体をらして大爆笑している。


「この変な人だれ?」

「不審者か。通報しよう」

 ――乙盗、お前が他人を変な人呼ばわりする権利はねえぞ。

 ――龍郎、お前はスマホ出してるけど、通報の仕方かんのか。

 両脇のとんちきボーイズたちに突っ込みたいことは多々あるが、千色は奴の登場だけで、もともとわずかしかなかった体力を全て持っていかれている。


んなっつっただろ……」

 実兄じっけいの間抜け顔を見たくない千色がうつむくが、零透は構わず千色たちの前をしゃかしゃか走り、ご機嫌に喋りまくる。

「あーっ! 千色の横にいるお二人は、龍郎君と乙盗君だね! おーっ? さてはその顔、また千色が、誤解を招くような話をしたね? ああそうさ、俺は千色のプリンを食べて喧嘩して、家を飛び出したのさ! でも、今はこうしてあらためて」

 零透はやっと足を止めると、龍郎と乙盗に背中を向ける。

 ――その背中には、『ぷんぷくぷりん』のロゴマークが付いた、大きなタンクが背負せおわれている。

「プリン屋さんに就職して、毎日プリンを作って、罪をつぐなっているというわけさー!」

 零透は高らかに宣言すると――。


「さあさあみんな、できたてぷりん、ぷんぷくぷりん♪ ほかほかひんやり、ぷりん、ぷりん♪」

 ――『ぷんぷくぷりんのうた』を歌いながら、背中のタンクから右手でチューブを伸ばし、何も持っていなかった左手には特殊な耐熱容器を魔法で招喚して、タンクからチューブで、容器にカスタード色の液体を注ぎ始める。


「今日のイチオシ、ひんやりぷりん♪ さて、あなたの心はどのぷりん♪ カスタード、ミルク、チョコ、抹茶♪ いちごもあるよ♪ ほかほかもスキ♪ さあさ、あなたの心はどのぷりん~♪」

 ――零透は恥ずかしげもなく大声で歌いながら、無駄に踊りながら、容器にプリン液をたっぷり注ぐと、左手で温度変化魔法を発動し、容器の中のプリン液に一瞬で火を通して、それからすぐに冷却する。


「しあげは、しあげは、きらつや輝く、カラメルソース♪ さあさあどーぞ、できあがり♪ 愛情たっぷり、ぷんぷくぷりん♪ ひんやりカスタードぷりんをおひとつ、千色君に、プレゼント♪ さあさ、今日はみんなに、がんばるみんなにプレゼント♪ C組のみなさん、あなたの心はどのぷりん♪ 千色の兄ちゃん、零透からみんなに、ほかほかひんやり、愛情たっぷり、ぷんぷくぷりん♪」

 ――零透は、カラメルソースまでかけて完成した『ひんやりカスタードぷりん』を指先でくるくる回しながら、これまた魔法で招喚したプリン専用スプーンと一緒に千色に押し付けると、歌い踊り続けながら、一年C組の座席を一人で練り歩いて、差し入れを配り始める。


「ほらほらみんな、遠慮なく♪ 千色の兄ちゃん、零透からみんなに、プレゼント~♪」

 ……千色の兄ちゃんとか言うな。プリン作りたいなら勝手に作れ。俺を巻き込むな。

 しかし、ぎりぎりと歯を噛みしめる千色の両脇では、当然、呑気なとんちきボーイズたちが、ぴしっと挙手をする。


「ぼくひんやりいちご!」

「ほかほか抹茶」

 それに続いて、C組の席から次々に声が上がり始める。


「ひんやりカスタードで!」

「俺もー!」

「ほかほかチョコ~」

「ひんやりミルクぷりんください!」


 クラスメイトたちが零透のパフォーマンスやプリンの味に感嘆している中、千色は背中を丸めて、ひんやりカスタードぷりんをちびちびと食らう。

 ――悔しいが、美味い。

 それもそのはず。

 零透は本当に、十七歳のある日、当時十歳だった千色のプリンを食べ、千色と喧嘩をして、家を出ていった。

 そして、学校を辞めてプリン専門店での修業を積み、今や魔法調理師の免許も取ってしまって、独立開業の準備までしているのだ。


「んまぁー」

 もう、ひんやりいちごぷりんをたいらげてしまった乙盗が、満足そうに腹をさすりながら、椅子の背もたれに身体を預ける。

 龍郎は、「俺は抹茶スイーツには厳しいぞ」と言いながら、ほかほか抹茶ぷりんをぱくぱくいっている。


 ――本当に悔しいが、千色もあっという間にひんやりカスタードぷりんを食べてしまったし、栄養を補給したお陰か、体力がかなり回復している気がする。

「……余計に負けられなくなっただろうが」

 歯の隙間から絞り出すように言った千色が、背後の客席を見上げると、零透は、C組担任の森野と副担任の水川の前で歌い、踊り、できたてのプリンを押し付けていた。


 森野はいつも通りのにこにこ顔だったが、水川は、コピー用紙のように完璧な無表情であった。

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魔法はそんな風に使うもんじゃありません! 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

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