【短編】婚約者に裏切られた没落令嬢は王国の第二王子に求婚される

あずあず

第1話

「ルメイン辺境伯が、馬を買い入れたいとのことだ。明日馬場の見学にいらっしゃるそうなのでな。いつもより、厩舎の掃除を念入りにな」


 私の元婚約者、クリストファー・シャンドラ伯爵の言いつけは絶対である。私はただ頭を垂れて「かしこまりました」とだけ答えた。

 しかしこれには、さすがに馬場を管理しているモントレーが意見した。


「この広さをオリビアさん一人でですか…?僕も手伝いましょう」

「なんだ、貴様、私に意見するのか?」

「いえ、そんな…」

「貴族は皆馬が好きだ。元貴族令嬢殿にはぴったりの雑務だろう?大いに励みたまえ。分かったら返事をしろ、オリビア」

「はい。言いつけ通り、明日までに終わらせます」


 にやにや笑いながら去っていくクリストファーが身につけている宝石の類は、全て我が家から没収したものだ。


『ハーパー領から出されている宝石には、偽物が混ざっている!私はその証拠を掴んだのです!』


(思い出すだけでも吐き気がする)


 馬糞を片付けながら、広い厩舎の中で心を殺した。


「オリビアさん、僕も手伝うよ」

「モントレー…。もしご主人様に見つかりでもしたら、私だけではなく貴方までお叱りを受けるわ」

「だがなあ…」

「本当に、大丈夫ですから。貴方まで叱られたのでは、私も心が痛いわ。ね、今日はもう休んで」


 心配そうに振り返るモントレーを横目に、黙々と厩舎の掃除を続けた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 クリストファーは金髪の美丈夫で、社交界ではいつだって注目の的だった。

 子爵令嬢だった頃の私は社交界の花と持て囃され、クリストファーと並び歩く度に、感嘆のため息が漏れ聞こえた。


 クリストファーに恋心があったわけではない。幸せかどうかなど考えたこともなかった。

 ただ流されるままに。けれど、貴族の結婚などそんなものだと思っていた。

 婚約して以降、クリストファーからは、週に何度もデートのお誘いがあったと思う。


『待ち合わせの時間が惜しいから、ハーパー家まで迎えに行っても良いかな』


 時折見せる彼の気遣いや優しさに惹かれ始めた時だった。


『ハーパー領の宝石には偽物が混じっている。証拠は掴みました。どうか取り調べてください』


 ずらりと並んだ宝石類の山にはなぜか、あるはずのない偽物が混入されていた。

 再度の取り調べを懇願した父や兄だったが、一度失墜した信用を取り戻せるわけもなく、また、領民は我が身可愛さに

『領主様の命令に従わなければ酷い罰があり、仕方なく偽物を混ぜていた』

などと嘘の証言をする者まで現れた。


 領民はハーパー領を離れ、やがて資金繰りもままならなくなり、没落したのだ。

 父と兄は首をくくった。母は行方をくらました。


『お嬢さんだけはこちらで預かりましょう』


 などと言う言葉に拒否権などなかった。受け入れてくれただけでもありがたいと思うべきなのだろう、と来てみれば、私はクリストファーの侍女として迎え入れられた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 夜明けとともに、厩舎の掃除を終えた。

 手はまめだらけだし、制服は汚れてしまって、おまけに思い切り臭い。

 私一人のために湯をためるなんて許されないから、水浴びで済ますしかなさそうである。


 春が到来したばかり。朝はまだ肌寒い。けれど、こんな姿で辺境伯をお迎えするなど失礼にも程があろう。

 何より、自分のプライドが冷たい水よりも凍てついて痛かったのだ。


 黒毛に白い立髪の馬が、ブルブルと鼻を鳴らしている。

 シューと名付けられたこの馬に乗せられて、かつてはハーパー領だった地にわざとらしく連れて行かれたこともある。


『ここ一帯は我が領地。素晴らしい贈り物をありがとう、オリビアよ!君も懐かしいだろう?時折こうして連れてきてあげよう。喜びなさい』


 シャンドラ領となってからも、宝石類はふんだんに採掘できているらしい。

 私に求婚したのはこれが目的だったのだ。

 週に何度もデートに誘われる度、我が家に来ていたのは宝石類に細工でもしていたのか、口裏合わせする領民を物色でもしていたのか。


 求婚された時、まるで神の祝福を受けた様に喜んでいた両親の顔が浮かぶ。


(こんな生き地獄を一生味わうのなら、いっそ死んでしまおうかしら)


 水浴びと洗濯を終えた頃、遠くの方で賑やかな声が聞こえて来た。

 煌びやかなドレスと装飾品に身を包んだ女たちが近づいてくる。


(ビクトリア!!)


 頭を下げて通り過ぎるのを待つしかなさそうである。サロンでお茶会だろうか。以前は私もその中の一員だった。


 ビクトリアを先頭に、その取り巻きたちが、ぴたり、と私の前で止まった。


「ほほほ!そうなのよ…あら?何か臭いわね」

「臭い、臭いわ!」

「まあーっ!どこからかしら!」


 それからわざとらしく私を囲んで指をさす。


「あらぁ、オリビア様。ご機嫌麗しゅうございますわ。ご挨拶が遅れてごめんあそばせ」

「やだわ!フロウェン夫人ったら!もうここにいるのは貴族のご令嬢などではなくってよ!ほほほほ!」

「まあ!!そうだったわねぇ!あはははは!」

「なんとかおっしゃって?元子爵令嬢様!ほほほ!」


(なんと言う屈辱なの!耐えられない!耐えたくもない!)


 ビクトリアがハンカチで口元を覆って近づいて来た。


「ああ、臭いのは貴方からなのね、オリビア様。何の臭いなのかしらぁ?」

「……先ほどまで厩舎の掃除をしておりました。水浴びもしましたが、それで臭うのでしょう」


 辛うじてそう説明した。他に説明のしようもない。


「まあ!そうでしたの!それはちょっと酷じゃなくて?ビクトリア様」


 その言葉に、私はつい頭を上げた。

 けれど、誰も彼もが私を汚物を見る目で蔑んでいるではないか。


「そう、とっても酷くって、とってもお似合いだわ!」


 一瞬だけ訪れた静寂のあと、「ぷっ」と誰かが吹き出した。


「ほほほほほほほ!」「あははははは!!」


 どっと笑いが起きた。

 ビクトリアの破顔が突然真顔に戻る。


「ねえ、いつまで突っ立っているのよ。立ち去りなさい」


(ああ…)


 堪らなくなって、私はぺこりと形だけお辞儀をして、走り去った。

 耳を塞ぎたくなる笑い声が、いつまでも背中から聞こえてきた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





『ビクトリア・ヒュードリヒと申しますわ』

『お初にお目にかかります。オリビア・ハーパーです』


 彼女と知り合ったのは、十歳の頃。美しいブロンズに透き通る様な青い瞳の、人懐っこい少女という印象だった。


 同い年ですぐに仲良くなった。父親同士が商談仲間ということもあり、お互いの家を行き来していたのだ。


 屋敷の中をこっそり探検したりして、よく叱られたものである。


『オリビア様!!素敵なネックレスね!!私も同じのが欲しいわ!』

『…え?欲しい…?』


(寄越せということ!?)


 青い瞳がキラキラと輝いている。


『これは、父が私に作らせた一点ものですの。差し上げるわけには…』

『まあ!貴族が、ましてや宝石類が潤沢に採掘できる領地を所有するハーパー家のお嬢様が、そんなケチで良くって?お父様のことを思えばこそ、おおらかに振る舞わなければなりませんわよ』


(大人みたいなこと言う…怖い…。渡さなければ、お父様が嫌な思いをするということ?)


 早く逃げたくなって、つい差し上げてしまった。

 それからも度々ビクトリアは父親と我が家に訪れた。何度となくネックレスやブレスレット、指輪など身につけているものは何でも欲しいと言って持って行かれてしまった。


『そのブローチとっても素敵ね!私にくださいな』


(しまった!外すのを忘れていたわ!!これは一等大切なものなのに!!)


『…私の誕生日プレゼントで頂いたものですから、このブローチはさすがに差し上げられませんわ』

『オリビア様は本当にケチなのね。ハーパー子爵が可哀想だわ』


 そこへ父たちがやってきたので、泣きついた、


『お父様、ビクトリア様が私にこのブローチを寄越せと言うのよ』


 父は大きな手で私を抱きしめると言った。


『うん?急に顔色を変えて何だ、どうしたんだ…仲良く遊んでいたんだろう?』

『私、これは誕生日プレゼントで頂いたものだからダメだと言っているのに、ビクトリア様ったら寄越せと言うのよ!』


 私は、ここぞとばかりに猛抗議した。

 父はヘラッと笑うと、


『すまないなあ、こればかりは勘弁いただけないだろうか?そうだ、ビクトリア嬢には、ブローチの代わりにこれをあげよう』


 それはダイヤのブレスレットだった。不満げに『ふぅん』などと言って握り込むと


『やだわ。私あれが欲しいの』


 そう言った娘を、ヒュードリヒ侯爵は叱りつけた。

 涙を流しながら帰って行ったのを覚えている。

 以来、行き来することは無くなった。

 時折お茶会やパーティーで見かけるビクトリアは妙に派手派手しく、華美な装飾を身に纏っては、私の装飾品に難癖をつけた。


『ハーパー領は低品質な宝石しか採れないのかしらね。見て、私のピンクダイアモンド。素敵でしょう?オリビア様には、逆立ちしたって無理そうね』


 ヒュードリヒと婚約してからは、矛先は彼に向けられた。

 媚びるような目線、私を差し置いて触れる指先。


 どちらが先だったのか分からない。けれど、我が家が没落し、婚約が白紙になった時、クリストファーはビクトリアと婚約した。





✳︎ ✳︎ ✳︎





(もう、死んでしまおう)


 水浴びをした井戸に身を乗り出した。

 地獄の入口のような穴は、空気をひゅうひゅうと吸い込んでいる。

 下の、下の、下の方。微かに見える水面が、黒々しく揺れている。

 石造の井戸にかけられた手に力がこもる。


(お父様やお兄様は私を叱るだろうか。お母様はどこにいらっしゃるのだろうか。死んだら分かるのだろうか)


 その時だった。


「あぶない!」


 私は地面へと勢いよく引き戻された。

 太陽が眩しい。目が眩む。


「君!何をしているんだ!危ないじゃないか!」


 必死に目を凝らすと、それはセントナード・ルメイン辺境伯だった。


「ルメイン…様…?なぜここに…?」


 と言ってハッとした。そうだ、今日馬の買い入れに来ると言っていた。


「君…えっ…まさか…オリビア・ハーパー子爵令嬢殿…?」

「あっっ!!!やっ!はな、離れてください!!」


(私は今、思い切り臭いと言うのに…!!)


「何だってそんな使用人みたいな格好を?」

「みたいではなく、使用人ですから。ハーパー家が没落したことはご存知でしょう?叱られますから、私はこれで」


 去ろうとする手を掴まれた。


「もし君が逃げたかったなら、僕は協力するよ」


 けれど私は振り返らずにその手を振り解いた。





 それから、馬を物色しながらも目線は時折私に刺さる。

 私は、ずっと以前からルメイン辺境伯に淡い恋心を抱いていた。

 知的な眼差し、落ち着いた物腰、ゆったりとした口調。何かに没頭している時の鋭い目線。

 それから、長い指先。


 以前、彼に気があることを仲の良いご令嬢に知られた時


『彼、意外と隠れファンが多いのよ』

『隠れ?』

『そ!スタイルも良くて、あのご尊顔でしょう?素敵だけれど、ちょーっと取っ付きにくいのよねぇ!ま、そこが良いんだけれど!』

『ご尊、顔…?まさか貴方も?』

『やだー!私には婚約者がいるもの!あくまでも、ファンっていうだけだから!』


 などと言って笑い合った頃が懐かしい。その後すぐにクリストファーと婚約することになった。


 久しぶりに会って胸の燻りが再燃してしまったらしい。

 掴まれた腕に熱感がある。


「私、臭かったわよね…」


 ぽつりと呟いた言葉。恥ずかしさから涙が溢れそうになる、

 相部屋の侍女はいびきをかいて眠っている。

 窓から見る空には貼り付けたような星が輝いていた。かつてハーパー家が所有していた宝石のようだった。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 翌朝、屋敷の廊下を清掃しているとビクトリアが歩いてくるのが分かったので、頭を下げる。


(あのブローチ!!!)


 それはかつて、ビクトリアが私に寄越せと言ったあのブローチだった。

 ビクトリアは立ち止まり、わざとらしく言った。


「ねえ、このブローチ懐かしいでしょう?結局貴方には似合わなかったのよ。だから巡り巡って私の元に来たのね。ふふふ」

「……奥様、朝食が整っておりますので、ダイニングへ…」

「私ね、貴方がずうっと妬ましかったの。でも、今ではぜーんぶ私のものよ。宝石も、クリストファー様もね。あとは…そうねえ、ルメイン辺境伯様かしら。欲しいわ、あの方」

「…奥様、旦那様に聞かれでもしたら叱られてしまいます」


 バチン!と扇で肩を叩かれる。


「っ!!!」

「私に忠告するの!?…ちょっとくらい浮気したってバレたりしないわ。貴方と婚約破棄した時は燃えたけどぉ、最近つまらないのよねぇ。彼、物ありげに私を見るんだもの」


 くねくねと身を捩っているので、吐き気がした。


(結局、クリストファー様も私の婚約者だったから欲しかっただけか)


 だとすれば、ビクトリアが真実初めて欲しているのがルメイン辺境伯なのだろうか。


(どうなろうと、もう、私には関係ない)


 ただ、淡々と日々をこなしていくだけ。それだけのことだ。


(なぜ死ぬのを止めたのかしら。放っておいて欲しかった…)


 生き地獄にいるか、本物の地獄に行くかの違いしかないのだから。



 ざわり、と俄かに慌ただしくなる。


(何だろう?)


 欄干から覗き込んだそこは玄関だ。


(ルメイン辺境伯様!)


 二日続けていらっしゃるなんて聞いていない。


「あらぁ!やっぱり、私に会いに来たのよ、きっとそうだわ」


 と言い残し、階段を降りていくビクトリアと、慌てて応接間から飛び出してくるクリストファーが玄関でかち合った。

 ルメイン辺境伯はにこやかに手を広げた。


「夫婦揃ってのお出迎えに感謝します」

「いきなり何のご用でしょう?選んだ馬は三日後にお送りすると…」

「馬をすぐに引き取りたいのです。乗って帰っても?その方が効率的だ」

「しかし……」

「倍の金貨を差し上げよう」


 布袋をジャラッと手渡したので、さすがにクリストファーはびっくりしていた。


「そ、そういうことならば、断る理由はありませんな!どうぞ、厩舎に案内しましょう」

「それからその前に…ああ、そこにいたのかい」


 欄干から覗く私に腕を伸ばしている。


「オリビア・ハーパー子爵令嬢殿、貴方を攫いに来ました」

「…え?」


 そこにいた、全員があんぐりとしている。


「ご、ご冗談が過ぎますな!あれはもう貴族などではない、我が家の使用人だ」

「さて、冗談で済めば良いですけれどね」

「なにを…」


 突然扉が開いて、近衛兵がわらわらと立ち入って来た。


「夫妻を捕らえよ!」

「なにを!何をするんだ!出ていけ!」

「無礼者!私に触らないでよ!!」


 縄をかけられたクリストファーとビクトリアは、その場に膝をついている。


「貴様っっ!!!何のつもりだ!」

「僕はね、前ルメイン辺境伯から爵位を継いだが…それは弟に国王の座を譲るためなのだよ」

「はあ!?遂にイカれたか!!!」

「よく見たまえ、近衛兵は何を着ている?」


 それは、王族直属の兵隊服だ。

 クリストファーの顔はいよいよ青ざめた。

 確かに聞いたことがある。現王太子には兄君がいたはずだ。


「僕は側室の子なのでね。権力争いから早々に退くために母方の爵位を継いだのさ。だから、貴様に貴様などと言われる筋合いはない、無礼者」

「ぐっ!!!!で、ですが、なぜ善良な貴族に縄などかけるのです!?」

「善良かなあ?笑わせてくれる。さあ、出てきてくれ」


 再び開いた扉から出てきたのは、スカーフを頭から被った初老の女性だった。

 実年齢よりも老けて見えるけれど、それは確かに


「お母様…」


 その人は私をしっかり見ると「ああ…」と言った。


「オリビア…!!!クリストファー!どういうこと!?話が違うじゃない!!!」


 母は思い切りクリストファーの胸ぐらを掴んだ。


「くっ!!今更なんだ!!離せ!」

「その頬を殴らないと気が済みそうにないわ!!!」


 しかし母はクリストファーから手を離して、ルメイン辺境伯こと、セントナード第二王子の前に平伏した。


「ここに告白します。私は、このクリストファーに唆されて、罪に加担いたしました」


(え!?何を言っているの!?)


「…申せ」

「はい」



 母はぽつりぽつりと話出した。





✳︎ ✳︎ ✳︎





『奥様!大変です!誰が混ぜたものか、本物そっくりの偽の宝石がシャンドラ領に納められたらしいのです!!』

『なんですって!?』


 けれど、その領民こそクリストファーの息がかかった物だった。

 私はすぐにクリストファーの元へ行き、何かの間違いであると訴えた。けれどクリストファーは頑なだった。


『将来妻に迎え入れようという方のご実家に問題があれば、それはシャンドラの問題でもあります。目を瞑る訳にはいきません』


 娘の身だけは守ると、結婚して、ハーパー領を二人で盛り立てていくからと、そう言われた。


 夫も息子も失って、私も首を括ろうとした時、どうしても死にきれなくてハーパー領を去った。

 仕事は何でもした。いつかクリストファーと幸せに暮らす娘に一目会うのを心の拠り所にして。


 セントナード様が私を探し出すまで、オリビアはきっと幸せに暮らしていると信じて疑わなかった。


 今はあの時死ななくて良かったと思っている。

 あの時、クリストファーに加担した者を覚えているのは私だけだったから。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 母が全ての告白を終えた時、「連れていけ」と言ったセントナード様の声に、クリストファーはみっともなく失禁した。


「セ、セントナード様ぁ!私もこの男に騙されたのですわっ!まさか、こんな人が夫だったなんて……!私を救ってくださってありがとうございます!」


 ビクトリアは縄をかけられているにも関わらず、自力で立ち上がり、セントナードに擦り寄った。


「ビクトリア殿。君、とってもお似合いだよ」

「ええ!私の心はセントナード様に…」


 セントナードはにっこり微笑んで、ビクトリアの背中に手を回した。

 ビクトリアの恍惚の笑みは欄干から覗き込む、私に向けられた。

 けれど、セントナードはビクトリアにかけられている縄を掴んでグイッと引き上げた。


「えっ…」

「罪人の君に、とってもお似合いだ、この縄は」


 ギリギリと締め上げる手を離したので、ビクトリアはどさり、とその場に頽れた。

 セントナードは階段を一段一段登って、私の元にやってくると、跪いた。


「国王も今回の事態は重く見ている。ハーパー領をお返しすることを約束しよう。それから、シャンドラ領はハーパー家が所有するようにとのお達しだ」

「なんと感謝申し上げて良いやら…ありがとうございます」

「それから、これを」


 差し出されたのは、ビクトリアに奪われたブローチだった。


「これ、どうして私のものだと?」

「さて、どうしてだと思う?」

「えっ?」

「例えば…君のことをずっと気になって見ていた男がいたとする。いつも身につけている装飾品が、ある時から別の女が身につけていたら、気が付かない男がいるかな」

「セントナード様が私のことを…あ、有り得ませんわ…」

「でもそれが真実だ。君のことが、ずっと前から好きだった。僕の妻になって欲しい」

「えっと…私は…」

「領地は返還されて、爵位は戻る。君の母君が子爵号を継ぐだろう。僕はただの辺境伯。問題があるとすれば、君にその気がないことだけだが…僕のことは嫌い?」


 嫌いなんて。そんな訳ない。ずっと前からお慕いしていた。


 ぐっと拳に力が入る。差し出された手にそろっと手を滑らせる。


「私も、セントナード様のことをずっと以前からお慕いしておりました」


 ふわっと抱きしめられたまま、母の元まで運ばれると涙ぐんだ母が私に抱きついて、二人で思い切り泣いた。


「有り得ない!!オリビアが…!!!オリビアのくせに!!!なんでいつも私の欲しいものばかり持っていくのよ!」


 ビクトリアが喚いた。


「君はそうやっていつまでも人を妬んで生きていくんだな。そんな生き方、ただの生き地獄だと思うけど」


 セントナード様の言葉に、絶句したまま、近衛兵に連れて行かれた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 セントナード様は、買い入れた馬に私を乗せるとその後ろに跨った。


 ゆっくりとシャンドラ領を離れていく。

 空は私の心のように、どこまでも高く澄んでいた。


「君を見つけた時みたいに心臓が高鳴っている」


 どきどきと背中に心音が伝わってきて、私もつられて心臓がうるさくなった。


「その、いつから…」

「いつからかな、数えるのも忘れるくらい前からかな」


 そんな言葉に顔が赤くなる。


「着いた。見てごらん」


 小高い丘からハーパー領が見える。遥か故郷では、春の花が咲き誇っているのだろう、風に乗って花の香りが鼻をくすぐった気がした。


「美しいな」

「ええ、ハーパー領は鉱山を所有しながら、草木も豊かで、今時分はたくさんの花が咲いていることでしょう」

「…それもそうだけれど、オリビア、君だ」

「えっ」と振り向いた私に口付けが落とされる。


「君がクリストファーと婚約したと聞いた時、奪ってしまえば良かったな」


 腰に回った腕にぎゅうと力がこもる。


「もう、離さない」


 再び唇が重なって、私たちの未来が約束されたような春風が吹き渡った。

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【短編】婚約者に裏切られた没落令嬢は王国の第二王子に求婚される あずあず @nitroxtokyo

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