第3話 霊弥くんは許してくれない

早弥さや!」


 僕より、ちょっぴり低い大声が響く。

 出入口のところを見ると、学生鞄を肩にかけた霊弥れいやくんが立っていた。


「早弥、何してるんだ? ……ああ、三限目のヤツか。そいつが早弥に何の用だ?」


 霊弥くんの、ゾッとするほど低いこの声……ちょっと怒っているみたい。

 あー……これはキレているな。


「……君も俺のことを覚えているんだ」

「は?」


 霊弥くんの低い声に、ビクッと肩をすくめる。

 なんで僕たち、こうも声が違うんだ……?


「興味深いねえ、


 ククッと笑う五龍神田くん。もちろん霊弥くんの表情はけわしい。

 うわっ……ひたいに青筋が……。


「ああもちろん、馬鹿にしたつもりは全くないさ。ただ……術が全く効かないなんて、前代未聞だったから」

「何を言ってるのか分からないが、早弥に何をしたんだ」

「何もしてないよ。それにしても君、『早弥』って名前なんだ」


 そっか、僕は五龍神田くんには名前言ってなかったもんね。

 女の子みたいな名前だから、少し恥ずかしい。


 ドカドカと近づいてきた霊弥くんの勢いに、ジリジリ下がる。

 いやこれ、五龍神田くんのこと引っつかむんじゃ……?


「お前、本当に何もしてないのか?」

「してないよ? 何でそんなに疑うの」

「お前がさっきから意味の分からないことを言ってるからだ。術? 何だそれは」


 ああ、霊弥くんの性格が悪い方面で出てる。

 用心深い分、疑い深い。

 他人の言葉は、なかなか信じてくれない。


「それっぽい妄言もうげんを吐いて洗脳せんのうしようとしてんだろ。お前は人間じゃないから有り得るんだ」

「そんなわけっ……ていうか何でそういう思考になるの!?」


 後で五龍神田くんに謝ろう。

 僕の兄がすみません。

 至近距離で怒鳴っておりますが、根はいい子なので許して下さい。


 霊弥くんはあの過去を「野生動物の事故」で済ましたいがゆえ、未確認生物は信じてくれません。

 そういう性格なので僕には対処のしようがないんです。


「早弥、お前はシフトの時間だから行ってこい!」


 ……あ、もうバイトの時間か。

 霊弥くんをここに置いて行くのは少し心配だけど……仕方ない。


 教卓に書類を置いて、学校を去った。

『異常なし』

 ……って書いた、よね?


 * * *


「そっかぁ。早弥くん」


 ここは僕の勤務先の「飯店〈とう〉」だ。

 店長が董元祥とう/げんしょうさんという名前なので、店名も「董」がついてる。一家で経営しているらしい。


 んで、僕がこの店の看板娘……ならぬ「看板男」なのである。

 僕が働き始めてから、若い女性の客が増えたとか。


 今は店長の元祥さんと、まかないチャーハンを食べている。

 食費を安くできるので、ありがたいです。

 霊弥くんは焼肉屋で働いて、こちらも頼るのはまかない。


「で、翼を持つ男の子が現れたってわけか」

「はい……」


 親のいない僕にとって、元祥さんは親みたいな存在だ。

 まだ児童養護施設に入っていたころから世話の身だから、というのもある。


 ……え? どういうことかって?

 この人は中華料理人じゃなかったら、施設の職員だったんだよ!!


「早弥くんはUMAユーマとか信じてるだろ?」

「……? ああ、はい」


 一瞬、人名の「ゆうま」かと思った。

 ゆうまなんて知り合い、いたっけ? と思ったけど、未確認生物のUMAユーマだったのね。


「両親の命を奪ったのも、化け物だと信じてます。人を喰い殺すこともある、凶暴な化け物が家に押し入ったんだって」


 おおかみにしては大きかったし、とらにしては小さかった。

 僕の知らない動物の可能性もなくはないけど、千葉の田舎に生息する野生動物だ。知らないってことは早々にないだろう。


「わたしは、君の意見に同意する。中国……わたしの地元にも、妖怪に関する伝承はあるからね」


 元祥さんの言葉に、ホッとため息をつく。

 忘れていたけど、妖怪は日本以外にもいるっけな。中国にはキョンシーがいるとか何とかかんとか。


「そういうロマンを信じて生きることが大切だと思うよ」


 ぽんぽんと頭を撫でられて、クスッと笑う。

 んもー、僕子供じゃないし……。



 ラストオーダーを目前にして、店にお客が入ってきた。

 ……十時半にお一人様で? 珍しい。


「四番でお待ちのシハラ様、カウンター席のご利用です」


 むんむんと熱い空気が充満した厨房の近くで、汗を拭いながら来店台帳をめくる。

 書道のように綺麗な字が書かれていた。


「シハラさん、字が上手だな……」


 僕は女の子の字みたいに丸っこい感じになっちゃうから、スゴく憧れる。

 ……え? 霊弥くんの字?

 判別不能なくらい、きったなくて読みづらい。


「早弥くん、今日は夜も遅いし、家に帰った方がいいよ。お兄さんも心配するよ。何より、成長期の男の子を深夜まで働かせたくないよ」


 ……あ、そっか。もう十時半か。

 ここで働くのは大好きだから、もっと働いていたいけど……健康に支障をきたしては困るし、ここはお言葉に甘えて。


「ありがとうございました」

「あいよー」


 バイトの制服を脱いで、店を後にした。

 お店の中って熱かったんだな……外が寒く感じる。


『……ここか』


 * * *


「……とぇ?」


 また素っ頓狂な声が出たのは、アパートの前だった。

 ここは僕の家。今年から越してきた家だ。


 なんでか、僕たちの部屋の前の柵に、五龍神田くんが腰掛けていたんですね。

 いやいや、万が一落ちたら危ないよ……!?


 階段を上って近くでその姿を確認したけど……やっぱり五龍神田くんだ。


 なんでここに、という疑問が出てくるけど……突然問いをするのはダメ。まずは挨拶から。これ基本。


「こんばんは」


 五龍神田くんが顔を上げる。

 何だろう、丸くて、切れ長とかけ離れた目をしてるのに……すごく野性的な感じがする。


「早弥って呼んでいい?」

「えっ? ああ、もちろん」


 別に全然構わないけど、どうしたんだろう。

 まあ、下の名前で呼びたいという意思表示は、ほぼほぼ脈アリというか、仲良くなりたい証拠なんだけどね。


「その代わり、俺のことは『寳來ほうらい』って呼んで」

「あいよ」


 はいはい脈アリ確定。

 ……変な意味じゃないからね? 恋人じゃなくて、友人だよ?


「寳來くん、で……なんでここに?」


 手順は完璧。

 長年のコミュニケーションの特訓で、何となく分かる。


 寳來くんはやっと柵を下りてくれた。

 ……僕は高所恐怖症だから無理だよ? なんで涼しい顔でそこに乗れるのか、全然分からないよ。


「今日の夕方の続きがしたくて」


 ……話、か。

 つまり〈天華の星〉の乱世や軍について話したい、ということ。


 ……誰でも分かる?

 あのね、僕はそういうの、逐一確認するタイプだから。霊弥くんとは違うからね。


「寳來くんの軍……」

「察しがいいな」


 こうやって話題が深刻で暗いものになったとき、いつもは明るい話題に変える。

 でも……今は無理だ。


 ということで、寳來くんを我が家に入れた。

 霊弥くんの猛反対を押し切って。


「多分、寳來くんが将軍だよね。主要幹部には何が?」

元帥げんすい軍師ぐんし大督たいとく尚書しょうしょって感じかな」

「ごめん何言ってるのか分かんない」


 元帥と軍師はギリギリ聞いたことがあるような……でも、タイトクとショウショは何なのか、さっぱりだ。

 ていうか何語? 何語なの?


「……その反応……さては知らないな?」

「ご名答……」


 やれやれと呆れつつ、寳來くんは言葉をにごさずに話してくれた。


「元帥は軍隊の最高司令官で、戦略を考えたり部隊をまとめたりするよ。将軍の次にえらい役職って覚え方がいいよ」


 ほほー、分かりやすい。

 要は上記の通りねぇ。


「軍師は、軍事、戦略面での重要な助言者。将軍や元帥に的確なアドバイスを行うよ」


 ふむふむ、軍事でのサポーターといった辺りか。

 確かに何かスポーツチームで作戦を考えるとき、必ず何かアドバイスをする人がいたような……?


「大督は軍隊の上級指揮官じょうきゅうしきかん。部隊の指揮しきや戦略の決定の関わるんだ」


 とにかく偉い人。

 前線でもそうじゃなくても活躍できる人って感じだな。


「最後は尚書。尚書は、中央の官僚組織かんりょうそしきの長官。書類を管理したり政策を考えたりする、行政の大事な人」


 ……官僚組織っていうのがイマイチ分からないけど、その後でどんな仕事なのか分かった。

 将軍や元帥とは違う意味で重要地位になるわけだ。


「うーん、まあ何となく?」

「いきなり全部を覚える必要はないよ。そもそも学業には関係ないし、俺も覚えるのは時間がかかったからね」


 寳來くんでも暗記に難儀なんぎしたのなら僕はなおさらだ!

 僕は社会が、国語に次いで苦手なので!!


 多分さっきのはザックリした解説で、もっと詳しいことになると、歴史とか公民とか地理とか国際とか、色々難しい話になるそうだ。


 取り合えず名前は覚えたし、あとは内容ぐらいかな。

 しかし、霊弥くんがダメだった。


「そんなもの覚えて何の役に立つんだ早弥。俺は歴史を習う拍子に覚えたが、理系のお前がなぜこんなものを覚える?」


 パソコンの家計簿に色々記入しながら、かなりキツめの口調で言い放つ。

 何なんだ。覚えて何が悪いんだ。


「僕は寳來くんのことを助けたいんだ。もちろん協力するつもり」


 破壊力は霊弥くんにおとるけど、でも彼をにらむ。

 けれども、鼻で笑われるでも、叱られるでもなく、ため息をつかれた。

 ……それ、あきれたから? それとも疲れたから?


 一方、お隣の寳來くんは、ずっと苦笑いを浮かべていた。


 本当ごめん……。


「長居してすまない。……ありがとう」


 それだけ言って、寳來くんは窓の外に出た。

 そして、室外機の上から飛び降りた。


「あっ……」


 止める間もない速度で、闇の中に寳來くんの姿が消えていく。

 空には、いくらかの星が輝いていた。


 部屋に戻り、地団駄じだんだを踏む。


「寳來くんは故郷のことを想って、真剣に話してくれたんだよ!?」


 その思いを壊したのは誰か。

 霊弥くんでしょ。


「それが何だ。俺たちには関係ない」

「すぐそう言ってバサッと切り捨てる霊弥くん、嫌い!!」


 ここまで来るとただの兄弟ゲンカだけど、僕たちは互いに真剣なはず。

 霊弥くんだって、悪意なんかないんだもの。


「なぜ俺たちが、命の危機にさらされるんだ」

「もう昔にそうなったから、今さら言い訳するのは違うでしょ!!」


 壁の薄いアパートで、近所に声が聞こえないか心配になる。

 大家さんが優しいことが救いだろうなぁ……。


「何で断るの!?」

「っ……」


 途端、霊弥くんの言葉がぴたりとんだ。

 苦しそうな顔……。

 やっぱり、彼なりの理由があったんだ。


「早弥を、これ以上……危険な目にわせたくないんだ」


 ……え、僕を?

 自分じゃなくて、僕を?

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絆を紡ぐ者たちよ、あやかしを救うため立ち上がれ【天華星翔奮戦記】 月兎アリス(読み専なりかけ) @gj55gjmd

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