第2話 不思議な男の子

 僕たちの目の前に──明らかに人間離れした姿の、男の子が降り立った。


「……遅くなったけど、まだ間に合う」


 けれども声は、僕たちと同じ年代の男の子だろうか。言われてみれば後ろ姿も、一六歳くらいに見える。

 でも、翼? 鎌?


「下がってて。斬撃が当たったら危険だから」


 ざ、ざざ、斬撃って……。

 そんな言葉、創作物でしか聞いたことないのに……。

 言われた通り数歩下がると、その子は持っていた鎌を振り上げた。


業炎刃ごうえんは── 朱鎌颯斬しゅけんさつざん!!」


 鎌の刃が、炎のようにまぶしい光をまとって揺らめく。

 とてつもない速さで弧を描いて、音を立てながら空気を斬り裂いた。

 一瞬見えた、先生にまとわりつく物の正体は──宙に浮く白い布?

 それを、刃が裂いていく。


 ザッ!! 火花をまといながら、布を破いた。


 一瞬で布は真っ二つ。切れ目から、ジュウッという音を立てて、白かった布地が焦げていく。

 ふと気づくと、あの子の手から鎌が消えていた。

 周囲には不可思議な沈黙が流れ込んでくる。


 男の子は、倒れた先生の元へ歩み寄り、すぐ側でしゃがんだ。

「行こう……」

 霊弥れいやくんに言われ、僕も恐る恐る近寄る。


「………」


 呪文なのだろうか。ブツブツ唱えられている。

 よく見ると、その子の手には、護符のような御札おふだが握られていた。


 呪文か祈祷きとうか何かが終わったのか、男の子が立ち上がる。

 何か変わったのかな……?


「……これで大丈夫」


 こ、これで大丈夫なんだ……!

 よかった、ふう……とため息をつく。


 ……え?


 隣を見たときには、もうその子の姿は何処どこにも見当たらなくて。

「……? どうしたんだお前ら」

 僕たちはまた、さっきのように並び出した。


 * * *


「だっる〜っ!」


 そう嘆く理由は、今週から僕が、屋上当番になったため。

 屋上当番は、屋上の見回りをする当番。二週間周期で行う。


 ……え? 高校一年生になってまだ三週間なのに、なんで「たかなし」がやってるって?

 その辺の事情は説明が難しいから気にしないでくれ〜!!


 それにしても……と、三限目のことを思い出す。


 不思議な格好をしていて、白い六枚の翼と赤黒い巨大な鎌を持っていて。

 厨二病のような名前の技を使い。

 一瞬にして布を斬り裂き、先生を気にかけて。

 足音もなく、気配すら感じさせず、立ち去った。


 間違いなく人間じゃない。

 仮に人間だとしても、常人じょうじんではない。


 でも、あんな光景を目にする日はもう二度と訪れないだろう。

 確かな根拠はないけど……何となく勘がそうう。


 そう思っていたから。

 ──その子の姿が視界に入ったとき。


「……ほぁ?」

 と、頓狂とんきょうな声を出してしまった。


 屋上の展望台の柵に腰掛け、グラウンドの方向を眺めている。


 ……なんで、ここに?

 君……一体いつからここに!?


 その子は間違いなく、三限目のときに現れた男の子で。

 浅葱色あさぎいろの着物、紺色のはかま、青みがかった長い黒髪。

 見間違うわけない。


 ていうか、そこ危ないよ……!

 万が一落ちたらどうするの!


 ……あーでも、翼があるから飛べるのかなぁ。


 とはいえ、何をされるのか分からないので、ジリジリ後退あとずさり。

 けれども。


 パッとその子は振り向いて。

 完全に視線がかち合って。


「……!」


 どうしてか「もう逃げられない」と体が云った。

 まあ、足がすくんでいたから、すでに動けなくなっちゃったんだけど。


 その子は柵から下りると、展望台も下りた。

 履いているのは、めっちゃ分厚い漆塗うるしぬりの下駄げた。絶対カンカン音が鳴るのに、その子は足音立てず下りてくる。


 僕の近くまで下りてくると、

「お前、じゅつ効かないの?」


 と淡々と言い放った。


 ジュツキカナイ?

 ジュツ……って、術?

 術が効かないか? って聞かれてる?


「えっと……多分効きます……?」

「なんで」


 そうさえぎられて、首をかしげる。

 なんで、って。

 そもそも術って何。


「最後去り際に、記憶を忘れさせる術をかけたのに。その反応、俺のことを覚えているようにしか見えないんだけど」


 ……記憶を忘れさせる術、だって!?

 そんなもの最後かけられてたの!?

 なんだその創作物みたいなチート!!


 でも確かに……君のこと、僕は覚えている。

 術をかけられたにも関わらず。


「……覚え、てます」

 ポツリと言うと、その子は腕を組んだ。

 ふうん、と呟きながら僕を見ている。


「って、ていうか!」

 僕は声を荒らげる。

「あなたは……何者なんですか!?」


 この子何者なんだ!?

 少なくとも、人間ではないよね!!


「……急に大声出したり……元気な野郎やろうだ」


 ボソボソと男の子が言った。

 僕には「野郎」って聞こえたから、悪態あくたいを突いたんだろう。


「一回しか言わないから覚えて。俺の名前は五龍神田寳來ごりゅうかんだ/ほうらい。人間とあやかしの混血、すなわち半妖はんようだ」


 ……ふぇ? これを一回で覚えろと?

 待って待って、名前なんだっけ。五龍神田寳來ごりゅうかんだ/ほうらい? スゴい名前だな!!

 ついでにハンヨウ? 人間とアヤカシの混血?


 全然理解できなくてキョトンとする僕に、どうやら彼は呆れたらしい。やれやれ、とため息をついて、もう一度、


五龍神田寳來ごりゅうかんだ/ほうらい。半妖」


 と言ってくれた。

 もちろん、すぐには理解できなかったんだけど。


「……あのさぁ、分からないなら聞けばいいじゃん」


 グサ。ストレートに叱られて、乾いた笑みがこぼれる。

 で、デリカシーもクソもない……。


「ええっと、半妖?」

「だから人間とあやかしの混血」

「アヤカシ……?」

「未確認生物信じてない系だよね?」

「……ぅぅん」


 オカルト好きが全員ロマンを感じる未確認生物、通称UMAユーマも、僕は信じている。

 そりゃ、あの夜があったからねぇ……。


「そ、その……突然すぎて、全然信じきれてなくて……」


 とはいえ、突然目の前の奇妙な男の子が「人間とあやかしの混血」なんて言われて、瞬時に理解できるわけではない。

 だって今、キョトンとしてるもん。


「……まぁ、普通はそうなるよね。こんな秩序ちつじょでありふれた国で、のほほーんと生きている日本人なんだから」

「の、のほほーんって……」


 僕の人生、全然のほほーんとは……。

 でも、これ以上言い返す気にもなれない。言葉を胸の奥にしまい込む。


「あやかしは、〈天華てんかの星〉という星の生物だ。天華の星は今、惨憺さんたんたる乱世におちいっている」

「サンタン?」

「悲惨すぎる状況を表す言葉」


 ……あやかしは、〈天華の星〉の生物。

 つまり、地球外生命体。

 この二つが、同じものだったなんて……。


 何なら、その世界は乱世で。

 荒れ果てていて。

 悲惨すぎる状況に陥っている。


 その子、五龍神田くんは、さも当たり前のようにそう言った。


「俺は、その乱世に政治上の理由で巻き込まれた存在……って感じかな」


 ……政治上の理由。

 そんなの、歴史の授業でしか聞いたことない。

 現実世界で聞いたことなんてなかった。


「政治上の、理由……」

統治者とうちしゃの座をけて戦う乱世で、本来跡継ぎとしてそこに君臨くんりんするはずだった俺は、目ざわりでしかない」


 だけど、と五龍神田くんは言葉をつむぐ。


「俺は……かつての幸せを取り戻すために、本来の世界よりも遥かによくするために、戦う。あきらめようなんて、思ったことない」


 彼の眼差まなざしが僕を貫く。

 そこからは、本当に強い決意が感じられて……。

 ……だけど、彼の表情は、どことなく不安げだった。


「……でも、何か問題があるように見えるんだけど?」

「………」


 彼は……黙り込んでしまった。

 なんか……返答に困っている? いや、返答を躊躇ためらっている?


「あ、ごめんね……なんか、あれ……」


 曖昧あいまいな言葉だ。思わずうつむいてしまう。

 多分、僕のき方が悪かった。

 ストレートすぎたんだと思う。僕の方こそデリカシーがない。


「……問題はあるよ。何せ俺は、軍に入れてもらえないし、軍を作るほどの支持がないからね」

「……?」


 軍に、入れてもらえない?

 軍を作るほどの、支持がない?


 そもそも軍って……。

 歴史の授業か海外のニュースでしか聞いたことのない言葉が、今目の前にいる少年の口からリアルに放たれている。


 理解が追い付かないわけじゃない。

 けど。

 ひどく生々しくて、現実味がかない。


織田信長おだのぶながの軍に、平凡主義者が入れる?」

「……ううん」

「極悪非道のヒトラーについて行こうと君は思う?」

「……思わない」


 流石にあのヒトラーは無理……かな。

 気になる人は調べてみて。

 第二次世界大戦にユダヤ人を迫害はくがいしたことで知られているけど、もうその内容が残酷なのである。


「同じことだよ。俺は昔に大罪を犯したことが理由で、故郷を追われたんだ。まあ、いわゆる冤罪えんざい、無実なのに有罪になっただけだけど……」


 冤罪か……。

 無関係なのに勝手に事件に巻き込まれて、勝手に大罪人だいざいにん扱いされて、勝手に差別を受けて。


 それで自分の願いすら叶えられないなんて。

 幸せな生活すら奪われてしまうなんて。


「だから俺は……まだ味方がいない」


 なるほど、確かにそれなら納得だ。

 軍に入っていないなら単騎たんきだし、過去のぬれ衣で人々に差別を受けて軍を作れないのは不自然じゃない。


 でも、すごくツラかったんじゃないかな。

 僕も、証言を信じてもらえずに、すごくもどかしい思いをしたことがあるから分かる。


「……そんな中で、お前の姿は、かつての俺と重なったんだ」


 同じ思いをした者同士だものね。

 五龍神田くんの言葉にうなずきながら、あふれそうになる涙を拭う。

 ……あれ、僕泣いてる?


「無理な願いだとは分かってる。断っても構わない。だから、俺と一緒に──」


 僕には、その言葉の続きが分かった。

 乱世を救わないかとか、平和を叶えないかとか、そんなことを言うんだ。



 でも、続きの言葉が放たれることはなく。


早弥さや!」


 ──静かな屋上に、兄の声が響いた。

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