第20話

 高い木々と、冷たい風を抜けた先に、小さな丘があった。開けたスペースには人はだれもいなくて、夜空の星星と、月の光だけが静かな世界を称えている。お父さんが先に丘の芝生に踏み入り、懐中電灯を照らしながら崖下を覗き込んだ。それから、ゆっくりと僕らの方を向いて、ここだ、落ちるなよ、と注意をした。

 僕とりかちゃんは黙って頷いて、しばらく二人できれいな星を宿す夜空を眺めていた。

「きれいだね」と僕が言うと、「うん。すごいなぁ」とりかちゃんは囁いた。

 僕は黙って丘の芝生の上にシートを広げて、靴を脱いで寝転んだ。ポンポン、とりかちゃんを隣に誘う。お父さんはそんな僕たちを後ろから眺めている。

「りかちゃん」 

 僕は彼女の名前を呼んだ。りかちゃんがシートまで来て、僕のとなりに寝転んだ。温かい空気が隣から伝わってくる。僕はりかちゃんと手を繋ごうとした。けど、りかちゃんは僕の手を取らなかった。

「ねぇ、ともむ」

 りかちゃんが、隣からささやくような声でいった。

「何?」

「すごく心地良い」

 彼女はまぶたを閉じた。

 風が、鼻の上をかすめていった。

 しばらく、ずっと、そうしていた。

「願い事、何にするの」

 もういいだろう、と思って僕はそう訊いた。

「そうだねぇ…」りかちゃんはふんわりとした息を吐いた。「何にしようかな」

「やっぱり、声優になりたいって、願うの」

「…なんだか、こうすると星に願いを叶えてもらう、みたいだね」

「はぐらかさないでよ」僕はりかちゃんの横顔を眺めた。「僕、結構気にしてるんだよ」

「ありがとう。でも、まだ、考え中…」

「…そうなんだ」

 僕は夜空を見る。

 その解答は、とても意外だった。

 僕とりかちゃんの間に、杖があった。りかちゃんが願いを言う時、この杖はどうやら光るみたいだ。暗闇に、ピカッと光る、魔法の杖…。

 もし、僕が願いを叶えるなら、どんな願いをするんだろう。

 りかちゃんと、恋人になりたい、とかかな?でも、なんだかそれはずるい気がする。だって、それはりかちゃんの意思とは関係なく付き合うということになるんだから。だから、きっと、それは願わない。だとすると、あと、なにがあるんだろ。僕の願い…。僕が一生病気になりませんように、とかかな?りかちゃんが幸せでありますように、とか、テストでいつも百点が取れますように、とか…。

 うーん。

 漠然とするなぁ。

 どれも、いまいちいらない気がする。

 それも、星がきれいなせいかな…。

 冷たい風と木々の匂いは、僕に心地よい昔を感じさせて、隣いるりかちゃんが、僕のすべてのようで、僕はなんだかんだ、今に満足してるんだ…。

「…やっぱり、これにする」

「え?」

「ともむ、願い事決まったよ」

「え、何、何にしたの?」

 りかちゃんは、左手で杖を上に掲げた。

「私の願いは…」


 彼女の願いは、僕にとって最高に嬉しくて、それでいてとても意外な願い事だった。


 日曜日の午後一時。ぼくはりかちゃんの家のインターフォンを押した。

「ともむ、おまえまじでやりやがったな」

 玄関の扉が開けられると、雄二が飛び出してきて、僕にからんできた。首を右腕でロックされ、髪を上からわしわしされる。

 その後ろに、ふうかと陽子が居た。僕は三人に笑顔を浮かべた。

「おまたせ。みんな」

「おう、待ってたぜ!」

 雄二が僕に絡むのをやめた。

「さぁ、早く入って入って」

 陽子がにやにやした笑みを浮かべながら手招きする。僕は雄二に背中を押されて、玄関の境界線を潜り抜けた。

 居間に続く扉を通ると、りかちゃんが食卓の椅子にちょこんと座っていた。僕を見ると、りかちゃんは小さく微笑んで、すぐに顔を赤くしてそっぽを向いた。

「りかちゃん」

 僕は恋人となった人の名前を呼ぶ。

 りかちゃんはゆっくりと僕の方をゆっくりと向くと、恥ずかしそうにほほえみながら小さく手を振った。

「ささ、ともむ。今日のパーティーは特別楽しまないと。すごいケーキ買ったんだよ!お祝いだよ、お祝い!」

 陽子が嬉しそうにいいながら、なにかのダンスを踊った。テーブルを見ると、大きくて丸いケーキがどんと中央に乗っかっている。ポーズを決めたセーラームーンの主役三人の絵が、表面にデカデカと書かれていた。

「え、すごい。絵がついてる!」

「えへへ…。お父さんが、注文してくれたんだ」

「それよりもおまえ、ようやったな。りかと山まで行って、プロポーズを受けたって。野外活動休んで良かったってもんだ」

 雄二がにひひと爽やかな笑みを浮かべた。

「僕だって、まさかプロポーズされるとは思わなかったけど。でも、すごい嬉しかった」

 僕はりかちゃんの方を見る。彼女の横にはふうかが座っていた。ぶすぅとした顔で、僕の顔を見続けている。

「はぁ…まあでも、りかがともむを選んだんならしょうがないかなぁ」

「ふうかは認めてないもんね」陽子が踊りをやめて言った。

「まぁ、ねぇ。りかを独り占めされたような感じがするからさ」

「ねぇ、ともむも来たし、ケーキ食べちゃお」りかちゃんが言う。

「そうしよそうしよ」雄二がはしゃいだ。

 僕が椅子に座ろうとした時、雄二が、ちょっとまったぁ、と言った。

「何?」

「ともむ、おまえりかの隣に座れよ。な。ふうか、ちょっとそこどいてくれ」

「えー。やっぱそうなる?」

 そういいながら、ふうかはしれっと席をどいた。

「え。いいの?」

「何も遠慮することはねーよ。ほら、ともむ。座れ座れ」

 僕は押される形で、りかちゃんの隣に着席する。


「それじゃあ、みんな飲みもん持ったかぁ?」雄二が念入りに当たりを見渡した。

 僕たちは各々紙コップを持って、頷く。

「んじゃあ、カンパーイ」

「「カンパーイ」」

 ケーキの上で、紙コップのぶつかる小さな音が生まれた。

「ううん、うまい」陽子がパクパクとケーキを口に運ぶ。

 その瞳はきらきらと輝いていた。

「いやぁ、嬉しいなぁ。こうしてみんなとケーキを食べれるなんて」

 りかちゃんがみんなを眺めながら、頬杖をついてうっとりと囁いた。

「りかちゃん、プレゼントがあるんだ」

 僕はバックからあるものを取り出した。

「あ、それって」

「うん。漫画。今まで書いたやつ全部上げる」

「うゎあ。すごい」

 りかちゃんは六冊のノートを手にとって、感激と言わんばかりに魅入っていた。

「ねぇ、見てもいい?」

「ん…いいよ」

 僕は恥ずかしさの赤面しながらも、頷く。

 眼の前で、ページがめくられる。

 一定間隔でなびく紙の音を聞きながら、緊張が高まっていった。

 ページの途中で、りかちゃんが顔をあげた。

「すごい面白い!後でじっくり読ませて」

「う、うん」

 僕は、後、という響きを聞いて残念に思ったが、今はパーティー中なのだ。漫画をずっと読んでいたら、それだけで夜になってしまう。

「羨ましいぜ。俺も読みたかったなぁ」

 雄二が前の席から羨ましそうにこちらを見ていた。

「ふふん、いいでしょ!」

 りかちゃんはノートを胸に抱くと、明るい笑顔で頷いた。

「いいね、りか。いい顔してるよ」

 ふうかがニヤつきながら言う。

「へへへ」

 りかちゃんはニヤつきが止まらないらしく、表情筋がゆるゆるになっていた。

「でれっでれだねぇ」

 陽子がピザをむしゃむしゃしながら声を出した。

「まぁねぇ」

 僕はりかちゃんの声を聞きながら、あの日の夜のことを思い出した。


 そう。あの時、あの夏の夜の下でりかちゃんはこう言ったんだ。

「私の願いは、ともむと付き合うこと」

「え?」

「ともむ。私の恋人になって」

 りかちゃんが僕を見た

 僕はその問にどう答えるべきか、わからなかった。

「恋人って…え?」

 思考がフリーズした。

 本当に夢かと疑ってしまう。

「ダメ、かな?」

 気がつくと、りかちゃんの顔が泣きそうになっていた。

 僕は慌てて、ダメじゃないよ、と言った。

「いいってこと?」

 りかちゃんの声に力が入る。

 僕は一度頷いて、それから少し迷ったあと、勢いにまかせてこう言った。

「僕もりかちゃんが好きだった。だから、今、すごく嬉しい」

 その時、りかちゃんの頬が緩んで、瞳が一番星みたいに輝いて、笑顔がふわっと咲いたのをよく覚えている。

「ほんと?ホントに?」

「うん。ほんと」

「わ、私でいいの?」

「いいよ」

「や、やったぁ!やったぁ!ホントに、ホントに!」

 りかちゃんが手足をばたつかせた。そのままの勢いで起き上がりそうだった。

「ほんとだから。落ち着いて」

 僕はりかちゃんの手を握った。

 その間には、魔法の杖が置いてある。

「あれ、杖って光ってないよね?」

「え?あ、ほ、ホントだ」

 りかちゃんが手を握り返してくれる。

 僕らはそのまま杖を見つめ合った。

「壊れてたのかな?」 

 りかちゃんが笑いながらそういった。

 もう今ではそんな事どうでもいい、というような感じだった。

「どうなんだろ?」

 僕は首をかしげる。

 この杖は、本当に魔法の杖だったのだろうか。

 見た目はおもちゃの杖だ。軽くて、派手な色で、なんだか魔術を使うとかそういうふうにはやっぱり見えない。

「でもよかった。ともむが答えてくれて。私、今すごく嬉しい。心臓がバクバクしてる。あ、後ね、すごく今幸せなの。もう悩みなんてなにもないみたい!」

「僕もだよ。僕もそんな気分…」

 それから僕らは見つめ合って、笑いあった。

 キスをして、夜空を見る。

 星がきれいだった。


 このときが僕の人生で、最高のシーンであることはきっと何年立っても変わらないだろう。

 きっとそうだ…。

 きっと、こういうことを魔法と呼ぶんだ。

  

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僕とりかちゃん 一色雅美 @UN77on

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