第19話
歩いてすぐに、僕とりかちゃんは森の中に入った。雑草と木々が茂っていて、散歩と言ってもどこをどう行けばいいのかわからない。だから、ゆっくりと、わずかに見える獣道を僕たちは進んでいた。木々は高く背筋を伸ばしていて、空まで長く伸びた枝葉は、僕らの頭に影を落としている。りかちゃんとつなぐ右手が、さっきからずっと暖かかった。僕は何度もその左手に意識を向けては、やめてを繰り返していた。
「すごい。鳥がいっぱいいる」
突然、りかちゃんがそう言った。
僕はあっけにとられ、急ぎりかちゃんが向いている方を見た。
「え…ああ、ホントだ。いっぱいいる」
鳥が現在進行系で木よりも高い空を集団で飛び去っていた。りかちゃんが僕の方を向いて、可愛らしい笑顔を振りまく。
「すごいね。森ってこんな感じなんだ!」
「うん。すごいね。空気もきれいだし」
「ともむ、ありがとね。ほんとに、すごく楽しい」
「いや、いいよ。僕こそ怪我させちゃってごめん。野外活動、いけなくなっちゃって…」
「ん…ああ。別にいいよ」りかちゃんは笑顔でそういった。「多分、私ね、怪我して無くても野外活動いかなかったと思うの」
僕は脚を止めた。
「え…どういうこと?」
「向こうにベンチがあるから、座って話さない?」
りかちゃんが指を指す方を見ると、少し先に、屋根のついた木のベンチがあった。
「わかった。行こう」
ベンチにの隣自動販売機が置いてあった。僕は椅子に座ると、りかちゃんの手を離そうとした。けど、僕の右手はきつく握られてなかなか離れようとしなかった。隣に座るりかちゃんを見ると、彼女は微笑んで僕にこう言った。
「あねの。私、実はさ、野外活動のある日、塾の模擬テストがあったんだ。お母さんは、多分、それを知ってたと思うし、きっと私が怪我しなくても野外活動は休みなさいって言ってたと思う。だから私、お母さんには野外活動の予定日とか話してなかったんだけど、怪我して、バレちゃって、お父さんからも、やめときなさいって言われたから…まぁ、しょうがないかなって思って。だから、ともむのせいとか、全然思ってないんだ。代わりに、今はすごく楽しいしね」
僕を掴む手が、一層きつくなった。
強気で言ってないだろうか…。
「でも、僕にはこれくらいしかできないから」
「ううん。そんなことない。杖をくれてありがとう」
「え?」
「友達になってくれてありがとう」
「…りかちゃん?」
「今回もそう。こうして山に連れてきてくれてありがとう。ともむにしてもらったこと、全部とは言わないけど、嬉しいことばかりだった。だから、ありがとう」
りかちゃんの身体が、くらりと揺れて僕の肩に被さった。りかちゃんの頭が、僕の肩に乗っかっている。虫の合唱がうるさく耳について、時が止まったようで、僕は夏を強く感じた。
「それから」
耳元で、囁く声が聞こえる。
りかちゃんの体温が、直接、僕へと伝わっていく。
「私は今、とても幸せだよ」
「………」
………
…………
……………
夕暮れが終わりを迎えようと、夜の帳を下ろし始めた。テントまで戻ると、カレーライスの準備ができていた。
「おかえり。思ったよりも遅かったな」
「ただいまぁ。わぁカレーだ」りかちゃんがはしゃぐ。
「いい匂い」僕は落ち着きを取り戻していたから、反応が薄くなった。
「悪いなぁ二人共。キャンプと言えば肉なんだが、そんな用意はなくてな。カレーだ、それもレトルトな」お父さんは、はははっ、と自虐的に笑った。
僕らは二人揃って、用意されていたパイプ椅子に座った。椅子と椅子に距離があって、今まで繋いでいた手が、ゆっくりと離れていく。お父さんはまず、紙コップにお茶を注いで、僕ら二人に渡してくれた。
「ありがとうございます」
「ありがとう。お父さん」
冷たいお茶を飲む。実は、さっき自動販売機でコーラを買って飲んできたからあまり喉が乾いてなかったのだけど…それでも、いい口直しになった。ついで、紙皿の上の白米にゆっくりとカレーのルーが注がれた。それぞれが目の前のテーブルに置かれる。スプーンを取って、お皿を持ち上げる。いただきます、と言ったところで、りかちゃんがスプーンを持ってカレーとにらめっこをしているのを目撃した。
左手で持ったスプーンがゆっくりとカレーに近づく。緩慢な動作でルーとコメを掬って、ゆっくりと口に運んだ。僕はその動作を見つめていた。
「うん。美味しい」
りかちゃんが、パッと僕の方を向いた。目が合う。僕らは優しくほほえみあった。
「そりゃよかった。飯を食べ終えたら、少し片付けをして森の中に入るぞ。上に行く」
お父さんが僕らを見ながら言った。
「上?」僕が聞き返す。
「そうだ。この前来たときに見つけたとっておきの場所さ。ブルーシートを敷いて夜空を眺めるにはいい場所だよ」
紙皿やコップ、その他ゴミをゴミ袋に詰めて、テーブルを折りたたんで、と少しの撤退作業を終えると、時刻は七時半になっていた。夏の七時はまだ明るさが残ってると思うのだけど、立地の高いキャンプ上ではそれは通じないようで、当たりはすっかり真っ暗だ。懐中電灯を灯しながら、ペットボトルを首にかけて、レジャーシートを脇に抱える。僕の準備ができたところで、お父さんがりかちゃんを探そうと懐中電灯で当たりを探った。
りかちゃんは魔法の杖を脇に抱えていた。
「その杖…」
「持っていこうと思って…」
「僕が持つよ」
僕はりかちゃんに近づいて、もう一度彼女と手をつなぐために、そのような提案をした。
「ううん。これは私が持つから」
「でも…」
「大丈夫。ちゃんと歩けるから」
りかちゃんはそう言って、僕の後ろにいるお父さんに、再度挨拶をした。
「道案内、お願いします」
「おう。それじゃあ、行こうか」
お父さんを先頭にして、僕たちはさっき入った道の反対方向へと足を進めた。砂利を踏む音や、虫の鳴き声、僅かな布切れの音でさえ、静かな夜に深く響き渡った。
しばらくして、目的地までたどり着いた。
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