ココロフィルター
上町 晴加
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『大好きな家族 一年二組 皆川
窓ガラスの隙間、少しだけ汗ばんだシャツの襟もとに吹いた風は、まだ夏を帯びている。
「健吾。どうしたんだ」突然聞こえた声に目を向ける。
一年一組を受け持つ健吾の担任、吉沢であった。健吾は首を振って答える。「別になんでもないです、たまたま通っただけで」
健吾は目を合わせない。
「健吾・・。ごめんな。せっかく『最』優秀賞、だったのに。・・ホントごめんな」
健吾はこの絵を見ていた自分を見られていたのだと気づいた。
「いや、あの・・気にしてないです。あんなこと起こるなんて、誰も想像しないし」
「・・でもさ」吉沢が言葉を探し、選ぶような数秒が沈黙になった。「もういいんです」と健吾の顔に書かれたそれに気づいた吉沢は、えっと、と繋ぎながら話を変えた。
「健吾の母さん。検査の結果がそろそろ出る日だろ。連絡は?」
「まだきてないです」
「そっか・・何かあったら言えよ。相談、いつでも乗るからな」
健吾は弱い笑みで感謝を伝えると、また絵に視線を戻した。
一週間前はまだそこにあった絵を思い出す。
『花火大会 一年一組 沢木健吾』そしてその隣に付けられた『最』優秀賞と書かれた金のリボンを。
*
『母さんな、入院しなくちゃいけないらしい。あ、でも検査入院ってやつに近いやつだから。・・ん、あぁ、そうそう。念には念を。父さんはもう少し母さんの病室にいるから。・・うん。だから帰るのちょっと遅くなるよ。ん? 俺は大丈夫だよ。だから健吾、悪いけどラーメンでも炊いて食べててくれるか。・・うん。ごめんな。じゃあ切るな・・はーい』
先週から具合が悪いと母は言っていた。ただお盆休暇でかかりつけ医は休診。母は急を要するほどではない、大丈夫。と、お盆休暇の終わりを待った。そして今日、母を乗せた父の車を見送り、留守番をしていた健吾に「今、総合病院にいる」と父から連絡があった。
--検査入院ってヤバくないやつだよな。と健吾は自分に尋ねるように呟き、首を縦にも横にも振らず、ふーっと息を吐いた。
一人で夕飯を済ませた健吾はテーブルに置いた宿題の一覧が書かれた用紙を見た。
『夏休みの思い出を絵に残そう』これ以外の宿題は済んでいる。何を書こうかな。夏休みも残すところ僅か。ぼんやり眺めたテレビの中、どこかの花火大会の映像が映し出されている。
「花火かぁ」健吾は思い出す。小学校高学年になるまで毎年近所の花火大会に家族三人で出かけていたことを。打ち上がるたびに母は健吾や父の肩を叩いて喜んだ。そして帰り道にベビーカステラを三人で食べながら「楽しいね」「これぞ幸せってやつだね」と笑っていたことを思い出す。なぜかいつも以上にその笑顔が明確に浮かぶ。
健吾は思い立ったように机の色鉛筆を取り出し、画用紙に向かって座った。記憶の中にあるあの日の花火を少しずつ紙に書いていく。
--来年はまた三人で花火を見に行きたいな。
そんな思いが膨らめば、同じように母の容態を心配する気持ちが膨らんでくる。・・大丈夫かな。
電話から少し経ち、現実味を帯びてくる不安感。健吾は悪い想像を塗りつぶすように色を重ねた。画用紙が濡れてしまわないように時々涙を拭いながら。
*
放課後。健吾は職員室での用事を済ませると、掲示板の前にクラスメイトの
皆川の作品をじっと見つめていた。健吾が早足で通り過ぎようとすると「沢木くん」と声をかけられた。
「あ、小柴さん。こんにちわ」と余所余所しい挨拶に「なにそれ」と小柴は肩を上げて笑って、すぐに真剣そうな顔に戻った。
「ここにあった沢木くんの絵、剥がされちゃったんだね」
「え、うん。まぁ・・」--剥がされた。その言い方にしっくりきた。健吾は心で頷いた。
「先週の"春北地区花火大会"、あれが原因でしょ」
「・・って吉沢先生が言ってた」
先週の日曜日。春北中学校近くの河川敷で花火大会が行われた。
「火の不始末、だってね」健吾もそう聞いていた。
「うちの生徒も結構行ってたらしいのよ」
「そうなんだ」と健吾。
「あの日がトラウマになった人、多いだろうね」
不始末は事故に繋がり、健吾と同じ学校に通う女子生徒が大きな火傷を負った。
「うん。だから僕の絵は花火大会を思い出させちゃうから、今は控えたほうがいいんだって」
小柴は職員室を突き刺すように見た。
「大人っていうかさ、この学校の先生、みんな馬鹿だよね」
健吾は驚いた。あまりにもはっきり言うことと、それをこの場所でさらに大声で言ったことに。
「ちょっと、聞こえるんじゃ」
「いいんだよ。ホントのことでしょ」
「で、でも」
小柴は勢いよく続ける。
「確かにね、今は花火の絵はだめかもしれない。思い出して辛い人がいるんだから避けるべきだよ。でもさ、この絵だって誰かにとっては辛いことを思い出させるかもしれないよ」
小柴は皆川の絵を見た。
「教師が知らないだけでどんな絵にも誰かの嫌な思い出に繋がってる可能性、あると思わない? そう考えるとさ、展示すること自体を一旦やめればよかったんだよ」
健吾は皆川の絵を見る。仲睦まじい家族の絵、幸せが溢れている。この絵がどんな辛いことを連れてくるというのか。
健吾はハッとする。
--もしかして小柴さん・・。
自分を見つめる視線に気づいた小柴はボソッと言う。
「うち、じいちゃんとばあちゃんと三人暮らし。パパとママはいない。私が小三のとき、事故で」
「そうだったんだ・・」
「事故の後、ずーっと泣いてる私をなんとか慰めようとしてくれてね。じいちゃんがおんぶしてくれてさ、ばあちゃんが私の背中を撫でてくれて。結構長いこと歩いていたの。それで着いた先がシーサイドモールの花火大会」
それは健吾たちがずっと行き続けていた花火大会であった。
「そのときみた花火が綺麗でね。嬉しかったの。それからは、じいちゃんとばあちゃんと三人で仲良く暮らしてさ、もちろんパパとママのことを思い出して今でも悲しくはなるけどね」
健吾は黙って聞いていた。
「あの花火の絵、シーサイドモールのやつでしょ」
「わかったの?」
「大トリは向日葵をイメージした花火。毎年のお決まり。それを書いたんでしょ。上手だからすぐわかったよ」
「そう。当たり」
小柴は健吾の肩を叩く。「落ち込まないでね。沢木くんは悪いことしてないんだよ。この絵を見て元気になった人がいるってこと伝えたかったんだ」
健吾はこのときはっきりする。誰かを思って書いた絵が剥がされる。どんな理由であろうと自分は傷ついていたのだと。
「・・小柴さん。ありがとう」
「凄く惹きつける力、あったんだよね。これ宿題のクオリティじゃないなって思って」
「・・あ、あのさ」
そういう流れだった。そう思えるほどに言葉が溢れてきた。健吾は母のこと、母が好きだった花火大会のことを小柴に話した。
いまだ検査結果の連絡が来ず、悪いほうの可能性をどうにも拭いきれない健吾の心は疲弊していた。目には涙が溜まっていた。
「そっか・・。お母さん、心配だね」
「・・うん」
涙が頬を伝い、顎から床に落ちるまでの少しの沈黙があって、小柴は「そうだ!」といきなり職員室の中に駆け込んだ。
呆気にとられた健吾はその背中を見つめることしかできない。数秒あって「おい小柴!待ちなさい!」と吉沢の声が響く。職員室から飛び出した小柴の手には健吾の絵があった。
「行こう沢木くん!」と反対の手で健吾の手を引いた。
「病院、知ってるんでしょ! 行ってみよう!」
「え、ちょっと!」
「それと私、おいしいベビーカステラ売ってる店知ってるの! 寄っていこう!」
「小柴さんってば!」
「私はおんぶは出来ないから頑張って走ってね!」
小柴と健吾は上履きのまま校門を飛び出した。夕焼けは健吾の涙と、小柴の背中を、そして風になびく絵を照らしている。
誰かにとっては"ただの絵" 、誰かにとっては"悲しい絵" 、そして小柴にとっては"元気の出る絵"。
--母さんにとってはきっと。
ココロフィルター 上町 晴加 @uemachi_haruka
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