2.


         *


 

 

 今まで泊まっていたホテルに比べたら、部屋のグレードは下がった。

 リゾート地にある安宿なので、部屋の狭さは言うまでもない。

 受付スタッフのやる気のなさ、気まぐれにしかお湯が出ないシャワー、時々機能しなくなるドアの錠前。

 これだから旅は、面白い。


 ベッドの縁に座る私の視線の先には、窓際の小さなテーブルに座る、黒づくめの彼がいる。

 やけに神妙な面持ちで、近くのコンビニで買ったサンドウィッチを、ちまちまと咀嚼している。

 

 冷静に見ると、なんだかシュールな絵だと思う。

 

「あのゴテゴテした店に、お前が入っていった後」

 彼はそう話を切り出すと、サンドウィッチを一切れだけ食べて、残りはテーブルに置いた。

 

No.7ナンバーセブン。そろそろ名前覚えたらどうです?」

 彼は、「No.7」という店名をわざと覚えていない。

 彼とケリーは、お互い特に何かしたわけじゃないのに、仲が悪い。だから、彼は「No.7」に極力近寄らないし、話題にもしたがらない。

 

「気配がないのに、何かがいる。そういうのは、感覚でわかる」

 彼の、灰色の眼が宙を睨んだ。

 

「……だけ?」

 何者かが尾行つけている「感覚」がする、と言われても、こちらとしては釈然としない。

 

 彼は少しムッとした顔で、言葉を続ける。

「どこを探しても姿がないのに、確かに存在を感じた。お前はこれを、どう説明する?」

「お化け」

 軽くボケてみると、露骨に嫌そうな顔をされる。

 

「ジョークだってば」

 冗談が通じない人なのはわかっているのに、つい悪ノリしてしまうから、いけない。

 

 そんな私を呆れたように一瞥すると、彼はボトムスのポケットから何かを取り出して、サンドウィッチの隣に置いた。

 

「ここへ移動する前に、今まで泊まっていたホテルに戻ったら、がっつり侵入されていた形跡があった。

 ついでに、隠しカメラが付けられていたって話もしてやろうか」

 テーブルに置かれたのは、超小型カメラの残骸だ。


は、No.7に行く前にはなかった」

 私たちは、自分の身の周りのものに対しては、細心の注意を払っていた。


「何者かが、俺たちが部屋からいなくなってから取り付けに来た」

 侵入されたら痕跡がわかるようにしていたのも、そういう警戒心からだった。

 私は、目の前に出されたカメラの残骸から、視線を動かせない。


「オーナーとやらの仕業か、それとも他の何者かの仕業かは、現状わからない。どちらにせよ、警戒する以外やることがない」

 彼は、テーブルの上に置かれていた、残りのサンドウィッチを差し出してくる。

 私はベッドの縁から身を乗り出して、それを受け取った。

 

「で、お前のところに現れた襲撃者は、ぶち殺したのか?」

「そんな、サバちゃんみたいな野蛮なことしないですよー」

「腹立つ言い方しかしないな」

 サンドウィッチを齧りながら返事をすると、舌打ち混じりに言われる。

 

「まぁ、救急車呼んだし、死んでないんじゃない?」

「どう考えてもお前の方が野蛮」

 彼は、床に視線を落として溜め息をつく。それから、ふらっと立ち上がり、すぐ後ろにある窓を開けた。

 

 夜とはいえ、少し温度の高い蒸した風が室内に入り込む。エアコンをフル稼働させないと冷えない部屋に外気が混ざることで、湿度の高い空気を肌で感じる。

 

 私は煙草を吸わない。

 別に何を言ったわけではないのだけど、気がつけば、彼は煙草を吸う時、ベランダへ出るようになっていた。この部屋にはベランダがないので、必然的にこうなる。


「オーナーからの指示とは思えない。島を仕切っているのはケリーだから、そのケリーを蔑ろにするようなことはしない。

 だから余計に、不自然さを感じると言うか。なんなら一度、オーナーと会ってみましょうか?」

 オーナーに聞くのが一番早いと思う。

 けれども、彼はすぐに返事をしなかった。不意に沈黙が流れていく。

 

 残りのサンドウィッチを頬張っていると、ぼそりと言われた。

「やめとけ。お前や俺に用があるなら、そのうち必ず尻尾を出す」

 誰が尻尾を出すかは、言わなかった。

 そう言われれば、そうなのだ。

 でも、これ以上の揉め事が起きるのは、何の得にもならない。

 

「いっそ、別のところへ行きませんか」

 この島から出て行った方がいい。

 私が思っていることを、背を向けて煙草をふかしている彼に、言ってみる。

 

 それを聞いて、色あせた黒いシャツの背中は、小さな笑い声と同時に小さく上下した。

「やられたままは、非常に気分が悪い」

 そう言ってゆっくりと、咥え煙草でこちらを振り返った顔は、口角をグッと引き上げて笑っていた。

 血走った眼は据わっているし、とても不気味な笑顔。

 

「それ、正気で言ってます?」

 この不気味な笑い方を見たのは、いつぶりだろう。

 さっさとここから引き揚げた方がいいのは歴然としているのに、彼は私の提案に頷こうとしなかった。

 

「こんな薄汚いやり方に怯んだと思われるのは、屈辱でしかない」

 彼はまた窓に顔を向け、指先に挟んだ煙草の灰を、地上に向かって振り落としている。

 

「俺と同じくらいの屈辱は、味わってもらう」

「あぁ……サバちゃん、そういう性格の人だった」

 忘れたフリをしていたけれど、この人はもともと、やられたら徹底的にやり返す性格だ。

 

 そんな彼の態度を見て、懐かしいような、あまり思い出したくないような、複雑な気持ちになった。

 

 私はボトムスのポケットにしまっていた、四角いチョコレートの包みを一個取り出す。

「はい、どーぞ」

 水色の包装に包まれたチョコレートを、黒いシャツの背中めがけて投げた。

 「投げて寄越してくるヤツがいるか!!」

 怒気を孕んだ声で振り返られる。まぁ、これは怒られても仕方ない。


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2024年9月21日 22:00
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夜明け前がいつでもいちばん暗い -It's always darkest before the dawn- 卯月 朔々 @udukisakusaku

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