第17話

 麗しきハウンドの舞踏会での様子はあっという間に社交界に知れ渡った。

 ステラは知らぬ間に謎の貴公子の寵愛を受けた秘密の令嬢としてハウンドと同じように低級新聞紙にも載っていた。

 それをブリジットが黙って見過ごすはずもない。

 癇癪を起したブリジットによって地下室行きが命じられたのだ。

 父親も見知らぬ男、つまり顔だけで家柄のない男と親密になるなどグレアム家の恥だと怒っていた。

 母親のほうはやぶさかでもなさそうだったのが、また父親の怒りに火に油を注いでいる。


 なじみ深いはずの地下室は久しぶりに思えた。

 最近ずっと眩しい世界にいたせいだろうか。


(地下室行きがまっとうだとは思わないけれど、お似合いであることはたしかね)


 ブリジットはハウンドにいたく執着しているようだった。

 どうやったのかは不明だが、ハウンドを我が家に招待することに成功したらしい。

 それから数日が流れ、パーティーは明日だ。

 そのパーティーでブリジットはハウンドに近づくから協力しろと言われ、断ったのだ。


 『デリックと共に婚約破棄の見せ物にしておいて、いまさら他の男性と仲良くなるなんて意味が分からないわ。なにを考えてるのか知らないけれど、彼に迷惑をかけないで』 


『なによ、生意気な……ッ!』


 そして地下室行きである。

 急に決まったから家はとにかく忙しなく、使用人も含めてステラのことなど忘れている人間がほとんどだろう。

 明日のパーティーが終わるまで、もしかしたらその翌日まで忘れられているかもしれない。


(さすがに水がないと死にそうだし、絶対に部屋から出ないって約束して今のうちに出してもらおうかしら)


 ドアは重たいが、叩き続けていれば誰かが通った時に気付くかもしれない。

 ステラは懸命にドアを叩き続けた。


「誰か!」


 しばらく叩いても厚い扉に音が吸収されるのか、誰も通りかからないのか足音も聞こえなかった。

 手が痛くて休憩する。扉にもたれかかり、せめて誰かが通りかかったらすぐに対応できるようにした。

 そして、足音が聞こえる。

 これを逃すわけにはいかないとステラは懸命に叫び、扉をたたいた。

 足音の主は気づいてくれたのか、まっすぐ扉に向かってくるようだ。

 そして扉は開かれた。

 闇に慣れたステラの目は、開けた人物が分からなかった。





 翌日。

 グレアム家のパーティーは急ごしらえにしては豪華なものだった。

 馴染みの家も訪れ、挨拶を交わす。

 ブリジットも、かつてハウンドがステラに送ったドレスやアクセサリーで自信を飾り立てていた。

 同年代の少女たちには「これはハウンドさんからいただいたの」と吹聴している。

 ブリジットが貰ったのではなく、ステラがもらったものだが彼女にとっては些細な違いだった。

 ハウンドがブリジットに気付けばいずれ彼はブリジットにさらに多くのプレゼントをしてくれるはずだからだ。

 ハウンドはとにかく顔が良い。

 デリックと婚約しているが、貴族の結婚など子供を作ってしまえばあとは自由恋愛だ。

 ブリジットはすでにその時のことを見越していた。

 自由恋愛を楽しむのなら自分も皆も見惚れるような男がふさわしいと考えていたのである。

 ブリジットはにんまりとほくそ笑む。

 なぜハウンドがステラに執着しているのかは知らないが、ブリジットは落とせる自信があった。

 やがて入り口のほうに歓声があがる。彼だ。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


「お待ちしておりましたわ!」


 ハウンドは妙に華やかな恰好をしていた。

 通常であれば黒のテールコート、白のシャツ、黒のベストなどで合わせるものだ。

 しかしミルクティー色のテールコート、若葉色のジレにボウタイである。

 どこかで見たことがあるような色味だが思い出せるわけでもなく、ブリジットは眉根を寄せる。 

 まるで何かのお祝いかのように目立つ服だが、すんなりと納得させられるほど彼は着こなしていた。

 実際、招待客の彼を見る目は奇異ではなく憧れの方が強い。

 ブリジットはここぞとばかりにハウンドの隣へ滑り込んだ。

 近くで見ると彼の美しさはますます際立つので、ブリジットは思う存分惚れ惚れと見つめる。

 ハウンドは邪険にするでもなく、美しい笑みを湛えていた。

 そうだ、ステラがいなければこうだったのだ。今が正しいのだ……とブリジットは勝利を確信した。


 パーティーが本格的に始まって人々に酔いが回るころ、父親がハウンドに声をかける。


「君はどこの息子なのかね。え?」


「ちょっと、お父様!」


 ハウンドの機嫌を損ねるような真似はしないでほしい、とブリジットは焦るがハウンドは気にした様子もない。


「お嬢様と付き合う男の素性が気になるのは当然のことです。事情があって隠していたのですが今夜公表させていただきますよ」


「ま、まあ……! それって……」


 きちんと付き合っていく覚悟があるということではないだろうか。

 ブリジットは頬を染めながらも、もし貴族なら遊び相手に丁度よすぎるわなどと計算していた。

 お互いあとくされがない方が何かと都合がいい。

「ああ、そろそろですね」

 蹄と馬車の音が聞こえ、ハウンドが入り口に目を向ける。

 しかし招待客は全員いるはずだ。ブリジットも両親も今さら誰だと首をかしげる。

 ホールをごった返していた招待客たちは、遅れて訪れた客を見て静かに道を作った。


「お待ちしておりました。私の可愛いお嫁さん」


「勝手にてきとうなこと言わないで」


 現れたのは、ステラだった。



 枯葉色と揶揄されていた髪はいまや美しくカールされ、華麗に背中で揺れている。

 頭上には薔薇の衣装のティアラが輝いていた。

 薔薇色のドレスをまとい美しい姿勢で歩くステラは、誰から見ても美しい。

 彼女の後ろではマリオンとバーンズ家の娘セシリアが得意気に笑っていた。

 ステラを地下室から救出したのは彼女たちであった。

 むしろステラの方が状況を理解していないようである。

 ハウンドはそんなステラを自然にエスコートして、ホールの中心へ進み出てステラの両親の方へ向いた。


「お嬢様との婚約を了承していただけますか」


 突然の展開に父親は言葉に詰まった。周囲を見渡してしどろもどろである。


「ブリジットのことかね? しかしすでに婚約が決まって……」


「いえ、ステラ様です。私が婚約したいのは彼女だけです」

 

 ぐい、と肩を抱かれて隣に並ばされる。

 ステラも父親と同じような感じだった。何がおきているのだろうか。

 彼はなにを言っている?


「ステラと婚約? はっ、あの娘、婚約解消からすぐに男をひっかけおったか。あんな娘勘当だ。ほしいのならくれてやる」 


 数多くの招待客の前で失態を晒したくないのだろう。

 とにかくハウンドより優位に立とうとしていたが、その発言にステラは愕然としていた。

 期待されていないとしても、親子の情くらいは多少はあると思っていたのだ。

 涙が溢れてきそうで、ステラは下を向いて耐える。


「そう、ですか。なんと愚かで醜い」


 低く這うような、聞くものが心の底から震えるような声だった。

 あまりに小さい声だったので、いつもステラに甘く囁くハウンドから発せられたものだと気づくのに時間がかかった。

 しかし次の瞬間、ハウンドは誰もを魅了する笑顔を浮かべた。


「ああ、そうでしたね、身分も明かさず失礼いたしました。私はハウンド・アロガンスハート。今は、儀礼称号をいただいているのでアロガンスハート子爵です」


 ハウンドの発言でホール全体がざわつく。


「アロガンスハートってことはあいつがか?」


「一度落ちぶれたアロガンスハート侯爵家を立て直した天才、アロガンスハートの長男だ」


「まあ、あの人が……」


 社交界から遠ざけられていたステラはアロガンスハートの名前を知らなかった。

 しかし人々の反応を見るに、由緒正しい侯爵家のようだ。

 だとすればセシリアと交流があるのも、親しいと言われて苦虫を嚙み潰したような顔をしていたのも納得である。

 幼いころは婚約者候補だったのだろう。


「本来なら彼女に思い出していただければと思ったのですが、先日の舞踏会で多少記憶に残っていたことが分かったので満足しています」


 もはや父親は目の色を変えている。

 アロガンスハート侯爵家といえば建国当初から王家とつながりのある由緒正しい家だ。

 領民優先の気質故に長らく目立った活動はしていなかったが、ここ数年跡取り息子が商才を発揮してかなり羽振りがいいと聞く。

 靴を舐めてでも取り入りたい家が、婚約?

 願ってもいないことだった。


「婚約の了承を……と思っていたのですが、その必要なさそうですね。彼女は我がアロガンスハート侯爵家が責任を持って幸せにします」


「ちょっと待って、聞いてないわよ!」


「私のことが気に入らなければそのときは婚約解消していただいて構いません。ですが、必ず幸せにすると誓うので一旦私のフィアンセになっていただけませんか?」

 とんだ自信家だ。しかしそれが誰よりも似合う。


「……何に誓うのよ」


「月よりも美しい、他でもないあなたに」



 シャンデリアの灯りの下で見つめあっている二人を見て、ブリジットは思い出した。

 ハウンドの服はステラの髪色、瞳の色だ。

 ステラのドレスは言うまでもなくハウンドの瞳の色。

 言葉にするまでもなく視界に入るだけで周囲を牽制しているのだ。

 そこに思い至ったとき、ブリジットはもはや後のことなど考えていなかった。


「なんで……なんであんたが!」


 テーブルに置かれていたワインを掴んでボトルごとステラに投げつける。

 怪我の一つでもすればいいと思った。

 しかし周囲から悲鳴があがるだけで、ガラスの割れる音はしない。


「ほら、絶対に守りますから」


「……ありがとう。よく掴んだわね」


「ええ。これでもそれなりに強いんですよ。褒めてください」


「な、なんで……」


 ブリジットの投げたワインボトルはハウンドが捕らえていた。

 ステラに怪我を負わせるどころか、歓声があがって二人を祝福するムードが高まってしまう。


「ステラ様はすでに私の婚約者です。危害を加えようとしたことに関してはきちんと処置をいたしますから」


 そう告げたハウンドはまさに猟犬だった。

 アロガンスハート家と敵対したグレアム家は、その後没落の一途をたどることとなる。




 まだ社交界なんて存在も意識していないほど幼いころ、大人の社交のついでに暇な子供たち同士で遊んでいた事があった。

 子供のハウンドは人見知りで、子供たちの輪に入れなかったらしい。

 男の子数人で遊んでいるなか、庭の隅で一人でいたのだ。

 その屋敷で盗難事件が起きた。盗まれたのは数人で遊んでいた男の子のうちの一人で、大事なバッジだったらしい。

 子供の、男の子がかっこいいと思うようなデザインのバッジだ。

 当然のように、ハウンドが疑われた。そして別室に置いてあったハウンドの荷物からバッジが出てきたのだ。

 ハウンドは上手く無実を説明できず、親が謝っているのを見ることしか出来なかったらしい。

 それを助けたのが、ステラだという。


『かばんのある部屋にいどうするのに、ぜったいに廊下をとおらなきゃいけないけれど私はみてないわ』


 ステラのいた部屋はドアが開け放たれており、廊下にたいして正面に向くように置いてあるソファに座って廊下を見ていたのだ。

 そこを通ったのは、バッジの持ち主の男の子だけである。

 ステラの証言に関して大人も「そういえば」と同意する人もいた。


『かれがじぶんでこの子のかばんにバッジを入れたんじゃないかしら』


 果たしてその通りだったのだが、そこは子供のしたことということでなあなあに流れた。

 ステラも当然のことをしただけで、思った程度でまったく特別なことだとは思っていなかった。

 だから忘れていたのだ。

 しかしハウンドはそうはいかない。

 大人に対しても、自分より年上の男の子たちに対しても毅然と意見を述べてハウンドを助けたステラはあまりにも美しく輝いて見えた。

 助かったのはハウンドだけではなくアロガンスハート家自体なのだ。

 ハウンドは貴族としてステラに跪いた。


『きっとあなたに婚約をもうしこみます。そのときは受けてくださいますか』


 ステラは首をかしげていた。

 とりあえずいいわよと返事をしてくれたが意味はわかっていなさそうだった。

 ハウンドはそれでよかった。頷いてくれたことが宝物だ。

 その後、アロガンスハート家は領地の問題で王都から離れることになる。

 ハウンドは一刻も早くステラに会うため、領地を改善し貿易で莫大な利益をあげたのだった。



「それだけのために戻ってきたの?」


「私にとってはそれが全てですよ」


 ステラにとってはまったく記憶にないことだった。

 印象的な瞳だけは思い出せたが、かつてのハウンドはもっとひょろっとしていて陰鬱な子供だったような気がする。

 ハウンドは満足そうに双眸を細める。

 ステラには言っていないが、彼は資金を投じて密偵を雇っていたのだ。

 そうして彼女の身辺情報を逐一報告させていた。

 もちろんこれからも言うつもりはない。

 ステラが家庭内で置かれた状況は臓腑が煮えそうなほど腹立たしいものだった。


「これからは、私がぜったいに幸せにします」


 手を取って口づけると、ステラは気まずそうに目をそらす。

 慣れていないらしい。

 自分が王都から離れている間に彼女がボンクラ野郎と婚約させられていたことは許せないが、ボンクラらしく節穴だったようでステラとろくな交流もなかったようだった。

 初々しい反応を堪能しながらハウンドはこれからたっぷり愛情を注げることが楽しみで仕方ない。

 ステラはおずおずと視線をハウンドに戻す。

 陽光を浴びた新緑のような瞳に見つめられて、ハウンドは思わず胸が詰まった。

 すごくかわいい。


「……なんだか勘違いしているみたいだけれど、私もうけっこう幸せよ」


「ステラ様……」


 頬を薔薇色に染めてそんなことを言われると、ハウンドは冷静ではいられなかった。

 そっと頬に手を添えて口づける。

 触れるだけのキスのあとしばらく見つめあっていると、ステラが肩を震わせる。


「ふふ、あなた顔が真っ赤だわ」


「そうでしょうね……」


 一生、自分はステラに魅了され続けるのだろうなとハウンドは改めて幸せをかみしめたのだった。

  

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婚約破棄された地味令嬢は溺愛から逃げ切りたい!~なのに謎の美形が執着してきます~ 白井 @shirai_sakurao

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