第16話
バーンズ侯爵家がある通りにはすでに豪奢な紋章付き馬車が何台も並んでいた。
どれもこれも有名な家門で、ステラはいまさら自分がここにいることが場違いな気がしてきた。
一緒の馬車だといらぬ誤解を生むから一度侯爵家の玄関前で待ち合わせることにしたのだが、一人でいるとこんなにも心細いのだと改めて思い知る。
(まだ来ていないのかしら)
不安になって周囲を見渡すと、そっと手を取られる。
屋敷の影になる場所にいたらしい。
仕立てのいい黒のテールコートを華やかに着こなしている。
「またお待たせしてしまいましたね」
「いいえ、今ついたところだから大丈夫よ」
雑談まじりに優雅な動作で腕を差し出され、ステラは気負わずに手を置けた。
華やかに着飾った紳士淑女が入り口に吸い込まれていく。
ステラがこうやってまともに参加するのは初めてのことだ。
そのつもりはなくとも緊張して、ハウンドの腕を掴む手に無意識に力が入ってしまう。
「今日はステラ様がいらしてくださって良かったです。最近王都に戻ってきた身ですから、こういう場は慣れていなくて」
そんなはずはない。彼はどこでだって堂々と存在感を示していた。
不思議に思いステラはハウンドの顔を見る。暗がりの中での彼はひときわ黒が際立っていた。
「お誘いを受けたのはステラ様ですからね。私は勝手に付き添い役に割り込んだだけです。他の人に取られなくて良かった」
「私のエスコートをしたい人なんているわけないじゃない」
ステラの緊張を解そうとしているのが分かって、ステラも笑って軽口をたたく余裕が出てきた。
しかしハウンドはまるで自分が傷ついたかのように眉をひそめた。
今までちゃんと人と話してこなかったからか、返答を間違えたらしい。
「あ、あなたが変な人って意味じゃないの。ごめんなさい。つまり、私はモテないからってことで……。気をつかわなくていいのよ。私もちゃんと分かっているから」
言い訳するように早口になってしまった。
今から婚約者を探してこの男に見限られなければならないのに、なにを焦っているのかと自分でもおかしく思う。
ふっと笑ったハウンドになにかを差し出されたので思わず受け取った。
「これを襟元に着けておいてください。私がどれだけ幸運な男かは、おそらく今日分かりますよ」
耳元でささやかれ、慌ててブローチに意識を集中させた。
(花の……ブローチ?)
玄関から漏れる光はあれど、前の人の影になってよく見えない。
ブローチであることは間違いなさそうなので言う通りにとりあえず着けておいた。
玄関ホールの目の前の階段を上がれば広間がある。周りを見渡せば休憩室や娯楽室も解放されていた。
「ステラさん! 来てくれたのね!」
広間の入り口にはセシリアがいた。隣にいる男性とともに招待客と挨拶をしていたらしい。
「セシリア様! 本日はお招きいただきありがとうございます」
「ようこそ。ぜひ楽しんでいってくださいね。……あら?」
セシリアの視線がステラの胸元で止まる。
そして隣の男、ハウンドを見上げ難しい顔をしていた。
「おやバーンズ嬢。本日はお招きいただき恐縮です」
「……湿度の高い男ってほんとうに嫌だわ。あっ、そうよ。こちら私の婚約者のアーノルド。よろしくね」
「ようこそ。セシリアから話は聞いています」
紹介されたのはすこしふくよかな、真面目で朴訥そうな青年だった。
差し出された手もふかふかしていて、どこかほっとするような感じがとても印象が良い。
セシリアがうっとりとアーノルドを見つめる目は恋する少女のものだ。
(この二人は幸せな婚約をされているのね)
二人の様子を見ていると、なんだかステラまで嬉しくなってしまう。
家の都合の割合が大きいとはいえ、相思相愛の夫婦も少なくない。幸せそうな様子は周囲も幸せにしてくれる。
(セシリア様はハウンドが目的というわけではなかったのね。失礼な勘違いをしていたわ)
彼女は本当に純粋にステラを誘ってくれたのだ。
ステラの人生ではじめてのことであり、実感がわかないながらもステラはくすぐったいような気持ちになった。
まだ来客との挨拶があるセシリアたちと別れたあと、ステラはそういえばと胸元を確認した。
(さっきセシリアがなにか言いたそうだったけれど……え!)
ステラの胸元には、宝石で出来た繊細な薔薇のブローチが輝いていた。
ハウンドの瞳のような薄紅色の薔薇がシャンデリアの光を乱反射してきらきらと色どりを添えている。
まるで、『この薔薇の持ち主はハウンドのものだ』と主張しているかのようだ。
(か、考えすぎよ)
見上げるとハウンドは涼しい顔をしている。
もちろん彼はステラを騙そうとしているのだから、その可能性もないことはない、のだろう。
しかしここ数日、ステラは彼が詐欺師ではないと考え始めていた。
詐欺師だとしたら……どうやっても割に合わないのだ。
だからといって誰なのかと言われれば相も変わらず謎で、今の状況も説明しろと言われたら困る。
ステラは自分でドレスやアクセサリーを選んだものの、舞踏会の中にいると飾り気がないような気がしていた。
家で見るのと華やかな人々の中で見るのでは印象がまるで違う。
彼はそれを見越してアクセサリーを用意していたのではないだろうか。
なにせ、ステラの普段の服や舞踏会への低い理解度を知っているのだから。
(私に期待していなかっただけ。だからなんの意味もないはずよ)
しばらくするとゆったりとした音楽が流れる。
セシリアやアーノルドは主催として賓客と踊ったり乾杯を交わしたりと忙しそうにしていた。
磨き上げられたホール。眩いシャンデリア。
未知の世界に迷い込んでしまったかのようで、見ているだけで圧倒される。
(はっ、そうよ! ちゃんと声をかけて婚約者になってもらえるよう頑張らないと……!)
ダンスを誘うのは男性からが一般的だが、雑談ならルールがあるわけではない。
自分が男性から声をかけられることなどないのだから、自分から近づこうとステラは作戦を立てていた。
ダンスの腕前は自信がないものの、男性と親しくなる機会などそうそうないのだから頑張るしかない。
「ハウンド、私ちょっと……いろいろ見て回るわね」
「危ないので私も参ります」
「えっ」
困る。
男性に話しかける時に男性を連れていたらだめなことくらいはステラにも分かる。
そもそも彼には1人でいてもらい、ご令嬢たちの関心を集めていてもらわないといけないのだ。
「エスコート役としてはもうじゅうぶん役目を果たしてくれたわ。ありがとう。あなたも舞踏会を楽しみたいでしょう?」
「あなたなしでどうやって楽しめとおっしゃるのです」
「気になるご令嬢でもダンスに誘ったらいいじゃない」
「そうしたいのはやまやまですが、まだ主催たちが踊り終わっていないので我慢しているんです。それに、断られるかもしれないと思うと少し不安で」
ステラは言葉にはしないものの内心驚いていた。
この男が気になる女性というのが純粋に気になったのだ。
そして、彼が断わられるかもしれないと思っていることも意外だった。
「大丈夫よ。あなたに誘われて断る人はいないわ」
「そうですか? ステラ様も?」
「わ、私はだめよ。えーっと、すごく下手だから……」
自分の発言を自分で覆す結果になってしまってばつが悪いくなって俯く。
しかし仕方ないのだ。
彼と踊るととにかく目立ってしまう。
今だって、彼はご令嬢からの視線を一身に集めているのだ。
「だめですよ」
「え?」
音楽が鳴りやむ。
拍手の音に紛れて、ハウンドが腰を軽くかがめてステラの耳元で熱っぽく囁く。
「断わらせてあげません。今日はずっと、私とだけ踊ってもらいます」
言われた意味が分からず、顔を上げると至近距離のハウンドと目が合った。
薔薇色の瞳が鋭い光を宿している。
周囲は次のダンスのために準備でうるさいくらいなのに、ステラだけ時間が止まったように視線に縫い留められていた。
(こわい)
このままではハウンドに丸のみにされてしまう。
そんな予感に怯えたステラは、思わず逃げ去ってしまった。
華やかに着飾った人々の間に紛れるのは簡単だった。
ちらりと後ろを見ると、ステラが離れたことでチャンスと思ったのかハウンドはあっという間に女性に囲まれたようである。
ステラはほっとして緊張を解き、そこではじめて自分の体が強張っていたことに気付いた。
怖かった。
ハウンドが、ではない。
ハウンドに見つめられて動けなくなった自分が怖かったのだ。
もし彼の視線に絡めとられてのぼせ上がってしまったら……彼が何者であっても、その先に待つのは破滅だ。
落ち着いて立ち止まると、窓ガラスに顔の赤い自分が映っていた。
今日の装いは以前ハウンドがつけてくれたティアラをベースにしている。
どこから手を付けたらいいのか分からなかったのだ。
小ぶりなティアラと、ペールグリーンのドレス。
似合わないだろうと派手なものを避けてティアラ以外のアクセサリー類は少ないため、薔薇の胸元のブローチが目立っている。
「お嬢さん、大丈夫?」
声をかけられて振り返ると二十代半ばくらいの男が立っていた。
「きみ、あの男と一緒にいた子だろう? 振られたのかい?」
侮辱的な言葉に思わずむっとする。
たしかに釣り合わないだろうが、知らない人からそんなことを言われる筋合いはない。
しかし同時に納得もしてしまった。
さっきは少し、少しだけ舞い上がってしまったもののやはり外から見たらそうなのだ。
「そんな薔薇までつけて健気なのに可哀そうだよな」
「ふられたわけではないわ。ダンスが苦手なだけよ」
「それは男が悪いんだよ。俺のリードなら平気だって。知ってる? 俺すげえ上手いんだ」
男の馴れ馴れしい態度に嫌悪感が募る。
しかし男性の方からダンスに誘われるなんて、もうないかもしれない。
丁度音楽も終わり、次のダンスのために人が流動的になっていた。
(これも経験かしら)
困惑しながらもステラは差し出された手をとろうとした。
しかしそれは叶わなかった。
「言ったでしょう。今日は私とだけ、と」
「ハウンド! どうして……」
ステラがのばした手は、横からハウンドが奪ってしまった。
ぽかんと目を丸くしている男を差しおいて、そのまま音楽に乗るようにホールの中央に躍り出る。
ホール中の視線が集まっているのは勘違いではないだろう。
「私ダンスは苦手なのよ。せっかく今日はじめてのダンスなのに恥をかくからやめたほうがいいわ」
「さっきあの男と踊ろうとしていませんでしたか?」
「あの人がダンスは得意だっていうから……」
「そうですか。でも彼より上手い自信がありますよ」
手を重ね、腰に腕を回されて、ハウンドの男性らしさを意識させられた。
見ているだけだとその繊細な美貌から女性的な印象も受けるのだが、こうして近くにいると力強さを感じる。
逃げた手前気まずくて少しでも距離を取ろうとすると、それを上回る力で引き寄せられてしまう。
音が鳴る前の独特の緊張感と期待感が満ちる時間も、ステラにははじめてのことだった。
ヴァイオリンが柔らかな旋律を奏ではじめると、自然とステップを踏み出せていた。
ワルツの拍子に合わせてくるりと回る。
ハウンドのリードに合わせて軽やかにステップを踏み、優雅にターンをするとドレスの裾が花のように美しく広がった。
周囲から羨望のため息が聞こえる。
「お上手ですよ」
「あなたが上手いからよ」
ステラがダンスを練習したのはもう何年も前の子供のころのことだ。
こんなに見事に踊れているのはパートナーであるハウンドの力量がたしかなことの証左である。
「あのティアラを着けてきてくれたのですね。ドレスもよくお似合いですステラ様」
「あなたの贈ってくれたドレスが良いのよ。礼儀だからって無理して私まで褒めなくていいのよ」
ハウンドはなにがおかしいのかふっと笑う。
「実を言うと、今日はずっと無理をしていました。あなたを心のままに賞賛するとさっきみたいに逃げられてしまうかもしれないと思って。でも今なら逃げられませんよね」
え、と思う前に強く引き寄せられた。もはや胸に抱きしめられているような距離である。
「今日のあなたは夏の太陽のようですね。あなたを目にするだけで体温が上がってしまうので、情けないところを見られないようなるべく視界にいれないようにしていたのですが……もったいないことをしました。この身を焼き尽くしてでもあなたのそばにいたい」
身体を密着させてそう囁かれると、ふいに心臓が高鳴って足がもつれそうになった。
しかしハウンドは強引に支えて何事もなかったかのように踊り続ける。
(なんだか恥ずかしいことを言われている気がする)
しかし深く考える前に大きくターンをするからそちらに意識を持っていかれた。
「あなたの美しい首筋を他の人間も目にしたのかと思うと一人一人目を潰したくなります」
なにかを小声でつぶやいているが、喧騒の中では聞き取れない。
聞こうとすると逆に尋ねられた。
「そういえばネックレスはお嫌いなのですか?」
「嫌いっていうか、あんまり派手なのは似合わないから」
「そんなことはありませんが、あなた自身が最も美しい美術ですから宝飾品も必要ないかもしれませんね」
ハウンドの視線が肌をなぞるたび、ステラはぞくりと震えた。
マナーで仕方ないとはいえ、大きく開いた襟ぐりが急に恥ずかしくなる。
「誰に対してもそんなことを言っているの?」
「あなたにだけですよ。ステラ様こそ……婚約者はどなたのでもいいのですか?」
びくりと身体が強張る。
剣呑な光を瞳に宿したハウンドがステラの返答を待っている。
隠しきれるとも思っていなかったが、ばれているのならそれでもかまわなかった。
「誰でもいいわけじゃないわ。見た目が良くないんだから、色んな人に声をかけてみないと始まらないのよ」
こんなこと説明させないでほしい。
誰もが振り返る美貌を惜しげもなく晒しているハウンドには分からないのかもしれない。
「なるほど。そう思っていらっしゃるんですね。なぜあんな男と踊ろうとしたのか謎が解けました。もしや、私よりあのような感じがステラ様の好みなのかと不安になっていたんです」
自分がそこらの男には負けるわけがないという大層な自信からくる発言だが、そのとおりなので腹も立たない。
正直なところステラの中ではさっき少しだけ話した人はもう記憶の中で薄ぼんやりとしている。
ハウンドはご機嫌でステラの耳元に口を近づける。
「いけない人ですね。私が贈ったドレスを着て他の男を誘うなんて」
「なっ」
強制的に身体に入り込むような、甘い声。
思わずステラはハウンドを見た。
長い睫毛に縁どられた薔薇色の瞳の光彩まで見える距離。
そこでステラはまたずきんと頭が痛んだ。
(この景色に、覚えがある)
「……ハウンド、あなたと会ったことがある?」
その意味を考えず熱に浮かされるように口にしていた。
ハウンドは目を見開いて、ほんの一瞬呼吸が止まったようだった。
繋がった手、腰に回された腕に力が入って強張るのが伝わる。
そこで曲が終わった。
はっと夢から覚めたような心地だった。
ステラは慌てて膝を軽くまげたお辞儀をし、なぜだか分からないがハウンドから距離を取ろうとして……出来なかった。
ダンスのために重ねられた手は、今やどこにも逃がさないとばかりにしっかりと掴まれている。
そのまま隅にあるバルコニーへ連れられてしまった。
ハウンドからグラスを渡される。
ステラはそこではじめて慣れないドレスで踊った後で喉が渇いていたことに気付いた。
いつの間にボーイから飲み物を受け取っていたのか、気遣いまでスマートだ。
さっき言われたことを考えないように、ステラはなんとか話をしようとする。
「ありがとう。ちょうどほしかったの」
「私も緊張で喉が渇いていたんです」
「あなたが緊張したの? 言うだけあってダンスはかなり得意だったみたいだけれど」
「ステラ様を前にしていると、いつも緊張してしまいますよ」
ありえない冗談に思わずふふっと笑ってしまってから、ステラはハウンドとの応酬に社交経験値の違いを思い知った。
社交術に関しては、本で勉強するだけではなく実際に話した方が情報量が多い。
そこに思い至って、ステラは周囲を見渡した。
ホールでは扇子で口元を隠した女の子たちが頬を染めてハウンドへ視線を投げていた。
(思った以上に見られているみたい。会話が聞こえない距離感で良かったかも)
「ハウンド、みんながあなたと踊りたがっているのよ」
「他など関係ありません。私が踊りたいのはあなただけです。それに、この会場にいる男はあなたに声をかけようと狙っているんですよ。そんな状態で一人に出来るわけないでしょう」
「そんなわけないじゃない。もしそうだとしたら、それはあなたのパートナーだったからよ。私に興味があるわけじゃないわ」
「でしたらずっとあなたの側にいて、私があなたのものであると周囲に知らしめないといけませんね」
シャンデリアの光を背に艶やかに微笑まれて、思わず心臓が跳ねる。
他の人間など目に入らないように、視界を覆うように立つ彼の瞳の中にもステラだけだ。
「あなたを自分のものだと思ったことなんてないわよ」
「おやおや。拾ったならちゃんと責任を持って飼ってくださらないと」
ハウンドの声音にわずかな期待とかすかな寂しさを感じて「拾った覚えもない」とは言えず、ジュースを喉に流し込んだ。
(詐欺師じゃないなら、なんのために私に近づいているのかしら。両親やブリジットにいい感情はなさそうだったけれど、復讐ってほどでもなかったし)
「あなたって何者なの? 会った事あるんでしょう?」
「……私に興味をもっていただけるだけで嬉しいです」
寂しそうにしているがやはりはぐらかされる。
ステラとしてもそんな気はしていたので深くは追及せず切り上げる。
教える気があるのなら最初から言っているはずなのだ。
(この人、私に正体を暴いてほしいんだわ。会ったことがあるとしたらまだ両親が私にも期待していた頃だから、
ハウンドはステラに背を向けてホールを眺めた。
「私が何者かも不明なのに、なぜ受け入れてくださるのです?」
彼がどんな表情をしているのかは分からない。
声音もいつも通りである。
だがその質問にこそ、彼の不安が透けて見えるような気がした。
「受け入れているわけじゃないわ。悪いけれどあなたのことまだ完全に信用もしてない。でも、寂しそうだから」
ハウンドが振り向く。
普段と変わらない表情だが、彼は注意深くステラの言葉を待っていた。
「普通に接して受け入れてもらえるのか自信が持てないから、大量のプレゼントを渡したり美辞麗句を並べるの。違う?」
その行動はステラにとってはとても助かるものだったが、たとえステラがブリジットのように不自由なく生きていたとしてもハウンドは同じようにプレゼントを用意したりしただろう。
ハウンドは目を見開き、やがて降参といったように肩を落として両手をあげた。
「本当に、あなたにはかないませんね」
言葉とうらはらに嬉しそうだ。彼の瞳に星の光が反射して輝く。
「あなたはいつも私のほしいものをくれたけれど、私はなにか返せるのかしら」
「……返す必要はないんです。先に与えてももらえたのは私の方ですから」
(私にはそんな、慈しむような視線を受ける資格はないのに)
やはりどこかで会ったことがあるのだろうか。
でも、ステラは思い出せない。
そこへ近くづ人物がいた。
「あらあら、あれだけ目立っておいてこんなところに引っ込んでいるなんて、主催者が泣くわよ」
「セシリア様!」
「もう、セシリアでいいわよ。ね、ステラ」
セシリアははしばみ色の瞳を片方ばちんと閉じてウインクをする。
豪奢な青い夜会ドレスを着た彼女は品がありながらもむしろ快活に見えた。
おずおずと「セシリア……」と口にすると、彼女は嬉しそうに笑う。
「あなたねえ、ステラを独り占めするなんてどういう了見よ。こんなブローチまで用意して、心が狭すぎるのよ」
「なんとでも仰ってください。私がいない隙に他の男が近づくなんて二度とごめんです」
ハウンドとセシリアはやはり気安い関係のようだった。
「仲がいいのね」
純粋な感想だった。
バーンズ侯爵家の娘と仲がいいということはハウンドの正体を知るヒントになるかと思ったくらいだ。
しかし二人は心底うんざりしたように否定した。
「心外です。私はステラ様だけですよ」
「私だって生まれた時からアーノルド一筋よ!」
疑っていたわけではないが二人の様子から何度も揶揄されたのだろう。
借りるわよ、と不満げなハウンドを置いてステラ手を引きデザートのテーブルに向かう。
「あなた、ハウンドにほだされてない?」
「そ、そんなことはないと思うけれど。二人は昔からの付き合いなの?」
「ええ、まあね。とはいってもあいつはずっと領地にいたし、会ったのは最近よ。むかつく態度なのは昔から変わらないけれど」
甘いケーキを食べながら苦々し気に語るセシリアだが、ステラにとっては意外な情報もあった。
(ハウンドがむかつく態度?)
ステラにとってハウンドはいつも物腰穏やかだった。
目的が分からないうちは奇妙で恐ろしいと思わないこともなかったが、基本的にはずっと優しすぎるくらいに優しい。
「ハウンドにとってあなたは特別なんだと思います」
セシリアはふきだすのを抑えようとして、無理だったようで扇子を広げて口元隠しながら笑っていた。
「違うわ。逆よ逆! あいつは誰に対してもどうでもいいというか、見下してるというか。まあ天才だから仕方ないのかもしれないけれど。あなただけが特別なのよ」
知らない話がぽんぽんと出てくる。
「天才ってなにかあったの?」
ステラが困惑しているとフルーツを小さく切っていたセシリアは何かを考えているように大人しくなり、そして顔を青くさせた。
「まさかステラ。ハウンドの家のこと知らないの?」
「わ、私はなにも。名前しか教えてもらっていないし、馬車の家門もよく見えなくて」
「それ絶対わざとだわ」
セシリアはステラの胸で輝くブローチに不愉快そうに視線を落とした。
「そんなブローチまで用意して……。これ見よがしにお揃いにして、独占欲丸出しじゃない」
どきっとして思わずブローチに指で触れる。
「あの、やっぱりこのブローチって」
「虫よけに決まってるわよ。あいつのラペルピンも同じ宝石だったし……え、まさか気付いてなかったの? ということは了承なしってこと? 信じられない」
言われてみればハウンドのラペルピンも薄紅色の宝石だった。
しかし目の色と合わせているのかと思って納得していたのだ。珍しいと思った
「お家の中の詳しい事情は分からないけれど一応あなたの立場は分かっているつもりよ。婚約が解消になったあのパーティーは有名だから……。もし実際に会ってみてあれが理不尽な婚約解消なら力になりたいと思っていたの。思ったとおり、あなたは素敵な人だったわ。我が家のパーティーでいい縁があればって。なのに同じ宝石で合わせた装飾品なんか着けてたらまともな男は声かけないわよ!」
ハウンドのやり方はフェアじゃない、とセシリアは憤慨していた。
「ありがとうセシリア。でも、ハウンドがいなくても私に声をかける人はいなかったと思うわ。ハウンドがドレスとか用意してくれたからなんとか形にはなってるだけよ」
「まさか気付いていないの? あなたを誘いたくてずーっと様子を伺ってる人がたくさんいるのに」
「それはハウンドを見ているんじゃ……」
そう思ってハウンドの方を見て、後悔した。
華やかな女の子に囲まれているハウンド。そこまでは想像の範囲内である。
目が、あった。
ハウンドは常にじっとまっすぐにステラを見つめていた。
心臓がばくっと動いて、そのままばくばくと大げさに動き始めた。
ときめきというより、山の中で熊と目があった時とか、思わず幽霊を見かけた時に近い。
口が動いていないところを見ると、周囲の女の子たちと会話もしていないのだろう。
視線で体に穴が開くのではないかと思わずハウンドに背中を向けてしまう。
「ほら、あなた以外にはああいう感じなのよ。ふふ、いまあそこにいる女の子たちってこの間のお茶会でひどいことを言ってた子たちだからいい気味って感じね。あいつがいない今のうちにあなたを良い感じの男性と引き合わせるのも良いかなと思ったんだけど、それやったら今すぐ飛んできそうでしょ? 余裕がないんだから」
やっぱり男性は包容力と安心感が一番よねえ、とアーノルドを思い出しているのかセシリアはうっとりしている。
そして真剣な顔でステラを見つめた。
「私は立場上それなりに人を見てきた自負があるわ。そして、あなたには幸せになってほしいの。……ああいうのはちゃんと首輪をつけておかないと、飼い主の手を噛むわよ」
(どういう意味かしら)
そろそろ行かないと、とセシリアは告げてパーティーの中心へ戻っていった。
一人になるタイミングで、さっきまでバルコニーにいたはずのハウンドがすかさず声をかけてくる。
「あなたがそばにいないとどうにかなりそうでした。ところで、あの人になにかを吹き込まれませんでした?」
「セシリアは主催の立場で忙しいのに、時間を割いてお話してくれた良い方よ。そんな言い方しないで」
「……はい」
目に見えてうなだれているので言い過ぎたような気になってしまう。
つい謝ろうととして、ふとさっき彼を囲んでいた女の子たちがいないことに気付く。
「ハウンド、さっきご令嬢方に囲まれていなかった?」
「ええ。でも我々に関係のない方々ですよ。見知った顔もありましたけれどね。ほらお茶会にいた……」
(ハウンドも気づいていたんだわ。あの時ちゃんと言い返して終わった気になっていたから正直覚えていなかったのだけれど、セシリアやハウンドは相手をちゃんと見ているのね)
それよりあんなに熱心に言い寄られて無関心を徹底できるのもうすら寒いものがある。
(今は期待もしてないから大丈夫、だと思うけれど……もしハウンドに惹かれた後にあの態度を取られたら)
考えるだけで恐ろしいような気がする。
顔をこわばらせたステラにハウンドは少し斜めのフォローをする。
「ご心配なく。ちゃんと『なにもせず』にいましたよ」
(それが怖いのよ)
しかし褒められてしかるべきと言わんばかりの期待するような笑顔を前にそんなことはいえなかった。
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