第15話
一緒に馬車に乗り込んだ時点で不思議に思っていたが、なぜかハウンドもグレアム家で一緒に降車した。
「まさか家の中までくるの?」
「説明が必要かと思いまして。外で待てというのならそれでもかまいませんが」
「目立つから絶対だめ」
実質的な脅しだ。
(当たり前だけどこの男、顔の良さを自覚しているわね)
ハウンドを連れ帰るとおそらくブリジットが暴れるような気がする。
しかしさっきの騒動でなにかが、絆のようなものが切れたステラとしてはそれもいいかと思ってしまっている。
グレアム家は外から分かるほど慌ただしそうだった。
「どうしたのかしら」
ドアを開けると目の前が真っ白い。その奥で阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえる。
「おや、大変そうですね」
白いものはなにかの箱のようだった。
ハウンドは楽しそうに喉で笑い、軽やかな動作で積み上げられた箱を通路の外側に積み上げなおしていく。
大量の箱の山は奥まで続いていた。
廊下も階段もダイニングも箱で溢れかえっている。
使用人が箱の下敷きになっていたり、疲弊して座り込んだりしている。怪我はないようだがどうしたことだろうか。
ちらりとハウンドを見ると、まるで知っていたかのように動じていない。
ただステラが歩きやすいように道を作ってくれている。
リビングルームにも箱が積まれていたが、そこは少しだけ様子が変わっていた。
真ん中にたくさんのドレスや宝石に囲まれたブリジットがいて、冷や汗をかいて同様している両親がいた。
「ど、どうしたのかしら。なにがあったのです?」
「あ、ああステラ! なにがあったはこっちが聞きたい。いったいこれは……ん?」
「ご無沙汰しております。グレアム卿」
「誰だお前は!」
父親はひっくり返りそうな勢いで叫ぶ。
場違いな男が急に現れたのだから当然かもしれないが、威厳はない。
(ご無沙汰……? 父とハウンドはどこかで会ったことがあるのかしら)
劇場のパトロンとして名を連ねたことでもあるかもしれない。
父親は平民を見下しているが、貴族の関わる文化に対しては見栄を張るときがある。
(それにしては、ハウンドの様子がおかしい気もするけれど)
彼から父親に対して、いやこの家全体に対してうっすら嫌悪感のようなものを感じる。
笑顔を張り付けて表に出さないようにしているようだが、ステラを見る時の瞳と温度が全く違う。
その違いの意味がわからなくて、ステラは困惑した。
「ステラァ……? なに帰ってきてるのよ」
父の大声でブリジットも気づいたらしい。睨みつけるように声の出所を見据え……固まった。
ステラに対してではない。隣にいるハウンドを見たからだ。
「まっ、まあ! あなたはあの時の!」
なんだなんだと母親もハウンドを視界にいれ、ブリジットと同じように顔を真っ赤に染めている。
ハウンドが少し表情金を動かして微笑むだけで耳をつんざくような悲鳴があがった。
(あの時の……って、婚約者を殴った男にその態度はどうなのよ。賠償してもらうんじゃなかったのかしら)
今も治療中、もとい引きこもっているデリックが知ったら泣くんじゃないだろうか。
盛り上がる母親とブリジットのことなど心底どうでも良さそうに、ハウンドはステラを見つめる。
「箱の中身が気になりませんか?」
「中身もこの状況も気になることだらけだわ」
では開けてみてくださいと言われ、発言の意味が分からずとりあえず手近にある箱を開けてみる。
「ドレスだわ……」
薄黄色の、胸元のフリルが愛らしいドレスだ。肩まわりのデザインが愛らしく、丁寧な仕事を感じる。
他の大小さまざまな箱も開けていく。
靴、手袋、ドレス、ドレス、リボン、ネックレス、靴、ドレス、扇子……
「全部女性用のドレスやアクセサリー……?」
それも、すごく高そうな。
「すべてあなたのものですよ。ステラ様」
ハウンドが箱をあけて中身を取り出す。
きらきらと繊細な輝きが美しいティアラだ。
あまり間近でみたことのない光に見惚れていると、ハウンドはそのティアラをステラの頭にそっと乗せた。
「お姫様だからでしょうか、ティアラがよく似合いますね」
(だれがお姫様よ)
とは、言えなかった。
言葉が詰まって、顔が熱い。
お姫様じゃないことなんて自分が誰より分かっているのに、ついうっかりお姫様だと思ってしまった。
手を握り締め、その痛みで頭を切り替える。
「これが私のものってどういうこと? あなたが買って贈ってくれたとでもいうの?」
顔が熱いのがばれないようわざとつっけんどんに尋ねる。
しかしハウンドが気を悪くした様子はなく、むしろ褒められるのを待っている犬のように「わん」、ではなく「はい」と答えた。
「この中にお好みのものがなければまた贈ります。私からの贈り物は、どう扱ってもいいんです。あなたのものですから。罪悪感を覚える必要も、それで私を避ける必要もありません」
なにがあったのかを見透かされているようできまりが悪い。
ティアラの効果なのか、少し甘えてもいいような気になって素直に感想を伝える。
「よくわからないわ」
「受け取ってもらえるだけで嬉しいんです。あなたのためになんだってしたいと思っていますが、それを受け入れてくださるのならそんな僥倖はありません。前回はあなたが遠慮していたのでこちらも加減していたのですが今回は私もわがままになって贈りたいだけ贈らせていただきました」
前回、つまりマリオンの新作ドレスのことだ。
「どうして、そんなに私に良くしてくれるの……」
「お分かりでありませんか」
薔薇色の瞳に、わずかに寂しそうな光が滲む。
あなたは知っているはずだと言わんばかりのそれに、ちくりと頭が痛んだ。
なにかが頭の片隅で存在を主張しているような違和感。
しかし痛みを辿るまえに、ブリジットの声で思考は途切れてしまった。
「こ~ら! なに考えてるのステラったら。婚約破棄されたと知ったらすぐに男に色目つかって。デリックはまだ寝込んでいるのよ? 姉としてそんなふしだらな行いは見過ごせないわ!」
ブリジットはハウンドに対して完璧な決め顔になるように角度を調整して立っていた。
ハウンドを貴族だと思っているのか、模範的な貴族子女らしいことを説教している。
婚約者がいるのにアピールするほうが『ふしだら』なのではないだろうかとステラは思うが、この家ではブリジットがルールだ。
ブリジットの手にはステラが来る前に箱から取り出したのであろう宝石がいっぱいだったはずだが背後に押し込めたらしい。
背後のカウチには品定めしているかのようにドレスが隠しきれずに並べられている。
たとえハウンドが貴族であったおしてもあのパーティーでブリジットを見ているはずなので、いまさら無意味なのではないかとステラは思う。
「やだぁ、不出来な妹が申し訳ございません。 ええっと……?」
ハウンドの名前を聞こうと豊かな胸を盛り上げるようにして、上目遣いで促す。
しかしハウンドはうっすらとした笑みを変えることはなく、名前も言わない。
母親が咳ばらいをしても気づかないふりをしている。
あからさまに不自然で失礼な態度だが、ハウンドは悠然と構えていた。
不思議なことに、そんなハウンドに自然と家主の方が気をつかっている。
その場の全員から視線を受け、ステラはがっくりと肩を落とした。
「この方はハウンドさんです。困っているところを助けていただきました」
出会いについては濁したものの、ブリジットから理不尽に睨まれる。
「まあ、ステラがお世話に」
母親があらあらと手を頬に添えてうっとりと見惚れている。
「ええ。ステラ様にはたいへん良くしていただいております。それでは私は帰りますね」
「えっあっ、じゃ~あ! お見送りだけでもっ」
ブリジットの猫なで声を無視してハウンドは長い脚で器用に箱をよけながら帰ってしまった。
バーンズ家の舞踏会までの時間はステラにとってはたいへん過ごしやすかった。
グレアム家は贈り物を確認して箱を処分する時間に追われて誰もステラに構う時間がなかったのである。
靴やドレスのサイズは全てステラに合わせられており、ブリジットは『自分のものではない』ことにいちいち面食らっていた。
(それにしてもすごい量よね)
遠慮しないとは言っていたが、限度を超えている。
一応鑑定士を呼んだが、宝飾類はどれも本物だという。
グレアム家も同じ買い物をしようと思えば出来るのだろうが、それをぽんと他人に渡せるかと言われると無理だ。
(資産を狙う詐欺師だと思っていたけれど、いったい何者なのかしら)
「さて……舞踏会へのドレスはどうしようかしら」
急にあらゆる選択肢が増えてしまい、見比べて迷うのは嬉しい悲鳴だ。
夜会姿のモデルはブリジットくらいしか知らないのだが、自分がそのまま真似しても滑稽なのはこの間のドレスで身に染みた。
とりあえず着てみて、自分でも大丈夫なものを探すしかないと思うのだった。
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