7.使える魔法

 「よしっと。じゃあもう一回挨拶するよ。僕は、フィルフィエット・ダ……ん〜、もう名前は好きに呼んでくれて構わないよ。ちなみにみんなは僕の事をフィルフィって愛称で呼んでるみたいだね。年齢は1011歳で数える事をやめっちゃってから500年は経ってるかなぁ」


 笑いながらギルドマスターの椅子から降りる。

 一瞬、執事机に隠れて金髪の頭頂部しか見えなくなるがすぐに可愛らしい生物は机の横から顔を覗かせた。


 フィルフィは移動すると中央に置かれたソファへ腰を下ろす。

 長い金髪をズルズルと短毛の絨毯の上を引きずるかと思われたが、すぐにマリベルが回り込み、髪を結い直して頭の後ろに大きな蝶々結びを作り、綺麗な金髪が床に落ちないように手を施した。


 ――白き幼い天女が舞い降りた瞬間だ。製作者のマリベルも額ににじんだ汗を爽やかに拭って完成した出来栄えに満足気だ。


 天女が座わるとソファの後ろにギルド統括マリベルが直立で立ち、指示を忠実にこなす役割に徹する。

 一方で、ゼノもフィルフィに手招きされて対面のソファに座る。


「マリベルから大まかな内容は聞いているよ、大蛇に襲われたとか。不測の事態が起こったってね。結果的にはマリベル以外全滅。第一級守護者ゴールドプレーターを多く失った事はギルドとしてもかなりの損失ではあるよね」


 頭をマリベルへ向けて話すフィルフィの顔には形だけの怒った顔が向けられる。形だけ、と言い切れるのはギルドマスターとして怒った顔が頬を膨らませた顔であるはずがないからだ。


 叱責がマリベルへ向けられると、返す言葉もないマリベルは下を向き、申し訳ありません、と言う他ない。


 軽い叱責という茶番をゼノへ見せたのは昨日のうちにフィルフィとマリベルの間で処分や方針が決まっているからにすぎない。


 ゼノは、ギルドの対応に余所者が口を出すわけにもいかず、ただフィルフィの後ろでユラユラと動く金髪の蝶に目線を移して惚ける。


「とはいえ、僕個人で言えばマリベルが帰ってきてくれた事は喜ばしい事だよ。ぼくにとって大切なのはマリベルだけだしね。それに、今までの情報だって当てにはならないんだしさー。晴れるから動く。雨だから動かないって言っても、晴れの日だって動きたくない日もあるし、雨だから動きたい日もある。その判断はなかなか難しいモノだよね」


 叱責する演技じみた顔から一転して、母親が子を包み込む優しい微笑みを浮かべ、生き残って帰ってきたマリベルへの激励と情報の正確性について愚痴をこぼす。


 情報の正確性についてはゼノも同意見なようでフィルフィと目線を合わせたまま頭を短く縦に振った。


 今日の情報は明日に繋がるものではあるが決して確定ではない。

 大森林で5年もの間一人で生きながらえたら教訓からゼノは情報は必要だが過信はしないと決めている。



 フィルフィの後ろでは、無事に帰還した事を褒めてくれたマリベルは鞭の後の甘美な飴に目を潤ませて目尻に涙を蓄える。


「オレも聞いていいか?」

「聞こうじゃないか、なんだい?」

「何故あんな危険な場所にマリベルを向かわせた?」


 ゼノの当然な質問に少し緩みが出ていた雰囲気が再度引き締まりを見せる。出会ってから今まで口にしてこなかった質問をマリベルでなくフィルフィに問いかけた。


 今回の件は、マリベルの単独行動ではない事が明らかとなったが、どうしてもマリベルの実力では大森林の魔物を討伐する事は難しいと感じている。


 もちろん、死んでいった守護者達の実力を加味しての事だろうが大蛇の蹂躙や魔狼に急襲されて全滅では大森林へ向かう編成として弱すぎると疑問が残るものだった。


 それはつまり、大森林で全滅する事が本来の目的なのではないか、マリベルを死に追い込む為に練り込まれた策略なのではないかと思わせる。


 責任者であるフィルフィが全てを知っていると判断して問いかけた。

 もちろん他人に教える義理はないが一応マリベルを送り届けた恩はある。一部でも教えてくれるとありがたい、と期待を持ってフィルフィの返答を待つゼノの目は鋭く、場合によっては拳を交える事も想定される鈍く重い雰囲気を漂わせる。


「調査だよ」

「調査?」


 すぐに返ってきた言葉には端的で感情も込められていない。ただ言葉を話しただけであり、フィルフィもそれ以上の言葉を話そうともしていない。

 答えになっていない言葉に少しだけ苛立ちを見せ、続けて話す口調も若干語尾が強くなる。


「大森林に何の調査だ? 魔物か?」

「それもあるよ。でも今回は定期的な境界線の調査が色濃かな」

「だからっ!! なんで境界線とやらの調査がいるんだっ!」

「……もしかしてだけど君、境界線を知らないのかい? 一番近くで過ごしてたのに?」

「……それは」


 フィルフィの言葉で急激に苛立ちが鎮火して萎んでいく。ゼノは境界線などという言葉を知らない。


 15年も大森林の中で生活をしているが境界線と呼ばれる物に出会った事はない。その事実をゼノは無言という形を取って肯定している。


 口籠るゼノを横目にフィルフィはマリベルを呼ぶと暖炉の上にある地図を持ってくるように指示する。


「じゃあ、お礼も兼ねて境界線の説明でもをするとしようかな。まず、境界線とはつまり愚者と英雄の境界線。これは、勇者達が魔族と人間の境目をつくり断絶したものになるんだよ」


 口振りはそのままに教鞭を取る姿勢を見せ、ゼノへ説明を始めた。生徒・ゼノは疑問に思う事をすぐに質問する。


「断絶……。何故そんな物が必要だったんだ?」

「それはね、君達人間が哀れにも思える程にちっぽけで弱々しい存在だからさ」


 人間が弱い事が原因なのだ。

 人をさげすんだ言葉をわざわざ選んで話すフィルフィに悪気は感じられず、曲げた言葉は必要ないとする語り口調に寒気を感じたゼノの体は全身に鳥肌を作り上げた。


 フィルフィの言葉が3人を静寂で取り囲む。


「それでも勇者達は優しかったからね。自分達が死んでしまったらまた人間が虐殺されてしまうと考えて魔族との境界線を作って人間側に来ないようにしたのさ。それが原因かどうかは知らないけど勇者は魔王を倒す事が出来ずにこの世を去ったのさ。寿命でね」


 フィルフィの目の焦点はゼノの近さでは合うことなかった。焦点は遥か昔に合わせている。焦点の先に映った姿に天女と化している幼女の顔には微笑みと悲しみが浮かぶ。


 タイミング良くマリベルが暖炉の上に飾れていた地図をローテーブル一面に広げる。


 そこには大きな大陸が描かれ、ゼノから見て右側には、『アバルシア』と書かれて、地形や城街村の絵と名前、互いの領土の仕切りを示した点線が事細かく描かれている。


 そして、真ん中には大陸を二分する亀裂が地図の上から書き加えられている。


「いいかい。これが愚者と英雄の境界線。大森林の一番魔族側にある物がそうだ。僕達は、この境界線を定期的に現存しているのか確認に向かっている。そして、その中で新たな魔物が発生していないか調査しているだよ」

「調査をしてどうする」

「境界線が消えているのならすぐにでも国王に事態を知らせて魔物の侵攻に備えなければいけない。大森林での調査は魔物の数を把握して大量発生しないように。つまりは、魔物を間引くって事だよ。これでいいかな?」

「あぁ……」

「よかった。理解してくれたみたいだね。助かるよ。ちなみにだけど、マリベルが同行したのは守護者達があげる報告書があまりにも杜撰で使えないからマリベルに調査して報告書を作成してもらおうと思ったからだからね」


 守護者の不手際に恥じらいを見ながらゼノの問いかけに答えたが、ゼノは別の事柄に神経を集中して生半可な返事を返すだけで記憶に残らないまま頭の中を素通りしていった。


 衝撃的な事実の後に話をする内容は事実より衝撃を受けなければ印象に残る事はない。

 フィルフィの長年の経験から生まれた話術に嵌り、ゼノは質問した答えを聞き流して覚えてはいないだろう。


 これによって他人にギルドの不手際を晒すという事態をフィルフィは回避していった。


「もうマリベルのお礼と説明はこれくらいでいいかな?」

「あぁ。すまない、助かった」

「うん。じゃあ、次にいこう。……僕はね、君に用事があるんだよ」


 カタカタカタカタッ。


 部屋の中に置かれた書類が舞い上がり、調度品の壺や天井から吊るされた小さめのシャンデリアが小刻みに震え始める。異変の原因に勘づいたゼノは、天女に目線を向ける。


 柔らかな笑みを浮かべていた顔は一変して侮辱を受けたと言っていい顔つき。フィルフィは怒りを押し殺してゆっくりと口を開いた。


「マリベルから聞いたよ。君は魔法が使えない代物だって思っているそうじゃないか。 聞きづてならないよ。魔法の探求者からしてみればそれはもう宣戦布告と捉えられても仕方がない愚かな行為だよね。だからさ、ここら辺で休憩がてら魔法の有用性を感じてもらおうと思うんだけど……いいよね? ゼェノォ?」


 綺麗な翡翠色の虹彩や鮮やかな黄色の瞳孔を縦に潰してゼノを睨む目は一言で言えば――『ブチギレ』


「あ、あぁ……」


 そこまでは言っていないぞ、と訂正しようにもフィルフィは耳を貸さないだろう。

 大森林でのマリベルとの会話を思い出す。あれはもう謝った事で終わったと思っていたとゼノは自分を責めたてる。


 (とりあえず、死ぬような事はないだろ。一応、マリベルの命の恩人だし)


 拳を握り締めた掌はくっきりと爪の跡が残り、次々流れる汗がゼノの服を濡らしていく。

 フィルフィがいう休憩を受け入れると不気味に笑ったフィルフィと主の指示に従うマリベルに両脇を固められると居心地が悪そうに地下にある訓練場へ連行されて行った。


 ◇◆◇


 ギルド建物の地下。

 純粋に1階の真下、という事ではなく螺旋階段を幾度となく下へ降りた先に広がった半球状の訓練場。


 魔法の威力確認や守護者達の練習の場として開放されているここは、地下深くに建築され今までに地表面にまで地響きを響かせた事はない。


 訓練場には吊られた照明はなく、飛び交う人や魔法を考えて半球の壁に無数の穴を開けた中に魔石を埋め込み光を灯している。


 外周もゼノの背丈ほどの壁が円周状に作られて、その奥は観客席はないが立ち見で応援または先輩守護者が指導するスペースが作られている。

 飾り気は全くないが人に迷惑をかけずに訓練ができるというのは喜ばしい事だろう。


「今日は絶好の訓練日和だよね。誰もいないし、体を動かしたい気持ちで心が暴れるよ」


 訓練場に現れたフィルフィの服装は先程とは違い、動きやすい服装に着替えている。

 白の装いから訓練用に紺色の7部丈のパンツに動きやすい白の半袖シャツ。

 上からは体全体を隠せる金の刺繍入りの黒ポンチョ。

 髪は気合いが入ったマリベルが動きやすいようにと髪を纏めると周りを少しだけ編み込み向日葵の形に仕上げる。

 準備を整えたフィルフィは体を曲げ伸ばす運動をして戦いに備える。


 ――フィルフィの頭頂部に大輪の向日葵が黄金色をして咲き誇る。


「君は武器の準備をしなくていいのかい?」


 フィルフィが話すようにゼノの周りを見ても武器になりそうな物は落ちていない。せいぜい小石がゴロゴロしてる程度。当然、ゼノも腰に下げているわけでもなく手には何も持ち合わせていない。


「ん? あぁ、今から作るからいいよ」

「作る、の?」


 フィルフィは興味深そうにゼノの錬成陣を観察する。魔法と類を成すであろう錬成に興味を示している。

 ゼノが作成するのは使い慣れた物で訓練に相応しい物。

 展開から行使までをゆっくり時間をかけて錬成する。それは、フィルフィへ錬成の凄さを見せしめる事と少しでも畏怖につながるのではないかという期待を込めて。


 その姿を眺めるフィルフィの顔からは笑顔は消えて、小さく小言を呟いて自分自身と会話して研究しているようにも見える。


「ほぅ……。魔力を流して地面から棒を作るんだねね。すごい! かっこいいよね、やっぱり!!」

「どーも、それで? フィルフィも武器を持ってないじゃないか?」


 フィルフィは笑みを出さず口角だけを上げて意地の悪そうな顔をする。

 フィルフィの余裕が見て取れる顔は既に何かしらの策を持ち合わせているとゼノを迷わせてくる。


「武器を持っていない事がそんなに不思議かい? 僕が持って戦う武器なんて果物ナイフくらいだよ。せいぜい切れて果物だね。僕は魔法に誇りを持っている。武器は必要ないよ」

「枝みたいな奴は?」

「枝? あぁ、魔法杖かい。もちろん必要ないよ」


 興味が失せたゼノは会話を切り上げると作戦を練りながら棒術の確認をする。


 両者の準備は終わると互いに訓練場の真ん中に集まる。対面に並んだ二人の距離は少しだけ長く取られる。


 これは挑発の意味を込めてゼノから提案があり、口角を引き攣らせながらフィルフィも提案を受け入れる事になった。


「それでは、訓練を開始します。勝敗はどちらかが負けを宣告するまでとします。それでは……」


 両者の確認を終えるとマリベルが手を振り下ろした事でゼノとフィルフィの訓練が始まった。


 今回ゼノは、棒術で攻撃する事を選択した。

 斬撃系の錬成はフィルフィに傷をつけてしまう可能性がある。

 そう考えると打撃系を選択せざるを得ないが、その中でも初手を最速で出す事ができる棒術を選んだ。


 ゼノは開始と共に体を縮めると地面を蹴り飛ばた反発でフィルフィとの距離を一気に詰めにかかる。

 対してフィルフィは冷静に戦況を見る顔を崩さず、片手を前に伸ばして横へスライドさせて魔法陣を4つ展開させる。


 火・水・土・風。

 各系統の魔法陣が展開されてゼノを迎え撃つ。それはもちろんゼノも織り込み済み。フィルフィが魔法陣を展開した瞬間からカウントを始める。


 (3秒だ……間に合う)


 3秒という長い時間があればゼノとフィルフィの距離は埋まり、ゼノが横凪に振るう予定の棒はフィルフィの横腹に直撃し訓練は終わるだろう。


 それでも気がかりなのはフィルフィの魔法に対する絶対の自信。何がそうさせるのか分からない。それ故に、無闇に突進するのは憚られる。


 接近戦でも魔法で対応できる手段があるのか。

 身体能力が優れている可能性はないか。


 ゼノの頭の中では何度も想定を繰り返して今後の展開に備える。


 (い……ちぃ!?)


 ゼノがフィルフィの展開された魔法陣を見てカウントを開始した直後にフィルフィの自信の一端を理解する。


「1秒っ!?」


 フィルフィが行使した魔法陣は1秒という短い間に行使され4種の魔法がゼノへ向けて放たれる。


 不意を突かれることになったが、まだフィルフィとの距離は遠い。この状況でいくら横へ凪いでも棒は掠めることもなく届く事もない。


「くそっ」


 焦りを見せたゼノはすぐに棒を捨てて錬成を開始する。先程とは違い余裕がない。刹那の瞬間に行使を終わらせて地面からゼノを護る盾が突き出す。


 フィルフィの4つの魔法が盾と衝突すると轟音を立てて盾が砕け散る。


 盾を貫通してくるような魔法はない。

 相殺されたようだ。


 砂埃が立ち上りゼノの前を覆い尽くす。

 とっさに次の攻撃に備えて横へ飛び退きフィルフィの行方を探す。


 フィルフィは最初から一歩も動いてはいない。

 むしろ、恍惚な顔をしてゼノを見下している。


「どうだい。魔法の味は? これが君が使えないと言っていた魔法だよ」


 からかい混じりの笑みをゼノへ向ける。


 マリベルが3秒で行使に至った事を考えれば1秒と言うフィルフィの速さは十分実用性がある。フィルフィの魔法に対する絶対に近い自信も頷ける。

 ゼノは膝についた砂埃を払いながら訓練の最中に関わらずある疑問を投げかける。


「参ったね。射出までが早いし、それに……魔法は魔法名を詠唱しないといけないのかと思ってたわ。認識不足だった」


 魔法を行使する際、マリベルは魔法名を声に出して話していた。それが魔法を行使から放つ最後の鍵だと思い込んでいたゼノは自分の検証不足を反省する。


「魔法はね、魔法名なんて口にして出さなくても使えるんだよ。まぁ、普通は無理だけどね。それにしても、あの速さで突っ込んできたのに僕の魔法を防ぐだなんて僕の目は節穴じゃなかったって事だね」


 魔法への絶対の自信を見せるフィルフィの顔は弱者へ情けをかける意地の悪い笑みから自分を楽しませてくれる玩具を見つけた煌めきに変わる。


「フィルフィ。お前、ヤベー奴だろ」

「そんな事はないさ。僕は、純然たる妖精族の中でも叡智に優れる長耳族ハイ・エルフ。魔法を探求する者さっ」


 気分が昂り、フィルフィからは大きな笑い声と異様な笑みが溢れ出す。


「さぁ、まだまだ物足りない。僕はまだ遊びない。こんな気分は数百年振りなんだ。君の輝きを見せておくれ」

「上から目線なのがちょっと気になるがフィルフィの魔法への自信、ちょっとだけへし折ってやるよ」


 軽い返事で受けた休憩だが、頬についた土を払いながら自分も強者との戦いに昂っているという事実にゼノは笑いを堪えきれなかった。

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