6.クレナミアという街とギルドマスター

 クレナミアと大森林との距離は歩いて半日という近距離にあり、一度でも大森林から魔物の大量発生による群勢侵攻が起これば、辺り一面が戦場となるのは必死。


 それを、いち早く察知して被害を軽減する為に、大森林の監視や管理、戦闘となった際に主力が到着するまで先行部隊として戦うといった様々な機能を有している。


 そんな街・クレナミアは『街』という存在から逸脱している。


 街は対大型魔獣戦防衛城壁と名付けた名前の通り、威信をかけた職人達により築かれた分厚い城壁が街を囲む。


 街の内部は、大森林側の半分を鍛冶屋などの工業施設やそれに付随する武器屋や防具屋、道具屋などの商業施設が集まり商業区画として陣取り、中心にはギルドを配置する。


 もう半分には、一般市民と貴族を水路で区画した居住区画があり、貴族達で囲まれた北西角の大半を領主であるグレイス・ウォーナット辺境伯が敷地としている。


 堅牢な城壁に街の人口規模が1万人である事や区画施設の配置を見て、クレナミアに住む住民は口を揃える。


 防衛“都市”・クレナミアという名が相応しいと。


 そんな街の中では、朝から活気に満ちた声が飛び交い賑わいを見せる。

 朝、王国から届いたばかりの新鮮な野菜や肉、魚を宣伝して購買意欲を煽る。


 はたまた、甘辛く焼ける匂いに釣られて涎を垂らしながら寄ってくる守護者達が朝から景気付けに肉汁が滴り落ちる肉を豪快に噛みちぎる。


 そんな中で商業区画に建てられた木造2階建の建物。1階宿屋の入口付近に作られた食堂。丸椅子に腰掛けて一点を見つめる青年も口の端から涎を垂らしている。


「パン……パンだ」


 ゼノの目の前の丸テーブルに置かれた皿の上には丸いパンに卵、薄切り肉。よくある朝の定番が置かれる。卵や肉は先日も食べている。

 それでもゼノが目を輝かせるのは横に添えられた白くて丸い、フワフワした物。


「5年ぶりか……。美味い……」


 小さなパンを小口で食べると涙して天を仰ぐ。

 奥からは貧しい生活をしてきたのよきっと、ほおっておいてやろう、まだパン持っていった方がいいかしら、などの余計なお世話が聞こえるが至福を味わうゼノには雑音でしかなく聞こえてはいない。


 10歳までは時折、食事に並んでいたパン。

 親父が出していたパンとは色が違うように感じながらもその漂う香ばしい匂いは同じで、嗅いだ瞬間にフラッシュバックしてしまう。


 懐かしい味だ。

 そう感じながらもったいなくてチビチビと食べてしまう。


「ゼノさん。まだいるかい?」


 頭には白い布を巻いて、料理用の前掛けを着た恰幅のいい女性がパンを摘んだまま話しかけてきた。昨日、閉門ギリギリで到着した後、マリベルに誘導されるままこの女性が営む宿屋『猫と四つ葉亭』に転がり込んだのだ。話をするマリベルと女性のやり取りに興味なく見つめていただけで名前など覚えようとしていなかった。

 ゼノは、女性の顔を見つめながら失礼にも名前を考え始める。


「あぁ、すまない。名前はなんだったかな?」

「ハアンナだよ」

「そうだった。ハアンナさんか。じゃあ、ハアンナさん、一つもらおう」

「はいよっ」


 摘まれたままのパンを申し訳なく思い、一つだけハアンナから貰う。今度は味わう事なく大口を開けて口に投げ込み数回咀嚼して喉を通らせる。

 満足のいく食事だった。

 そう感じたゼノは昔を思い出しながら手を合わせて食事を終えた。


「そうだ、ハアンナさん。マリベルがいる所って知ってるか?」


 ゼノは皿を引き上げて奥に帰ろうとするハアンナを呼び止めてマリベルの居場所を尋ねる。


「マリベルちゃんかい? 今日は仕事だろうからギルドにいると思うけどねぇ。道、分かるかい? ここを出たらすぐ左。まぁーっすぐ進んで一番大きな建物がそうだよ」

「そうか。ありがと」


 ハアンナは頭を少しだけかしげて、貧しくも健気生きる為にギルドで生計を立てようとするゼノ、という設定を頭の中で描き、それを鼓舞するように微笑みを返す。


 何故か労われた笑みを受け取ったゼノはすぐに宿屋の押し扉を開けて宿屋を出た。




「これが街か……」


 宿屋の天井には灯りをつけるランタンが取り付けられているが、日中である事から消されてそれほど明るくはなかった。


 扉を開けた瞬間に飛び込んできた太陽の光に目が一瞬だけ眩む。徐々に慣れてきたゼノの目は初めて見る光景に心が高鳴る。


 埃侵入防止の一つの石段を降りて見渡す。


 地面は少し大きめの焦茶色のタイルに覆われる。タイルもその場に置かれているだけでない。道の全体を見ても一つ一つにグラつきがなく平坦に置かれて歪みがない。その上を荷馬車が軽快に走り抜ける。


 道を挟んだ対面や隣には道具屋や野菜や果実などの食材を並べて守護者へアピールする。


 普段、生活する市民からすれば当たり前の光景も、一面を深緑で覆われた秘境から出てきたゼノにはどれも興味惹かれる物ばかりでこの光景を見るだけでもマリベルに感謝したい、そんな気持ちが湧いてくる。


 ハアンナに教えてもらった通りに向きを変えて歩く。

 すれ違う人達一人一人にも視線が注がれる。


 尖った耳を頭から生やし、頭から背中までを長い黒毛の体毛で、それ以外を白く長い毛で覆われた、一見すると魔狼が二足歩行しているように見える人――《獣人族ワーウルフ


 全身を深みのある暗緑色で覆われた鱗で覆われ、人間にはあるはずのない長い尻尾をもつ――《蜥蜴人族リザードマン


 人以外の種族が何食わぬ顔で街を歩く姿に誰も異様だとは思っていない。むしろお互いが好意的に話して笑い合う姿がこの街での種族の仲睦まじさが読み取れる。


 その雰囲気を察しているからかゼノは、地面に這いつくばって高度な技術で設置されたであろうタイルを調べたい好奇心や獣人族や蜥蜴人族に話しかけたい漏れ出す笑みを『場違いであり変質者』に見えかねないと考え、行動を自重して目的地へ進む選択をした。


「ここだな」


 商業区画にしては一回り大きな建物の前で足を止める。地面のタイルに似た材質で作られた灰色の壁。壁に見える一本だけ太い梁が建物の横に走り上下を区画して、壁中央には木の扉の淵を補強した大柄の扉が出入りする人達を出迎えて送り出す。


 扉の横で直立して建物を見上げたり、吸い込まれては吐き出される人の光景に圧倒されながら吸い込まれる流れに乗ってギルド内部に入った。


 ギルド内部は間仕切りや2階と分断する天井もなく、大きな空間が広がり、明るさを保つ為に天井から煌びやかなシャンデリアが垂れ下がり明るく照らす。


 前面には目麗しい女性達がカウンターに鎮座して長蛇の列を作る人の対応に追われる。


 右側はたくさんの人が群がり大きな板に貼り付けられた紙を凝視して、一部では両者が紙を持って奪い合いを始めている。


 対面は椅子と丸テーブルのセットが8セット並び、数人が腰掛けて何かしらの話し合いをしている。


 酔いそうだ。

 ゼノは流れる人の波に酔い気分が悪くなり、手で口を押さえて吐き気を堪える。昨日まで一人だけの生活が15年も続いていた。

 そして今は、ギルド内で賑わう多くの人を目の前にしている。飲まれるな、という方が難しい。

 近くの椅子に腰掛けて気分を整えようとしていると一人の女性がゼノの様子に気づいたのか歩いてくる。


「あの、大丈夫ですか?」


 黒のパンツスーツに白いシャツを着込み、腕から先が切り取られた燕尾服を着こなす女性。燕尾服の端は蔦が優雅に舞うような白く輝く刺繍が施される。

 眉目秀麗な顔立ちに普通であれば興味を引いたであろう長く尖った耳先にも気分が優れないゼノは触れる事ができず、片手で合図して問題ない事を伝えるしかできなかった。


「守護者の方ですか?」


 女性から聞かれたら問いに最低限の行動で否定する為に座ったまま微動にしない。すぐに女性も理解して次の質問に移る。


「守護者の登録に来られたのでしょうか?」


 そういえばマリベルもそんな事をいっていたな、と覚えがあるゼノは呼ばれた理由が守護者登録であると決めて軽く頭を下げる。女性も理解すると、カウンターの方へ向かうとすぐに戻ってきた。


「今、受付に連絡しましたので順番がきたらお呼びします。そのままでお待ち下さい」


 一礼すると女性は、次の対応すべき人を見つけ歩いていった。丁寧な接客に酔っていた気分も幾分が収まりを見せる。

 こんな事でやっていけるのだろうか、そんな気掛かりを抱いて呆然と前を見つめて気分が落ち着く事を待っていた。


 昼前になると出入りする人も落ち着きを見せてくる。人の流れも緩くなり賑わいもひと段落すると、ゼノも体調が回復して周囲を観察する余裕が出てくる。


「順番がきましたのでどーぞ」


 先刻の燕尾服の女性に誘導されながら空いているカウンターへ向かう。木目が綺麗なテーブルに羽のついたペンを隅に置いて対応にあたる女性が一礼する。


「担当します、サハラと言います。本日は……守護者の登録でよろしいですか?」

「あぁ、そうだと思う」


 ゼノの曖昧な答えに少しだけ頭を傾げた受付の女性・サハラは淡い紅色のショートへアーの頭上から見える2つの丸い耳を片耳だけしょんぼりさせる。


 受付の女性は先程の燕尾服の女性と違いカウンター毎に着ている服の色が違う。サハラは白いシャツに薄い翠色のベストを着て、上からは淡く渋い紅色の透け感のあるショートガーリーシャツを纏い活発な女性を想像させる。


「それではこの用紙に名前と登録職種の記入をお願いします」


 ゼノの前に出された用紙に名前を記入すると、次の項目でペンを握る手が止まった。


 (職種は……何? 錬成術師でいいのか?)


 手が止めて考える姿を見て女性も手が止まった先の項目を見る。


「ゼノ、さんですね。職種ですか。え〜っと、ゼノさんは何が出来るのでしょうか?」


 『出来る事は何か』という問いを『得意な事は何か』と聞かれたのだと考えて思いついた事を口にする。


「例えばだが……そうだな……。ごめん、ちょっとそれを借りる」

「お、おい。てめぇ、人の武器に何するつもりだぁ!?」


 辺りを見渡して使えそうな物を探す。

 ゼノは後ろで待つ大柄の男が腰から下げるロングソードを見つめる。

 両刃とも手入れが行き届いておらず、刃こぼれして鋭利に切り落とすには困難に見える。錬成を魅せる獲物に相応しいボロボロな武器を男の許可を無視して腰からロングソードを抜き取りカウンターに置く。


「まぁ、見てろって」


 久しぶりの錬成に意気込む。

 刃こぼれ自体は鍛冶屋にでも頼めばまた切れるようになる。錬成を必要としない行為で矜持には反するが、登録する上で必要な事なのだと決めると錬成陣を展開する。


「すごい、なおっていく……」


 大袈裟な錬成ではないものの刃が欠けている箇所がゆっくりと滑らかに整っていく。錬成されていくロングソードを見つめるサハラから感嘆の声が漏れる。


 初めて見る、そういった声が周辺から聞こえると後ろでロングソードを奪い取られ怒気を強めた男も購入した当時の姿に戻りつつあるロングソードに大喜びだ。


「やるじゃねぇかっ!! あんた!」

「これは、……鍛冶? いえ、修理工といった所でしょうか」


 サハラは腕を組んで悩みながら職種の候補をゼノへ提示する。その中にはマリベルが話していた『修復工』の職種もあり、サハラお前もなのか、と誰にも聞こえないように小言を呟いてしまう。


「ん〜、職種は錬せ……」

「ゼノさん、ストーーーップ!!」


 サハラの後ろ。2階の階段を登った先には見知った女性。以前の装いとは違い、髪色に合わせたであろう桃色のショートガーリーシャツと豊かな体の一部を揺らしながら階段を降りて行く。


「サハラ、この人は別室で対応するわ」

「統括? あの……」

「さぁ、ゼノ。こちらへどうぞ」


 マリベルは若干焦りながらもサハラの返答を聞く前にゼノの背中を押して2階へ連れて上がる。


「すみません。ゼノの対応は私とこちらでさせてもらおうと思います」

『コンコンッ』

「マリベルです。入ります」


 ドアノブが黄金色に輝き、細かい装飾が施されている扉を開けると部屋の中へ進む。


 中央にローテーブルと緋色のソファ。

 壁には暖炉が備え付けられ、奥には執筆机と背の高い椅子が壁を向いて置かれている。


「ギルドマスター。連れて参りました」

「ありがとう。ご苦労だったね、マリちゃん」


 マリベルを“ちゃん”呼びする辺りマリベルより役職が高いのだろう。

 壁に向けられていた椅子が回転してゼノの方を向いた。

 こちらを向いた椅子の上には、顔や体つきが幼い幼女が腰に手を当てて偉そうに立って振る舞う。


 金髪の髪を後ろで纏めてはいるが、椅子に立ってしても地面に垂れるほどに長い幼女は、純白のワンピースに金の刺繍が施された白のショートガーリーシャツを羽織る。


「こ、こど……ムガッ?!」

「それ以上、口を開く事を私は許可しません」


『も』と話そうとした口を冷たい口振りでマリベルに塞がれると続きの言葉を発する事が出来なかった。

 触れてはいけない言葉だったと理解して口を紡いだ後、幼女に目線を戻す。


 特徴的なのは翡翠色の虹彩に丸く鮮やかな黄色の瞳孔。そして、自身の体格に似つかわしくない細く尖った耳先。


「やぁ、僕はフィルフィエット・ダーハ・シュシュ・フォルカナ。ここで、ギルドマスターっていう厄介な仕事を押し付けられている者だよ。今日はマリちゃんを助けてくれたお礼の為に来てもらったんだ。さぁ、掛けてくれ。ちょっと長くなるけどお話を始めよう」

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