5.初依頼〜完遂編

 朝起きる事が以前より軽いと感じている。


 その証拠に、床は散らばった本で埋め尽くされて足の踏み場がほとんどない状況でも限りある隙間を見つけては軽やかに足を踏み出して部屋の中を進んでいる。


 ガチャッ。


「あっ、ゼノおはようございます」

「おはよう」


 部屋からリビングに向かう扉を開けると爽やかな声がゼノの耳へ届いた。少し前まで虚しく消えるしかなかった朝の挨拶は爽やかな声となり、ゼノに戻って来るようになった事も足取りが軽い原因でもある。


 桃色のふんわりした髪を後ろで1つに束ねて前髪を少しだけ垂らす。

 白いロングワンピースは寝衣なのかどうかは分からないが体のラインはまったく分からないほどゆったりとした服を着ている。

 竈門の前に立ち、柔らかな笑顔で朝の挨拶をする全ての原因の主である女性・マリベルはゼノの家に滞在するようになってから朝ごはんの準備を願い出た。


「はい、これ。ゼノの分ね」


 リビングに置かれたイスに座るとテーブルの上にトリニティ・モス三種の魔物の卵の目玉焼きと焼いた大魔熊の薄切り肉が並ぶ。

 フォークを手に取り目玉焼きを全方位から。薄切り肉の焼き加減なんかを細かく確認する。


「……何個めだ?」

「……4個め」

「肉は?」

「ふふんっ。まだ2枚目ですっ!!」


 修飾されている言葉は『今日使った卵は』と『焦がしてしまった』だ。


 滞在するとわかった翌日からマリベルは『せめて朝ごはんだけでも作らせて欲しい』とお願いしてきた。もちろん何の問題もないゼノは了承した。が、次の日の朝、ゼノは問題ないと思っていた自分の甘さを猛省した。


 ゼノの目の前には、


 卵ごと潰して焼いた卵焼き。

 消し炭になった大魔熊の肉だったもの。


 が本来の美味なる姿になれず皿の上で悲しんでいるように映る。竈門の壁面には卵の殻がへばりつき、所々に猫が歩いたような炭の跡を点々とさせている。


 竈門横のテーブルにはたくさんの卵が潰れた痕跡。

 そして、肉をぶった斬った際にできてしまった木の板に刺されたままのナイフ。

 卵を食い荒らしに魔物の襲撃を受けたかに見える光景に強烈な頭痛と倦怠感に見舞われて額を押さえる。


 一方で、状況を作り出した本人はこの惨劇を目の当たりにしても少しだけチロッと舌を出して片目を瞑り可愛く装えばどうにかなると思っているように振る舞う。


「はぁ〜。それで? どうしてこうなったんだ?」

「分かりません。卵を潰して肉をこんがり焼こうとしただけです。料理って難しいですね」

「卵を潰してって……。それに肉をこんがりって。こんがり過ぎて食べるとこなんかないぞ。そもそも、料理ができるから手を挙げたんじゃないのか?」

「いえ、料理は初めてです。助けられた上に食事までお世話になるのはどうかな〜って思いましたので作ろうとしただけに過ぎません」

「早く言え、それを」


 余計に酷くなる頭痛を堪えながら飛び散った食事の片付けをしていく。マリベルも挽回できなかった事で一緒に片付けを始める。


「オレが作るからマリベルは座ってていい」

「いえ、問題ありません。私が作らせて頂きます」

「毎日毎日朝ごはん食べる前に部屋の片付けはしたくないんだよっ」

「それであれば、朝ごはんの作り方を教えて頂けますか?」


 素っ気なく朝食の作り方を教えて欲しいというマリベルの言葉にゼノは悩む。マリベルの目は爛々として料理を楽しんでいるようにゼノには映る。きっと拒否をしたとしても受け入れてくれるまで何度も押しかける、そんな目をしている。もはや、飛び散った卵の殻を拾いながら溜息をつくしかなかった。


「わかった……。諦める」

「諦める? 教えてくれるの間違いですよね? それではゼノ。よろしくお願いします」


 嬉々として始まった料理教室から7日目。

 マリベルの修行は身を結び、ゼノにとりあえずの合格点をもらう事ができた。

 だが、合格点を出したゼノの頭上には疑問符が浮かんでいる。


 割った、焼いただけで料理と言えるのか、という事。


 それでも、とりあえずの魔物の襲撃が1日だけに収まった事に安堵し、満足したマリベルを見て料理教室おままごとは無事閉店したのだ。


 

 ゼノは、料理教室おままごとで学んだマリベル手作りの目玉焼きを口に入れる。黄身の部分は半熟でゼノの好みに仕上がり、思いのほか満足できる仕上がりに少しだけ口角が上がり微笑む。


「ねぇ、ゼノ。あなたはこれからどうするのですか?」

「そうだな。食べたらすぐに出発して大森林を抜ける。街につくのは夜になるだろう。まぁ、オレは大森林から……」

「違います。ずっとこの大森林で暮らしていくのかという事です」

「あぁ、そっちか」


 対面に座り朝ごはんを食べるゼノに肘をついて頭を両手で抱えたまま話すマリベル。ゼノの話を遮って話す態度は柔和だが目線は真剣そのもの。マリベルの視線を感じ取るもゼノは食べる手を休める事なく食べながら話す。


「絶対ではないがその予定ではある」


 ゼノが話した言葉に少しだけ悩みマリベルも質問する。


「その絶対ではない条件は何なのでしょう?」


 マリベルの口調は柔らかく砕けた形ではなく言葉の端々に言質を取ろうと画策するあたり業務的にも聞こえる。この会話はギルド職員として話している、そうとも取れる言い回し。


「そうだな。惹かれるものがあれば、かな」

「……なんとも曖昧な条件ですね」


 金銭や物品を要求するでもなく、かといって見麗しい女性を囲いたいわけでもないゼノの条件提示に難色を見せる。

 条件に合う物を街へ帰り次第揃えてゼノには提示するという計画を練っていたマリベルだけに、条件が『ゼノが惹かれるもの』というなんとも曖昧な物に計画の練り直しを迫られる。


「オレは別にマリベルを試しているわけじゃない。聞いてきたらからそう答えただけだ。だからあんまり気にするな。よぉ〜しっ、朝ごはんも終わった事だしそろそろ出発するか」


 目玉焼きと薄切り肉を食べ終えると皿を片付けて早速ゼノは準備にかかる。マリベルは椅子に腰掛け、両手で頭を抱えたまま気難しい顔をして、計画を練り直しをしているように見えた。


 ◇◆◇


 ゼノの家を出ると乾いた平地に二人は集まった。

 ゼノの服装は半袖シャツに黒いズボンで、装備は肩掛け鞄に剥ぎ取り用の短剣だけを持ち出して肩からかけている。大森林内で擦れ合うと音が鳴るような鎧は気配を断つ上で必要がないという理由から機敏を重視しての服装にしている。


 一方でマリベルはゼノに修復してもらった白シャツに黒のシルエットズボンを着て、皮の胸当てを装備している。武器は詠唱具現者である事から木の枝に見える魔法杖を所持する。


「ゼノ、あなたは武器はいいのですか?」


 マリベルの素朴な疑問にゼノは疑問を解消するべく話す。


「武器なら鞄の中に入ってる。ほらっ」


 ゼノは鞄の中に手を入れるとゆっくり木の弓矢を取り出す。それは鞄には入ることのない長さの弓矢であり、取り出した弓矢を見てマリベルは目を丸くする。


「え、え、無自覚な領域エンコンサス・フィールドっ!?」

「何?」

無自覚な領域エンコンサス・フィールド。その領域内にどんな物でも収納できるというかなり希少性が高い道具です。しかもその大きさ……。これはどうなされたのですか?!」

「あ、あぁ。家にあったからそのまま使ってた」

「い、家にあったの……ですか。なんでこのような大森林の中に??」


 無自覚な領域は肩掛け鞄だけではなく小物入れなど種類があり、その果てのない収納力や重さを感じる事のない軽量さで行商人や貴族の間では荷物の運搬や移動などでその効果を発揮している。大陸全体を見ても限られた数しかない無自覚の領域を所持するという事は成功者の証として重宝され一部の貴族は使う事なく額に入れて飾ったりもしている。

 マリベルはその希少性を説くがゼノは全く意に返さず雑に扱い、ただの便利な鞄という位置付けでしかない。



「ここにある理由は知らない。多分親父がどっからか拾ってきたんじゃないか。大森林にはいろんな人が来るし。それじゃ今から出発するわけだけど先にこれ渡しとくな」


 ゼノはマリベルに2つの小さい木の棒の片方に糸を巻いた物を渡す。手渡しでもらったマリベルは小さな木の棒を見て首を傾げる。


「これは?」

「これは鼻を摘む道具だ。こうやってちゅかみゅんだ」


 道具の使い方を実演してみせる。少し涙を目尻に浮かべながら話す姿をいぶかしげに見つめて意を決して鼻を摘む。


「痛いです!! ゼノ、これ痛いです!?」

「我慢して。じゃあ準備できたから出すね」


 鼻を摘む事を準備完了として肩掛け鞄から2つの袋を取り出す。手提げ状に作られた物は肩掛け鞄から取り出させると急激に異臭を放つ。


「これ、何か臭いますが何の臭いでしょうか?」

「聞く?」


 恐ろしい言葉を話そうとするゼノの表情は不気味にニヤける。悪意ある笑みを浮かべるゼノを見てマリベルは生唾を飲み込み備える。


「……大蛇の尿だ」

「に?」

「尿だ」

「尿?」

「そう、大蛇のおしっこ」

「?!」


 突如、悲鳴を上げようとするマリベルの口を押さえて落ち着くように話しかける。なかなか収まることのない絶叫が口を塞いでも響く。気が動転して発狂しかけたマリベルはゼノの誘導により徐々に落ち着きを取り戻すとゼノ頭をポカポカと叩いた。


「いてっ、痛いって。ごめんって」

「許しません。この大陸にっ!! 女性に尿が入った物を持たせる男性がどこにいますかっ!!」

「知るかっ! だ、大蛇の尿は安全に大森林を抜けるのに必要な物なんだっ」


 悪意があった物ではなくマリベルを護衛する為に必要な道具であったとゼノが話すと頭を叩く手も緩んでいく。マリベルは事の詳細を聞くように耳を傾ける。


「これは大蛇の尿を結晶化させた物でこれを持ってると大蛇が来たと勘違いた魔物は寄ってこないんだよ。寄って来るとしても同類の大蛇かそれ以上の魔物だが大蛇以上の魔物は見た事がないからこれさえ持っていれば魔物に遭遇しなくなるんだよ」


「そ、そうでしたか……。すみません、取り乱しました」


 慌てふためいて暴れた事を謝罪する。叩かれていた本人も言葉足らずで錯乱させた事を同じく謝罪した。


「大森林を抜ける為なのであれば、それが道具なのであれば仕方ありゅませぇん」

ありゅがとちょありがとにゃらならこりぇまにゅへぇるこれマリベルのの」


 ゼノはマリベルへ結晶化した大蛇の尿が詰まった手提げを渡す。手提げから匂う強烈な激臭も命が助かるものと分かれば幾分か匂いもマシに感じられるだろう。


しぁあじゃあしゅっしゃつしゅるひしゅっぱつするよ

ふぁいはい


 鼻の痛みと強烈な激臭に耐えながらゼノとマリベルは大森林を歩きだした。



 大森林の巨樹群が歩みを進める度に痩せ細り背丈が縮こまっていく。

 徐々に見慣れた景色が広がって来るとマリベルにも安心感が芽生えてくる。

 逆に、ゼノは痩せ細っていく巨樹群に恐怖を感じていた。巨樹群が痩せ細る程の劣悪な環境が広がっているのではないか、そんな気持ちを心に抱えてかゼノは辺りをキョロキョロと挙動不審に見える足取りで歩む。


みょうもう、もうこれとっていいですよね」

「あ、あぁ。もう大丈夫だと、思う」


 鼻を摘んだ木の棒を外すと二人の鼻には挟まれた木の棒の跡を残す。服にも手提げで持っていた大蛇の尿の匂いが染み付いて少し臭ってくる。まだ匂いが抜けるには時間がかかりそうだ。


 巨樹群を抜けた事で巨樹は木々と呼べるほどの様相に変わり、湿地帯だった地面も木々の間から十分に光が届くようになり乾いた大地に変わる。


 ここまでくるとマリベル一人でも街へ帰る事はできる。しかし、ゼノを守護者にするという使命を持っているマリベルはそれを伝える事はせずにマリベルが先頭を歩き始める。


「ゼノ、質問しても?」

「何だ?」

「何故、大森林ではあまり錬成を使わないのでしょう? 私が見たのはシャツを直してもらった1回だけでしたけど何か理由があるのでしょうか?」


 大森林の中で錬成を使っていればもっと良い生活ができるのではないかと考えての事だろう。マリベルの当然とも言える問いにゼノは目線を斜め上にして考えているという態度をとる。


「木を切るなら斧がある。服が破れたなら縫えばいい。ナイフが切れなくなったら研げばいい。全てを錬成でなす事はできるだろう。だが、錬成を使わなくても出来る事では錬成を使わない。そう決めているだけだ」


 自分の錬成に対する矜持を語る。

 その矜持は最もな事だ。でも、それを良しとしているのはあくまで『大森林の中』だからだ。


 時間を持て余している。

 暇つぶしになる。

 そう考えての行為であるからこそ行き着いた事だ。その言葉がマリベルに響くかどうかは分からない。


「はい、分かりました」


 やはりマリベルには響いているように感じない。

 魔法を行使出来るマリベルにとって使える物を使おうとする事は普通であり誰にとっても当たり前になる。

 火系統を行使出来る詠唱具現者が火打石で火を起こす理由は皆無なのだ。【発火】この一言で火起こしが終わる。

 マリベルは自分の存在意義を傷つけているようにも取れる発言をするゼノを多少の怪訝な顔をしてみせた。


「じゃあ、仲間はどうでしょう?」

「仲間か……。大森林で暮らすには必要ないと感じている。足手纏いになるし食料も倍必要になるしな」


 仲間の必要性を切り捨てたゼノの言葉と共にマリベルの守護者へ登録してもらう作戦は窮地に立たされた。

 ゼノが惹かれるような物を準備出来なければ街へ帰り着けば即、大森林へ帰るだろう。

 でも留めるだけの手段がない。葛藤しながらも少なくなっていく時間に焦りつつマリベル達はついに大森林を抜けた。


 生い茂る木々がなくなる代わりに目の前にはくるぶし程の草地が緩やかに起伏のある大地を埋め尽くし、一筋の駱駝色の地面が這う蛇のように曲がりくねりながらマリベルのいる場所から遠くへ続いていく。


「ん〜、帰ってきましたねぇ〜」


 既にマリベルは帰路についた微笑ましい顔をして緊張が解けたのか背伸びをする。ゼノも初めて見る景色にただ呆然として景色を眺める。


 ゼノの目に映る景色の半分は晴天の澄んだ天色あまいろをして鮮やかに映り、

 残り半分は、どこまでも続く新緑と一筋伸びる駱駝色の道筋。


「見てください。あの先に見えるのが私の街・クレナミアです。夜になると城門が閉まるので急ぎましょう」


 まだ太陽は頂から下って間もない。今まで通りに歩けば問題なく辿り着けるだろう。それでも小躍りになり歩き出したのは、抱え切れない想いを伝えたいからなのか。


「なぁ、マリベル」

「なんでしょう」


 歩き出した歩みを止めて話し始めるゼノ。その目は

 見開かれて何かを決意したようにも取れる。

 惹かれる物は準備できなかった。

 そうマリベルは決めつけて裁決が言い渡されるのを待つ。


「おれは仲間の必要性は感じない。……でも、マリベルが仲間を想う姿に動揺して嫉妬したのも事実だ。だからこそ、オレはその嫉妬をしてみたい」

「……ん? つまりはどういう事になりますか?」


 いやらしい笑みを浮かべてゼノを見る。窮地から脱したマリベルは一気に畳み掛けて言質を取りにかかる。


「つまりは……」

「つまりはぁ〜」

「ついていってやるって事だ」

「……まぁ、いいでしょう。はい、言質取りました」


 笑顔の奥底では空に両手を挙げて叫び自分を讃えているだろう。結果として、多くの第一級守護者――ゴールドプレーターを失ったが、その代わりに未知数のゼノが加わった事にとりあえずの安堵を見せる。


「まぁ、いなくなったお父さんを探し出して殴ってあげるのもいいんじゃないですか?」

「おっ、それもいいなっ」

「冗談ですよ……」


 二人の気分は晴れやかと共に帰路である街・クレナミアに向かう。クレナミアに辿り着いたのは城門が人が通れるギリギリまで閉められた時だった。

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