4.初依頼〜回想編

 ゼノの家の一室。

 マリベルが寝泊まりする小さな部屋には右隣の壁に明かり取りの窓が備え付けられている。

 マリベルの片手程の横幅で高さは横幅より少し長いくらい。

 窓から人の出入りができるちょうどいい大きさ。


 本来の役目通りの行動をするべく窓は大森林側に開放されて部屋の中に溜まった陰鬱な空気を吐き出して新鮮な空気を取り込む。


 それでもすぐに部屋の中は陰鬱な空気に埋め尽くされるだろう。根源の主がベッドに腰掛けて7つのタグプレートを暗い笑みを浮かべて眺めているからだ。


 窓からは大森林にしては稀といえる月夜の光が降り注ぎ窓枠に並べられた7つのタグプレートを照らす。


 それは主を失った物への弔いとも取れる優しい光。


 そんな月夜の光をタグプレートは受けると、一つは表面にできたたくさんの凹凸により乱反射して光が飛び散り、一つは赤黒く汚れて光を受けてもそのまま光を飲み込み消え去っていく。


 優しく包み込む光を断固として拒否する。

 主を失ってはいない。

 そう告げているように思える。


「ずいぶんちっちゃくなっちゃったね……」


 窓枠に置かれたタグプレートの一つを眺めながらツンツンして暗く微笑むマリベル。

 ひしゃげたタグプレートは指で触る度にカチャカチャと音を立てて小刻みに振動する。


 ギルド職員としてタグプレートの回収は日中に完了した。あとは自分がどうしたいのかを考える。


 ひしゃげたプレートや凹凸のあるプレートをゼノにお願いして真っ平にしてもらおうか。

 赤黒く汚れたものは水で濡らした布で拭いてしまおうか。


 ギルド職員として、一人生き残った者として最善を尽くす為に思案する。そして、決めた。


 何もしない。

 タグプレートに刻まれた傷や汚れは持ち主がたくさんの魔物との戦闘に赴き戦った証だ。

 全ての傷をなおして修復する事はその全てをなかったように、つまりはこの世界に存在していなかったのだと言っているようなもの。


 ギルドは守護者の尊厳を護る事を絶対としている。だからこそギルドと守護者の関係は対等でいられる。ありのままの姿をありのまま伝える。たとえそれが凄惨せいさんな物で吐き気をもよおすものであっても。


 タグプレート。

 もし何か、例えば死んでしまったなどの時にタグプレートを誰かが持ち帰り、ギルドへ提出する事で死亡したと判断するようになっている。


 それ以外では死骸を持ち帰る事とあるが、近くであればいざ知らず遠方から死した肉体をギルドまで持ち込むような不義をする輩は少ない。


 それでも、中には死を受け入れられない守護者がタグプレートを持ち込まないという事もあり、ギルドが把握している守護者の数と実際の数とでは隔たりがあると仮定している。


 マリベルはタグプレートの一つを手に取るとベッドへ倒れ込み天井に向けて翳す。

 薄暗い天井の中に微かに煌めきを見せるタグプレートには名前と職種がきざみこまれている。


『ララメイヤ・カイマー 職種 重戦士』


 歴戦の中で刻まれた傷で読み取りにくくなってはいるがマリベルはすぐに読み取れる。

 タグプレートに刻み込む作業は機械ではなくギルド職員の手作業になる。それは、ギルド職員が渡す事ができる唯一のお守り。

 生きて帰ってきますように。そんな願いを込めて一人一人が名前と職種を刻み込む。

 そんな願いを込めてララメイヤのタグプレートに名前と職種を刻み込んだギルド職員がマリベルなのだ。


 ララメイヤとマリベルの出会いは、初仕事がララメイヤの守護者登録だったというところから始まる。


 マリベルは初仕事で忘れられない強い印象を受けていた。

 そもそも初仕事だからといって忘れられないような印象を与える事は難しい。


 すごく好みの顔だった、とか。

 女神の化身のような風貌で崇めてしまった、とか。

 そんな事がない限り。


 そんな時にマリベルが担当するカウンターへ現れた青年。

 背の高さや顔の幼さが抜けきれていない様子はまだ少年といった方がしっくりくる。

 栗色の髪に同じ瞳をした少年の頬は少し痩せこけて首からは筋張った血管が浮き出ている。

 服も買ったのか作ったのかは知らないが白かったであろう上衣も今は淡く茶色に変色して汚れが固まってしまっている。

 その上、袖の裾がボロボロとほつれている。


 提出した守護者登録の申請者もそうだ。


 職種の欄に『じゅうししゃんし』と書かれた守護者登録の用紙をマリベルへ渡す。


 渡された登録用紙を眺めて、凝視し、困惑する。

 マリベルは、そのような職種はありません、と突き返しても良かった。が、もしその職種があった場合はーないとは思っているーこの少年を辱めた事になる。最悪、思い悩んだ結果、守護者を諦めるという事になる可能性も否定はできない。


 新人ギルド職員としてはそれは見過ごせない。


 将来有望になるかもしれない金の卵をみすみす他の鶏へ渡す事はしない。


 人によっては文字の読み書きなど出来ない人もいる。生活をする上で必要なのは話す事であり文字の読み書きはあまり重要視されていない。


 登録の際も文字を書く事が出来ない人もいる為にギルド職員が代筆をする事もある。


 しかし今回、目の前に現れた少年は慣れない文字を書いて提出してきた。他ならぬ強い意志を感じなくもない。いびつに曲がり捻っているが、かろうじて文字単体ずつは解読できている。それでも文字全体を読むと頭を傾げるしかない言葉になっている。


 銃士。狩人の派生なのかな。

 獣士。魔物使いと同列。いや、動物の体調を管理する人の事か。


 マリベルの頭の中に浮かんでは消えていくたくさんの候補達。目線を斜め上に見ながら可愛らしく指を唇に当てて悩む。

 無理。

 マリベルの考えうる職種の中に該当する物はなく、すぐに新人ギルド職員研修の際に教わった手順通りに進める。


 マリベルは体を捻り、備え付けの棚から分厚い魔法書のような本を持ち出す。厚みがマリベルの肘から手先まである本には『守護者登録職種一覧表』と書かれてある。


 頬がピクピクと引き攣る。

 考えうるだけでも15〜20種類しかないと思われた守護者の職種。職種の名前と簡単なメモを書き込んでも紙にすれば4、5枚で終わる量でしかない物がここには数千枚以上の紙の束が佇む。


 とりあえず受け付けだけ終わらせて仕事終わりに作業をしよう。

 マリベルは朝イチの、それも初仕事で残業が確定してしまった事に口の端を波打ながら震わせて笑顔を作る。

 そして、少年には分からないように隠れてため息を吐いて本の最初の頁を捲った。


「あ、あの……」

「はい、なんでしょう」

「じゅうせんし……、なんです」

「はい?」

「あの、そこに『じゅうせんし』って書きました」


 恥ずかしそうに俯いて自ら文字の説明をする少年。懸命に解読を試みるマリベルを見て、いたたまれず恥ずかしさを押し殺して話したのだ。


 じゅうせんし……。銃戦士……。あぁ、重戦士!!


 点と点が繋がったマリベルは両手を合わせて鳴らし晴れやかに笑った。

 それを見た少年も伝わった事で晴れやかに笑い、勇気を出して伝えた事に満足しているようだ。

 もちろん、マリベルが晴れやかになったのは確定だった残業が綺麗さっぱり無くなった事も関係している。


「ありがとうございます。えっと〜、ララ……メイヤさん?」

「はいっ!! ララメイヤと言います。15歳です」

「えぇ〜!! 私もだよ〜。同い年だね〜。……ひぃっ!? ゴホンッ!! そ、それでは、ララメイヤさん。こちらの守護者登録の用紙に私が代筆して記入しても構いませんか?」

「はいっ、お願いします」


 現れた同い年につい仕事を忘れて話しかけようとしてしまい、後方から新人ギルド職員の責任者が冷たい目線を浴びせ、業務に戻そうとする。


 すぐに気づいたマリベルは体制を立て直してララメイヤの代わりに新品の守護者登録の用紙を手に取る。


 読み書きなど出来なかったマリベルも新人ギルド職員研修恒例の30日間缶詰研修で読み書きや数字の足し引きなどをみっちり仕込まれて書けるようになっている。 


 そのおかげ?もあって気にしていた体重が落ちた事を喜んでいた。


 カウンター横にある羽の付いたペンで記入する。

 綺麗とまではいかないが誰が見ても読む事ができる文字で『重戦士』と代筆する。ついでに名前も書いてあげる。


「はい、これでオッケーです」

「ありがとうございます」


 自分が代筆した物をそのまま受理して登録が完了した事を告げる。既にララメイヤからの仕事は終わっていたがマリベルがララメイヤ越しに後ろを見たが並んでいる人もいない。そのままマリベルはララメイヤを引き留めて話を始めた。


「ねぇ、ララメイヤ。なんで、職種が重戦士なの?」

「そ、それは。……。アルフレッド戦雄記の重戦士ジュドーがカッコ良かったから!! ……かな」


 アルフレッド戦雄記。


 魔王を勇者一行が討伐に向かう冒険譚。

 様々な魔王の手先にも挫ける事なく立ち向かい、最後には倒して平和と取り戻すという御伽話だ。

 子供にとっては勇者ごっこの題材としても有名。


 そういえば、孤児院の本棚にもあったなぁ、とララメイヤの話しを聞いて育った孤児院を思い出す。


「あれ……?」


 ジュドーって大柄のが大盾を持って戦っていた人だよね?


 物語の内容を思い出してララメイヤと認識の違いがある事に頭を傾げる。間違えているのならすぐに訂正するだろうか。今なら手元に登録書はある。マリベルは確認の意味を含んで口を開けた。


「ジュドーってすごかったよね。魔物を剣を使って倒したりしてまるで剣士!! みたい」


 案に真っ直ぐ伝えるのはやめて遠回しに伝えてみる。


「でしょ!! だから僕は重戦士になりたいんだよ!!」

「……はぁ。まぁ、いっか」


 感情が昂りマリベルの遠回しに伝えた手直しを聞く耳を持たずにサラリと回避する。浅く一呼吸して、重戦士だからって剣士の役割をしてはいけないという事もないだろう、と思い直して焚き付けてしまったララメイヤに相槌を打って話に耳を傾けた。


「それじゃ、マリベルさん。また」

「同い年なんだからマリベルでいいですよ」

「わかった。じゃあね、マリベル」


 みすぼらしい服装のララメイヤは手を振ってマリベルのカウンターを後にする。そして、依頼板へ向かい初めての仕事、『ドブさらい』を受注して現場に向かって行った。


 そんな3年も前の昔話を突如思い出したマリベルはクスッと笑い顔を綻ばせる。あんなみすぼらしかった少年が今では街の中でも一握りの第一級守護者となり活躍する事になるなんて思わなかった、そんな顔をして笑う。


「ずっと見てたわよ、ララメイヤ。ドブさらいから帰ってきたと思ったら報酬で自分の背程ある大木盾ビッグウッドシールドを買ってきて、自慢して、すぐに別の依頼を受けて。そんなに生き急がなくてもって思ってたけど。どんどん強くなっていくあなたを見て私、憧れてたのよ。ああぁ〜、いいなぁ〜って」


 手で摘んだララメイヤのタグプレートを手首を捻って動かしながら語りかける。返事はもちろんないがもし帰ってくるのであれば『そうだろ、そうだろ』と頭で頷いて自分を褒めていただろう。


「私は、そんなあなた達の人生を奪ってしまったの。あの時、大蛇に潰されて死ぬのは私だった。私があそこで死んでいればここにいるのはあなただったのに」


 目尻から滴がベッドに向けて垂れ落ちる。


 大蛇の腹這いが目の前まで襲ってきたあの瞬間、マリベルは目を閉じて死を覚悟した。第二級守護者の技量しか持ち合わせていない人が調査指針上必要だからと肩書きだけの第一級守護者となった必罰なのだと受け入れた。


「死んじゃいけないっ!!」


 首がおかしくなる程に横へ弾き飛ばされるとマリベルがいた場所に弾き飛ばした者・ララメイヤが四つん這いになってそこにいる。


「ララメイヤっ!!」

「死んじゃダメだよ、マリベル。君は希望で僕のす……」


 グシャァッ!!


 全身鎧がひしゃげる音と共に人間からは聞こえた事のない潰れる音が赤い血と共に滲み出る。守護者達からは悲鳴が上がり治癒魔導士は治癒魔法をかけて生存の可能性を探る。


『ウオォォォォーーン!!』


 追撃の遠吠えが聞こえた。魔狼グラ・リルだ。

 一際大きな魔狼一匹に九匹の子分らしき魔狼が編隊を組んで疾走してくる。


 重戦士タンクはいない。

 詠唱具現者も近接では無能に近い。


 頭を食いちぎられる者。

 四匹同時に強襲され四肢を食いちぎられる者。

 体力が尽きて後ろから魔狼の爪が背中の肉を抉られる者。


 悍ましい光景が目の前で繰り広げられ、残ったのはこの中で一番の最弱・マリベルただ一人。魔狼も個々の力量を推測して攻撃していたのだろう。まずは、剣士と斥候。あとからジワジワと詠唱具現者を嬲り殺していけばいいと。


 ここで命が潰えると確信していた。



「私は死のうとしたけど死ねなかった。生かされたの、みんなに。みんなが稼いだ時間が私を生かしてくれた。ありがとう。でも、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 ララメイヤのタグプレートを手に握り、胸に押しつけて啜り泣く。生きている事に安堵する一方でみんなの命を犠牲にして生きながらえた自分を咎める刃で切り裂かれてしまいそう。


 ハッと目を擦って流れ落ちた跡を拭い取ると気持ちを切り替えようと深く息を吐く。啜り泣く顔から少しだけ力が漲った顔つきになり胸に押しつけていたタグプレートを窓枠に戻す。


「でも、そんな中で私の事を気にかけてくれた人もいたの。この森でずっと暮らしているゼノって人なの。ちょっと抜けてるとこはあるし、女性には弱いみたいだけど将来すごい人になる。そんな気がするのよ。あなたを見た時みたいに。必ずゼノを守護者にしてみせるわ。何があったとしても。最後は色仕掛けで……とか考えてるけど。まぁ、頑張ってみるわ」


 マリベルは開けておいた窓を閉じる。部屋の中の陰鬱な空気は切り替わり新鮮な深緑の匂いが仄かに香る。あとは根源マリベル次第。それも問題ないだろう。

 窓越しに月夜を眺めるマリベルの顔は生気に満ちた顔をしていた。

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