2-3

「僕が君を有望だと感じたのは、次の4点だ」


 アンダンテは椅子から立ち上がり、右手の人差し指を立ててゆっくりと歩きだした。


「まず、6年間大人の力を一切借りずに生きてきた生命力。次に、これまでの犯罪歴から窺える、目的のためならば手段を択ばない実行力と精神性。さらに、今日に至るまで一度も官憲に捕縛されていない偽装隠蔽能力。そして、何と言ってもその青い眼ッ!」


 話している最中にも、彼の鼻息はどんどん荒くなっていった。びしぃッと幼女の眼を指差して語り始める。


「我が軍の後方部隊研究班の報告によれば、王国民が青い眼を持って生まれてくる確率は、およそ1000万人中1人らしいよ。すなわち、総人口約7000万人の我が国には、理論上7人しかいないことになる。しかも、濁りのない、純粋な”青”となるとその確率はさらに限られる……つまりね、君のその眼は、およそ存在しえない青色の眼を持った王国民として、敵国に潜入するのにぴったりなんだ!」


 アンダンテの脳内には、既に敗戦後の王国が採るべき道筋が見えていた。まず、講和条約締結にあたって、帝国は国境付近の一部領土の割譲と、王国の数年分の国家予算に相当するだけの賠償金支払いを要求してくるはずだ。すると王国経済は悪化の一途を辿り、国民はさらに窮乏する。国家は怒りの矛先を敵国に向けるため、国民に対して臥薪嘗胆、再び復讐を果たすために再戦の機会まで耐えてほしいと呼びかけるだろう。


 軍事戦略の見直しと経済の立て直しに向こう10年は要する。その10年の間に彼がなすべきことは、希望的観測の下開始された今次戦争の反省を活かし、再戦に向けて敵国の戦争能力を秘密裏に減殺することにある。そのためには、帝国の監視の行き届かないところで結成された特務機関と、王国と王国民に忠誠を誓って敵国に潜入する駒が不可欠なのだ。


――あぁいやいや、こんな難しい話、この子に理解できるはずがない。彼は一旦深呼吸をして冷静さを取り戻す。とにかく今は、彼女の承諾を取り付けることが先決。


「いや、失敬。……そうそう。君には、僕が集めた仲間とともに敵国に潜入して、この4人を殺してほしいんだ」


 そう言って、彼は4枚の写真を取り出す。そこに写っているのは、いずれも肖像画でありそうな高貴な出で立ちをしている紳士たちであった。


「彼らは皆、敵帝国の現皇帝アネクメートル2世を支える4人の忠臣達でね。ウチとの戦争も、実際に采を振るったのはこの4傑だろう。彼らがいたからこそ帝国はここまで強大になれたし、裏を返して言えば、彼ら亡き後の帝国に未来はない」


 ここまで言い終えて、アンダンテは偽アンゼリカの顔をちらりと見る。今まで殺してきたスラム街のゴロツキとはわけが違う。敵国の頂点に君臨する要人を暗殺するという計画は、さすがに幼女からすれば荷が重いか――。


「こいつらを殺せばいいの?」


 男の想定に反して、なんと偽アンゼリカは動じていなかった。4枚の写真をそれぞれ手に取ってじろじろと眺めている。


 彼女の目的に対する精神性を、どうやら甘く見ていたようだ。彼女はこれまで、誰からも理解されず、誰からも認知されていなかった。自分の生きる意味を、他人から与えられることなく生きてきた。だから、今こうして、生まれて初めて生きる意味をアンダンテから与えられ、それを達成することだけを考えているのだろう。


「……ああ。だがそれはあくまで数年後の話だよ。潜入するまでに、君のポテンシャルを最大限引き出すため、毎日休むことなく訓練を行わせてもらう。地獄の日々になるだろうが……来る日に、君が確実に任務を遂行できるようにね」


 しかし、彼女は聞いていない。ずっと写真を眺め、4傑の容姿の特徴を完全に把握しようとするかのように、それだけに没頭していた。


「じゃ、君も僕の”駒”になってくれるってことでいいかな?」


 反応がないので、念のため確認する。すると、偽アンゼリカはようやく視線をアンダンテの方に向けて、そのマスクの薄暗い穴からぼんやり見える彼の眼に焦点を当てた。


「待って。まだあんたをできてない」


 幼いながらに、注意深さも十分なようである。アンダンテはクスッと笑うと、おもむろにくちばしマスクのてっぺんを引っ張って脱ぎだした。


「んっしょ……これで分かってもらえるかな?僕も君と同じ、この国で本来存在してはいけない人間なんだよ」


 そういう彼の素顔は、いまだ長髪に覆われて輪郭がはっきりしていない。ただはっきりと分かる特徴――彼の眼もまた、紫がかってはいるがはっきりとした青色だった。


「『傾国』――これから君に入ってもらう特務機関の対内呼称だけれど、僕の眼の色のコトは、『傾国』機関員にしか話していないんだ。じゃなきゃ、僕も憲兵隊でここまでの地位には上り詰めていないからね。いつもはキャラでこのマスクをつけているってゴリ押しして、素顔を隠させてもらっているんだ……この意味が分かるね?」


「わたしもあんたのヒミツを握った」


「そういうこと。互いにヒミツを握り合うのが、一番の信用の形ってワケ。これからよろしくね。えっと……」


 握手をしようと手を差し出したアンダンテは、偽アンゼリカのことを何と呼ぼうか咄嗟に迷った。


「名前がないのは不便だね……。そうだ!社会のはみ出し者ってことで、君のことはXenoゼノって呼ぶのはどうかな?」


「なんでもいい」


 本心では、女の子につける名前じゃないだろうと思ったが、実際彼女にとって名前などどうでもいいことだった。これまでと同じ、行動によってこそのみ、自身の存在意義を示すことができると確信していたから。


「それじゃ、行こうかゼノ。ここもじき、安全じゃなくなる」


 たしかに、天井からこぼれてくる砂ぼこりの量が増えてきた。敵の砲弾の頻度が上がった証拠だ。


 アンダンテはすぐに、彼女の手錠を外し、空腹で虚弱になった彼女を抱えて部屋を出る。地下室から階段を上がり外に顔を出すと、そこには王国の建造物がどれも見る影もなく崩れ、辺り一面火の海であった。

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傾国の判事 十二月 @12gatsu

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